02:二人で生きて帰る
「お姉ちゃん!!お姉ちゃんを連れてかないで!」
「これも国を救うためなのです。」
「いやぁ!お姉ちゃんを離してよ!!誰か助けて!」
「るなっ……」
助けを求めても誰も助けてくれない。
美奈だけでなく、瑠奈の腕も掴まれて無理やり立ち上がらせる。
瑠奈は抵抗をしてみるも男と女の力の差は歴然としていて、美奈と同じくずるずると引きずられて建物の外へ出る。抵抗しながら後ろを振り返ると、目を合わせないように地面を見つめて着いてくる女性たち。
外に出ると月の明るさに驚いた。夜が暗すぎたのだ。それぞれが持っている松明、蝋燭の他に灯りがなく、月明かりがこの夜を照らす一番明るい光になっていた。
木々に囲まれていた建物はやはり教会のような作りをしていて、十字架が掲げられていた。それには何も磔にされていなかった。ステンドグラスがキラキラと輝いて、こんなにも美しい作りをしている教会なのにそこで行われた惨劇を神はどう思うのか。
瑠奈は引きずられながらもあたりを観察してここがどこなのか少しでも情報を得ようとする。
月、教会、森、日本語が通じるけど日本人ではない人。遠く見えるのは、まるで童話の国の中にある立派な城。ここが日本ではないのは確実だった。しかし自分たちが気を失っている間に海外へ連れ出せるのか、父と母は無事なのか、それよりもこの状況をどうにかしないと。
現場を理解できない頭でなんとか逃げ出せないかと考える。唯一の味方である姉はすっかり怯えてしまって言われるがまま歩いている。
外には馬車が用意されていた。鎧を着た大柄の人が側で姿勢良く待っていた。
その馬車に乗ってしまうともう逃げられない、何かないかと思考を巡らせた。しかしいい案は思いつかず、瑠奈は自分の腕を掴む男を振り払って姉の元へ駆け寄った。
「ッ!!おい、何を!?」
考えるより行動した方が早い。実際に自分を掴む男は油断しきっていて簡単に腕は振り解けた。瑠奈は姉を掴んでいた男を突き飛ばした。
「お姉ちゃん今のうち!早く逃げるよ!」
「る、瑠奈!どこに」
「聖女様、少々おイタが過ぎますぞ。」
しかしたった二人の小娘に何が出来るのか、簡単に取り囲まれてしまった。さっきよりも強い力で腕を拘束され、瑠奈は小さく悲鳴を上げる。
「痛っ……!」
「おい、聖女様には傷1つつけてはならん。丁重におもてなしをしろ。」
「……はい。」
老人が薄く目を開け瑠奈を掴む男を睨みつける。男は顔を強張らせながら腕を掴む手を緩めた。もう先ほどのように隙をついて逃げる事はもう出来なさそうだった。
「聖女様、大人しくしてもらわねばこちらも乱暴に扱うしかなくなります。どうか暫しの間大人しくして頂きますようお願いします。」
口調こそ優しいが、その老人の表情からは笑顔が消えていた。大人しく従わないと次は乱暴するぞと脅されては瑠奈は従うしかなかった。
「さあお乗りください。」
強引にキャビンに詰め込まれてその硬い座席に腰を落とす。目の前には老人と姉を拘束していた男が一人。逃げるにはドアを開けて飛び降りるしかないが、怪我をする事なくそれが実行できるとは思えなかった。
瑠奈の隣に座る姉は涙を流しながら、どうして、帰りたいとぶつぶつ呟き続けている。こんな状態の姉と協力するなんて事無理に等しい。
本当だったら瑠奈もとっくに同じようにおかしくなってしまってたかもしれない、全てを二人で分かち合ってきた片割れがいたからこそ、自分がなんとかしなければと正気を保てていた。なんとしてでも二人で逃げ出す。
先ほど外に出た時に見た城まではまだ距離がありそうだった。ガタガタと舗装されていない道を走ってキャビンの中も大きく揺れる。お尻に響く衝撃をなんとか緩和しようと何度か座り直す。その度に目の前に座る男が睨みつけて瑠奈を警戒しているのが分かる。
窓から外を覗くと森の中を走っているらしく、鬱蒼とした木々が後ろへ流れていく。もしこの中へ入ってしまえば逃げ切る事もできるかもしれない。
「夜のこの森は危険ですよ。狼だけではなく、人を食らう魔物も出ますから。」
「ま、魔物っ?」
姉の声が上擦ってその聞き慣れない単語を繰り返す。映画やテレビの中の魔物はどれも恐ろしい物ばかり。自然とそういう類の生物を想像してしまって体が強張った。
「そんなのっ、作り話に……きゃぁっ!」
魔物なんて作り話に決まっている、そう返そうとしたとたん車の中で起きたのと同じ大きな衝撃、馬の悲鳴に似た鳴き声が聞こえて乗っているキャビンが横転した。
横転どころじゃない、何回転もしたように感じた。ぐるぐるとキャビンが回転してその度に体を強く打ち付けられた。
気がつくとキャビンが崩壊していて木の破片が辺りに散らばっていた。瑠奈は大きめの木の板の下敷きになっていたが、軽い材質だったので簡単這い出る事が出来た。立ち上がるとお気に入りのワンピースの至る所が破れて赤が滲んでいた。
どうして自分がこんな目に遭わないといけないのか、本当なら今日は家族で楽しく食事をしている予定だったのに。
瑠奈は視界が涙で歪むのをぐっと堪えて辺りを見回し片割れの姉の姿を探す。こんな時にこそ二人で協力しなければいけない。
姉はすぐに見つけられた。瑠奈が倒れていた場所からそう遠くない位置に倒れていた。瑠奈は足をもつれさせながらもかけよった。
「っ……!」
そのすぐ傍には一緒に乗っていた老人と男が倒れていた。その二人は見た瞬間にもう助からないと分かった。馬車の破片が頭を貫いて、体を貫いて、血溜まりの中に倒れていたからだ。
それを視界に入れないようにかけよって声をかけた。パッと見た所姉に外傷は無さそうで安心した。
瑠奈に声をかけられて美奈は頭を強く打ったのか、手で額を抑えて小さく呻きながらゆっくりと体を起こした。
「お姉ちゃん大丈夫!?今のうちに逃げよう!」
「一体何が……ひっ、っ……ぁ……」
姉に声をかけるが、近くに転がる死体が目に入って顔を青ざめて固まってしまった。老人の頭には馬車の部品であった鋭い木の破片が顎から上へ突き刺さり、目は閉じられる事もなくこちらをじっと見つめている。美奈はその老人と目が合ってしまって目を逸らせないでいた。
「お姉ちゃん!」
「あ、……、あ、あんたよく平気で居られるわね!?……目の前で、人が死んで!子供も死んで!こんな知らない所に連れてこられて!どこにもいく所もなくて!私達はここで死ぬしかないのよ!」
ここに来てこのタイミングでストレスが爆発してしまったらしい。涙を流しながら大声で喚かれて瑠奈はぎゅっと拳を握った。自分だって平気なわけじゃない。けれど、二人でなんとかしないと、本当にこのまま死んでしまうかもしれない。
私だって全て諦めて泣いてしまいたい。けれど、そんな事をして何になる。
「私は、こんな所で死ぬのは嫌!お姉ちゃんと一緒に生き――」
『ま、魔物だー!!!!!!!』
別の遠い場所から叫び声が聞こえた。それと同時に耳を塞ぎたくなるような悲鳴、叫び声、怒声。暗くてわからないが、先ほど一緒にいた人たちが襲われているのだろう。瑠奈は姉の腕を掴んで無理やり立たせる。
「立って!逃げるよ!!!!!!」
「どうしてっ……こんな事にっ!!!!!」
「私だってわかんないよ!」
悲鳴とは逆方向に向かってひたすら走った。後ろに聞こえる悲鳴から少しでも遠ざかるように、振り向かずに走る。履いていたパンプスが脱げても、石を踏んで足の裏に刺さっても、後ろに死が迫ってると思うと足は痛みを感じずに動き続けた。
森の中をくねくねと、葉っぱや木の枝が二人を傷つける。だいぶ離れた気もするし、まだそんなに離れてない気もする。
「ッ、はぁっ、はぁっ、も、もう、無理ッ!」
「お姉ちゃんしっかりして!逃げないとッ!」
先に足を止めたのは美奈だった。瑠奈が手を引っ張ってもその場に座り込んで動かない。
「お願い、もうちょっとだけ頑張ってよ!」
「もう、大丈夫でしょ……。悲鳴も、聞こえなくなったし……。」
肩で息をしてボサボサになったブロンドの髪をかきあげる。髪も顔も身体中傷だらけで泥だらけだった。美奈の身につけているジーンズも所々破けて見える肌からは血が滲み出ている。お互いにボロボロだった。
「魔物だとか、狼だとかいうのも、ここまでくれば……」
ガサリと目の前の草むらをかき分けて黒い影が姿を見せた。
2つの金色の光をこちらに向けて、一歩ずつこちらへ歩いてくる。
『ぐるるるるっ!』
月明かりの下に現れてやっとその姿がはっきりと見えた。
牙を剥き出しにして大きな口からは涎を垂らして、金色の鋭い瞳を二人に向けている。
少しでも動けば、飛びかかってくる。本能でそれが分かった。おそらく二人の血の匂いで興奮しているのかもしれない。ポタポタと地面に涎を落としてゆっくりと近寄ってくる。
息すら満足に出来ず、自分の少しだけ開いた口からヒューと乾いた空気が吐き出されるのが聞こえた。
再び狼の背後の草むらが揺れて1匹、また1匹と黒い影が姿を見せる。狼は群れで行動する。きっと二人はもう囲まれているのだろう。
本当にここで死ぬしかないのかもしれない――
トンと背中を押された。
「えっ……」
前のめりで倒れ込んだ瑠奈に向かって狼が一斉に牙を剥き出しにして襲いかかる。
せめて痛みは一瞬で終わってほしい。目を固く瞑って狼の牙を待った。
『キャウンッ』
『ヴ――――――!』
しかしいつまで立っても来るはずの痛みはなく、代わりに狼の鳴き声と威嚇の声が聞こえた。恐る恐る目を開けて見ると目の前にいた狼は消えてなくなっていた。それどころか周りに居た狼達も消えていた。
そして姉の姿も――。
ポタッ――ポタポタッ――
雨でも降って来たのか頬に水が当たった。それを指で拭って見ると生暖かくて、赤黒く――。
ゆっくりと見上げた。
「ひっ……ぁ……。」
狼が舌を出して白目を剥いてこちらを見下ろしていた。息絶えている。今もなおボタボタと血を流している狼のしたいは、巨大な蛇に咥えられていた。
目の前の光景に竦み上がって悲鳴さえあげられなかった。狼ですら自分より大きかったのに、それを遥かに超える巨大な蛇。その蛇はパクリと大きな狼を一飲みにして、まるで唇を舐めるかのように赤い舌で口の周りをひとなめした。ごくりと喉元を狼が通ったのが見えた。
あぁ、狼に噛み殺されるよりは痛くないのかもしれない。
巨大な蛇を前にして瑠奈の思考は止まった。
蛇は大きな口を開けて上から瑠奈を一口で口に入れた。
蛇の生暖かい口の中で、何も見えない闇の中で、先ほどの死んだ狼と目があった気がした。