第18話:帰りたい家が、あるんだろ?①
帰りたい……
帰りたいよ……
種火のような微かな声が、黄昏時の林道を燃やす。
* * *
冬休みを前にして、学校中が活気づいている。
クラスの陽キャ達は冬休み中も忙しそうだ。クリスマス会や初詣など、お楽しみイベントが目白押しらしい。ワイワイガヤガヤの賑やかな笑い声が、少し離れた僕の席まで響いてくる。
僕はといえば、男友達と殺伐としたスマブラ大会を開く予定はあるものの、それ以外に大したイベントはない。そもそもこの街の冬は、唐突に大雪が降って僕らを家の中かに閉じ込めてきやがる。だからあまり欲張らず、家の中にいるのが正解なんだ。
断じて羨ましいとか、そんなんじゃないよ。賢い選択をしてるのは僕達なんだから。
放課後、落っこちて来そうな重たい雲を窓越しに眺めつつ、雪が降る前に帰らないと――なんて事を考えていると、教室が急に色めきだった。
教室の後ろのドアに視線を向けると、そこに黒い影が立っていた。
あ、悪霊!?
一瞬そう思ったが、勘違いだった。そこに立っていたのは、いつも以上に険しい顔をした影山さんだった。
僕は動揺する。
影山さんの方から僕の教室に顔を出すことなんて、今まで一度もなかったから。
そうでなくても、ここ最近は妙に影山さんの事を意識してしまう。この前のカマキリ事件の件で僕は影山さんを抱きしめてしまったし、色々とキザったらしい台詞も言っちゃったような気がする。
それにリュウジが毎晩『交尾交尾』うるさいから、否応なしに影山さんとのそういう交流を想像しちゃって、なんかモヤモヤするんだ。
件の影山さんは、俺の事なんて何とも思ってないと思うけど――
影山さんは足音も立てずにスーッと僕の席まで歩いてきた。周りのクラスメイトは潮が引くみたいにサーっと道を開ける。
「影山さん、どしたの?」
椅子に座る僕を見下ろした影山さんの顔は、前髪の隙間の大きな目がギョロっとしていて、お父さんと一緒に観た某『呪いのビデオ映画』のワンシーンに似ていた。なんかすごく申し訳ないけど、僕は一瞬ギョッとしてしまう。
影山さんは、いつにも増して焦った様子だった。
「……スケコマシ……」
シンと静まり返った教室の空気を、影山さんの囁き声が揺らす。
「な、なに?」
僕は恐る恐る聞き返す。
「お前……ニコリがどこにいるか、しらねーか……?」
「え、松原さん?」
そう言えば、今日は松原さんを見ていない。
まあ松原さん見ていないというよりは、松原さんのいる場所にはアメ玉に集まるアリみたいに人が群がるから――正確にはその現象を見ていないというのが正しいけれど。
「いや、知らないけど……」
僕がそう答えると、影山さんの表情がより一層怖くなる。
「さっき……クラスの連中が話してるの、聞いちまったんだ……。ニコリ、昨日の夜から家に帰ってないって……」
「ええっ!?」
思ってた以上に大きな声が出てしまった。知らんぷりを装いながらも実は聞き耳を立てていたクラスメイト達が、一斉にビクッと震える。
「それって、親に内緒で友達の家に泊まりにいってるとかじゃないの……?」
とりあえず思いついた仮説を挙げてみるけど、そんなありきたりな状況じゃないってのは、なんとなく察しがつく。もしそうなら、影山さんの耳に入るほどの大きな噂話になってるはずがないから。
「……わかんねえけど……なんだか、嫌な予感がすんだよ……」
影山さんがスカートの裾をギュッと握ってる。
「たしかに心配だね。なにか、事件に巻き込まれてなきゃいいけど……」
「!?」
口をついて出てしまった僕の言葉に、影山さんの目が大きく見開いた。事件に巻き込まれる、とか……僕は考えなしに発してしまった自分の言葉を後悔する。
でも正直なところ、イマイチ実感がわかないのは事実だった。松原さんの交友関係は、僕なんかじゃ把握できないほどに広い。この学校とは関係ないコミュニティ――例えば小学校の頃の友達とか、習い事の付き合いとか、そういう繋がりのところに身を置いてる可能性だって、全然あるんじゃないのか? 親と喧嘩して、習い事の友達のところに家出したとか……、中学生の女子なら、ままあると思う。
こういうの、正常化バイアスって言うんだっけ? よくわかんないけど、まさか松原さんが――
「……あたし、探しに行く……!」
危機感が薄い僕の態度に業を煮やしたのか、影山さんが唐突に踵を返して、ドンドンと足音を鳴らしながら教室の出口へと向かった。
「あ、ちょっと待ってよ、探すってどこを――」
椅子を鳴らして立ち上がった僕の前に、
「あの!」
クラスメイトの女子が立っていた。
たしか……田中さんだっけ。メガネをかけたおとなしい子で、同じような大人しめな女子達といつもつるんでいる。僕はあまり話した事はない、というか男子と話している姿を見た事がない。
「阿部くん、それと……影山さん!」なんだか今にも泣き出しそうな表情で、田中さんは僕達の名前を呼ぶ。「ちょっと、松原さんの事で……」
そう言って、何かを我慢するような表情で俯く。
田中さんの正面に立った僕と、足を止めて振り向いた影山さんは、田中さんの次の言葉を待つ。
「あの……2人に、相談したいことがあるの」
僕はカクカクと頷く。
影山さんは軽く息をついて、前髪を掻き上げる。
田中さんに促されて、僕と影山さんは教室を出た。
* * *
「え、神隠し?」
人通りの少ない北棟の階段踊り場で、秘密を打ち明けるみたいに神妙な面持ちの田中さんは「神隠しかもしれないの……」と言った。
「え、どう言うこと?」
単語だけを並べられても、僕にはさっぱり意味がわからない。たしかに、理由もなく人が忽然と姿を消すことをそんなふうに言ったりするけど、それだって第三者が知らないだけで、本人や関連する人には何かしらの理由が存在しているはずなんだ。
「『十八街道の神隠し』って知ってる? 少し前から私の住んでる地区で噂になってるの……」
田中さんはそう言って俯く。
聞いた事ない。
中学校ともなると、僕達の住んでる田舎では、けっこういろんな地域から生徒が集まってくる。局所的な都市伝説とかなら、知らないものも多い。
影山さんも首を傾げている。
その旨を伝えると、田中さんはしばらくの沈黙の後、意を決したのか再び顔を上げて、事の経緯を語り出した。
「松原さん、昨日は私の家に遊びに来てたの。みんなで集まって、最近買ったマンガを読み回ししようって――」
松原さんはクラスでは目立たない田中さんのグループとも親交があったんだな、本当に誰とも分け隔てなく友達なんだな、なんて事を思う。
「それで、昨日は解散が少し遅くなっちゃったの。松原さんが持って来てくれたマンガが面白くて……。それで帰る時になって、松原さんの帰り道に『十八街道』があるって思い出したんだ」
「十八街道の、神隠し……?」
「うん……」田中さんは小声で頷く。「十八街道には神隠しの噂があるの。『18時18分に、街道の入り口のトンネルに足を踏み入れると、神隠しに合う』って……。松原さんが家を出た時間って、ちょうどそのぐらいの時間帯だった。でも! でも私、そんな噂信じてなかったし、時間ぴったりにトンネルに入るなんて、そんな偶然あるわけないって思ってたから、だから、私! こんな事になるなんて思わなくて!!」
「た、田中さん、落ち着いて」
どんどん言葉が熱を帯びていく田中さんを、僕はなだめる。彼女の言うとおり、そんな噂を信じてる方がアレだし、仮に本当だったとしても、時間ぴったりにトンネルに入ってしまうなんて偶然、想定出来るわけがない。
田中さんは何も悪くない。
そう諭すと、田中さんは押し黙ってしまった。
「たしかに、なくはない話だけどよ……」影山さんが口を開く。「だったら、もっと現実的な理由があって学校に『来ない』もしくは『来られない』……。そっちの方が、まだ可能性としてあり得るだろ……」
影山さんが奥歯を噛み締める。現実的な理由で『来られない』の仮定に含まれている、犯罪とか事故の可能性は、僕だってあまり考えたくない。
「来ない、はないと思うの」俯いたまま田中さんが返す。「松原さん、『マンガの続き、明日絶対持ってくるよ』って言ってたの。松原さんは、そういう約束は絶対守る子なんだ。だから、何があっても自分の意思で学校に来なかったっていうのは、ないと思う」
「なるほどな……」
影山さんは小さく頷いた。
「阿部くんと影山さん、悪霊とか怪異退治に詳しいから、何かわかるかもと思って……」
田中さんは懇願するような目で僕達を見る。なるほど、僕も含めて校内ではそういう認識らしい。嬉しいような、悲しいような。
それはさておき、本当に神隠しという『怪異』が原因だったら、確かに親や警察じゃ手に負えないだろう。
事件や事故は大人達の領分。日本の警察組織はなんだかんだで優秀だって、何かの記事で読んだ事がある。だったら僕達がやるべき事は、大人じゃ動けないもう一つの可能性を確かめる事。
僕は影山さんを見る。
影山さんは、その大きくて力強い目で、僕を見返していた。
「行ってみよう……その『十八街道』によ――」
勘のいい方はお気付きかと思いますが、十八街道という名前は、最近映画化も決まった某人気ゲームをもじってます(*´Д`*)




