第26話:いや……よくねーよ……①
冬休みも、もうすぐ終わり。
お父さんの実家で年越しを迎え、親戚のおじさんたちからお年玉をいっぱい貰って気分はホクホク。
でも、宿題は半分しか終わっていない。ホクホクの心に冷たい風が吹き込む。焼き芋だってもっさりしてしまう冷気。
そんな中、僕のスマホに三浦さんから連絡があった。影山さんに伝えなきゃいけない事があるから、家に来れないか? って話。
影山さんはスマホを持っていないから、家電の方にドキドキしながら電話してみる。
昼間は誰も出なかった。
夕食のあとも出ない。
9時を過ぎたところで、申し訳ないと思いながら電話したら、影山さんが出た。
『なに……?』
「三浦さんが、影山さんに伝えたい事があるらしくて、明日家に来れないか? って」
『はあ? ……なんで?』
「僕も知らないよ。伝言係になっただけだもん」
『ふうん……』
影山さんの吐息みたいな声が、受話器をゴソゴソと騒がせる。
迷っているみたいだった。
そりゃそうだ。三浦さんは命の恩人だけど、まだそんなに親しい間柄じゃない。人見知りの影山さんが1人で会いに行くのは、やっぱりハードルが高いよなぁ……。
でも、重要そうな話っぽいし――
「あ、僕も行くよ」
『なんでだよ……?』
なんでって言われても――
え、もしかしたら、影山さんと2人のお出かけ! ってちょっと浮かれてるのが、勘付かれてるのかな!?
「あ、いや、リュウジも一緒に――」
咄嗟に言ってしまった。いやいやいや、なんであんなエロカマキリも連れてかなきゃならないんだ!
『はあ……まあ、あたしは……どっちでもいいけど……』
そう言われると、リュウジを連れて行かなかったら、2人っきりになりたかったって思われちゃう
「じゃあ明日10時に、学校の近くのコンビニで」
電話を切って、ため息を吐く。
ああ、僕はいつだってこうだ。後先考えすにその場の勢いで行動しちゃって、あとになって後悔するんだ。
『なんだよ。俺、寒いとこ出たくねーのに、勝手に決めんなよな』
学習机の引き出しの中で、リュウジが僕を睨んでいる。
うるせー!
僕だってお前を連れて行きたくねーよ!
* * *
制服の上からいつものジャンパーを羽織った影山さんが、コンビニのゴミ箱で両手を温めていた。
影山さんがいつも着ている黒いジャンパーはだいぶ袖あまりで、サイズが全然合っていない。お父さんのお下がりなのかな? すごく着古された感じがした。
「お疲れー」
「……おう……」
挨拶を交わすと、何も言わずに歩き出して、止まる。
「……どっちだよ?」
「あ、こっち」
スマホの地図アプリを開いて、道案内を開始した。
『姐さん、お久しぶりっす』
「……リュウジか……この前は途中から、全然出てこなかったな……」
たしかに、いつもはウザいくらいにグチグチ言ってくるのに、神隠しの時は途中から何も話さなくなったよな……。
『いやぁ、めんどくさそうな話だったし、理解できなかったんで、ポケットの中で昼寝してたんすよ』
神的な奴から存在を忘れ去られたような、不自然なフェードアウトだったけど、まあそ−ゆ事ともあるんだろう。たぶん……
「影山さん、宿題は終わった?」
僕は今一番の心配事を尋ねる。出来れば、僕と同じ『終わっていない』側の人間であって欲しい。
「とっくに……終わってるが……?」
残念、影山さんは真面目だった。そういや、成績もいい方だったよな。
「えらいなー。家にいると、どうしてもゲームしちゃってさ」
「……あたしは……だいたい図書館にいるから……」
「あー、異様に静かだもんね。宿題もはかどるでしょ」
「静かなのも、あるけどよ……あたしは……」
そう言いかけた影山さんは、口を噤んだ。そして、何故か困ったような顔で明後日の方を向く。
すごいスピードのトラックが路肩の雪を蹴散らして、ズボンと雨靴を水玉模様に汚した。
「ああー!」
『ぼーっと生きてっから、そうなるんだよ』
リュウジがポケットから這い出てきて、僕の肩の上に乗った。
帰りたい家なんて、ない……
神隠しの十八街道で、影山さんがつぶやいた言葉を思い出す。影山さんの困った顔の理由を聞きたかったのに――完全にタイミングを逃してしまった。
* * *
若いOLさんのお部屋って、もっとこう可愛らしいグッズとか、ピカピカな家具とか、香水のいい匂いとかするもんだと思っていた。
「康平くんも来たんだ……? ごめん、散らかってて……久しぶりの休みだから、これから片付けようと……」
僕たちを部屋に通した三浦ハナさんは、バツが悪そうに頭を掻いている。
三浦さんの部屋は、黒を基調とした紫色のよくわかんない呪物達と、多分10年単位で年期が入った傷だらけの家具と、キッチンから漂う残りもののカレーの匂いがした。
「ほんと、片付けようと思ってたんだよ? 昨日は22時には帰れるはずだったから……。でもね、帰る直前になって書類言いつけられちゃって、それやってたら日付変わっちゃったし、頭はクラクラするし――」
そう言いながら、床に転がった謎の呪物をローテーブルの上に置いたり、かと思ったらまた床に戻したりしてる。
「あ、いいっすよ、おかまいなく。僕の部屋もこんな感じだし」
男子中学生と同レベルに扱うのって、大人の女性相手にはフォローになるのだろうか?
『ゴキブリがいそうじゃん!』
リュウジが口をわしゃわしゃ動かして、僕の肩から飛び降りると、ベッドの下に駆け込んでいった。
「それで……伝えなきゃいけない事って、なんだ……?」
煩わしそうな表情で、影山さんが訊ねる。
「うん、そだったね」その質問を受けて、三浦さんの顔も引き締まる。「その前に、かぶちゃん、ちょっとあの『鬼』を出してみてくれない?」
「……」
影山さんは無言で三浦さんを見る。三浦さんの表情が真剣そのものなのに気付いて、観念したのかあの『銀髪の鬼』を出す。
いつも通りしなやかで美しい姿だ。
少し前の筋肉ムキムキ鬼も強そうだったけど、このシュッとした鬼も気品があって別の強さを感じる。
三浦さんは鬼の手にそっと触れる。
たぶん霊体であろう銀髪の鬼だけど、三浦さんの手の表面は薄いオーラに包まれていて、それによって触れることが出来るみたいだった。
無言で床に転がってた箱を開け、よくわからない文字の書かれた紙切れを取り出す三浦さん。
「影山さんの鬼が、どうかしたんですか?」
僕は訊ねる。
「ツキヒに、名前をつけられていたから……ね」
「名前……?」
「へなちょこパンチ」
僕と影山さんは顔を見合わせた。
三浦さんは取り出した紙切れを鬼の手の甲にあてて、何やら呪文を唱え始める。
なんか、いきなり本格的な魔女の儀式が始まってしまった。ただ散らかってるだけに見えた三浦さんの部屋も、この異様な雰囲気の中じゃ、おとぎ話出てくる魔女の隠れ家みたいに見えてくる。
やがて、紙の表面によくわからない文字が浮かび上がってきた。文字は赤黒く光っていて、不気味だ。
三浦さんはその紙を鬼の手から剥がし、両手で破り捨てる。
赤い火花みたいな何かが、弾けた。
「どう、何か変化ない?」
額にうっすら浮かんでいた汗を拭って、三浦さんは影山さんに聞いた。
「なんだか……力がみなぎってきた……っつーか……」
「パワーアップじゃなくて、元に戻ったんだよ」三浦さんは満足そうに頷く。「専門外の魔具だったけど、ちゃんと使えるみたい……。あとで魔具屋さんにお礼言っとかないとですね」
なんか独り言を言っている。
前から思ってたけど、この人、独り言が多い。それも、いつも腰に下げたカボチャ頭の人形に語りかけてるみたいに見える。
「どういう事ですか?」
「ツキヒに『へなちょこパンチ』って名前をつけられたせいで、かぶちゃんの鬼のパンチが、本当にへなちょこになってたんだよ」
「へなちょこ……」
語呂の間抜けさに、笑いそうになる。
「でも、その名前を取り消したから問題なし。もう、今まで通りだよ」
「へぇ、よかった」
よくわからないけど、僕は頷く。
「いや……よくねーよ……」
影山さんが鬼を引っ込めて、三浦さんを見た。その目には、感情が揺らいでいる。
「あのクソ女が、どんな存在なのか……なんとなくは聞いたけどよ……。もっと、あんだろ……知ってんだろ……? お前は……」
三浦さんは、少し寝癖が残った短い黒髪を手櫛で梳く。それが緊張からくる無意識の行動なのは、なんとなくわかった。
「うん、そうだよ。それを伝えたかったし……私も聞きたかったから、今日はかぶちゃんに来てもらったんだ」




