第34話:バレンタインデーなんて……⑦
「なんで、そんなヒドイ事するの……?」
女の子は泣いていた。その涙の意味が理解できず、少年はただ狼狽えることしか出来なかった。
少年は少女の事が好きだった。その堪えきれない想いを、出来るだけ優しく、綿雪を手のひらで掬うように、彼女へ伝えただけだった。
それだけだったのに――
「ヒナコを泣かせてんじゃねーよ」
翌日、クラスメイトが口々に彼を罵った。
少年の密かな思いは、夏のアスファルトに打ち上げられたミミズみたいに、衆目へと晒されていた。
無垢な少年は、自分の言葉が持つ理不尽な加害性に気付けなかった。顔をぐしゃぐしゃにして、助けを乞うように、少年は自分の非を皆へと問う。
「だって――」
泣きじゃくる少女の背中を撫でながら、もう一人の少女は少年を睨みつける。
「お前なんかに好かれてるなんて、キモチわりぃからだよ」
そうなのか?
自分の好意は、相手を傷つけてしまうものなのだと、少年は知った。その事実は、錆びついた楔のように、少年の心へと打ち付けられる。
だったら、もう何も向けない。
そして、何も求めない。
皆の冷たい視線を浴びながら、少年は思う。
* * *
「ふむ……。まぁ、他ならぬ鉢山少年の頼みならば、仕方がない」
宮本先輩は渋々頷いた。
第二理科室へとやって来た僕と鉢山。
非モテ四天王召喚の儀に康平も参加させて下さい! って、鉢山が宮本先輩に頭を下げてくれた。本来は、僕みたいな『エセ非モテ』は門前払いらしいけど、鉢山の熱心な説得の甲斐もあって、なんとか参加の許可をもらう事ができた。
これで、再び非モテ四天王と会い見える事が出来るってわけだ。
魔法陣と、揺れる蝋燭の火。
太い声で繰り返される、謎の呪文。
しかし、非モテ四天王は姿を現さない。
まあまあ、ここまでは計画通りだ。
「ふむ……バレンタインデーも当日を迎えたわけだが、やはり今年もダメだったか」宮本先輩が額の汗を拭う。「しかし、不思議と心は晴れやかでもある。なぜなら、鉢山少年のような有望な若者が、我々の意思を引き継いでくれるからだ!」
宮本先輩は、隣にいる僕になど目もくれず、鉢山だけをじーっと見つめる。
宮本先輩の言葉に、他の先輩達から拍手が湧き起こった。さっきまで謎の呪文で充満していた部屋を、温かな音で満たしていく。
「来年こそは、バレンタインデーをぶっ潰して欲しい。あとは頼んだぞ、鉢山少年――」
言葉と共に差し出された宮本先輩の手は、汗と脂でテラテラと輝いていた。
なんか、どーでもいい集団による、どーでもいい活動が一区切りを迎え、不本意ながらも友人に引き継がれようとしている中、僕はドアの外に向けて人知れず合図を送る――
カラカラと音を立てて、ドアが開いた。
先輩達の目が、一斉にそちらに向けられる。
しかしそこには誰もいない。
いや、僕ら『普通の人間』にはそう見えるだけ。
「え、先生か?」
「でも……誰もいないぞ?」
モブキャラみたいな先輩が小声で呟く。
たしかに、使ってない教室に忍び込んで魔法陣やら蝋燭やらやってるのが先生にバレたら、当然大目玉だろう。
まあ……
先輩達は、それ以上の恐怖を味わう訳だけど――
誰もいない空間。
そこに少しずつ、ぼんやりと……、まるで塗り絵を塗りつぶしていくみたいに、4人の女の姿が浮かび上がった。
そう。
駅前でナンパしてきた、あの幽霊女子四人衆だ。
「え?」
ドアの前に半透明の存在を見つけたモブキャラ先輩3人は、もともと点みたいだった無個性的な目を、更に点にする。
「ゆ、幽霊……」
先輩の一人が、震える声えで呟く。
「これは……驚いた……」
さすがの宮本先輩も、開いた口が塞がらないようだった。
まあ、急に目の前に幽霊が現れたら、当然びっくりするだろう。この状況で冷静さを保っていられるのは、彼女達の登場を知っていた僕と、鉢山だけだろう。
「非モテ四天王様!」
腰が抜けている先輩達なんかほっといて、僕は何もない空間に向けて声を張り上げる。
「本当は、そこにいるんですよね!? 非モテ四天王様に、お伝えしたいことがございます!」
非モテ四天王という言葉に宮本先輩だけが気付いて、疑いの眼差しを僕に向ける。でも、そんな視線なんてそっちのけで、僕は目をキョロキョロさせながら呼びかけ続ける。
「あの、先日は不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした! あれから自らを見つめ直しまして、やっと自分の過ちに気づく事が出来ました。この度はですね、その謝罪と、その、えっとですね、是非非モテ四天王様に会いたいという者たちを、勝手ながら連れて参りました! どうか、どうかお姿を現して下さい!」
その時、部屋の隅で何かが動いた。
真夏の陽炎みたいな、空間の歪みだった。それは空中をふわふわ浮遊したあと、徐々に形を成していき、やがて四人の男へと変わった。
ヲタ、ノンデリ、ネガティブ、コミュ障――
非モテ四天王がそこに立っていた。
「ひええええええ! ば、化け物だああああ!」
モブキャラ先輩3人は、部屋の隅に現れた非モテ四天王を発見し、叫び声を上げる。まあ、幽霊女子達と比べて見た目のアレだから、叫びたくなる気持ちもわからなくはない。
でもさぁ――この四人が、先輩達が会いたがってた非モテ四天王なんだよ?
ドアの方に駆け出す3人。
ドアの前に立っていた幽霊女子がヒョイっと身をかわすと、3人はそのままの勢いで廊下に飛び出し、ドタドタと騒がしい音を立てながら消えていった。
「非モテ四天王様……?」
宮本先輩だけが、瞳孔が開いた目で四天王を見つめている。口角が徐々に上がっていき、歓喜なのか恐怖なのかわからない不恰好な表情になる。
「なんと、神々しい……」
いや、神々しくはないでしょ……。
『お前、せっかく呪いをかけてやったのに、ずいぶん威勢がいいでござるね……』四天王のリーダー格である落武者ヘアーのオタクが言う。『ていうか誰でござるか? そこの、その、麗しき女子達は……?』
尊大な態度ではあるけれど、どこかぎこちない。急に現れた四人のかわいい女子を前にして、明らかに圧倒されてるようだった。
よく見ると他の3人も、素知らぬ顔をしつつ横目で幽霊女子をチラチラ見ている。
よし、食いついた。
アヤさんが一歩踏み出し、額のところでピースサイン。
『はじめまして! アヤって言います!』
『お、おう……』
非モテ四天王達は呆気に取られている。
『アヤ達ね、強い男が好きなんだ。強い男の人達と、ずっとお近づきになりたかったの。そしたら友達の康平くんがね「非モテ四天王って霊達がめっちゃ強くてカッコいいよ」って教えてくれたの! だからー……会いにきちゃった!』
ペロリと舌を出す。
ここまでは台本通り! まあ、ちょっと話の持っていき方が雑だし、棒読み感がすごいけどね……。
でも、そんな幽霊女子の言葉に、非モテ四天王がざわめき立つ。
『ほ、ほほう……。それで、その、実際に拙者達に会ってみて、どうでござる?』
オタクが怪訝な顔で尋ねる。
『えー? めっちゃカッコいいし、めっちゃイカすじゃん、って思ったよ! チョベリグ、チョベリグ!』
アヤさんは親指を立てて、よくわかんない古の呪文を呟いた。そして、そのままの勢いで、僕が仕込んだとっておきの口説き文句を投げつける!
『てか幽霊さん、似てるよね! 機動戦隊ガンボーイズのジャー大佐!』
『ほんとだー似てる似てるー!』
『そっくりです』
『……かっこいい』
他の3人もそれに合わせ、口々にオタクの霊――オタ霊を『ジャー大佐に似てる』って褒めちぎる。
ちなみに機動戦隊ガンボーイズは、もはや日本中のアニオタが履修している国民的アニメである。特にクールな敵役の『ジャー大佐』は、全オタクの憧れの的と言って過言じゃない。
そんでもって、ジャー大佐のトレードマークであるロングヘアーは、当時のオタクにとっては大人気の髪型だったって、どっかのネット記事で読んだ事がある。
髪型からカマをかけてみたけど、やっぱりオタ霊も履修済みだったようだ。憧れのジャー大佐に似てるって言われりゃ、オタ霊も悪い気はしないだろう。
「ジャー大佐……? 拙者が?」
オタ霊は一瞬うっとりとした表情になり、自慢のロングヘアーを手櫛で漉き始めた。
よし、場は十分に温まったとみた!
「それでまあー、あのですね、偶然にも今日はバレンタインデーってやつじゃないですか。そしたら彼女達、ぜひ四天王様にバレンタインチョコをお渡ししたいとか言い出しましてね。迷惑かもと思いましたが、どうしても渡したいと聞かないものですから――」
途中から自分が何を言ってるのかわからなくなてきたけど、ええいままよ!
今はひたすらに、非モテ四天王へおべっかを言って、ご機嫌になってもらう。そして四天王に『女子にチョコをもらった』という甘い経験を与えて、この世への未練を断ち切り、しっかりと成仏してもらう。
すべては僕にかけられた呪いを解くため。
そのためなら、この恥ずかしい三文芝居だって、何時間でも続けてやる。
『うひょーーー、エロエロな女子からバレンタインチョコだってよ!』
『ぼ、僕みたいなゴミクズが、バレンタインチョコをもらえるなんて、そんな――』
『……(頬を赤らめる)』
おおお!? 効いてる効いてる!
オタ霊の後ろに並び立った3人の非モテ達は、バレンタインチョコという甘い響きに魅了され、浮き足立ち、小躍りしている。
よし! ここで滞りなくチョコさえ渡せれば……いける! いけるぞ!
そう、僕みたいな一般人だって、知恵と勇気があれば、悪霊を成仏させる事が出来るんだ!
打ち合わせ通り、四人の幽霊女子達は各々が割り振られた四天王の前に立った。チョコを後ろに隠し、少し照れた表情。桜色に染まった頬は、少し早い桃の花のよう。
鉢山がさりげなく教室の窓を開けた。吹き込んだ風が、レースのカーテンを靡かせる。
差し込む夕日は、教室を赤く染めていた。
うんうん! めっつつつつつちゃキマっている!
全男子が夢見る、最高のバレンタイン・シチュエーション! この演出を考えた僕ですら、気を抜けば飲まれてしまいそうなほどの、圧倒的な青春感だ!
そして幽霊女子達は、後ろ手で隠していたチョコを、非モテ四天王へと差し出す。
『チョコ、受け取って下さい……(>_<)』
『べ、別に、余っただけだから!好きってわけじゃねーから!( *`ω´)』
『……大好きです(*´ω`*)』
『これが、アヤの気持ちだよ……(*´∇`*)』
ぐはああああ!
教室の隅っこで、鉢山と宮本先輩が昇天する声が聞こえた。無理もない。僕たち非モテにしてみれば、即効性の致死毒をがぶ飲みするに等しいシチュエーション。これを見て正気でいられる方がおかしい。
どうだ!?
非モテ四天王には、どうだ!?
僕が見つめる中、四天王は恍惚の表情のまま、空を仰ぎ見た。その身体は少しずつ光の粒になって、天へと昇っていく。
逝った!
未練を断ち切ってやった!
天から降り注ぐ光を受け、その波に全身を溶け込ませながら、四天王は塵のように消えていく。その表情は、これ以上ないほどに晴れやかだ。
さようなら、非モテ四天王。
ノンデリ、ネガティブ、コミュ障――
あれ?
ヲタは?
僕はオタクの悪霊を見た。
差し出されたチョコレートを見るオタクの目。
その目は他の3人と明らかに違う色に染まっていた。
喜びでも、照れでもない。
見えるのは……明かな疑念。
『ところで、女子達よ』淡々とした口調で、オタ霊は尋ねる『拙者のこの髪型が、ジャー大佐にそっくり――そう言っておったな? この拙者の、艶やかな黒髪を……』
『うん、言ったよ? ジャー大佐みたいな、黒くてかっこいいロングヘアーだなって――』
あれ、黒くてかっこいい?
あ――
オタ霊の質問の真意に気付いて、僕はアヤさんの言葉を遮ろうとした。
でも、遅かった。
オタ霊の顔にじんわりと怒りが灯る。
『黒髪? そう言ったでござるか? おかしいでござるね……。ジャー大佐は黒髪じゃない、金髪のロングヘアーでござるよ……?』
しまった――
オタ霊の顔がこちらを向く。
青白くて虚な、あからさまな幽鬼の顔。
『なんだ、ジャー大佐の事、何も知らないじゃないか。やはりお主らは、あのいけすかない男に、言わされている|んでござるね……?』
ヤバい、完全にバレてる!
『いつだって、そうでござる……。お前ら普通の人間共は、なんの罪悪感も持たぬまま、我々非モテを騙し、馬鹿にし、見下して……その純粋な心を弄ぶ……』僕を指さして、オタ霊は奥歯をガチガチと振るわせた。『そんな貴様のようなクズを、拙者は許す事など出来ないでござるよ……』
その瞬間、世界が揺れた。
開け放った窓から引き込まれた強風が、蝋燭を炎の渦に変え、魔法陣をズタズタに引き裂く。
声も出せず震える鉢山。
開いた口が塞がらない宮本先輩。
そして僕は、怒り狂う猛獣の眼に射抜かれ、ただ狼狽えるしかなかった。




