第39話:バレンタインデーなんて……(12)
僕はムシャクシャしていた。
不幸を盾に散々罵られ、その結果、影山さんが泣いているって事実に。
思えば、自己主張の少ない人生だった。
出る杭は打たれる言うけれど、地面に完全に沈んでしまった杭は、存在すら知られないまま汚れた靴底でゲシゲシと踏まれる。
阿部くんは普通だから――
阿部くんは意見しないから――
阿部くんはなんでも許してくれるから――
2年生の初め、風邪で一週間ほど学校を休んでたら、面倒臭い事で有名な生活委員会に任命されていたけど、その時も僕は笑って『頑張るよ』と言った。
だからなのか?
僕が何も反論しないから、変な先輩に蔑まれ、変な悪霊に目の敵にされているのか?
ていうかそもそも、僕がオタ霊にしてしまった事は、命を奪われなきゃならないレベルの事なのか?
いやいやいやいや、罪と罰がまったく釣り合わないって! 冷静に考えておかしいだろ!?
もうこれ以上、流されるままはウンザリだ!
「おい、オタ霊!」
僕はオタ霊に人差し指を突きつける。
『なん――』
「さっきから黙って聞いてりゃ、僕の事を言いたい放題ディスりやがって!」
僕の呼びかけにオタ霊が反応してたけど、無視する。だって、さっきまで好き勝手言ってたんだから、今度は僕の番でしょ!?
『拙者は――』
「うっさい! そのうえ影山さんを泣かせやがって! そんなに非モテが偉いのか!? モテないマイナスがあったら、何やったって許されるのかよ!?」
『きさま――』
「はいはい! 可哀想ですね! わかったから、僕の言い分もちゃんと聞けよ! 勝手に目の敵にして乗っ取ろうとしやがってさ! 僕が人を傷つけて、人を見下してるって? 全然そんなつもりないし、そう感じたのならごめんなさいで済む話だろ!? 存在を消されるほどじゃなくない!? さっきは雰囲気に流されて、なんか申し訳ない感じになってたけど、これ以上はさすがにあったまきた!」
そこまで捲し立ててから、足りなくなった酸素を補うために何度も深呼吸をする。オタ霊の顔にチラリと目を向けると、青白い目を光らせながらも、唖然とした様子で僕を見ていた。
『お前……何なんでござるか……?』
「何なんだ!? わかんないんだ! 僕の事なんて全然わかんないくせに決めつけで僕をディスって殺そうとしてるんだね! すごいね! ほんと浅はかだね!」
一息で捲し立てて、再び深呼吸を繰り返す。酸欠で頭が朦朧とするけど、血液だけは沸騰しそうなほど熱せられ頭の中をグルグル回っている。
「お前はさ!……はぁはぁ……結局、自分の不幸しか……見えてないんだよ! 」
息も絶え絶えにそう吐き捨てる!
なんとも見苦しい……。
マンガとかだと、正義の主人公が理路整然と正論をぶちかまして、相手のメンタルをへし折ってるけどさ……、そんなの無理。僕の口から吐き出される言葉は、どれもこれも汚い感情に塗れてる。
まるで子供の癇癪だ。そんな自分がほとほと嫌になりそう。
『……貴様こそ』オタ霊の肩がワナワナと震え『貴様こそ、拙者の事を何も知らないくせに』
「知らないよ! だって問答無用で殺そうとしてくるじゃん! 知って欲しいなら教えろよ!」
踏み出した右足が砂をなじる。
オタ霊が一瞬悲しそうな顔をした。いや、そう見えたのは、きっと僕の思い違いだ。今は不気味な笑みを浮かべて、その大きな手を僕に向けた。
『教える必要など、もうないでござる……』
片手が僕の頭上に伸び――
『貴様はここで、消え去るのだから』
頭が締め付けられるように痛い。指が頭蓋骨を通り抜け、まるで……脳みそを鷲掴みにされているような感覚。
どんどん意識が薄れてく。
あれ――
あ、これって、マジでやばいんじゃないか?
そんな、勘弁してよ……。
こんな、理不尽な言いがかりで、死にたくなんか……。
* * *
そこは、ぼやけた線で縁取られた、アニメのような世界だった。
落武者みたいなロン毛の少年が笑っている。
少年の隣を歩くシュートカットの女の子は、引き攣った笑い顔を浮かべている。
そして僕は、物陰から学校帰りの二人を盗み見ていた。
周りには顔をペンでぐしゃぐしゃにした女の子達。みんな気持ち悪い笑いを浮かべて「うわぁ」とか「キモっ」とか囁きあっている。
僕は、自分がどこで何をしているのかもわからないまま、流れ込んでくる情報に溺れている。
少年は幸せそうだった。自分の好きなアニメの話を、早口で捲し立てている。女の子の顔を見て――でもどこか焦点が合わない虚な目で、少年は怒号みたいな勢いで話し続ける。
女の子は笑っている。笑っているけど、本心で笑っていないのは明かだった。視線を明後日の方向に泳がせながら、女の子は時々泣きそうな顔で笑う。その顔もぼやけていて、まるで消しゴムで乱暴に擦ったみたいだ。
その子の視線が、二人を盗み見る僕の視線と重なる。その瞬間、女の子の顔から笑顔が消え、口をへの字に曲げて俯いた。
少年はその事に気付かない。
喜びに視界が塗りつぶされて、何も見えていないのかもしれない
――急に世界が暗転し、唐突に場面が変わる。
『なんで、わかってくれないの……?』
ぼやけた顔の女の子が、口の周りを吐瀉物で汚しながら、泣いている。
呆然と立ち竦む少年は、得体の知れないバケモノの住処を覗き込むような顔で、女の子を見ている。
映画館のスクリーンに映し出されたみたいな、唐突な場面転換。
これはオタ霊の記憶なのかもしれない、そんな気がした。でもそれは温かな記憶じゃない。心に五寸釘で打ち付けられたみたいな、痛みを伴う記憶だ。
女の子が何かを叫んでいる。
少年はなにも言わず、助けを求めるように怯えた目で辺りを見回し――
僕と目が合った。
少年の目に歓喜が宿った。
なんでか知らないけど、そんな気がする。
『ゆるさない――』
殺気、と呼べばいいのかはわからない。ただ猛烈に嫌な予感がして、僕は建物の影から一歩退く。
その瞬間、僕の身体は宙を舞った。
どこかの壁にぶつかって、そのまま地面に叩きつけられる。壁にぶつけた後頭部と、地面に打ち付けた右肩は、一瞬のあとに痛みが爆発する。
寝転がった状態から、なんとか立ちあがろうと地面に手をつく。
その手が、見慣れたそれよりもあまりに小さくて、僕は自分が自分ではない事に気付いた。制服のスカートを履いているし、胸もささやかながら膨らんでいる。
『貴様のようなクズがいるから――』
この状況に戸惑っている暇などなかった。
右隣に立っていた女の子が蹴り飛ばされ、地面を転がる。左隣の女の子は顎に肘がめり込んで、白い歯と赤い血を地面に飛び散らせた。
『貴様らは、拙者の存在を踏みにじったんだ』
再び僕の顔面に拳が飛んだ。脳が揺さぶられるような衝撃。咄嗟に顔を守ろうとしたけど、今度は鳩尾に重たい一撃がめり込む。
痛い。
たまらず地面を転がり、背中を丸める。その背中に、筋肉を引きちぎって骨を削り取るみたいな、気持ち悪い衝撃が走る。何度も、何度も、何度も――
『貴様らを怖がる必要なんてなかった』
僕を踏みつけながら少年が叫んでいる。
『最初からこうして、ぶちのめしていれば良かったんだ』
どこを蹴られているのかわからない。全身が痛くて痛くてたまらない。
その痛みが一瞬止むと、少し離れたところで悲鳴が聞こえた。
少年と歩いていた女の子が、地面に転がっている。めちゃくちゃに何度も振り下ろされる拳。悲鳴は鳴き声に変わり、うめき声になる。
少年が両手で、女の子の首を絞めていた。
虫みたいに両足をバタつかせる女の子。
これはオタ霊の過去なのか?
いや、ちがう。きっとこれは過去のやり直しだ。恐怖の象徴を暴力で踏み躙る事で、自分の中に巣喰う恐怖から目を逸らす。そんな逃避を何度も何度も頭の中で繰り返すことで、自分の心を保とうとしている。
そして僕は、その中の登場人物の一人。
少年を苦しめる存在の象徴として、この妄想の中に閉じ込められている。
首を絞められた女の子は、やがて動かなくなった。
それに気付いた少年は立ち上がり、ふらつく足で後退りする。
そして再び、横たわる僕を見た。
『だって、仕方ないじゃないか――』
少年はゆっくり僕に歩み寄る。
『これ以上、あの子の怯えた目を見るのが、怖かったんだ――』
靴底で砂を擦る音が少しずつ近づいてくる。
『好きな子に、嫌われたくなかったんだ――』
その音が僕の前で止まる。
そして、頬に温かな何かが当たった。それは少年の顔に開いた2つの空洞からこぼれ落ちていた。
『もう、これ以上、傷つきたくない――』
少年は僕を片手で持ち上げ、何度も何度も殴った。
痛みなんてとうに麻痺していた。落書きみたいな境界の曖昧な身体から、腕が千切れ、足が抉れ、脇腹に穴が空いた。
サンドバッグをバットで叩くような重たい衝撃が、まるで他人事みたいに襲ってくる。
少年は泣いていた。
殴るたびに、自分の身体が痛むように目を細めていた。
なんなんだよ。
お前も、影山さんも、おんなじじゃないか。
すぐ檻に閉じこもって、自分で自分を傷つける。
他人に受け入れられないのが怖いから、自分から世界を拒絶しようとする。
でもそれって、お前らだけの痛みじゃないよ?
僕だって同じさ。
僕だって、怖いさ。
自分が好きな人に嫌われるは、誰だって――
伸ばした手は手首から先が無かった。指先で擦り付けたみたいに、黒ずんで薄れていた。
その手を、少年の肩に回す。
夕暮れの河川敷で、悲しみに暮れる友達を、励ますみたいに。
『やめろ……その生温い手で、拙者に触るな!』
ぼやけた世界が揺れる。
* * *
急に現実へと引き戻された。
目の前にはオタ霊。
引っ込めた手をさすりながら、驚いた顔で僕を見ていた。
さっきまでの生々しい暴力が頭の中に残っていて、頭が割れるように痛い。耳鳴りと眩暈で、世界が軋んでる。
駆け寄ってきた影山さんが、何かを叫んでいるけど、よく聞き取れない。ただ、僕のために怒ってくれているのはわかった。
銀髪の鬼を出現させ、オタ霊に殴りかかろうとしている。そんな影山さんの手を掴んで、引き戻す。
「影山さんは、戦っちゃダメなんだ……」
自分の声が反響する。頭の中が洞窟になったみたいだ。
オタ霊は怯えている。
何に怯えているのか、僕にはよくわからない。
この世界なんて怖いことばかりだ。
今まで見てきた悪霊達も怖いし、校舎裏でタバコを吸ってるヤンキーも怖い。疲れた顔をした先生も怖いし、誰かの悪口を言ってる同級生も怖い。笑っている友達も、事務的な会話をしてくる女子も――
それは全部、その人の心がわからないからだ。
でも、怖いからって遠ざけて、自分の殻に閉じこもったり、暴力で相手の言葉を封じてしまったら、きっと怖事はどんどん大きくなってしまう。
陽キャだとか陰キャだとか、リア充だとか非リア充だとか関係ない。そんなの、誰だって同じだよ。
僕はオタ霊に知ってもらいたい。
彼を取り巻く『悪いリア充』の悪夢に埋もれてしまった、僕という個人を――
「――好きな人がいるんだ」
だから僕は、心の一番弱い部分を曝け出す。
修学旅行の夜、眠れないまま語り合う時間が、友情が深めてくみたいに。
書き直しました。
少しだけ近づけたような……そうでもないような……そんな感じ(^◇^;)
誤解がないように書いておくと、幕田は『阿部くん』の立場で『オタ霊が悪い』って非難したり説教してるわけじゃないです。幕田の本心は、どちらかと言うと『オタ霊』の方にあります。
人と関わるのが怖くて、怖いから逃げたり傷付けたりして、余計人が怖くなる。中学の幕田そのものです。ていうか、今でも本質は変わらないかも知れません。




