第19話:帰りたい家が、あるんだろ?②
『十八街道』は、海沿いの国道に並行して走っている古い道路だ。昔は隣の県に行くための重要な通路だったらしいけど、山を切り崩して国道が作られてからは、車がほとんど通らなくなっちゃったらしい。
昼でも薄暗い林道。今は通る人も少なくなったけど、トラックがスピードを出してビュンビュン走り抜ける国道脇を歩くよりは安全って理由で、日常的に歩道として使用している人も多い。でも、夜はあまり通らないように、って学校や両親に言われてる場所でもある。
十八街道の入り口にあたるトンネルの前で、僕と影山さんは自転車から降りた。左手には山裾の深い林、右手にはまばらな杉林の隙間から国道と海が見えるはずなんだけど……冬の18時の闇がそれらを覆い隠している。
街灯は頼りなさげに光り、目の前のトンネルの中には、すきっ歯みたいなオレンジ色の照明が並んでいる。
「迫力あるね……」
僕が囁く。この雰囲気の中では、大きな声で会話するのがなんとなく憚られた。
『うう、寒みぃ……死んじまうよ……』
僕のポケットに入ったリュウジがブツクサとボヤいた。
「仕方ないだろ? 僕と影山さんは、見せたがりじゃない悪霊は見ることが出来ないんだ。リュウジは悪霊同士だから、感知出来るんでしょ?」
『そりゃあまぁ、当然だろ。野生のハンターの勘をなめんなよ? 半径10メートルくらいなら、ハエだって感知してやらあ』
「御託はいいから……。このトンネルで、悪霊の気配はあんのか……?」
めんどくさそうに影山さんが言う。松原さんの捜索が面倒というわけじゃなく、リュウジの相手をするのが心底面めんどくさいらしい。
『感知一回につい、ゴキブリ1匹は欲しいっすね。この童貞ときたら、新鮮な食事を与えてくれないんすよ。労働には相応の対価を頂けないと……』
この虫ケラ、影山さんには低姿勢である。
「スケコマシが……そのへんのゴミ箱から捕まえてきてくれるってよ……」
は? なんで僕? 勝手に決めないでよ影山さん! そんなキモチワルイの絶対嫌だからね!
『そうと決まれば、バリバリ働きますぜ』
いや、そうとは決まってないけどね!?
『うーん、俺の触覚には何の反応もないっすね。トンネルん中には何もいないっす』
「……あたしは、なんか嫌な予感がするんだけどな……」
影山さんは腕を組んで、右手の親指を顎に当てる。唇の隙間から吐く息は白い。
「あ、もうすぐ18分になるよ」
お父さんの机から持ってきた電波式の腕時計は、もうすぐ18時を18分を指そうとしている。
「……とにかく、入ってみるしかないな……。スケコマシ、カウントダウン頼む……」
「わかった」
『童貞、ゴキブリ1匹頼んだぞ』
「それはわかんない」
僕と影山さん(そして僕のポケットに入ったリュウジ)は、並んでトンネルの前に立った。
トンネルの内部は闇が、切れかけの照明がチカチカと揺れて、まるで巨大な生物の内臓みたいに蠢いて見える。
僕は足がすくみそうになるけど、消えてしまった松原さんの事と、隣に立つ影山さんの存在を感じて、心を奮い立たせた。
「55、56、57……」
海から吹く潮くさい風が、葉のない木の枝を揺らして、ビュンビュン鳴らす。
「58、59……」
僕らは同時に足を上げ――
「18分」
トンネルの中に入った。
* * *
「何も……起きねえな……」
トンネルの中を歩きながら影山さんは言った。
二つの足音がトンネルの内壁に反射して、巨人のかけっこみたいに大袈裟に響く。その騒々しさに身をすくめながら、僕は影山さんの言葉に頷いた。
トンネルの長さは100メートルくらい。一旦向こう側まで行って、引き返してみるか……。そんな事を考えつつも、影山さんの存在を確かめようと、チラチラとその横顔を伺う。
だって神隠しのトンネルだ。隣を歩く影山さんが忽然と姿を消しちゃったら困る。
「ねえ」
「……なんだよ……」
「手、繋がない」
僕の提案を聞いた瞬間、影山さんは大袈裟に飛び退いた。
「なななななな! てめースケコマシこんな時にでもスケをコマす事しか考えてねえのかよ! ここここのへへへへへんたいヤロウ!」
「違うよ! 影山さんまで『神隠し』にあったらマズイと思って!」
ほら、何もそこまで嫌がらなくたっていいじゃないか。影山さんが僕の事キライなのはわかってるけど、ここまで大袈裟に避けられたら、僕だってちょっと傷つく……。
「あたしは……大丈夫だよ……」
そっぽを向いて歩き出す影山さん。
さっきよりも早くなった足取りは、絡みつく何かを振り切ろうとしてるみたいに見えた。
それに、考えすぎかもしれないけど――僕はそんな影山さんの後ろ姿が、少し寂しそうに感じた。
咄嗟に駆け寄ると、影山さんのジャンパーの袖を摘む。腕が引っ張られて、影山さんはビクッと震える。
「これなら、嫌じゃないでしょ?」
問答無用、と僕は掴んだ指先に力を込める。
「あ、その……だから別に……あたしは大丈夫だって、言ってんだろ……」
「やっぱりダメだよ。二人離れ離れになっちゃったら、やっぱり危険だよ」
一人で歩く影山さんの後ろ姿を見て、僕はなぜか『ほっとけない』って思ったんだ。
確かに影山さんは悪霊に対して最強だ。暴力同士の勝負であれば、きっとどんな霊にだって負けはしない。でも、そのトゲトゲの外面に反して……その内面は、多分見かけほど強くない。
だから、たとえウザいと思われたって、僕は『繋がっていたい』って思ってしまうんだ。少なくとも、僕以上にその、役目を担えるやつが現れるまでは……。
そんなやつ、一生現れなくたっていいけど――
いやいやいやいや、こんな時に僕は何を考えてるんだ?
がっしりと掴んだジャンバーの、ポリエチレンの生地がじんわり熱を帯びる。
ああ、影山さん。
影山さん――
『おい、ラブコメの最中に悪いけどよ、向こうになんか居るぜ?』
「え?」
ポケットの中にいるリュウジの言葉で、僕達はトンネルの先を見た。野外照明で薄ぼんやりと光るトンネルの出口に、何やら人影が見える。
背筋を、冷たい電流が駆け抜けた。
「ただの、歩行者じゃないの……?」
『それにしては様子がおかしいんだ。ずっとあそこに立って、ジッとこっちを見てやがる』
僕たちも足を止めて、その人影を見つめた。
数十メートルの闇を挟んで対峙する僕達。
その人影は1人で、背格好も僕らとさほど変わらない。薄い光を背にしているから表情はよく見えないけど、こちらを凝視してるみたいに微動だにしない。
引き返す……?
そんな考えが頭をよぎった瞬間、向こうの人影が大きく両手を広げ、左右に振った。
「すみませーん! どなたですかー!」
トンネルの出口で、人影が声を張り上げる。その声は――
「ニコリだ!」
影山さんがそう短く叫ぶと駆け出した。
誰何の声は確かに松原さんだった。僕も慌てて、影山さんの後に続く。
「あれ? かぶちゃん!? わあーかぶちゃんだー!」
影山さんの声に気付いて、人影も駆け出す。その姿から黒い衣が剥がれて、徐々に松原さんへと変わっていく。
「助けに来てくれたんだ!」
松原さんが影山さんに抱きつく。
影山さんは、くすぐったそうな顔で自分の頬を掻いた。
「松原さんに会えてよかったけど……どういうこと?」僕は首を傾げる。「昨日からずっと、家に帰らずにここにいたって事?」
松原さんは影山さんを離すと、首をブンブンと横に振って、困った顔で俯いた。うわぁ、困った顔も狂おしいほどにかわいい……。
「来てくれて嬉しいけど、来てほしくなかったな……」
「どーゆうことだ……?」
影山さんが尋ねると、松原さんはトンネルの出口に向かって歩き出しながら、その先に見える『十八街道』を指差す。
「トンネルを出てね、この先の道をずっとまっすぐ行くと、またトンネルがあるんだ。それでそのトンネルを抜けると、今度はここに戻ってくる。逆も、おんなじ……」
「?」
松原さんの言葉に、僕は首を捻る。
「ここから、出られないってことか……?」
影山さんが尋ねると、松原さんは弱々しく頷く。
「何度も出ようとしたけどダメだったの。まるで夢の中にいるみたいで……ホント、ぽっぽー塞がりなんだよ」
「『八方塞がり』な……」
普段通りの二人のやり取りを見て、僕はちょっとホッとしてしまう。
でも事態はかなり深刻なのかもしれない。
松原さんの話が本当だとすると、どうやら僕らは、漫画とかでもたまに見るシチュエーション――いわゆる『異空間に閉じ込める系』の攻撃を受けているらしい。
松原さんが悪霊に捕まった! ってシンプルな状況であれば、影山さんの銀髪の鬼でやっつければ済む話。
でもこういう間接的に攻撃してくるやつって、えてして解決方法がトリッキーというか、マンガなんかだと謎解きが必要とされるパターンなんだ。
「はっぽうって、鉄砲を撃つ事? そっか! 鉄砲の口が塞がってたら、危ないもんね。なるほど、カブちゃん物知り!」
松原さんがにっこり笑う。
「いや……ちげーし……」
そう言いながらも、褒められた影山さんは満更でもない表情だった。
……うん、これは僕が頑張らないとダメなやつだ!
「あ、そうそう! 実はもう1人、一緒に閉じ込められてるの!」
「え、マジで?」
ここに閉じ込められてしまったの、松原さんだけじゃんなかったんだ。
「私よりも1日早く閉じ込められてたみたい。大人の女の人だから、すごく頼りになるよ! かぶちゃんや阿部くんも来てくれたし、みんなで力を合わせればきっと脱出できる!」
『俺もいるぜ?』
リュウジがポケットから顔を出す。
「あ、リュウジも来てくれたんだ! さらに心強いよ!」
『けっ』
「よし、希望が出てきた! みんなで力を合わせて脱出しよう!」
松原さんは両手の胸の前でグッと握る。
そう簡単にいくかな? と思いつつも、でもまあ大人の人がいてくれるのはすごく心強い。大人と知恵を出し合えば、この窮地も切り抜けられるんじゃないかな。
今回で4度目の怪異だ。良いのか悪いのかわからないけど、肝がすわってきたなーって自分でも思う。
トンネルを抜けた。
辺りを見回す。
薄暗い林道の隅っこ、降り注いでる照明の下で、膝を抱えて座り込む小さな影があった。
その影は、何やら呪文のような言葉を呟いている。
「ハナさん、私の友達が来てくれたよ」
影は顔を上げた。
その顔はペンキをぶっかけたみたいに、絶望の色でぐちゃぐちゃに染まっていた。
「……イシャ……ヤスン……カチョ……レル……」
虚な目で呪文を唱え続けている。
「ハナさんハナさん、そろそろ正気を取り戻してよ」
僕らは『ハナさん』と呼ばれた女性の前に立つ。
囁くような呪文の詠唱が、だんだんはっきりと聞こえてきた。
「会社……休んじゃった……課長に……怒られる……」
魂の抜けた顔で女性は繰り返していた。
……うん、やっぱりこれは、僕が頑張らないとダメなやつだぞ!




