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3人目の女

 鬼畜の如き終幕を迎えたジウとの恋愛の最中、近くの女子にうつつを抜かしかけていた時分に惹かれたのは隣の席の子だった。まるでさも偶然隣になったかのように書いたが、その席を選んだのは他ならぬ僕だ。僕は自らその女子とお近付きになりたくてわざわざ隣に陣取った。


 彼女は紺野あさ美アナに似ていたので、以降はアサミとする。アサミは流行のファッションや女子大生が好むようなファッションは選ばないような芯のある女性だった。女子校出身のアサミは男性経験が乏しく、良い意味でも悪い意味でも男に対する価値観が真っ新だった。否、それは男女に拘らずそうだったかもしれない。彼女は純粋無垢そのもので、繊細な感受性と大らかな心を持ち合わせていた。それでいて明るくて天真爛漫な彼女の周りには自然と人が集まるようだった。楽しいことにはケタケタと声を出して笑う人で、僕は彼女のそんな温かさに惹かれたのかもしれない。講義室での席の配置も落ち着き出すと、僕は何食わぬ顔で彼女の隣の席に移動した。男友達からは露骨だと指摘を受けたが、僕はそんな忠告もなんのそのといった態度でその席に座り続けた。アグレッシブなキモさがそこにはあった。それからしばらくは何事もなく日々が流れた。というよりその頃はまだジウと遠恋中だったので当然である。


 秋になりジウと別れるや否や、例によって粘着質な僕の猛アプローチが開始された。この時点で二度の恋愛を経験している僕は、はっきり言って恋愛そのものに相当な偏見を持っていて、その偏見のおかげ(?)で告白を断られることに恐れを抱かなくなっていた。それは女子からしたら恐怖の対象だったに違いない。フってもフっても怯むことなくアプローチし続けてくるモンスターは、逃れることのできない追尾型のミサイルのような恐ろしさがあったことだろう。僕は年が明けて彼女の心の疲労感が最高潮に達して折れるまで、何度も何度も告白を繰り返した。結果、留年したらその時は別れるという契約を交わして僕たちは交際を始めるに至った。留年云々というのは、交際開始した時期がすでに試験期間に差し掛かっていたため交際が試験勉強に悪影響を及ぼすのでは?という彼女の常識的な疑問と提案からきていた。もちろん2人で試験期間を乗り切ろうと頑張ってはいたが、頭の中はもう彼女のことでいっぱいで、抑えきれない欲望は簡単に暴発してしまい、大学の自習室の窓辺で胸を揉むという暴挙に発展した。背後から彼女を抱きしめる形で胸を揉み恍惚の表情を浮かべる僕は、あろうことか喫煙所にいた先輩に目撃され、その時撮られた写メは瞬く間に校内に拡散された。そんな事態になっているとは露知らず、僕は呑気に校内を闊歩していたが、出会う友達全員が僕のことを心の中で笑っていたのだと思うと、枕に顔を埋めて足をバタバタさせたくなるくらい恥ずかしいエピソードだった。後日、彼女の友人からちゃんと怒られた。


 試験が終わると僕たちは待ってましたとばかり遊び倒した。彼女はかなり遠方の自宅から車通学していた。ウィルサイファーという黄色い小型自動車は無邪気な彼女の雰囲気にとてもよく合っていて好きだった。彼女が車持ちということで、デートは神奈川県内だろうが都内だろうがどこでも行くことが可能だった。そんな機動力の高さに頼って図に乗った僕は、専ら彼女の運転(まだ僕は免許を取れていなかった)で遊び呆けてみせた。昔からそうだが、僕はヒモ体質なのだ。デート代こそ僕も頑張って出していたが、その頃は車を動かすのにガソリン代や高速代などの料金が発生することを知らず、その辺の支払いをしたことは一度もなかった。そして彼女に申し訳ないから急いで免許を取ろうという姿勢も特になかった。僕はプライドは高いのにヒモの生活は享受する、そういう性質のクズだった。話は逸れたが、僕たちはとにかく毎日会って遊んだ。着々と試験の結果が出始め、僕は自分でもドン引きするくらい落ちに落ちた。再試験の日程が発表されると彼女との時間は大幅に減っていった。彼女は自分との交際のせいで僕が試験を落としまくっていると本気で信じていたし、その償いの意味でも試験勉強に付き合ってくれたりしていた。もちろん僕の努力が足りなかっただけだ。彼女に非なんてあろうはずもない。緊張感漂う再試験の日々も終わりが訪れ、とうとう進級発表という一大イベントがやってくる。


 発表当日、アサミは家で待機していた。僕は単身発表の場に乗り込んだ。到着した時にはもう結果が掲示されていて、その周りを人集りが囲んでいた。僕の同期に、日本人なのにエジプト顔なので僕が勝手にファラオと名付けた男がいたが、その彼が自分の進級発表を確認して、そのままの勢いで立ったまま気絶した。一目で留年したことが伝わってきた。僕は立ったまま気絶したファラオを見て腹が捩れるほど笑ったが、実際は笑っている場合ではなかった。なぜなら僕も留年していたのだから。学務課が数字の打ち込みを間違えた説、僕自身が番号を見落としている説、これから追加の発表がある説、学校を上げての壮大なドッキリ説、悪い夢説、そもそも僕はすでに死んでいて魂だけがここにいる説、など様々な憶測が飛び交ったが答えは至ってシンプルだった。圧倒的、留年という現実。大学を呪い、教授を呪った。なぜがんばった僕が留年なんてしなければならないのかと全てを呪った。どうやら僕の学校での態度が気に食わない教授が僕を辱めるために留年させたという噂を耳にした。僕はそんな些細なことで生徒の将来を邪魔しようとする教授に殺意が湧いた。後日、親も交えた面談で僕は大学側に真相を問い質したが、回答は「3科目で赤点なので当然の措置」とのことだった。帰り道、僕は親父にブチギレられた。


 いや、そんなことはどうだっていいのだ。これは僕とアサミの話だった。留年が確定し、落ち込んだまま彼女に電話で報告した。彼女は電話口で泣いていた。そして、その晩に彼女が会いに来ると言った。彼女は車で迎えに来てくれた。ただ座って会話するのも気まずいのでひとまず湘南(なぜ真冬に湘南?)までドライブすることが決まった。道中、特に会話はなかった。夜道をひたすら黙って移動した。ちょうど湘南へ差し掛かろうという山間の車道を走っていた時、前も後ろも車一台ない状況で彼女はブレーキを踏んで突然ハンドルを切った。車は一時的に対向車線に飛び出し、しばらく進むとまた元の車線に戻った。僕は体ごとダイナミックに揺さぶられ、首が逝きかけた。事故かと思うほど突発的なドライビングテクニックに僕は驚きすぎて言葉が出てこなかった。しかし彼女はさして気にする様子もなく運転を続けているのでなぜか気圧されて黙ったまま座り直した。元来気性の穏やかな彼女にしてはいささか乱暴な運転だったように思えた。そこから目的地までもずっと黙ったままだったが、心の中ではさっきの奇行が気になって悶々とし続けていた。


 目的地(海が見える砂浜の近く)に着くと、僕はたまらずさっきのあれは何?と聞いてみた。彼女はあああれね、と言い説明を始めた。どうやら彼女は昔から霊感が強く、幼い頃から普通の人では見えない人の姿を見てきたのだという。見えることを周りの知人に教えたところで共感もしてもらえないし、奇異な目で見られるからとその霊感については他人に秘密にしてきたのだとか。で、さっきの運転の時、助手席に座る僕の直線上に子供の霊がいたので避けたのだと教えてくれた。あのまま真っ直ぐ進んでいたら僕と子供の霊が接触してしまう、それは霊的にあまりよろしくないので急にハンドルを切ってしまったらしい。なるほど、衝撃が走った。同時に二つのことを考えた。まずは霊感あったのかよ、という点。心霊現象なんて信じてもないし心底どうでもいいと思っているのに、更に霊感だと?しかも彼女が?彼女は嘘を吐くタイプではないからおそらく霊が見える話は本当なのだろう。実際に霊がいるかどうかはさておき、霊が見えるとガチで言ってくる人を初めて見たのでそこに驚いた。僕は基本的に霊感があると言いだす人とは距離を置いてきたが、彼女がそうならそれは信じるしかあるまい。だからそこは瞬時に飲み込むことができた。それは良いとして、問題はもう一つの方である。僕の真正面に子供の霊がいて、それを避けるために危険な運転をしたという話。真っ先に湧き出たのは怒りだった。彼女は「このままいけば当たる」と言った。そこで疑問が生じる。なぜ霊の野郎は車のボンネットは通過するのに僕には当たろうとするのか?霊といえばなんでもかんでも透過するイメージがある。ならほっといても僕ごと通過したのでは?なんでそんな都合よく僕だけ干渉するわけ?という怒り。そして、避けて危ない運転になるくらいならそのまま轢いちゃえよ!という怒り。霊のことは知らんけど、あの突然のハンドリングのせいでスリップしてあわや大事故なんて結末も十分にあり得たわけで、それなら直進して霊に車体でぶっ込んで欲しかった。だいたい地縛霊だかなんだか知らねえが、その場にずっと立ってるならそれまで通った車もみんなそいつにぶっ込んでるよ。それでピンピンしてるんだから路上にいる霊に対してはそれが正解なんだよ。そもそも霊なんていねえんだからよ、と僕は怒り心頭だった。もちろんそんなことは一言も口には出していない。全て頭の中で完結している。


 本題に戻ろうと思う。僕たちは真冬の夜の湘南で海を眺めながらしばらく黙って過ごした。海を見ようにも深夜だから何も見えなかった。話を切り出したのは彼女の方からだった。彼女はとても端的に「約束通り別れよう」と言った。正直、僕はそのセリフが出てくるまで甘く考えていた。たしかに付き合う時にそんな約束は交わしたわけだが、実際に留年したとなればそれは留年した本人が一番辛いわけだしそんな状態の恋人をフるなんてしないだろうとたかを括っていたのだ。そんな僕の楽観的思考は彼女の一言で瓦解した。ここに来る前から留年のことで傷心の僕によくそんな酷いこと言えるな、と頭ではイラついていたが、現実の僕は少し切なげな微笑みとともに「ああ、別れよう」と多少声を低くして応えた。せめて別れくらいは美しくありたかったのだろうか。カッコつけてる場合かい。彼女は静かに涙を流し、僕も共鳴するように涙が溢れた。外は寒く窓は白く曇っていた。僕たちはどちらからともなく自然に手を繋いだ。車のエンジン音がカタタタと鳴っていた。


 そんな2人だけの優しい時間にも唐突に終わりがやってきた。僕たちが手を繋いで悲しみに暮れていると、遠くから夥しいスケールの爆音が近づいて来るのが聞こえた。場所は湘南、暴走族の登場である。このご時世にまだこんなに大量の族がいたのかと驚き、バロロロという爆音が段々とこちらに接近してくるのが分かると、車内は一気に緊張状態に陥った。ただ静かに泣いていただけの2人は、いつしか何も音を生み出さない人形と化していた。物音を立てればヤツらに見つかる。なんで深夜の湘南で息を殺さなければならないのか甚だ疑問だったが、今は我が身を守ることが最優先である。気付けば手を握っていることの意味も変わっていた。どうやら僕らが停車していた場所は族がいつも駐車スペースにしている場所だったようで、彼女のウィルサイファーの周りに次々とバイクやら車が停められ族のみんなが降りてきた。みんなで海岸で花火でもやるつもりなのだろうか。彼らは僕たちの車のすぐ横を歩いて行く。そこで痛恨のミスに気が付いた。エンジンを切っていないではないか。寒いからエアコンをつけておくためにエンジンを掛けっぱなしにしていたことを忘れていた。そしてまんまと見つかった。族の一人が白く曇って中の見えない窓をコンコン叩いてきた。嘘だろ?拉致られるのか?と恐怖を覚えたが、むしろ今はこいつらを刺激しないことの方が優先される気がして、僕は恐る恐る窓を開けた。予想に反して族は「ねえねえ、ここで何してんの?一緒遊ぶ?」と気さくな感じだった。僕は勇気を振り絞って「すみません、ちょっとそんな気分じゃないんで大丈夫です」と断る。正直この発言のせいでこいつを怒らせないかどうかは危険な賭けだったが、族は中の二人の様子を見るや「そっか」と言い捨てて去っていった。賭けに勝てて本当によかった。もしかしたら車内で泣きながら手を繋ぐただならぬ二人を見て、ドン引きして萎縮したのかもしれない。なんにせよアサミとの恋はそんな風にして幕を閉じた。

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