第20話:帰りたい家が、あるんだろ?③
「やっぱり、戻っちゃうか……」
出口側のトンネルを通過すると、入口側から出てくる。入口側を通過すれば、出口側……。松原さんの言うとおり、ここは『閉じられた空間』らしい。
トンネルとトンネルに挟まれた、約500mくらいの林道に、僕たちは閉じ込められている。
「道を逸れて……林の中に入り込めば……出れるんじゃねーか……?」
腕を組んだ影山さんが、親指を顎に当てて首を傾げた。左手側は山を上る林、右手側は山を下り海沿いの国道まで続く林。しかし国道を走る車は、今のところ1台も見ていない。
「そっちには、行かない方がいいと思うよ――」
森林に分け入ろうとする影山さんの背中にかけられた、細くやわらな声。振り返ると、さっきまで項垂れていた女性――三浦ハナさんが立っていた。
「ごめん、仕事の事を考えてたら取り乱しちゃって。無断でサボったわけだから、課長が絶対――」そこまで言って再び正気を失いそうになるのを、ブンブン首を振って振り払う。「いやいや、切り替えていかないとだよね……」
「お仕事、大変ですね……」
「あ、ううん、気にしないで」
困った顔で笑う。
三浦さんは近くに住んでいるサラリーマンらしい。とは言うものの、見た目は小柄で子供っぽい上に、今はコートとジーンズ姿だから、高校生のお姉さんくらいに見える。
「なんで……行っちゃダメなんだ……?」
影山さんが尋ねると、三浦さんは困った顔で笑い、僕たちの表情を気にしながら、言葉を選ぶ。
「えっと、なんていうか、ね……今までここに閉じ込められてた人が、たくさん横になってるから……」
え、それって――
僕の背筋を冷たいものが走る。
たしかに、行かない方がいい。間違えてそういう人たちを踏みつけてしまったら、きっと僕は正気じゃいられない。
「横道に逸れて出れないかは、私も確かめてみたよ。でもダメだった。不思議な感覚だけど、自分の意思に反して足が動かなくなるカンジ……」
それって、どんな感覚なのだろう?
僕は首を傾げる。
『この空間って……なんつーか、虫かごの中にいる感覚と似てんだよな。透明な壁みてーなので遮られてて、先は見えるのに進めないっっつーか、そんな閉塞感を感じるぜ』
ポケットの中リュウジが小声で呟く。
事情を知る僕たち以外の人間に対し、リュウジは警戒心を持っている。『僕ら以外に見つかったら、きっと殺虫剤ぶっかっけられるぞ』って、口を酸っぱくして言い聞かせていたからだ。
「そんな事もわかるの?」
僕も小声で返す。
『昆虫様の触覚なめんなよ? 外の世界で感じられる空気の流れみたいなのが、この場所じゃ全然感じられねーんだ』
なるほどね。
不思議な感覚だけど、それを日常に落とし込む言葉を僕は見つけられなかった。そりゃ、日常を逸脱した世界に来てしまったんだから、当然なんだけど。
「現実の空間からは、隔離されてても……時間の束縛は、変わらねーんだろーな……。肉体の変化は……普通に起こるらしい……」目の前の林の中――多分、そこに横たわり、朽ちているはずの遭難者たちのことを思いながら、影山さんは言う。「腹は減るし……喉も渇く……」
「うん、実はお腹ぺこぺこ……」
松原さんがか細い声で呟いた。
「私は食料を多めに持ってきてたし、ニコリちゃんもお菓子と飲み物を持ってたから、今のところは大きな問題はなかったけど――」三浦さんが眉間に皺を寄せる。「人も増えたし、長期戦は厳しいね……」
「なんとか出る方法を見つけないと、飢え死にしちゃうって事ですね。みんなで力を合わせて脱出しましょう!」
僕がそう言って、三浦さんが大きく頷く。
「でも……その前に……」
影山さんが、横目で三浦さんを見た。訝しむような、薄暗い感情を含んだ目で。「三浦ハナ、サン……。あたしは……あんたの事、まだ信用しちゃいねーんだ……」
「ちょっと、影山さん! こんな時に仲間割れは……」
威嚇する猫みたいな影山さんを、僕が慌てて制す。
「いや、こんな時だからこそ、だろ……。ちゃんと力を合わせるからには……それ相応の信用ってもんが、必要だろーが……」間に割って入った僕を押し除けて、影山さんは三浦さんの目の前に立つ。「あんた……ここがどんな場所か、ある程度知ってて、来たんだろ……? ニコリみてーに偶然入り込んだにしちゃ……準備が万全すぎんだよ……」
影山さんが横目で見た先には、三浦さんのリュックが転がっていた。
旅行者が使いそうな大きなリュック。
たしかに、町外れの街道を歩くにしては違和感のある装備だ。まるで、これからどこかに閉じ込められるリスクを予見してたみたいな――
影山さんが一歩進むと、その威圧感に気圧されて、三浦さんは一歩退く。
「あんた……何が目的だ……?」
いや影山さん怖いから……!
その目つきは明らかに、OLさんにとり憑こうとする悪霊の目だって……。
影山さんに凄まれた三浦さんは、ホラー映画の主人公みたいな表情で口をパクパクさせた。その視線が目の前の影山さんから、自分の左腰あたりに移る。
ジーンズのベルトループに、カボチャ頭の小さい人形が引っ掛けられていた。その人形を片手で包み込むと、再び影山さんに視線を向けた。
「私の目的は、君たちにとっては荒唐無稽だし……納得できないと思うよ」
「納得できるかどうかは……あたしが決める事だろ……」
「そだね。君たちなら――」三浦さんはそう呟いて、僕たち3人を交互に見る。そして意を決したように頷き、話し出した「私、ある怪異を探してるの」
「怪異を……探してる……?」
「そう。まあほんとうは、それが怪異と呼べるものなのか、まだよくわからないんだけど――その子が、私の願いを叶えるための、手がかりになってる気がして」
その子?
子供の怪異なんだろうか?
不安そうな顔で僕たちを見る三浦さん。
その左手は、腰にぶら下げたカボチャ頭の人形をギュッと握りしめている。
「この『十八街道』の存在も、その怪異に関連しているかもしれない……って事までつきとめた。だから、あえてこの場所に来たの」
「無謀……だな……」
「うん、無謀だったかも。でもね、お姉さんからしたら、あなた達二人の方がもっと無謀だと思うよ!」
いきなり反撃されて、僕と影山さんは顔を見合わせる。
「年長者として、ここは叱ってあげるべきなんだろうけど――それは無事にここから出てから、だね。どう? 納得出来た?」
「理屈は通ってるが……でもおかしいだろ……。怪異だとかなんとか……大人が、巷で噂の怪談話を信じて、行動するなんて……。なんつーか、普通じゃねーよ……」
「まあ、そうだよね。『お化けや幽霊なんて居ない』って反応するのが、普通の大人だもんね」
三浦さんがうんうんと頷く。
そして気づいた。
あれ、三浦さん、背伸びてない?
僕の少し下くらいの位置にあった顔が、気が付けば頭ひとつ分上にある。
え?
脳がバグる。
「でも私、普通の大人じゃないんだ」
気が付けば、三浦さんの顔は見上げるほど高い位置に来ていた。
背が伸びたわけじゃない。
浮いてるんだ――
「あんた……」
影山さんが呆然と口を開けている。
「そう、私、魔女なの」
ゆっくり下降してきた三浦さんは、音もなく着地する。僕や影山さんが言葉を出せないでいると、三浦さんはにっこりと笑った。
「怪異も魔法も本当にあるって、私は知ってるの。これで、納得してくれた?」
* * *
三浦ハナさんは魔女だった。
そして、何か大事な目的のために、ある怪異を追っているらしい。
その『目的』がなんなのか聞くのはさすがに野暮だし、影山さんもそこまで追求する気はないみたいだった。
とりあえず僕たち4人(それと1匹)にとって、この場所から抜け出すって事が、共通の課題なのは間違いない。
「へぇ、こんなにハッキリ意識を持ってる昆虫の怪異、初めて見たよ」
『俺はムシキングだからな。そんじょそこらの虫ケラと一緒にすんじゃねーよ』
三浦さんは僕たちに秘密を打ち明けてくれた。だから僕たちも打ち明けることにした。
影山さんは悪霊に対して(暴力的な意味で)最強だし、リュウジは学校に巣食っていたお化けカマキリの成れの果てだ、って。
ここから無事に脱出するには、お互いの手の内を出し惜しみしている場合じゃない。
三浦さんは魔女というだけあって、怪異に対しての知識も経験も豊富みたいだった。僕たちの持つ力と三浦さんの知識が合わされば、ここから抜け出すことだってきっと不可能じゃない。
「ここは、一人の人間によって作り出された空間だと思うの」三浦さんは言う。「複数人の怨念が合わさった空間は、もっとこう、ぐしゃぐしゃっていうか、混沌って感じになるんだ」
「そうなんですか」
とりあえず頷いたけど、よく意味がわからない。
「複数人の集合体は、解除が難しいんだ。いろんな思惑が絡まって居るから、それをひとつひとつ紐解いていかなくちゃならないの。でも一人ならシンプル。その人の怨念の種を見つけて、理解し、共感し、供養してあげればいい」
もしくは、見つけられた怨念という『陰』を、それ以上の『陰』でぶちのめすか。影山さんがいつもやっているみたいに。
「問題は、その怨念の種がなんなのか。それを見つけない事には、どうしようもないの」
うーん。
ハッキリ言って『そんなの誰も知らないよ!』だ。
「そういえばね、小学校の友達にね、いつも悲しそうな顔で俯いてる子がいたの」
松原さんが唐突に口を開く。
「わたし、その子を慰めてあげたくて、何が悲しいの? って聞いたんだ。でも、ちがう、ちがう、って首を振るだけだったから、思いつく限りの理由をいっぱい訊ねたの。それで、一週間くらいその子の席に通い詰めて、やっと悲しい顔の理由を言い当てて――その子と仲良くなれたんだ」遠い目をする松原さん「これから、この変な『十八街道』を作ってる幽霊さんに、同じ事をやるってことだよね」
松原さんの話を聞いて気が遠くなった。
怨念の原因なんて、そんなの見当もつかない。この空間を生み出している怪異がどんなやつなのか、僕たちは何の前情報もないんだから。
「ちなみに……その子は……何が悲しかったんだ?」
頭を抱えながら、影山さんが訪ねる。
「えっとね、木の椅子でお尻が冷たかったんだって。私の座布団貸してあげたら、大喜びしてたよ」
そんなの、知らないよ……
僕は心の中で呟く。
次回『クイズ! 悪霊さんの怨念ってなーんだ?』が開催されます。




