第38話:バレンタインデーなんて……(11)
影山さんの銀髪の鬼が咆哮を上げた。
松原さんに言わせると「かぶちゃんのお姉さんみたい」なその鬼は、銀色の長い髪と額に生えた2本のツノが特徴的。黒い布を巻きつけた身体からは、モデルみたいなスラリと長い手足が伸びている。
小学校の『かまいたち』の一件で今の姿になる前は、全身が筋骨隆々のマッチョマンで、男とも女ともつかないゴツゴツの顔立ちだった。でも今は美人と言っていいくらい端正な顔に変わっている。
影山さんが生み出す『鬼』は、影山さん自身が内包してる『陰』の強さに対応しているって、社畜の魔女の三浦ハナさんが言っていた。
この鬼が、少しだけ優しい姿に変化した理由が、影山さんの『陰』の低下によるものなのだとしたら、それはきっと喜ぶべき事だと思う。
影山さんが幸せになることで、影山さんの鬼は弱くなっていく。
でも、もちろんその逆も――
『さっさと、その罪人を差し出すでござる』オタ霊は腹の底に響くような重たい声で言う。『邪魔するなら、可憐んな文学少女殿とて、容赦はしない……』
睨みつけたオタ霊の眼球に黒目はなく、全体が青白く光っていた。第二理科室で対峙してた時の人間らしい雰囲気は、どこかへ消えてしまった。
残ったのは剥き出しの『陰』の気。あのキミコさんや赤塚さんと同じ、完全なる悪霊の姿だ。
「さっき言っただろ……。こいつへの説教が……まだ終わってねーんだよ……」
影山さんが一歩踏み出し、僕とオタ霊の間に立った。
『ならば――』
その瞬間、氷点下近い真冬の空気が、さらに冷えていく。
『排除、でござる』
一瞬だった。
気が付けば、オタ霊が銀髪の鬼の両手を掴み、地面に組み伏せようとしていた。
「触んなよ、気色わりぃ……!」
押し除けようとする銀髪の鬼に、オタ霊の拳が降り下ろされる。それを鬼は間一髪でかわし、腹に強烈な一撃をお見舞いした。
オタ霊はその攻撃に臆す事なく、銀髪の鬼に連打を繰り出す。まるで駄々っ子みたいなジタバタパンチだけど、銀髪の鬼はその攻撃を受けるだけでやっとみたいだ。
やっぱり、こいつ、めちゃくちゃ強い――
この世への未練や恨み……それら陰の気が強いほど、悪霊のパワーは増大する。オタ霊が持つ未練の強さは、今までの悪霊の比じゃない。
『なにが、バレンタインデーだ……! バカにしやがって……! 拙者は……それを夢見る権利すら、奪われたんでござるよ! 貴様らリア充どもに!!』
オタ霊のジタバタパンチが加速していく。
それを受ける銀髪の鬼の腕から、青白い火花が飛び散り、白い肌が黒く変色していく。
「ああ……? 奪われただと……?」
でも、オタ霊の猛攻を受けながらも、本体である影山さんの目は鋭かった。
「奪われたくねえんなら……ちゃんと守れよ……。最後まで諦めずに、抗い続けろよ……!」
銀髪の鬼が一歩を踏み出した。
嵐のような向かい風に逆らい、歩みを進める屈強な旅人みたいに。
「お前の手に中には、ちゃんとあったんだろ……? 権利だとか、矜持ってやつがよ……。何も知らねぇクソ共は、そんなお前を蔑んだかもしれない……。でも、それに負けて、放り投げちゃいけなかったんだ……!」
更に一歩、踏み出す。
オタ霊のパンチはは止まらない。でも、銀髪の鬼が放つ気迫に押され、一歩、また一歩と退く。
「てめぇの名前、上田願児ってんだろ……? 偉人に因んだ、立派な名前じゃねーか……。迫害にも負けねぇ強い信念を、てめーはその名前と共に、親から貰ってんだよ……」
銀髪の鬼が地面を叩いた。
衝撃波が弾け、噴火みたいに砂粒が飛び散る。
「でもな……、残念ながらあたしは、なにも貰えてねえんだ……」
流石に連打を止めたオタ霊の顔面へと、銀髪の鬼の拳がめり込んだ。ふらつきながらも、背中を丸め、両手で顔面と胴体を守るオタ霊――
「てめえが言うような、『恋とかいうもんを夢見る権利』も『バレンタインチョコを渡す権利』も、あたしは生まれてから一度も手にしちゃいねぇ……!」
そのガードの上から、銀髪の鬼の拳が炸裂した。
「だってあたしは『蕪太郎』だから……。生まれた時、なんももらえなかった、からっぽの人間だから……!」
陰と陰がぶつかり合い、黒い火花が飛び散る。
「あたしは怖くて――」
オタ霊の両腕が、
「キモくて――」
軋みをあげる。
「不気味で――」
こじ開けられたガードの隙間に、
「嫌われ者で――」
銀髪の鬼の拳が突き刺さる。
「みんなを不幸にする――」
それは禍々しくて、
「誰も愛せないし――」
恐ろしくて、
「誰にも愛してもらえない――」
でもすごく悲しい、
「生まれた時から――」
相手を傷つけるようで、
「空っぽで無価値な――」
自分自身を傷つけている――
「いらない存在なんだよ!」
自らに向けた言葉の刃。
そんなの、ダメだ!
僕の身体が、勝手に動いていた。恐怖で固まった足を滅茶苦茶で我武者羅に動かして、僕は影山さんの元に走る。
影山さんの力は、自分の『陰』が高ければ高いほど強くなる。でもそれは、自分の『陰キャ』の檻に閉じ込めて、無理やり傷つけているのと同じじゃないか。
なんでそんな事を――
それは、僕を助けるためだろ!?
影山さんは怖くもキモくも不気味でもない。
嫌われてなんてないし、ちゃんと愛されてるじゃないか。
松原さんにだって、三浦さんにだって、
それに――
僕だって影山さんのこと、好きなんだよ。
だからダメだ。
これ以上、自分を傷つけちゃダメだ。
僕のために、自分自身を傷つけるなんて、そんなのダメだ!
僕は影山さんの前に立ち、両手を広げる。
その目に涙が滲んでいる事に、僕は気付いてしまった。
「なんだよ……邪魔だよ……スケコマシ……」
気丈に振る舞う影山さんに背を向けて、僕はオタ霊と向き合う。
影山さんは、この力を使っちゃいけなかったんだ。
なんで僕は今までその事に気付けなかったんだ――
動かなくなる銀髪の鬼。
がードを下げて、薄笑いを浮かべるオタ霊。
僕は全てにむしゃくしゃしていた。
オタ霊にも、すぐ檻に閉じこもろうとする影山さんにも、そして――
彼女に何もしてあげられていない、僕自身にも。
「おい、オタ霊――」
僕の声が、しん静まり返った夜の公園に響く。
これ、けっこう書きたかった話です。
かぶちゃんが力を発揮すれば、かぶちゃん自身の心が傷ついていきます。それに頼る事の悲しさを、阿部くんは思い知らされます。
こっからこの小説?は『かぶちゃん無双』じゃなくなります。バレンタインデー編はもうちょっと深掘りたいので、どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m




