第21話:帰りたい家が、あるんだろ?④
「悪霊との会話っていうのはね、自分の意思はしっかり持って――でも決して、前のめりになっちゃダメ!」
顔の前に人差し指を立てて、先生みたいに振る舞う魔女――三浦ハナさんの話を聞きながら、僕は支給されたパックジュースのストローを吸う。
オレンジの爽やかな甘味が口いっぱいに広がり、続けざまに二口目を飲み込みたくなるけど、だめだめ、我慢だ。このオレンジジュースだけで、いったいどれだけの時間を保たせなければならないのか、わかったもんじゃないのだから。
「あくまでも会話の主導権は悪霊。だから相手の方からコミュニケーションを取ってくれるまで、辛抱強く、話題を提供し続けるの」
ああ、なんて地味な作戦なんだ。
「『恨んでいる事』だったり『心残りな事』だったり……悪霊が悪霊になっちゃった原因を、思いつく限り挙げてみる。そうすればきっと、そのどれかで共感して、心を開いてくれるはずだよ」
なんか引きこもりの子供を部屋から出そうとしている、お母さんみたいなムーブだ。
そう三浦さんに言うと、「ははは……」とやつれた顔で笑った。
「まあ、言い得て妙ではあるよね」
「問題は……あたしら、お母さん役は……子供役がどんなやつか、全く知らねぇってことだ……。『下手な鉄砲も数射ちゃ当たる』な作戦だな……」
「あ、私ね! 幼稚園の頃にままごといっぱいしたから、お母さん役はプロレベルだと思うよ! うん、私お母さん得意だと思う!」
「ニコリ……それ……関係あんのか……?」
「あのー、お母さんじゃなくて、お父さん役でもいいんですかね?」
「あ、そこは個人の好きなようにで大丈夫だよ」
『ひゃひゃひゃ! ドーテーがお父さん役!?』
「リュウジ、お前には言われたくないんだけど!?」
「……お母さんか……あたしは、よく知らねぇや……」
それぞれの空元気っぽい言葉の応酬が終わると、あとには静寂だけがぽつりと残る。
ここは空気の流れがないから、もちろん風だって吹かない。普段であれば北風に揺らされてうるさく騒ぐ枝や枯れ草も、ここでは不気味なほどに静かだ。
「で、誰からいきます?」
そんな沈黙に耐えきれず、僕は尋ねる。
* * *
「私が行くよ」
片手をコートのポケットに突っ込んで、もう片方の手で腰の人形を触っていた三浦ハナさんが、小さく頷く。
「1回で言い当てられるわけがないと思うから、私のを見て参考にして、各々考えてみてね……」
小さく咳払いすると、空を見上げた。枯れた枝の隙間から、灰色の空が見える。
「幽霊さん幽霊さん! 私、あなたの気持ちわかりますよ! 残された恋人の事が、心配なんですよね!? 大好きな恋人さんですものね! 会いたいですよね! 恋人さんのところに行ってあげたらいいと思いますよ! お盆でも、ハロウィンでも――」
一気に捲し立てる。
静かな空間に、その細くて高い声が響き渡る。
でも、何も起きない。
「ははは……違ったみたい……。いいかな? こんなふうに、大きな声ではっきりと、ですね、えっと、もにょもにょもにょ……」
最後の方はもにょってて聞き取れなかった。
真っ赤な顔で俯く三浦ハナさんを見ながら、僕は『なんだよこの罰ゲーム……』と思う。
「……つ、次は誰いく?」
『しゃーねぇな! 俺がやってやるよ!』
ポケットの中のリュウジが騒ぎ出す。
みんな愕然としているけわけだけど、虫にはそういう感覚がないらしい。まあ、求愛だかなんだかで、秋の夜長に大声で歌い続ける種族なのだから、大声を出したくなるのは本能的なものなのかもしれない。
『おい幽霊! 俺だけはお前の気持ちわかるぜ!? メスと交尾出来ずに死ぬって、悲しいよな!? あ、俺は今は未経験だけど、来年の夏にはヤリまくりの予定だからな! お前みてーな非モテと一緒にすんじゃねーぞ! あくまで今、この瞬間だけなら、俺はお前の未練に共感してやってもいい!』
なんだよそれ、完全にディスり且つ上から目線じゃじゃないか。幽霊さんもイラっとしてるんじゃないの?
当然、なんの反応もない。
『返事もしねーとは、救いようもねー非モテヤローだな』
リュウジは呆れた溜め息をついて、興味なさそうに触覚をペロペロと手入れし始めた。
「なんか『未成年の主張』みたいだね。私、なんだか楽しくなってきちゃった!」
松原さんが、胸の前で両手を握ってぴょんぴょん飛び跳ねる。ところで、未成年の主張って、なに?
「じゃあ次は、松原さん、いく?」
「うん!」
松原さんは頷き、頬にかかる髪を人差し指でかきあげる。その表情はいつになく真剣だ。細い眉毛が釣り上がり、目は空の一点を見据えているように見える。
ああ、真剣な表情もマジでかわいい。なんなんだ、この素敵な生き物は――
「幽霊さん! 私は幽霊さんの気持ちわかるよ! あれだよね、ラーメン屋さん『はるき』の季節限定ラーメンを食べたいんだよね!? たまり醤油淡麗ラーメン味玉付き! あれ食べないで死んじゃうなんて考えられないもんね! 来月からだから、一緒に食べにいこ!? 私、幽霊さんの分も頼んであげるから! ホントはダイエット中だけど、幽霊さんのためなら仕方ないよね! 2つ頼むからね!」
それって、2杯分食べたいだけなのでは?
松原さんはお菓子やホットスナックをちょくちょく買い食いしてるし、いっぱい食べる人だってのは薄々気づいてた。
でもその栄養は全部、身長とお胸の方に行っているみたいなんだよな。うーん、ダイエットなんて必要ないだろ。
そんな松原さんの身体の不思議に想いを馳せてみたが、当然ながら幽霊さんからは何のリアクションもない。
「えー、次は……影山さん?」
「あたしはいいよ……」
「ええー」
そんなこと言わずに、いつもみたいに『てめーの陰なんざ間接照明みたいなもんなんだよ、この隠れ陽キャ野郎!』って啖呵を切らないの?
「あたし……お母さんとか、親とか、そういうの、よく知らねーから……」
ん? どうゆうこと?
「まあ……ほら、でもさ、『引きこもりの子供を持つ親』って設定には、そこまでこだわらなくてもいいと思うんだよ」
「うーん……」
「要は、悪霊が『何を未練に思ってるか?』だよ」
「まあ、よくわかんねーけどよ……みんな頑張ってんのに、あたしだけ何も言わないのは、フェアじゃねーよな……」
そう言って、影山さんは静かに息を吸い込む。そして、小さな唇が薄く開いた。
「幽霊……あたしは、なんとなくてめーの気持ちがわかるぜ……? あたしら、何のために生まれてきたんだろうな……。望まれてなのか、そうじゃねーのか……わかんないなりに、生きてきたけどよ……それって、いつか、わかるもんなのか……? てめーは、それがわからないまま死んだのか……? だったら、死んでも、死にきれねーよな……」
……重い。
……重いよ、影山さん。
安易にコメントするのも憚られて、僕は靴の先で地面をジャリジャリしたり、手に持った紙パックをパコパコさせたりしながら、かけるべき言葉を真剣に考えていた。
そして、やっぱり幽霊からの反応はない。
「かぶちゃん! 私がいるよ! 私はかぶちゃんに会えてよかったって思ってるよ!」
松原さんが影山さんに駆け寄って、その肩をギュッと抱きしめる。
「いや……ニコリ……これはあくまで、悪霊に呼びかけただけで……」
「そうかもしれないけど! そうかもしれないけど! かぶちゃんがそんなこと言うのは、なんかヤダ!」
「ニコリ……」
僕は女子2人のイチャイチャに胸を打たれながら、何も言えなかった自分がちょっとだけ悔しかった。
ちなみにだけど、そのあと僕も『大人になれずに死んじゃったら辛いよね』みたいな、さもありきたりな未練を言ってみたけど、当然ながら何の反応もなかった。
一巡したけれども、糸口は見えてこない。
ため息を吐いて、僕たちは再び悪霊に向けて呼びかける。
何が悪霊の琴線に触れるのか?
そもそもこの方法で、本当に脱出できるのか?
地図も、道路も、足跡すらない荒野を、ただひたすらさまようみたいな行為を、何度も繰り返す。
でも、どこにも辿り着けない。
疲労だけが積み上がっていく。
プレーヤーが消えたテトリスみたいに、どんどんどんどん、積み上がっていく。
* * *
どのくらい時間が経ったろうか――
「さすがに……もう、無理だ……」
いつ終わるとも知れない徒労で、僕らの疲れはピークに達していた。座り込んだ影山さんの隣に腰を下ろして、僕はオレンジジュースのストローを吸う。中身はとっくの昔に消えていて、気休め程度にオレンジ風味の空気が味わえるだけだ。
「お腹すいたよぅ……」
特に、僕たちよりも1日早く閉じ込められている松原さんと三浦さんは、疲労の度合いが色濃い。三角座りの膝に頭を乗せて、松原さんは『お腹がすいた……』と呟く。
「なんていうか、別の作戦はないですか? これじゃ、埒が開かないというか……」
「そうだよね」
僕が尋ねると、三浦さんは腕を組んでうーん、と唸る。年長者で魔女だからといって、三浦さんに頭脳労働を押し付けてしまっているのが申し訳ない。でも、無知な僕には他にどうしようもない。
「もう一回、辺りを調べてみるよ。何か見落としていたヒントがあるかも知れない――」
「あ、僕も手伝います!」
立ち上がるけど、なんだか足に力が入らない。自分の足じゃないみたいだ。
「気持ちはうれしいよ。でも、そこかしこに死体が転がっているから、無理しないほうがいい」
「でも……大丈夫です!」
「ううん、年長者として、未成年にトラウマを植え付けるわけにはいかない。ここで、他の作戦を考えてみてよ。お願い、ね」
僕は黙って座りこむ。
色々な疲労が重なって、何をやっても上手くいかなそうな不安定な感情が、胃の奥底からせり上がってくる。
僕たちはこのまま死んでしまうのだろうか……。
気がつくと、僕の手は無意識に、影山さんの手へと伸ばされていた。
影山さんに触れたい。
そんな理解不能な本能を、理性でもって全力で押し留める。
ああ。
飢え死にって、辛いんだろうな……。
「お父さんの作ったビーフシチューが食べたい」顔を膝に埋めたまま、松原さんが呟く。「お父さんのビーフシチューはね、おっきなお肉がドンって入ってて……。でもガス代とか気にしないでひたすら煮込むから、めちゃくちゃ柔らかいんだよ」
うう、僕もお母さんのカレーが食べたい。
「お父さん……」
松原さんの声に嗚咽が混じる。
「お父さんに、会いたいよぅ」
ぐらっ――
一瞬、眩暈がした。
疲れと空腹と渇きのせいかな、そう思って漫然と空を見上げる。
木の枝が揺れていた。
風もないのに、なぜ?
影山さんを見る。
僕と同じように、目を見開いて木の枝を見上げている。
眩暈じゃない。
地面が、揺れた?
「ニコリちゃん……」真面目な顔をした三浦さんが、松原さんを見ている。「今の言葉、もう一回言ってみて?」
「今のって?」
「お父さんに会いたいって」
「あ、うん『お父さんに会いたい』」
「もっと、気持ちを込めて」
「お父さんに、会いたいよう!」
その瞬間、世界が大きく揺らいだ。
裸の木の枝が軋みを上げて、ぶつかり合い、人混みの喧騒みたいな音の群れが押し寄せてくる。
静寂の世界が、崩壊する音。
「娘だよ――」しなる木の枝を見上げながら、三浦さんが「この悪霊は、子供がいる父親の霊なんだよ。そしてその未練は、残してきた娘の事なんじゃないかな……」
朧げだった悪霊の人物像が、ぼんやりと見えてきた気がした。
各々が『悪霊の未練』として挙げたことは、そのまま各々が大切にしていることだったり、悩んでいることだったりします。
ちなみ、昔書いた『ハロウィンの夜、電波塔の二人』というお話に、魔女の三浦ハナさんが出てきます。読まなくてもいいようには書いてますが、合わせてお読み頂けると嬉しいです。
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