第41話:バレンタインデーなんて……(14)
生き物としての本能に『愛』だの『恋』だのと名前をつけて一喜一憂している事を、カマキリのリュウジは『茶番』だと言っていた。
たしかに僕たちは、この意味のない茶番劇に囚われ過ぎているような気がする。それこそ、一人の人間が思い悩み、命を落とし、誰かの不幸を願うほどに――
男の力で女を無理やり押さえ込み、本能を満たす。成功すれば満たされ、失敗すれば繁栄を絶たれたまま命を落とす。
そんなシンプルな世界の方が、もしかしたら生き物として自然なのかもしれない。
でも、先人達が記してきた、愛だ恋だってい茶番劇の『台本』に、僕達は人生を賭しても構わないほど、底知れない『力』が秘められているって感じるんだ。それに没頭して、劇の登場人物を演じ続ける事が、無意味だなんて僕には思えない。
物語にはきっと力がある。
この世界では必然のように様々な物語が生み出されし、誰もが何かしらの物語に心を打たれているのだから。
そして僕は今、影山さんという劇の中にいる。
それが悲劇になるか喜劇になるか、わからないけれど――
* * *
宮本先輩は夜空を見上げて「入団の儀式が――」と叫んでいる。幽霊女子4人衆は空に暴言を吐きまくっているし、鉢山は銀髪の鬼のセクシーな肢体を舐めるように見ている。
そして影山さんは、真っ赤な顔で俯いていた。
「影山さん? 大丈夫?」
僕は影山さんに呼びかける。勝手に語尾にくっ付いていた『ござる』が消えたことで、僕は非モテの呪いが完全に消滅した事に気付いた。
「……体調、悪いの?」
影山さんは両手で顔を隠して、ぶんぶんと首を振る。黒い髪がバサバサと乱れて、石鹸とほんの少しの汗の匂いを感じる。
「じゃあ……」
僕は言葉に詰まった。
影山さんはやっぱり、さっきの『告白』から不自然な何かを感じ取っていたみたいだった。もし――僕の気持ちに気付いていたとしたら、影山さんはどう感じたのだろうか?
ウザいと感じたろうか?
迷惑だって、感じただろうか?
僕は途端に怖くなって、言葉が出なくなってしまう。このままなあなあにしてしまえば、まだしばらくは影山さんと『ただの友達』でいられるかもしれない。そんな甘い囁きが、僕の心を惑わす。
しばらくの無言。
でも――
「あの……さっきの言葉だけど……」
影山さんの、細くて震えた声。
力を持たない雛鳥が、新しい世界に憧れて必死で卵の殻を突くみたいに――その声は小さいけど、止まった世界の中で力強く響いた。
「あの……お前の……好きな人って……その……」
泣きそうな声だ。
影山さんが全身全霊の勇気を振り絞って、この言葉を紡いでいるって、痛いほど伝わってきた。
顔を隠す両手の隙間から、潤んだ大きな目が僕を見ている。
ここで僕が、自分の気持ちを晒す事の『恐怖』に負けて、言うべき言葉を飲み込んでしまったら、きっと僕は、オタ霊へ伝えた自分の言葉を裏切る事になる。
そして何より、ここまで勇気を出してくれた、影山さんの気持ちを――
言おう。
ちゃんと、気持ちを伝えよう。
「そうだよ」
小さな声で、でもはっきりと、僕はこの気持ちを言葉にする。
「僕は、影山さんが、好きなんだよ」
それは、ともすれば粉雪が地面に触れた時に鳴る、微かな鈴の音ほどの言葉だったかもしれない。
でも、その心細さを補うように、僕は、指の隙間から見つめる影山さんの目を、僕強い意志をもって見つめ返した。
影山さんからの返事はない。
指の隙間から見える目は固く閉じられていたから、僕は自分の言葉が、粉雪のように跡形もなく溶け去ったのだと感じて――
視界の端に白い光の粒が映る。
それは降り始めた雪のようにも見えたけれど、違った。
影山さんの銀髪の鬼の身体に、少しずつヒビが入っていく。
亀裂が亀裂を生み、軋んで砕けた破片が宙を舞い、白い雪のように僕達の周りに降り注いでいた。
「はあああ? なんだこれ!? 大丈夫なのか?」
ボケーっと銀髪の鬼に見惚れていた鉢山が、慌てふためいていてジタバタしている。
予想だにしない事態――
でも僕には、何が起きているのかわかった。
僕はこれと同じ鬼の変化を見た事がある。かまいたちの一件でも、同じように影山さんの鬼にヒビが入って、ムキムキの鬼が美しい女の鬼になった。
鬼の変化は、影山さんの心の変化だって、社畜の魔女の三浦さんが言っていた。
影山さんの『陰の気』が弱まれば弱まるほど――
影山さんが幸せになればなるほど――
鬼は小さく弱くなっていく。
影山さんは両手で顔を隠したまま、一言も発せず俯いている。でも、この鬼の変化が、影山さんの心なんだと僕にはわかった。
いつも無表情だった銀髪の鬼が、優しく笑った気がした。その顔はすぐにひび割れ、崩れ去っていく。
そして、白い粒が消え去った後には、二回りほど小さくなった鬼が立っていた。
影山さんと同じ背格好の、華奢で小柄な銀髪の鬼。
宮本先輩はまだ叫んでいる。幽霊女子達はリュウジに会いたいと駄々を捏ね始めた。鉢山はセクシーなお姉さん鬼が消えてしまったことに落胆している。
影山さんは、顔を隠したまま、無言で頷く。
そして僕は、弱くなってしまった鬼の姿が、なんだかすごく愛おしかった。
* * *
公園からの帰り道を二人で歩く。
宮本先輩も鉢山も、それぞれの家路に着いた。相変わらず宮本先輩は僕にだけ冷たかったけど、それは身近な人々に対する優しさの裏返しだってわかったから、ギリギリ許す事ができた。
幽霊女子には、リュウジにしっかりデートの日取りを取り付けてくるらって約束すると、ぶーぶー言いながらも最後には了承してくれた。
その時聞いたんだけど、僕が第二理科室を離れた後、彼女達はオタ霊に酷い目に遭わされたらしい。
本当に申し訳なくて平謝りしたけど、彼女達は首を横に振って苦笑いを浮かべる。
『あたしらも、生前はけっこうああいう子に酷いことしちゃってたから……』アヤさんは申し訳なさそうに言う。『だからと言って、あいつにされたことは最悪だけど……でもなんか、今回だけは許す!』
僕は幽霊女子達の優しさに心が痛くなった。
本当にごめん。
僕は影山さんと一緒に、暗くなった歩道を歩く。
僕と影山さんの家は方向が違うけど、暗い夜道を女の子一人で歩かせるわけにはいかないからだ。
そうじゃなくっても、今の影山さんはどこか儚げに見えた。放っておけるわけがない。
無言。
圧倒的な無言。
いつもなら何かしら話題を振って盛り上げたい僕だけど、今日ばかりはそんな気分ではない。
影山さんは、僕の告白で幸せを感じてくれた。
つまり、僕と影山さんは、お互い好き合ってるんだよね?
だったら恋人同士って事?
え、ちょっと待って、マジで?
手とか、繋いでもいいのかな……?
そんな考えだけが無造作に頭の中へ浮かんできて、変な言葉を口走りそうになるから、何も言えない。
これは、非モテ四天王の呪いより、厄介かもしれない……。
「『雪の花が咲けばいいのに……そうすれば、この心のごちゃごちゃも……真っ白に隠してくれるから――』」
不意に口を開いた影山さんは、そんならしくない言葉を呟いた。
驚いて隣を見ると、はにかんだ表情を浮かべながら、何かを期待するような視線を僕に向けている。
「あ、うん、そうだね……」
当たり障りない言葉を返したところで、僕は影山さんの言葉が意味するところに気付く。
「あれ? それって、二人で読んでた小説の台詞――」
それは愛の告白を受けたヒロインが、主人公に言った台詞。戸惑いながらも、主人公の愛を受け入れようとしたヒロインが、勇気を出して返した言葉。
物語のかなり終盤、クライマックス直前の台詞だったはずだ。
影山さんはコクリと頷く。
「あれ? だって影山さん、あの小説読んでないって言ってたよね――」
「ごめん……本当は、全部読んでた……」
僕はてっきり、影山さんはあの甘ったるい恋愛小説が気に入らなくて、完全に読む気をなくしたんだって思っていた。
あんな小説を一緒に読もうなんて言った僕の事、面倒臭い奴だって思ってるんじゃないかって、落ち込んでいた。
「え……じゃあなんで、読んでないなんて……」
「だって……」
下を向いて、口を紡ぐ。
そして再び僕の顔を見上げて――
「読み終えたら……もう阿部くんが来てくれなくなるって、思ったから……」
薄く開いた小さな唇から、白い息が漏れる。
県道を走り抜ける車のヘッドライトが、風に靡いた長い黒髪の一本一本を金色に染める。
この瞬間、影山さんはきっと、この世界で一番綺麗だった。
この胸が張り裂けそうな感情が茶番なのだとしたら、僕は死ぬまで、この劇に登場する単なる道化として生きていきたい――
「……嘘ついて、ごめん……」
僕は気の利いた言葉なんて何も言えなくて、ポケットから追い出されて所在なさげに揺れている、小さな右手をそっと握った。
影山さんは、その手を振り解かなかった。
「あのさ……」
「なに?」
「バレンタインデーの……チョコ、なんだけど……」
「うん」
「あげても、いい……?」
「うん……ほしい……」
「そっか、よかった……一日遅れに、なっちゃうけど……」
「ううん、うれしい……」
僕達はゆっくり歩いた。
この幸せな物語が、出来るだけ長く続くように。
* * *
オタ霊――上田願児は、成仏して辿り着いた先で、一人の少女と出会った。
『あんたも、影山蕪太郎にやられたの?』
顔に大きな傷のあるその少女は、願児が座る長椅子の隣に腰掛け、物珍しそうな顔を向ける。
『あの文学少女どのに……というか、なんというか――』
『そっか。私は、あいつにこっぴどくやられてさ』
大きな傷のある少女は、爽やかで屈託のない笑顔を見せた。
『あっちの世界は散々だったけど、こっちの世界はなかなか楽しいよ』
『そうでござるか――』
願児は女性から向けられた温かな視線に戸惑う。こんな風に女性から一人の人間として扱われたのは、初めてだった。
『私の方がちょっと先輩だから、わかんない事があったらなんでも聞いてね。私、キミコって言うんだ』
『拙者は、ガンジでござる』
差し出された右手に、遠慮がちに触れる。
その手は力強く握り返された。
バレンタインデー編、完結です。
めちゃくちゃ長い章になっちゃいましたが、書きたかったエンディングまで持っていく事が出来ました。終わりよければ(?)全てよし!
一区切りついたので、続きの細部を考えながらも、短編の執筆も同時に進めていきたいなと思っています。
こっからはちょっとだけ、付き合い始めた阿部くんとカブちゃんの日常を書いたあと、物語の本質に迫る話に突入する予定です。
どうぞよろしくお願いします(*´Д`*)




