第27話:いや……よくねーよ……②
私は、死んでしまった恋人を生き返らせたかった。
幸いにも私には、それを成し遂げる力があった。
でも、それだけじゃダメなんだ。
人間にとっての死は、単なる生命活動の停止ではない。
死んでしまった者は社会から切り離され、存在が消されてしまう。時間の流れに取り残され、過去に置いて行かれてしまう。
たとえ、生命活動が再開したところで、社会的に彼は『死んだまま』なんだ。
だから、それを覆す術が必要だった。
一度死者となった彼を、再び生者として再定義させる――いわば世界を変える力が、私には必要だったんだ。
* * *
「先に私が話すよ」三浦さんは言った。「こっちが情報提供を持ちかけたんだから、先に明すのがフェア、でしょ?」
「……だな……」
影山さんは頷いた。この2人の会話は、どこか衝立ごしというか、牽制し合ってるというか……ギスギスしてて苦手だ。それになんていうか、大人同士って感じがしてちょっと悔しい。
「あの〜、僕は席を外した方がいいですか?」
一応確認する。
三浦さんからすれば、僕は勝手についてきちゃったわけだしね。僕だって、こういう気遣いが出来るくらい大人なんだよね。
三浦さんは少し考え込んでから、首を横に振った。
「ううん。やっぱり康平くんも知っておいた方がいいと思う」そして痛みを我慢するような顔で続ける。「……この事態の裏側にあるものを、知ってると知らないとじゃ、考えが変わってくると思うから。それを黙ってるのは、やっぱりフェアじゃないもん」
僕は頷いた。
それじゃ、と三浦さんは話し出す。
三浦さんは自分の過去から話し始めた。
それは、とても切ないものだった。
会社の同僚が交通事故で死んだ。
それを受け入れられなかった三浦さんは、禁忌の魔術を使って彼を甦らせようとした。
術は半分成功して、半分失敗した。魂はこの世に定着させられたけど、身体を創り出すまでには至らなかったみたい。失敗の理由について、三浦さんは濁していたけど、それについては解決の目処が立ってるらしい。
僕は三浦さんが腰からぶら下げたカボチャ頭の小さな人形を見た。
この人形の中に、三浦さんの同僚で恋人の『タカハシさん』の魂が入っているらしい。にわかには信じられないけど……。
「テレパシーみたいなもので会話してるから、みんなとはお喋り出来ないけど……、この会話もちゃんと聞こえているよ」
にっこりと笑って、人形をポンポンって軽く叩く。
なるほどね。
三浦さんの過去は理解できた。
理解できたし、切ない話だとは思うけど……この物語にはハッピーエンドの風が吹いている気がする。三浦さんが、危険を払ってまで例の『ツキヒ』を追っている理由には結びつかないよね。
「……死んだ人間の……『死んだ』って社会認識を、書き換える方法……か?」
影山さんが上目遣いに三浦さんを見た。
「そう」
三浦さんが頷く。えええ、僕はにさっぱりだ。
そのさっぱりに気付いたのか、三浦さんはクスリと笑うと、話を続けた。
「かぶちゃんの言うとおり、死んじゃったタカハシさんは、世間ではもう『死んだ人』なの。それが数年後に蘇ったら、周りのみんなはどう思うかな?」
「そりゃ、びっくりすると思うけど」
突然の質問に、僕はまごつきながら答える。
「そう、びっくりする。びっくりするし、困ると思う。世間にとって、タカハシさんはもういない人なんだから、社会に受け入れてもらえないかもしれない」
確かに。
死んだ人が数年後に生き返ったなんて事、きっと今まで一度だってなかったはずだ。一度死んだ人間って、今まで通り仕事に就いたり、体調を崩したら病院で治療を受けたり、出来るんだろうか?
なんか、ダメそうな気がする。
色々な理由で。
「だから私は『名前を操る』っていうツキヒの能力について、を研究を始めたんだ。タカハシさんが『死んだ人』って認識を『生きている人』に書き換える事さえ出来れば、私たちはそこでやっと、普通の幸せを手に入れられるから――」
そこまで話し終えて、一度溜め息を吐いた。
もしこの場に松原さんがいたら、きっとグスグス泣いてたに違いない。僕もちょっと、胸が切なくなった。
これが大人の語る『愛』なのだろうか。
大事な人との未来のために、努力し続けるこの姿勢が、愛ってやつなのだろうか。
「現代に生き残った魔女達には、細々したものだけど、ちゃんと横のつながりがあるんだ。そのコミュニティの中で、少しずつツキヒの研究が進んでる。さっきかぶちゃんに使ったのも、そこでの研究成果の一つなんだよ」
僕は頷く。
「ツキヒはね、14年前に突如出現したんだ。それ自体は不思議なことじゃない。怪異ってのは、人間にはよくわからない理由で、生まれたり、消えたりするものだから」
「地震や、台風みたいな、って言ってましたよね」
そう返すと、三浦さんは大きく頷いた。
「そう、その影響力の大きさは、もはや災害級だと思う。今わかってるのは、ツキヒの能力の効果範囲は日本中に及んでるって事。ツキヒが名前を変えた……認識を変更した効果は、日本全体に影響を与えるの」
「日本語……」
影山さんが呟く。
「うん。日本語。日本語の『言葉』と『その意味』が正しく認識される範囲まで、その効果は及んでるんだと思う。極端な話、世界の反対側でも日本語を理解し話せる人間であれば、影響を受けるはず」
途方もない効果範囲だ。
「そしてもう一つ。ツキヒはこのJ市近辺でしか観測されてない。土地との繋がりがあるのか……その点はまだわかんない。でも最悪の場合、このJ市を離れれば、ツキヒに直接干渉される事はない」
そこまで話してから、三浦さんは小さく溜め息を吐いた。
「今、わかってるのはこれだけかな。目的とか行動原理とか、そこについては未だ全くの謎なんだ」
あ、ちょっと待ってて、飲み物持ってくる。
そう言って三浦さんは小走りでキッチンへと消えた。
僕は影山さんの横顔を見る。
影山さんは深刻そうな顔で、何か考え込んでいるみたいだった。
ローテーブルに人数分のココアを並べ、三浦さんはその中の一つ――白地にかわいいクマの描かれたカップを手に取った。
僕も手元に置かれた無地のカップに口をつける。
難しい話を聞いて疲れた脳に、ココアの甘さが優しい。
「それでね、かぶちゃんに聞きたいのはここからなんだ」
その言葉で、俯いていた影山さんが顔を上げる。
「まず最初に、謝っておきたい」三浦さんの声に緊張が加わる「実はかぶちゃんの事、ツキヒを調査するコミュニティの中では、ちょっと前から話題に上がってたんだ。だから、私は神隠しで会う前から、本当はかぶちゃんの事を知ってたの。騙して、探ってたみたいで、本当にごめんね……」
三浦さんは大人なのに、本当に申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
大人はよく、都合の悪い事を大人お事情で揉み消そうとする。国語のスズハラなんか、自分がテスト範囲間違えたくせに『範囲外も勉強してこなかったお前らが悪い!』とか逆ギレしてたし……。
大人っていっても、色々なんだよね。
「……かまわねーよ……」
影山さんは、本当に許してるのか怒ってるのかわからない、いつも通りの鋭い目で三浦さんを見ていた。
「話、続けるね。あ、康平くんは――」
「……それも、かまわねーよ……」
被せ気味に影山さんが言った。
少し遅れて、三浦さんは『僕がいてもいい?』ってのを確認したんだな、って気付く。この話題が影山さんの個人的な部分に触れるかもしれないから。
「単刀直入に言うね。私たちは、かぶちゃんとツキヒに、何らかの関連性があるって思ってる」
影山さんと、あのツキヒに、繋がりが……?
僕は驚いたけど、同時に納得しちゃうところもあった。確かにツキヒと影山さんは、僕の目から見てもすごくそっくりだっから。
「ちょっと前までは単なる推察だったけど……ツキヒと対峙して、確信に近づいたの。どんなのかはわからないけど、かぶちゃんとツキヒには、何か繋がりがある」
そして探るように影山さんを見る。
僕はその目に、少しだけ嫌な感情を持ってしまった。影山さんが学校で日々晒されている、侮蔑に満ちた目。三浦さんの怪しむような目も、同じように影山さんの心を傷つけてしまうんじゃないかって、不安になったんだ。
でも影山さんは、目を逸らさずにその視線を受け止めた。
「わりぃけど……知らねえな……」
「些細なことでもいいから、思い当たることはない? ご実家とか、家族とか――」
「うちは……その辺のゴミみてーな、どーでもいい家庭だよ……。親父はクソ親父だし……、お母さんは、あたしを産んですぐ……死んじまったしな……」
「あ――」
ごめんね、と三浦さんは言った。
そしてしばらく、ケーキを落としてしまった子供みたいな目で、膝の上に置いた自分の手を見ていた。
「……まあ……昔の、話だよ……」
影山さんはココアを一口含んで、熱かったのか目を白黒させた。口を窄めて、何度も息を吹きかけ、再び唇を当てる。
「……美味いな、これ……」
そんな影山さんの呟きに、三浦さんはクスリと笑った。
「無理に思い出さなくてもいいの」三浦さんはテーブルに頬杖をついて、ココアを啜る影山さんを見る「でも、もし二人に繋がりがあるなら、きっとツキヒはまたかぶちゃんの前に姿を現す。その時のために、いろんな事を考えて、思い出しておいた方がいいと思うんだ。自分を、守るためにね」
「……守りには、はいらねーよ……。あたしは、あいつを、ぶん殴りてーんだから……」
苦笑いの三浦さん。
そして僕の方に顔を向ける。
「かぶちゃんに何かあったら、いつでも私に連絡して。絶対、自分たちだけで動かない事。いい?」
「はい」
僕は大きく頷いた。
「本当に、いつでも連絡していんですか?」
「うん……」三浦さんは頷こうとして、首を傾げる。「あ、やっぱり、勤務時間外の方がいいかも?」
「お仕事、何時までなんですか?」
「えっと、6時から、24時……あ、1時かも?」
うわぁ……
「お休みの日は?」
「……わかんない」
「……」
僕は返す言葉に困る。
三浦さんは絶望的な顔で、何もないところを見ている。現実を思い出して、重度のサザエさん症候群に陥っているのかもしれない。
「……あの」
「まあとにかく、いつでも連絡してね」
から元気を振りまくと、三浦さんはニッコリ笑った。大人はやる事がいっぱいあって、ほんと大変なんだな……。
『おーい! すげーもん見つけたぞ!』
僕が大人の世界の厳しさについて考えていると、空気を読まない嬉々としたリュウジが、キッチンの方から戻ってきた。
そのカマには、なにか黒い物体が捉えられている……。
から元気を振り撒いてた三浦さんの表情が、一瞬にして地獄みたいになる。
『すげーよここ! ゴキブリがいっぱいいんの! 最高じゃん! また連れてきてくれよ!』
リュウジの口から放たれる、悪意のない死刑宣告。
――それをかき消すように、三浦さんの悲鳴が響き渡ったのだった。
* * *
冬の夜はあっという間にやってくる。
路肩に残った雪が街灯に照らされて、僕たちが歩く道を示している。
三浦さんちのゴキブリ退治に付き合わされた僕たちは、夕食前の歩道を並んで歩いていた。
考えるべき事はいっぱいあった。それはこの状況をどう回避するべきか……だけじゃない。これから先、僕がどのような気持ちで影山さんの側にいるべきか、って事も。
きっとこれから、影山さんはこの『ツキヒ』という怪異を巡る問題に、否応なく巻き込まれていくんだろう。その時僕は、何も出来ない子供として、頭を抱えて逃げるべきなのか。それとも――
影山さんと二人の帰り道は、静かだ。
これから先起にこるかもしれない、怖いことや、苦しい事も、頭をよぎる。
でも。
「大人って、すごいね」
僕は雪玉を転がすみたいに、ボソッと呟く。
影山さんから、返事はない。
「愛する人のために、身を粉にして頑張ったり、危険な事にだって、ちゃんと立ち向かったり……」
恋人を生き返らせるために頑張る三浦さんの姿は、僕の中に温かくて強い感情を呼び起こさせる。
色々考えた結果、僕の心は固まりつつあった。
「影山さん、この前の小説、読んだ?」
僕は尋ねる。
「いや……まだ……」
「そっか」
俯いていた顔が、少しだけ上を向く。
「『僕には、君を守る力はないかもしれない。でも僕は、君のそばにいたいんだ』」
影山さんが顔を上げた。
車のヘッドライトに照らされた瞳が、雪の結晶みたいに輝いていた。
「これね、僕が一番、グッときた台詞……」
小説に記された言葉を借りれば、僕は君に対する気持ちをちゃんと言葉にする事ができる。
今は、それしか出来ないけど――
雪の灯りが道を照らす。
どうか、いつまでもこのまま、照らしつづけて欲しい。そんなふうに、僕は思ったんだ。
* * *
影山陽一郎は、押入れの中にしまっていた最愛の人の手紙を眺めていた。
それは、未だ読まれる事はない、愛する娘へ宛てた手紙。
手紙の内容など、どうでも良かった。陽一郎はただ、今は亡き最愛の人の書いた、柔らかくて優しい丸文字に包まれていたかった。
ただそれだけで、陽一郎は救われたような気持ちになった。
最愛の人の名前を呼ぶ。
しかしそれは、薄寒い借家の静寂に、小さな小さな穴を穿つだけだった。
次回は定番バレンタイン回を予定しています(*´Д`*)
中学の頃のバレンタインって、異様な盛り上がりがありましたよね(^◇^;)




