第37話:バレンタインデーなんて……⑩
正門から出て真っ直ぐ進み、細い側道を右に入ると、大きな公園がある。
その公園は、遊具は老朽化が進んでいて見窄らしい上に、周りには民家も殆どないという悪条件だけど、春から秋にかけては花見やら虫取りやらでそこそ賑わう。僕も小さい頃は両親に連れられて遊びに来たものだ。
でも真冬もピークを迎えた2月ともなれば、そんな寂れた場所にやってくる人なんて殆どいない。夏は緑を茂らせてる桜の木も、今では裸同然の状態で、冷たい風をしっかりと素通りさせている。
いろんな遊具が合体した秘密基地みたいな施設の一部、パイプ状のトンネルの中に影山さんと僕は身を潜めていた。もっと遠くまで逃げたかったけど、体力が平均値をやや下回る僕と影山さんじゃ、ここまで来れただけでも上出来だと思う。
夕日はあっという間に去ってしまった。
ほんの僅かな火種も奪われ、忘れ去られた公園は死んだ怪獣の腹の中みたいに寒い。
僕が貸したスマホで影山さんはダーク・ウェブ『8ちゃんねる』にアクセスし、非モテ四天王の一人『オタ霊』についての噂話を収集していた。
青白いスマホの光に照らされた影山さんの顔を、僕は見つめている。何か話したかったけど、オタ霊にかけられた『呪い』の影響でキモいオタク発言が飛び出しそうだったから――冷たい唇を手のひらで温めるようにしながら、僕は口を噤んでいた。
「なるほどな……なかなか、めんどくせぇ野郎みたいだな……」
パイプの曲線に背中をもたれるみたいな格好で、僕と影山さんは並んで座っている。調べ物を終えた影山さんは、僕にスマホを渡した。
「こんなのに、目ぇつけられるなんて……お前、何しでかしたんだよ……?」
子供の靴底で付けられた、擦り傷だらけの黄色い壁を見ながら、影山さんは僕に訊ねる。口を開くわけにもいかないから、僕はスマホの画面をタップする。
『呪いをかけられた』
「……呪い?」
『女子と話す時に オタクっぽくなっちゃうやつ』
「……はあ? ……意味わかんねぇ……」
うん、ほんとにね……。
でもこれが、地味に辛いんだ。
僕は影山さんと話したかった。でもまたキモい事を口走ってしまって、影山さんに嫌われるのが怖くて、何も話す事が出来なかった。
それが、すごくもどかしいし、辛い……。
『呪いを解こうと思ったんだけど 逆に傷つけて 怒らせてしまった』
モヤモヤした気持ちを打ちつけるみたいに、スマホの画面を叩く。恐怖とか、後悔とか、罪悪感とか、安堵とか……。いろんな感情が入り混じって、もう頭がぐしゃぐしゃだ。
だけど――
『影山さん ありがとう』
その一言だけは、しっかり伝えたかった。
青白く光るスマホの画面を、影山さんは無言で覗き込む。そして、何も言わないでトンネルの出口の方を見た。
トンネルの表面を、風が引っ掻いていく。
その音はなんだかざらついていて、僕の中にある焦りに似た感情をケバ立たせる。
「……なんつーかよ……」
そう切り出した影山さんの声は、どこか頼りなさげだった。
「……あたしの事、今までさんざん面倒に巻き込んだくせに……今回は、巻き込もうとしねぇんだな……」
え?
僕は首を傾げるけど、そっぽを向いている影山さんにはきっと見えていない。
「……他にもいたぜ? あたしみたいな変人に、興味本位で関わってきて……飽きたらすぐに離れていく奴ら……」
えっと、その、どういう事?
話が予期せぬ方向に流れ始めて、僕は面食らう。
「……そういう事なんだろ……最近、あたしを避けてたの……」
は?
何言ってんだよ!?
僕はそう叫びたかった。
そうじゃない、それは僕は呪いにかかってたからで! 僕はただ、影山さんに嫌われたくなくて! そうスマホに打ち込もうとして、返答に困る。
影山さんに『嫌われたくない』なんて、そんな面倒で露骨な好意を向けたら、余計影山さんに『ウザい』って思われるんじゃないのか?
「……飽きたんだろ……あたしと話しても、面白くねーもんな……」
違う!
そんなわけない!
僕は画面をガシガシタップする。
『違う!』
そう書いた画面を突きつけて、僕はそっぽを向いている影山さんの肩をバシバシ叩いた。ジャンパー越しに肩の骨格や体温を感じて、少し胸が疼く。
影山さんは、自信がないテストの答案を覗き込むような目で、僕のスマホ画面を見る。
そして、ボソッと、
「違わねーだろ……」
と呟いた。
『違う!』
僕はスマホの画面を爪の先で何度も叩く。
「……まあ、別に……気にしてねーし、むしろせいせいしてるんだけどな……」そして影山さんは再びそっぽを向く。「でもさ……飽きたんなら飽きたで……一言あってからいなくなるのが、礼儀ってもんじゃねーのか……?」
ああああ!
なんだよもう!
ていうか、いつも乗り気じゃなくて、飽き飽きしたって態度とってたのは影山さんの方じゃないか。課題にしてた本だって、途中から全然読んでくれなくなっちゃったし。
僕だって、本当は悲しかったんだよ?
やっぱり嫌われてるんじゃないかとか、迷惑かけてるんじゃないかとか、すごく不安だったんだよ
それなのに!
それなのに……。
ああ、でも、うん……。
嫌われるのが怖いって勝手な理由で、影山さんを遠さけてたのは、きっとその通り――
なんかもう、色々、最低だ、僕。
この気持ちを素直に言葉に出来ないのが苦しい。ただでさえ細々してて、回りくどい感情だから、口に出したところできっと呪いが邪魔をして、上手く言語化する事が出来ないと思う。
だから、出来るだけ簡潔な一文で、この心情をまとめて――僕はスマホの画面を睨みつける。
ちゃんと伝えないと。
そんな気持ちだけがどんどん積み上がって、僕を責め立てる。
そんな中で――
さっきから響いていた風の音が、止んだ。
一瞬の無音。
そして急に、耳障りな騒音へと変わる。
トンネルの表面を爪の先で引っ掻くような音。
大粒の雨がアスファルトを削り取ろうとするみたいな音。
なんだ!?
僕はスマホをポケットにしまって、いつでも動けるよう中腰になる。影山さんも膝立ちになって、前後のトンネルの口を交互に見ている。
その音はやがて、トンネルを激しく殴りつけるような音に変わった。まるで雷だ。怒り狂った雷が、何度も何度も巨木にぶち当たるみたいな音だ。
耐えきれなくなって、僕は耳を塞いだ。
ヤバい状況になってるのは、もはや明確だ。
その音は、また前振りもなく止まる。
そして耳が痛くなるような静寂の後に――
『見つけたでござる』
不吉が声となって呼びかけてきた。
僕は声のした方を見る。
背中側のトンネルの口から、青白い顔がこちらを覗き込んでいた。
「……はえーんだよ……」
影山さんは舌打ちをして、トンネルから這い出る。それを追って僕も、トンネルから顔を出す。
遊具の横にオタ霊が浮いていた。
でもその姿は、さっきまでの彼よりも一回りくらい大きくなっているように見えた。全身を覆うオーラみたいなものも、原油が漂う海面みたいにドロついた黒で満たされている。
夜の闇の中でも、その顔はさらに濃い闇で染められていて、僕は背筋が凍りそうだった。
『かくれんぼは、おしまいでござる……』
低くてよく響く重たい声。
そこに、細くて小さな声が重なる。
「いいぜ……相手になってやるよ……。こっちは今……めちゃくちゃ機嫌がわりぃんだ……」
次回、カブちゃんとオタ霊のバトル!
そして、主人公なのにみんなから責められて、フラストレーションが溜まりまくりの阿部くん……。
のちの展開で解消させる予定なので、もう少しお付き合いください。




