5.川の王と遭遇 Part 1
「※」が付いている言葉を後書きでは説明しました。
途中、優奈はクリムに出会った。
「どこに向かってるかい?」
突然声がかけられた。
優奈は目を上げた。クリムは普段に着ている服の上に、妙なルーンが描かれている鎧を着込んでいた。彼の手は赤く燃える剣を握っていた。
「仕事の制服みたいなもんだぜ」
優奈を視線に気づき、彼は説明した。
「で、どこに行くつもり?」
頬を赤らめた優奈は、リュバーヴァに言われたことをそのまま伝えた。
「ほぉ、興味深いな。一緒に行こう。どーせー小麦粉は重いから一人で持っていけないだろうし」
「助かります!」
クリムは水車を指して歩き始めた。
「……俺は魔女だって言って、すまなかった」
暫く歩くと彼が優奈を一瞥して言った。
「いいえ。怪しく見えたのがわかっていますから」
青年は鼻で笑った。
「クリムさんの仕事は何ですか?」
「衛兵みたいなもんだ」
道理で鎧を着込んでいると優奈は納得した。
「へえ、人を守る仕事ですか。素晴らしい仕事です」
「初めて言われた」
クリムは少女を妙な目つきで凝視した。優奈には、彼の目に映った感情が読めなかった。
二人は井戸や並んでいる一軒家を後ろにして、川に架かっている丸太橋を渡ってから川辺に沿って松林に着いた。暗い松林に侵入すると、優奈は何となく恐怖を覚えた。
──確かにここは気味が悪い。
優奈は迷信家では決してないのだが、やはり周りに漂う雰囲気が想像以上に不気味だった。以外にも広い川によって遮断されたこの町の部分では、優奈は孤立無援だと感じた。その上、樹間の暗闇から今にも悪霊が出そうな気もした。
身を縮ませた少女は、それが彼女自身の空想に過ぎないと、おまじないのようにぶつぶつ呟きながら、前に進んだ。
彼女はクリムが付き添ってくれたことにつくづく感謝した。誰かが傍にいてくれると、何だか心強い。
林から明るい空き地へ出ると、優奈はほっと息をついた。
夏の暖かい太陽に照らされた広い空き地では、町に相応しくない大きな二階建て聳えていた。川と接する家の壁には大きな輪が引っかかっていた。
クリムは家の入口に接近し、強くドアを叩いた。一分間何も起こらなかった。やがて家の奥から足音が響き、そしてドアが勢いよく開き、優奈の鼻を叩きそうになった。
「あ、すまん」
玄関にぼろを纏っている中年太りのずんぐりした男性が立っていた。
「鍛冶屋のクリム。親が小麦粉を注文して、息子が引き取りに来てくれるって約束……」
「覚えてるぞ」
男性が変な表情で話を中断した。
優奈は彼の顔を覗いた。男性は決して泣いていなかったのだが、眼が非常に腫れ、真赤になってしまい、ミニトマトに似ていた。花崗岩から彫られたかのような丸い顔は全くもって冷たく無表情だった。
「息子さんはどうかしたのですか?」
優奈は小さな声で言いかけた。
男性は説明せずにジェスチャーで家に招き、そして返事を待たないで中へ入った。
家は広々としたが、酷く散らばっていた。様々な道具は至る所にあり、服は台所のベンチに放り投げられてあった。男性はテーブルに峙っている汚れた食器の山の中から一番清潔に見える欠けたカップを出し、水を注ぎ、優奈に渡した。少女はカップを手に取ったが、口をつけるのを遠慮した。
「……何かあったのか?」
クリムは軋む椅子に腰を下ろして、率直に問い詰めた。
水車屋は茫然とした眼でクリムと優奈を交互に一瞥してから目を逸らし、徐に口を開けた。
「俺等は水車屋たちがヴォジャノーイと契約を結んでるの知ってるだろう。もちろん、俺も契約した。半年一回雌牛を上げる代わり、そっちは俺の仕事を邪魔しないってな」
優奈は、平民の恐ろしい噂が本当だったと悟った。背筋が凝ってしまいそうだ。
「雌牛一頭だと?お前はぼったくられたぜ。年に一回黒豚で十分だ」
クリムは片眉を上げて、ぶっきらぼうな物言いで告げた。男性が青年を見入って、拳を握りしめて低い声でヴォジャノーイを罵った。
優奈は赤面した。
「女がいるから口を慎め」
青年にそう言われると水車屋は茫然とこっくりした。
「それで今までは何とか成り立ってたぞ。牛は高いが、何とかお金を稼いで、その牛を溺れさせてた。だが最近、風車が建てられた。それで金がなくなってね」
水車屋はため息をついた。
クリムは合点が行ったように苦笑して、優奈に短く説明した。どうやら一年前に大陸では風車が発明された。悪霊などと契約しなくて済むため、すぐに爆発的な人気を得た。そしてつい最近プロトルチェ町にも建てられた。しかし風は一定的な現象ではないお陰で、水車はいまだに排斥しにくいそうだ。
優奈は同情深い目で男性を見つめた。
男性が細かく震える手で目を覆い、やがて嗄れた声で話し続けた。
「今朝あの水の野郎が──ヴォジャノーイが浮かび上がって、牛をよこせってな。当然、俺は金がないから、牛なんか買えなかった。だから、もう少し時間をくれって頼んだが、アイツは牛がないなら、息子をもらうって言って、息子を掴んで、川に沈んだ」
「俺の仕事みたいだな」
クリムはテーブルに手が置き、ゆっくり立ち上がってそう言い放った。
「川を見に行こう」
水車屋は涙脆いクルミ色の瞳を見上げた。座っている彼に比べて、クリムは熊のようにでかく見えた。
「優奈はここに残る?それとも一緒に行く?」
「一緒に行きます」
優奈は行く気満々の顔で勢いよく立ち上がった。今の彼女に魔法が仕えるのだから、それを誰かを助けるのに使えたい。クリムは愉快に微笑んだ。
三人はゆっくりと川に向かった。到着するとクリムは「浜辺で待ってろ」と命令し、水に足を沈ませ、何かを水に投げた。
「ヴォジャノーイ、出てこい」
手をラッパのように口に当てて叫んだ。
一瞬にして荒立った波は浜辺を打ち、優奈の足をなめた。そのせいで靭皮の靴はびしょ濡れになってしまった。夏というものの水が冷たく、足が痺れてきた。
「ヴォジャノーイ!」
その瞬間、優奈の手は誰かに引っ掴まれた。
「きゃー!」
優奈は叫びながらクリムに向かって手を伸ばした。
水車屋の絶叫を聞き、彼女の方に振り向く。同時にクリムは優奈を救うために走り出したが、もう手遅れだった。
誰かの手がまるで猫のように鋭い爪を出し、後ろから優奈の手や腕を刺し、そして呻いている少女を川に引きずり、川の底まで引き込まれた。必死に手足をバタバタさせ、上に上がろうとしたが、手がまるで鎖のようにきつく抑えているせいで、微動だにできなかった。優奈は助けてとでも叫ぼうとしたが、口から泡が出ただけ。
彼女は自分の下を見下ろした。彼女を引きずり込もうと、ぐいぐい引っ張る人魚三人がいた。一人は桃色のぴかぴかする尾鰭を持ち、態度や票所から見て、リーダーの様だ。違う二人は濁った青と緑色の尾鰭を持っていた。三人は人間とは異なる顔立ちを持っていた。角張った頬骨、鰓と鱗の付いている魚の尻尾。しかしそれ以外は人間の女性に似て、その上に妬ましいほど肉好きがいい。人間なのか、魚なのか、区別のできない不思議な生き物。
プロトルチェでは、人魚はルサールカ※と呼ばれる。
「私たちの妹になれ」
緑の鰭のルサールカは告げて皮肉に笑った。
当然、優奈は反対したかったのだが、声の代わりに泡が出た。そしたら優奈は全力で暴れ始めた。だが彼女を掴んでいた手が強く、びくともしなかった。
「離さない」
緑色の尻尾のルサールカが言った。
「離さない」
青色の尻尾のルサールカがオウム返しした。
「妹になれ」
「妹になれ」
優奈は焦った。肺にはこれ以上の余裕がなかった。そのままだと、水車屋の息子だけではなく、優奈まで溺死してしまう。そう思ったら怖くなった。それでもわなわな震える手足で、ルサールカたちの手足を叩いたり、蹴ったりしてみた。
やはり無理か。
──魔法を使うしかないのか。
「コピヨ」
優奈は呪文らしい音を吐き出してみた。すると握りしめている拳の中に、パチパチという音を立てながら走る稲妻と光に包まれた長く太い矢が現れた。少女はそれをすかさず桃色の尾鰭のルサールカに突いた。すると電撃のびりびりという凄まじい音が響いた。ルサールカが猛然と手を動かし、甲高く泣き始めた。
「ああああああああ!」
「貴様!」
下僕の一人はファルセットで叫ぶと同時に、桃色の尾鰭のルサールカが優奈の顔を鰭で力一杯叩いた。衝撃を食らった優奈の頭は仰け反った。優奈は泡で叫び出し、仕返しに足でルサールカを蹴った。ルサールカは手を離した。その一瞬の解放の間に優奈は光玉の呪文を唱えた。手の平に生まれた光玉を矢鱈滅多に放った末、一個が的中したようだ。それを鱗の燃える臭いが知らせた。
途端に解放された瞬間に浮かび上がって、大きく開いた口で呼吸していた。
──助かった。助かった!!
「優奈!」
クリムは少女に向かってクロールで泳いでいた。
優奈は「私は大丈夫です!」と叫んだ。
「あっ、息子さんは?」
「それを考える場合かよ。今俺等はヴォジャノーイの領域にいるんだぜ!お前を抱えたまま水にいる限り、俺はほぼ無力だ」
問いかけた優奈に舌打ちしながらクリムは怒気を含む声で答えた。同時に片手で優奈のお腹を強く抱き、急いで浜辺に泳ぎ出した。逆流のせいで半分に折り曲がった優奈は二回も川の水を飲んでしまった。
ヴォジャノーイ。優奈は確かリュバーヴァから水の王のことを聞いていた。彼は本当にそんなに危険なのか?しかしルサールカたちがあんなにも強いのなら、彼女たちの王なら尚更だろう。
その間にクリムと優奈は岸辺に到着した。彼が優奈を砂に落としてから、隣にばたんと倒れて息を調えていた。クリムが着込んでいた鎧とギャンベゾンに似た分厚いコートが隣に放置されていた。剣もその辺にあった。
「助けていた代で、ありがとうございます」
「……人を救うのは、俺の仕事だ」
優奈は微笑んだ。彼女の隣にいた青年は冷たく見えるし、物言いが少し荒々しいが、実際はとても優しいのだと、彼女は悟った。彼は森の中でも、水の中でも彼女をほって置かなかったし、一緒に水車まで来てくれた。
優奈はとてもいい人たちに出会えたのだ。
1.スラヴ神話に登場する人魚です。水の事故で死んだ女性はルサールカになると言われています。一般的に長い緑色の髪をした美しい娘です。一方、北ロシアのルサールカは、青白い顔をした醜い妖怪のような姿で、緑色の髪と緑色のぎらつく目を持ち、巨大な乳房を垂らしているとされています。
ルサールカは女性ですが、この物語には男性も登場します。名前はルサールにしました。




