第32話:バレンタインデーなんて……⑤
『あのよー、俺のダチがさ、マジモテなすぎて成仏できねんだわ。だからおめーさ、ダチにバレンタインチョコ? ってやつあげて、未練を解消してやってくんね?』
高校生くらいの女の幽霊を前にして、リュウジは面倒臭そうに言う。
* * *
人通りの少ない駅の裏口。いつもシャッターが閉まってい商店と、よくわからない会社が入ってる雑居ビルの間に出来た、日の当たらない空間。
そこで僕達は、ハートの目をしてリュウジに声をかけてきた女幽霊さんと向き合っている。
路地裏とかビルの間には、人間の霊がプカプカ浮いてるらしい。リュウジ曰く『落ち葉が溜まってるようなところにゃ、たいてい何かしら霊がいる』んだとか。
リュウジと女幽霊さんの会話を見守りながら、僕は霊っていう存在について自分なりに考える。
吹き溜まりのような所に集まるのは、幽霊が肉体も重さも持ってない『めちゃくちゃ軽い』存在だからかもしれない。
落ち葉や砂塵が風に吹かれて一箇所に集まるみたいに、幽霊もなんらかの流れに身を任せて、最終的には裏路地に辿り着く。その流れは、僕達が肌で感じる『風』なのかもしれないし、生きてる人間が生み出す『生気』みたいなものかもしれない。
まあ、実際のところはよくわからないけど、『場所』に執着のない幽霊達は、上の方から下の方へと、プカプカと流れて行くものなんだろう。
『えええ! リュウジさんって、めっちゃやさしー! アヤ、マジで感動したー! チョベリグー!』
その女子高生くらいの幽霊さんは、片手を口に当ててケラケラっと笑う。話し方がちょっと古くさいのは、きっとその頃に亡くなった女の人なんだろう。
ちなみにだけど、僕らも幽霊さんの姿をぼんやりとだけど見る事ができる。
幽霊側に見せようという意思があれば、人に見えるようにする事も出来るんだとリュウジは言ってた。キミコさんや赤塚さんの姿も僕らには見えていたわけだし、その辺はそういうもんなのだろう。
そういや影山さんは、自ら進んで姿を見せてるキミコさんや赤塚さんの事を『見せたがりのやつ』とか言ってたっけ。
『やるやるー! リュウジさんのために、アヤ頑張る!』
幽霊のアヤさんは幽霊らしからぬハイテンションで、見えない足をバタつかせてる。
そいや、足の先の感覚って、日常的にそこまで意識した事ないよな。意識が及びにくい部位だからこそ、幽霊が人前に姿を現した時にも、可視化せずに透明なままになっちゃうのかもしれない。
幽霊に足がないってそういう事?
なんか1人で納得してしまう。
『んじゃ、頼んだぜ?』
ハリキるアヤさんの事なんかどーでも良さそうな顔のリュウジ。
『でも、そのかわりー……それが終わったらアヤとデートしよ! アヤ、雰囲気いいお墓知ってんだよね。一緒に行こ?』
幽霊の世界では、お墓はカフェ的な扱いなのだろか? お供物の缶コーヒーでも啜るのだろうか?
『ちっ、めんどくせぇ。俺、人間の女には興味ねえんだけどぁ……』
うわぁ、そういう事をみなまで言うなって。絶対怒られるじゃん。
『ぶーぶー、じゃあ、やらなーい』
『やれやれ、わかったよ。デートってやつ、してやるから……』
『わーい!』
え? 幽霊さん怒んないんだ!? イケメンの力、恐るべし……。
『ったく、しょーがねーな』
リュウジは片手で後頭部をかきながら、ため息を吐いた。その様子もなんかかっこいい。有名ロックバンドのイケメンボーカルみたいだ。
「あのー、出来れば4人、人集めて欲しいんだよね。相手は四天王なんで、1人に1人つけた方が……」
幽霊とはいえ、かわいい女子の前ですっかり萎縮してしまった鉢山が、おずおずと進言する。
鉢山がモテないってのは、結局こういうところなんだよな。女子とお付き合いしたいくせに、実際に女子と対面すると、途端に大人しくなる。
でも、そこが鉢山の親しみやすさでもある。ただのナンパ野郎じゃ、小学校から今まで友達やってない。
『えー、まだ集めんの? めんどくせぇ』
リュウジはあからさまに嫌な顔をした。
「俺も図鑑、買ってやるからさ」
鉢山、すまない……。
図鑑ってそこそこの値段するんだ。鉢山だって、それは知っているだろうに……。
『マジで!? やりー、エロ本2冊ゲットー!』
『えーリュウジさん、エロ本もらって喜んでんの!? おもしろー! かわいいー! マジうけるー!』
幽霊のアヤさんが手を叩いて笑う。
建物の隙間の薄暗い空間が、テスト明けの打ち上げのカラオケボックスみたいな空気になってる。まぁ、そういうのにはあんまり参加した事ないんだけど……。
ちなみに僕は、この会話に口を挟まない。
いや、挟めないんだ。
だって幽霊とはいえ異性の前で口を開いたら、非モテ四天王の呪いが発動して、せっかくの和やかな空気も凍りつかせてしまうからだ。
『ねえねえ、そんじゃさ、アヤのダチでもいい? ちょうど3人いるしさ、アヤ含めて4人だよ』
『ふーん、んじゃ、よろしく』
甲斐甲斐しくお世話してくれる女性に、タバコを買ってきてもらう時のホストさんみたいなノリで、リュウジはアヤさんの顔すら見ずに言う。
『おっけー! チセ、サヤカ、ユーコ! 隠れてないで出ておいで!』
アヤさんがそう叫ぶと、薄暗い空間から更に3人、幽霊女子が姿を現した。
『あの、チセです。リュウジさん、初めまして』
小柄で大人しそうな女子は、頬を赤ながらじっとリュウジを見つめている。
『あたしサヤカ。リュウジっての、そんなに困ってんなら、助けてやってもいいけど?』
ツンとした感じの女子は、そっぽを向きながらも目の端でリュウジを捉えている。
『リュウジさん……好き……』
消去法でいくと、多分ユーコって名前だと思う無口だけど長身で巨乳な女子は、上目遣いでリュウジに熱い視線を送っている。
『アヤ達4人が、リュウジさんのために一肌脱ぎます!』
一列に並んだ幽霊女子4人。まるでラブコメマンガのワンシーンみたいだ。
『やれやれ、めんどくせーやつら。でもまぁ、俺の(エロ本の)ために、よろしく頼むぜ』
リュウジは小さな息を吐くと、自分の事が大大大好きな4人の女子達に、不器用だけど優しい笑みを見せたのだった――
ごめん、ひとこと言いっていい?
ラブコメかよ!
カマキリと幽霊女子のハーレムラブコメかよ!
これじゃ本編(?)とは別の物語が始まっちゃうよ!!
そんな僕の心の叫びは誰にも届かない。
ただ、僕の狭い胸の内でのみ、響き渡る。
* * *
夕暮れ時――
幽霊女子4人との『バレンタインで浮かばれたいんでー作戦』の会議は、問題なく終了した……多分。
女幽霊さん達は、作戦を説明する僕の方なんか見向きもせず、ずっとリュウジの事ばかり見てたけど……きっと大丈夫!!
鉢山と別れた僕とリュウジは、普段感じた事のないようなずっしりと重たい疲れを引きずりながら、家路を辿っている。
『人間ってほんと面倒クセーよな』
カマキリの姿に戻ったリュウジは、僕のポケットの中で鎌の先っぽをペロペロ手入れしている。
『ツガイになるために、こんなクソつまんねー茶番をやんなきゃなんねーのかよ』
「茶番、ね――」
『後ろから抱きついて、はげめばいいだけなのによ』
リュウジは心底納得いかない様子で、首をいろんなん方向に傾けている。
茶番――
たしかにこれは、茶番以外の何ものでもない。
バレンタインデーに女の子からチョコをもらえたところで、そこになんの気持ちも含まれていなければ、それは単なるカカオと砂糖の塊だ。
こんなバレンタインの様式だけなぞったみたいな作戦で、非モテ四天王は本当に満たされるのだろうか? この世への未練を断ち切る事ができるのだろうか?
もし非モテ四天王の心に巣喰う『闇』が、こんな茶番で誤魔化せないほど深いものだったら……?
わかんない。
わかんないから、わかんないまま、やるしかない。
『おめーらがよく言う、恋だとか、愛だとか……そういうのも、俺から言わせりゃ単なる茶番なんだよ』
リュウジの何気ない言葉が、僕の胸に重たく響く。
形のない感情に、愛だとか恋だとか名前をつける。
形のない感情を伝える手段として、告白だとかバレンタインデーだとかの形を作る。
そこから感情が失われ、名前だとか形だけになったら、それはきっと、単なる抜け殻だ。道路のすみっこに転がってる缶からと、きっと何も変わらない。




