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ドラゴンの悔い

ある日茜は会社で、突然明日の取引先との会議にてプレゼンテーションをお願いされる。全く準備していなかった彼女は急いで準備に取り掛かるも、アルにそれを見咎められることになる。

ピピピ……ピピピ……

「うーん……」

 朝6時。耳に障る電子音が鳴り響く機械を手探りで止め、もう一回布団に潜り込む。いけないいけないと思いつつも、瞼は段々と下に下がり、意識が微睡の中に落ちてゆく。

 と、その時、

「んー?なんですかこの不快な音は……というか茜さん、起きないといけない時間では?」

 耳に届く聞き覚えの無い声。いや、思い出した。

「もーちょっとだけ……あと5分……」

「あなた、昨夜色々愚痴ってましたけど、あなたの会社、遅刻したら給料引かれるんですよね?もう4回も引かれた、とか言ってましたけど、毎日がこんな感じなら当たり前じゃないですか?」

 その言葉で一気に目が覚醒する。

「あーはいはい。私が悪うございました。こりゃあもう寝坊はできないな……」

 まあ寝坊が無くなるのならそれはいいことなんだけど。私はのそのそと立ち上がり、顔を洗ってテレビを付けながら朝食の支度をする。

「そういえば。」

「んー?」

 お湯を沸かしているところにアルが口を挟む。

「僕、こんな姿だから人目に晒されるわけにはいかないんですけど……日中は、何か家事とかした方がいいんですかね?」

「うーん。私としては、いてくれるだけである意味癒やしだからいいんだけどね。まあ、してくれたらありがたい的な感じかな?」

「いや、にしてもこの散らかった部屋は……」

 アルが辺りを見回す。ファイルが机から雪崩を起こしており、本棚に戻される見込みの無い本がそこら中に散らばっている。ゴミは辛うじてゴミ袋に入れられてはいるが、分別も碌にされていない始末だ。

「いやー何しろ、職場があんなもんだからね。部屋の掃除にまで手が回らないのよ。」

 食パンを齧りながら、部屋の惨状を改めて実感した私は、確かにこのままじゃいけないとも思い直す。

「ま、そのうち機会ができたらね。」

「それ、絶対やらない人の常套句じゃないですか……」

 眉をひそめるアルを尻目に、私はスーツを来て玄関に立った。

「じゃ、さっき言ったように掃除はしてもしなくてもいいから。あ、言っとくけど、あんま外には出ないようにね?また追いかけられたら次はどうなるか分かんないし。」

「分かってますよ。流石に僕もそこまで頭固い訳じゃないですから。」

 わざわざ玄関まで見送りに来てくれて、靴箱と比較しても小さい、ちょこんとしたその出立ちがまた愛らしい。私は思わず、そいつのほっぺを掴んでぐりぐりしてやった。

「なっ……!?ぬあにぃうぉ……?」

「いや、帰りにチーズ買ってきてあげようかな〜と思っただけ。」

 すると、アルが急に顔をしかめた。

「どうしたの?」

「なんか……あなた口臭いですよ。」

「え、嘘!?」

 慌てて私は手で口の前に囲いを作り、自分の息を確かめる。

「うっそで〜す。なんか急にほっぺたいじられたんで、仕返しにと思って。」

 うん、ちょっと初めてコイツに殺意湧いたわ。どうしてやろうか、この小動物。

「全く。やっぱお土産チーズやめるわ。今夜はまた野菜炒めにしようかな。」

「え、ちょっとそれは!待ってください考え直して!」

「じゃーねー。」

 奴の言葉を聞き終わる前に、私は職場までの道へ歩き出していった。

「ふふっ……」

 その足取りは、何故か今までのどれより遥かに軽やかで、思わずスキップしてしまうかと思うほどだった。


 今日も今日とて部長からの罵詈雑言に耐え、やっとのことで昼休憩になった。と言っても20分ぐらいしか無いものではあるが。

「センパイ、隣いいですか?」

 コンビニで買った弁当を食べていた私の横に、シュッと音を立てるかのように参上した安ちゃんは、手に布で包まれた弁当を持っていた。

「いいよ。っていうか、あなた毎日手作りなの?」

「ええ!最初は私もコンビニとかでだったんですけど、関ちゃんに食生活見直した方がいいよって言われて、それからは毎日早起きで作ってるんです!」

 関ちゃん、とは安井の彼氏、関口智也のことだ。安ちゃんの口からも度々惚気話を聞かされているので、彼の身辺についてもなんとなくは把握している。正直その話は聞いてて嫌味なところもあるのだが、何せこの職場。イチャついているカップルの話を聞くだけでも心の清涼に繋がるのだから不思議なものだ。

「そういえば、センパイは彼氏とか作る気はないんですか?」

「私?無いわよそんなの。こんなに長く働いて、休日まで駆り出されることもあるんだからさあ。そいつとの時間もまともに取れなさそうだし。」

「そうですかね?私は関ちゃんとは結構上手くやっていけていると思うんだけどなぁ〜」

 その時、私の頭の中にふとアルの姿が思い浮かんだ。無論、人間ではないし彼氏のような意識をしているわけでもないが。

「まあ、ペットなら欲しいかもね。」

 欲しいというより、もういるんだけどね。

「ペットかあ。確かに話せないから関係に悩むことはないし、何より癒されますよね。」

 私は思わず笑みが溢れた。人間ではないにせよ、家に帰ると何かが待ってくれているというのは心が温まるような気がする。そう思うと、安ちゃんのこれまでの言動もあながち大袈裟なものではないのかもしれないと思えてくる。

「あ、まただ。」

「ん?どうかした?」

「いや、センパイ、今日やけにニヤニヤしてるな〜と。」

 そう言われて、思わず頬に両手を当てながら朝アルにちょっかいを出したようにグニグニと回す。

 私、そんなに顔に出やすいタイプだったっけ?

「もしかして、そういう気があったり?」

 安井は悪魔的な笑みを浮かべながら、ミートボールを頬張っている。

「別にそんなんじゃ……ペットがいたらいいなって、妄想してただけよ。」

 浮ついていたのは事実なのに、私はその気持ちを隠すかのように、缶コーヒーの中身を一気に腹の中に押し込んだ。

「まあでも、いいと思いますけどね。」

「え?」

「だって今までのセンパイ、ずっと険しい顔してて、何と言うか余裕が無さそうでしたから。笑顔が増えたのは普通にいいことだなって、同期の子はみんな言ってましたよ。」

 缶を持ったまましばらく固まっていた。自覚は無かったけど、今日の自分はだいぶ今までと違って見えていたようだ。その時ふと時計を見ると、もう12時55分を指していた。

「あっ、もう5分前じゃん!安ちゃん、早く!」

「あわわわわ……センパイ、待って〜!」

 ゴミを袋に押し込み、自分の課へ走っていった。それにしてもペットねえ…恐らく、他のご家庭じゃめったにお目にかかれないような生き物だろうなあ。


「じゃ、関ちゃんに会いに行ってきま〜す♪」

「はいはい行ってらっしゃい。」

 時計を見ると、いつの間にやら午後7時を回っていた。新人だからと毎日この時間に帰れる安ちゃんに、少々の苛立ちを覚える。私だってのんびりしたいのに。そう思いながらパソコンに向き合っていると、部長が声をかけてきた。

「芦田、取引先への提案書、後輩たちと上手くまとめているようだな。」

「はい。確か明日、部長が取引先の方との合同会議で発表なさるんでしたよね。」

「ああ。そのことなんだが、芦田に任せようと思ってな。」

「え?」

 何の前触れも無くそんな役につけさせられた私は、思わず声をあげた。勿論これまでも会議に出席はしてきたが、精々がお茶出しとか相手の機嫌取りくらいだった。

「いやでも、部全体の取り組みですよね。責任者は部長なんじゃないですか?」

「部である前に、お前たち商品企画課の案件だろう?それに……」

 すると部長は私の席により一層身を乗り出してきて、

「取引先のお偉いさん方が、君のことをひどく気に入っておられるようなんだ。君ももう20代半ばだろう?そろそろ結婚のことも考えてみてもいいんじゃないか?」

 ハッハッハ……と小さい声で笑いつつ私の肩を叩きながら、その無責任な部長は去っていった。

 無論会議での進行というのはただプレゼンを読み上げるだけでなく、相手からの受け答えなども務めなければならないため、その企画全体の流れを把握していなければならない。しかし、

「あ~……そんなの把握してないよ……」

 私は新商品に関して最初のアイデアこそ出していたものの、部長から他の業務も任されていたため、そのアイデアを部下のみんなに話した後は全て任せてしまっていたのだ。

 つまり、私は今回の企画に何一つ関与していなかった訳だ。今回も部長が全て話してくれるとばかり思っていて、課で取り組んでいる企画について確認していなかった。

 勿論、確認していなかったことは私の落ち度だ。でもなんで、前日になってそれをいきなり話すのだろう?本当にこのオヤジは人の気持ちを考えないというかなんというか……。 私は思わず部長が座っている席の方をキッと睨んだが、すぐにやめた。文句を言っていても仕方ない。私は後輩の1人に声をかけた。

「今度のプレゼンに使うデータ無い?部長に明日の会議任されちゃってさ。質疑応答までしないといけないから、目通しておこうと思って。」

「え、部長がやるんじゃないんですか?」

「まあそうなんだけど、取引先が私のこと気にいってるからとか何とか言って、結局面倒くさいだけなんでしょ。」

 そう言ってパソコンを確認してもらったが、そこには1ヶ月前までの企画書しか残っていなかった。他の人へ連絡もとってもらったが、皆それぞれの用事があるのか、繋がったものは誰もいなかった。

 仕方なく、その1ヶ月前のデータを送ってもらったが、これはまだ商品の具体的な方向性が明確になったものなだけで、どうやって売り出していくのかといった方向性は全く提示されていない。とてもプレゼンに使えるとは思えなかった。

「はぁ……」

 明日に迫ってくる苦行に、私は思わずため息をついた。


「あ〜疲れた……」

 足取り重く、昨日アルを拾ったあの高架下の辺りまでやってきた。帰り道だから普段は意識していなかったけど、あのような出来事があった後に目にすると、なんだかとても不思議な感じがする。

 未だに信じられない。ドラゴンがこの世にいるだなんて。

 ひょっとしたら、今までのことは全て夢なのでは?そう思ってスマホの写真を見てみるが、家で色んな角度からパパラッチの如く撮りまくった50枚にも及ぶ写真の数々は、その中に真実をしっかりと収めている。そのどれもが上からのアングルであり、そいつの小さく、可愛らしい様をまざまざと映し出している。思わず笑みが零れる。

「本当に可愛らしい奴……」

「どうしたんですか?」

「ひゃ!?」

 突然、後ろから男性の声が聞こえ、私は思わず飛び跳ね、その勢いで壁に背中をぶつけた。

「ど、どなたですか?」

「すみません急に。芦田さんでよろしいでしょうか?私、口浦工務店の有原と申します。明日の御社との会議に出席させていただくものでして。」

「あ、どうも。」

 名刺を交換しつつ、私は部長の言葉を思い出す。もしかして、このヒトが私を気に入っているってやつ?

「あー、偶然ですね、こんなところで会うなんて……」

「それで、どうです?新商品の方は。」

「それが、まあ色々トラブルがありまして、ご期待に添えるかどうかははっきり言ってよく分からないのですが。全力を尽くして、魅力的な商品をプレゼンしたいと思っております。」

「そうですか。大丈夫でしょう。あなたの評判は弊社でも耳にします。きっとうまくいきますよ。」

「そうなんですか?ありがたい限りです。それじゃあ……」

 どこか不穏な雰囲気を感じとり、私はその場を去ろうとした。すると、

「仕事ができる女性って、いいですよね。なんというか、頼り甲斐があって。」

 先ほどよりも少し大きめの声で彼は言った。

「弊社に用件があれば、いつでもどうぞ。」

 そうとだけ言い残し、不気味な笑みを浮かべて彼は歩いて行った。なんだか気味が悪い。明日の会議の時は気をつけないと。


「ただいま……」

「あ、おかえりなさい。」

「ん?どうしたのこれ!」

 家に帰ってきて一番に目に飛び込んできたのは、床に散らばっていたゴミは全て全て消えており、ファイルも整頓され、朝の時とはまるで見違えている部屋だった。

「何だかこういう散らかってるのを見ると、掃除したくなる性分でして。 というか、覚悟はしてましたけど酷い有様でしたね。あちこちから異臭が臭ってきて、倒れたのも一度や二度じゃなかったんですから……」

「うん……ありがと。」

 普段の私ならすごーい!などと言いつつ、ほっぺたむにむにを小一時間はしていたのだろうが、今日の私にそんな気力は無かった。

「あれ?意外とあっさりしてますね。てっきりまた頬を蹂躙されるのだと思ってたんですけど。」

「やめてよそんな想像。私を何だと思ってんの?」

 どうやら向こうも察していたようだ。そしてアルはどこかそわそわした様子で言った。

「まあそれは置いといて、チーズは?」

「あ。」

 しまった。完全に忘れていた。

「ごめん、完全に忘れてた。いや、買うつもりはあったのよ?あったんだけど……」

「まあ、なんとなく予想はしてましたけど。どうせ、何か面倒な仕事を押し付けられたとかでしょう?」

「え、なんで分かるの?」

 もしやエスパーなのか?このドラゴンは。

「肩にかけている鞄が、朝より明らかに膨らんでますから。それに、あなたが責任感の強い人だということは、この一日だけでもすぐに分かりました。それで、頼まれた仕事を断れなかったんじゃないかって。」

「な、なんでそんなこと分かるのよ。」

 そのドラゴンは、台所のテーブルにべったり足をつけ、ゆっくりとこちらに歩みを進めてくる。

「昨日あなたがスマートフォンを見せてくれて、連絡用のアプリを見せてくれましたよね?あなたが席を外していた時に、あなたと話したことがある方とのトーク履歴っていうのをこっそり見て見たんですが……」

 そう言われて、私に写真フォルダを見るように言ってきた。いつ撮り方を覚えたのか、一枚のスクリーンショットが追加されており、そこには私と会社の人たちとのやりとりが映し出されている。


【高木】

『突然ごめん。高田工業の過去の商品のリスト、明日会社に持ってきてくれない?』

『いいですけど、何故?』

『部長が、ライバル会社と繋がりがある企業とは十分な仲を取り持っておけってうるさくて。』

『部長の頼みですね。分かりました。』


【安井】

『先輩、今日めっちゃイケメンの男性と話してましたよね!?彼氏とかですか?』

『会社内での話よ。ただの事務的な会話。』

『あの男性、私たちと同じ課ですよね?明日の昼休憩の時に一階の自販機の所に来るように言っておいてくれませんか?』

『もしかして二股かけるつもり?』

『違いますよ!私の同期があの男性のこと狙ってるっぽくて、アタックかけたいけど中々話す機会が見当たらないって言うから。』

『あんた、それ世間一般的におせっかいって言うんじゃないの?』

『そんなことないです。きっと上手くいきます!』

『はいはい。後でどうなっても知らないからね。』


「勝手に見てしまったことは謝ります。でも、いくらなんでも無理し過ぎですよ。課長という立場がするべき職務を越えています。」

 こいつが言いたいことは分かる。しかし今までの頑張りを一気に貶された感じがして、どこか苛立ちも込み上げてきた。

「別にいいのよ。断るのも申し訳ないし。あの安ちゃんの友達にしてもあの後なんだかんだ上手くいってるっぽいし、誰かが得するんなら悪いことは無いでしょ。」

「でも、あなたの得には何一つなってませんよね?今も、その手に持っているファイル。まだ仕事する気ですか?もう夜の9時ですよ。」

「ドラゴンのあなたには分かんないでしょうけど、人間には人間の社会ってもんがあるのよ。休みを取らせてくださいって言ったらすぐに休めるっていう訳にはいかないの。」

 眠気覚ましのコーヒー一杯を一気飲みして、私は椅子に向き直る。

「これは何ですか?」

「発表用の資料。急に明日代表として発表しろって言われたから。」

「それでこんな夜遅くに?」

 アルはパソコンの隣に尻をつけて座り、画面を覗き込む。

「ええ。これは1ヶ月前のやつだけど。」

「え、最新の物は?」

「明日皆が出社しないと分かんないのよ。でも何も見ないともっと分かんなくなるし、仕方なく、ね。しょうがないのよ。課のプロジェクトを把握してなかった私も悪いし。」

私が言い終わるかどうかという時、アルは急にパソコンの画面をバタンと音を立てて閉じた。突然の出来事に私は面食らう。

「……何?」

「嫌なら嫌ってはっきり言えばいいじゃないですか!なんでそうやって抱えこむんです?」

 語気が強い。表情があまり読み取れない彼ではあるが、間違いなく怒っているようだ。

「抱え込むって言ったって、私を頼ってくれているんだし。あんただって、頼み事くらいされたことあるでしょ?そんな簡単に断れる訳ないし、そもそも他の人にも頼んだけど断られたから、私に頼んできたってこともあるかもしれないじゃない。」

「はぁ……あなたはそれでいいんですか?」

 そう言ってアルがテーブルに持ち出したのは、2つのゴミ袋だ。

「今日掃除して出てきた、弁当やカップラーメンのゴミです。僕でも分かりますよ。明らかに栄養が取れてないです。それに……」

 そう言うと、おもむろに鏡を置いて、私の方に向けた。

「クマが出来てますし、顔色もなんだか悪いじゃないですか。これでもまだ無理してないって言い張ります?」

「……」

「あなたの責任感が強いところは、勿論長所と言えます。でも、同時に欠点でもあると思うんですよ。何か頼まれたら二つ返事でハイハイって。そのうち、絶対どこかで痛い目を見るに決まってます。」

 ああ、出た。さっきも感じたこの苛立ち。こっちの事情も知らないで外野が、しかも人間ですらないドラゴンが何か言ってる。

「何よ……あんたに何が分かんのよ!」

 なんでもいいから物に当たりたい。そう思って思わず机に振り上げた拳に走る痛みが、少しだけ平常心を取り戻させてくれた。

「こっちはね、周りの人間が楽でいられればそれでいいのよ!しょうがないじゃない、昔からそういう性格なんだから!持って生まれたものをどうやって変えろって言うのよ!?だったらあんただって私と同じ立場になってみなさいよ!」

 ああ、言ってしまった。アルは何も悪くない。私を心配してくれているのは分かっているのに。

「そりゃあ分かんないですよ。人間社会の決まりなんて。」

「だったら!」

「でも!あなたと同じような立場になったことはあります。だからこそ分かることだってあるんですよ。」

「え?」

「話していませんでしたけど……僕も王国で、1人だけ出しゃばった真似をしてしまって、そのせいで追い出されたようなものなんです。」

そう言うと、アルは少しだけ苦い顔つきになり、下を向いて話し始めた。どうやら、王子が死んだ原因はアル一人にあったようだ。



 隣国からの襲撃の直後、彼ら兵士達は一旦は安全な場所で待機していたが、その時まだ王子は1人だけ取り残されていた。それをアルが助けに行こうとしたらしい。しかし、既に城の中はほぼ占拠されており、迂闊に足を踏み入れてはならなかったようだ。

『おいアル、大人しく援護を待て!お前だけ行ってもやられるだけだぞ!』

『でも……早く行かないと御子息が!』

『あの部屋までは十分距離がある!敵が来るまではまだ待機しておけ!』

『でも、こうしている間にも王子様は……!』

 そうやってアル1人だけ、忠告も聞かずに飛び出していって王子の部屋まで辿り着いたはいいものの、

『はぁ、はぁ、王子様!』

『アルさん!敵は……?』

『大丈夫です。さあ、早く安全な所へ。』

 廊下を通って王子を運ぼうとしたところ、運悪く敵兵に見つかってしまった。

『いたぞ!王子だー!!』

『くっ……!』

 それで二人とも襲われて、王子は敵に攫われてしまい、アルは意識を失って、次に目が覚めた時には、王の前でとことんまで絞られていたという。



「僕があの時、ちゃんと指示を聞いて待っていたら、王子様は助かったかもしれないのに……!」

 歯軋りしながら拳を握り締め、私の服に涙を染み込ませながら嗚咽のように言葉を捻り出している。私に訴えかけているとともに、自戒の念もこもっているように感じられた。

「だから、あなたにだけは僕と同じ過ちを犯してほしくはないんです!自分一人だけ突っ走って、仲間を頼らないで大切な物を失うというのが、どれだけ辛いのか僕は知ってるから……。だから、どうか……」

「ごめんなさい。そんなこと思っていたなんて知らなくて……」

 ようやく私の方に向き直り、座っている私の肩ほどにしか届かない顔を上げながら言った。

「だから、一人で抱え込まないでください。部下の方達もその流れは分かっているんでしょう?今度はあなたが、少しぐらい頼ってみてもいいんじゃないですか?」

「あいつらに、か。」

 そうまで言われては、私の方も簡単には断れない。しかしながら、実際私の部下も部長の行動にはほとほと参っているので、これ以上大変な思いをしてほしくはないのだが。そこで私は、安ちゃんなら何か分かるかもしれないと、彼女に電話をかけた。

「もしもし、安ちゃん?」

『センパイ、どうしたんですか?こんな夜遅くに。』

「本当にごめん。あのさ、今度の新商品のプレゼン資料、最新の持ってる?」

『いや、あれは部長が最終チェックするからって持ってっちゃいましたけど。』

「え?またあのクソオヤジは。」

『というより、何でそれをセンパイが?』

「部長に明日いきなりプレゼンするよう頼まれちゃって。それで今日見ておきたかったんだけど。」

『いきなりですか?なんだか無理しているような……』

「ちょっと厳しいかもね。正直上手くいく自信は無いけど、流れ把握してなかったのも悪いから。なんとかしてみる。」

「え、ちょっとあなたそれでいいんですか!?」

『え、今の声誰ですか!?ひょっとして……』

「ごめんね夜遅くに!それじゃっ!」

 やはり無理そうだ。私はそれ以上の追求を避けるべく、電話を切った。

「なんでそんなこと言うんですか。部下の人たちにも協力してもらえばいいのに。」

「あの調子じゃ、とても期待できないでしょ。とにかく、今日中に出来ることはやっておかないと。」


「……っは!?」

 慌てて時計を見る。すると、針は6時を指していた。

「はあー良かった……って、準備しなきゃ!」

「ん?ああ、寝ちゃってましたか……」

 何を机に突っ伏しているんだ。昨日途中まで準備したのはいいものの、ここ最近の疲労がたたって結局眠ってしまったようだった。

「それで、結局大丈夫なんですか?プレゼン。昨日準備とか言ってましたけど、あんまり進展は無かったと思うんですが。」

「まあまあ、なんとかなるっしょ。」

 嘘だ。本当は不安でいっぱい。

「昨日あんなに言ったのに。分かってくれないなあ……」

 玄関に見送りに来てはくれているものの、

そっぽを向いてしまっている。それもまたなんだか可愛らしいけど。

「そう拗ねないで…チーズ買ってきてあげるからさ。」

「本当ですね?また買ってこなかったら泣きますからね?」

 それはそれで、とも思ったが、口には出さない。

「超音波で。」

「すいません絶対買ってきます。」



「おはようございまーす。」

「ああ、芦田。すまんすまん。昨日のプレゼンの資料、間違えて俺が持って帰っちゃってた。」

 悪びれもせずそう言いながら渡してきた資料を素っ気なく奪い取り、自分の席に向かう。

「会議まであと1時間か。どうにか1時間でこれを読み切らないと。」

するとその時、

「センパイ。」

いつのまにか安ちゃんが私の席の横をに立っていた。いつももっと遅く来るはずなのに、何故だろう?

「あのー、ちょっと会議室へ。」

そう言われて無理矢理連れてこられた会議室で、私はまたも驚くこととなる。

「え……?」

 そこには既にプレゼン用のパソコンやモニターがセットされており、何人かが慌ただしく動き回っていた。今までこんなことただの一度だって無かったのに。

 自体を飲み込めていない私に、横の安ちゃんが声をかけた。

「今日のプレゼンは私たちが責任を持ってやりますので、センパイはどうかゆっくりしていてください!」

「でも、どうやって……?資料の確認も全体でのまとめもしてなかったはずなのに。」

「昨日の夜に、いきなり安井さんから連絡貰ったんですよ。課長最近疲れてるから、私たちだけで進めてみない?って。」

「結構大変でしたよ〜。同じ課の中でも考え方が違っていたりとかして、まとめるのが予想外に難航しちゃって。」

「でも、課長は毎回こんな大変な目に遭ってるんだなって考えると、そんな苦じゃなかったですよね。」

「みんな……!」

 いつも私とは別の楽な世界に生きていると思っていた彼らだったが、その実、裏では私のことを気にかけてくれていたのだった。

 昨日のアルの言葉が頭によぎる。普段はお世辞にも頼りなく見えていた後輩たちだったが、今日ばかりは頼もしく見えた瞬間だった。

「本来は課長が責任者だったのですが、流れを把握しているという観点から考えて、本日は私たちで進行させていただきます。」

 安ちゃんのそんな触れ込みで始まった企画会議は、全くもって滞りはせず、彼ら彼女らの完璧なチームワークで切り通すことができた。


 会議終了後、ずっと廊下から見守っていた、というよりただ突っ立っていただけだった立場から、椅子で思いっきり伸びをしている安ちゃんに労いの言葉をかける。

「くぁ〜つっかれた……」

「お疲れ様。本当にありがとうね。1時間であんな準備、私には無理だわ。」

「いえいえ、センパイはいっつもこのくらいの仕事を積み上げてきたんですよね?私にはとてもとても無理ですよ……まあでも、やってて少し楽しくはありましたね。これからも、ばんばん頼っちゃってください!」

「いやそんな。仮にも課長なんだから、部下に全部任せるなんて無理よ。」

「そう言うこと言わずに〜。」

 すると、片付けを終えた他の後輩たちが続々と集まってくる。

 さっきまで緊張感に包まれていた会議室が、一気にいつもの空気に戻っていった。

「課長、今日は一発、飲みにでも行きますか!?」

「ちょっと、センパイは飲めないんだから。」

「いや、たまにはいいじゃない。ちょっとぐらいなら私だって……」

 しかし、その時私は思い出した。

「ごめん、やっぱ飲むのはパスで。」

「えー。折角プレゼンも一段落したから、昨日の彼氏らしき声を問い詰めようとしたのに。」

「ほらそんなにアルコール進めるから。あんまり課長に無理させないの。」

 いや、そういうことではないんだけど。

 結局その日も残業は変わらなかったが、いつもよりも晴れ晴れとした気分で帰ることができた。そして道中、スーパーによってジュースやちょっとしたお惣菜を購入する。

 もちろんチーズも忘れずに。


「ただいま〜」

 ドアを開けると、何やら掃除をしていたらしきドラゴンが真っ先に目についた。

「今日はなんだか声が昂ってますね。」

「うん。ちょっといいことがあって。」

「……その様子だと、どうやら上手くいったようですね。」

 どうだと言わんばかりに胸を張るでもなく、ただただほっとしているような顔だった。どうやらこいつもまた、本心から私を心配してくれていたようだった。

「うん。例のプレゼン、部下の皆が昨晩用意してくれたみたいで。おかげで助かっちゃった。」

「ほら、やっぱりたまには頼るのもいいでしょう?」

「うん……そうね。」

 私はそう言って、アルの背丈に合わせて身を縮こませた。

「あんたの言う通りだった。今までの私、少し頑張りすぎてたのかもね。」

「分かってくれました?もう心配はいらないみたいですね。」

 その柔らかな笑顔に、つい引き込まれてしまう。台所の机にビニール袋を広げながら、それぞれ食材を整理する。

「さーて、明日はひっさびさの休みだし、ちょっとばかしだらけるとしますか。」

「大丈夫ですか?今まで聞いてきた会社の状態から推測するに、休みとかあんまり期待出来なさそうですけど……」

「大丈夫だって。ほらチーズ。」

 私はそう言って、チーズの箱を3個ほど、アルの方に放り投げた。

「おおおおおおお!まさか覚えてくれているとは……」

「あのねえ……あんた私をなんだと思ってるの?」

「ちょっと抜けてる責任感の塊?」

「オイ。」

 こうして私は、小さな1匹と一緒に宴会代わりのミニ祝賀会を始めたのだった。


「なんですか?これ…あ、結構美味しいですね。」

「マジ?結構イケる感じ?」

 アルが飲んでいるのは、どこにでも売っている小さいパックに入ったハーブティーだ。ちょっとした縁があって、私も時々茶葉から淹れたりもしている。

「ハイ。これは普通に……というか、僕飲んだことあるかもしれないです、これ。」

「そうなの?ドラゴンの世界ってハーブティーも流通してるんだ。」

「あ〜、懐かしいなこれ……なんかまた飲みたくなってきちゃった。これ売ってるお店とか無いんですか?」

 そう言って、小さいパックに入ったハーブティーをすぐに飲み干してしまった。私が飲むように買ってきたものだったのに、とも思ったが別にそれはどうでもいい。

 問題は、ハーブティーの店と聞くと私が少し嫌な気分になってしまうことだ。

「まあ、一応私の実家にあるっちゃあるけど。」

「え、あるんですか?だったら行ってみたいです!向こうの世界でも、僕も結構飲んでたので。それに茜さんの親御さんの顔も見てみたいし。」

「……それなんだけどさ。」

 思い出したくもない。未だに自分でも信じられないし。

「どうしたんですか?」

「私の両親……既に亡くなってるのよ。」

「え……」


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