感情を排除した議論って、心を持ってる人間に出来るのか?
議論関係の話で出て来るこれ。
感情と理性を切り離してとかいうが。
無理だろ、絶対。
だって、人間には心があるんだぞ。
心のある人間から感情を切り離す事は不可能。
理性だけで語るなんて無理。
どうしたって感情が出て来る。
そもそもだ。
感情を切り離してってのも、相手をおちょくってる奴のセリフじゃないの?
相手を怒らせて、怒るなよという。
原因を作ってる奴が言っても説得力ないわな。
そういう奴こそ、議論なんて出来ない輩だろ。
だいたいだ。
感情を入れるなってなんだ?
良心を持たないというサイコパスにでもなれってのか?
無茶を言いなさる。
何にしたって人間に感情や気持ちはあって当然。
それを切り離したって意味がない。
気持ちや感情を含めて考えていくべきだろ。
なんで切り離せってんだろ?
出来ない事求めてどうすんの?
そんで、一番不可解なのがだ。
創作物について語ってる場合。
ものにもよるだろうが、小説なり音楽なり漫画なりといったもの。
これらは感情に訴えるもんじゃないのか?
それらを感情抜きで語れるもんなのだろうか?
語るとしたら、いったい何をどうやるのだろうか?
そこが分からない。
論文でも書きたいのだろうか?
作品を分析や解析したいのだろうか?
だとして、そこから感情を抜いてどうすんだろう?
といったわけで。
感情を抜いて議論する、ってのが全然分からん。
いったい何をどうしたいのか。
どうやればそんな事が出来るのか?
謎だ。
まあ、やってる人もいるのだろうけど。
果たしてそれは上手く言ってるのだろうか?
そういったものを見聞きする機会がないので、良し悪しも分からんが。
だとしても思う。
それ、意味があるのかと。
更に大前提としてだ。
そもそも、理性ってなに?
感情ってなに?
理性的や感情的ってなに?
それをどうやって判断していくの、見分けていくの?
こういった疑問も出て来る。
それでも議論をする人はするんだろう。
感情を抜きに語ろうとするんだろう。
ただ、それで何らかの成果が出て来るのかどうか。
それも、感情や気持ちが絡む問題を適切に扱えるのかどうか。
ただただ疑問だ。
やりたい人達がやりたい人達の間でだけやってるなら問題はないんだろうけど。
何よりだ。
感情論とか言い出すのは、自分の不利を誤魔化すために繰り出す言葉なんじゃないのか?
そう思いもするんだが。
どうなんだろ?