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2人目の女

 高3になるといよいよ受験本番の空気が流れ始めた。予備校には大学受験に命を賭ける猛者たちがわらわらと入塾してきた。そのほとんどは推薦での受験を試みる人生設計の上手な人種で、高1の段階から学校の成績も優秀という怪物集団だった。つまり僕とは真逆の人々だった。当然話も合わなきゃ気も合わない面子だったが、その中に一際優秀でさらに綺麗な女子がいた。韓流スターでいうところのチェジウに似たその子のことを仮にジウと呼ぶことにしよう。ジウは帰国子女で英語ベラベラであり、その他の科目も軒並み上位ランカーという猛者っぷりで塾長からは絶大な信頼を勝ち得ていた。ちなみにこの塾長はお気に入りの女子しか面倒を見ないクズおじさんで、僕とはお互いいがみ合う最悪の関係性だった。塾長と生徒がそんな関係でいいのかよと今でも思う。ともあれジウは成績優秀だったため受験に対してもいくらか態度に余裕があった。僕はそんな彼女に強く惹かれ、一目惚れした。


 とにかく猛烈にアプローチした記憶がある。例によって粘着質な絡み方で相手に嫌われないように外堀を埋めていき、君にしか見せたことないよ的な心の弱さみたいなものをチラチラと小出しにして母性をくすぐり、玉砕覚悟で猛アタックを繰り返した。ちなみにアイと同じ予備校なので当然その恋愛模様をアイは目の当たりにしていたわけだが、そんなことを気にする僕ではなかった。とにかく目の前の恋愛に全力を注ぎ、ちょっと注ぎすぎて勉強はかなり疎かになったが気にも留めず、来る日も来る日もアタックし続けた。そしてその努力は身を結ぶことになる。余談だが受験の結果、ジウは推薦で志望校に合格、僕も一般入試でなんとか現役合格を果たした。驚異的に運が良く、当時に限っては頭も良かったのかもしれないが、あれだけ恋愛なんかにうつつを抜かしといて合格できたのは奇跡としか思えない。僕の人生最大の功績である。


 彼女は僕のことを大変甘やかした。その頃の僕は厨二病全開でまともな思考ではなかったし、自分勝手で利己的な真性クズ野郎街道まっしぐらだった。そして彼女の甘やかしはそんな僕のクズ度合いを軽く5段階は引き上げた。当時の僕と親しかった友人知人は僕の何が好きで一緒にいたのだろうか、そんな疑問も出てくるくらいダメな奴だった。これは確実に黒歴史だが、ある日友達とランチした後にジウと待ち合わせたことがあった。待ち合わせの時間はとっくに決まっていたし、なんなら僕から言い出したっぽい感じだった気がするけど、そんな約束もほったらかして僕はその友達となぜか映画を観ることになった。意味わからん。映画が終わって携帯の電源を入れると、鬼のようにメールが溜まっていて、その全てがジウからのものだった。彼女は心配しまくりでメールの文面も焦燥が伝わってくる感じだったが、最後の一通は「もういいよ」みたいな諦めの文言で、あろうことか僕は完全に自分が悪いのにも拘らず電話で逆ギレした。そしてちょっと反省して彼女の家に行き謝るも、彼女の怒りはすでに最高潮だったためなかなか許してもらえないことを察するや、18歳の男が大声で泣き喚く始末だった。文字に起こすと鳥肌が立つくらいキモいことに改めて気付かされる。号泣する僕は彼女にそっと抱きしめられ、その時心の中でよっしゃ!と思ったかどうかは敢えて記さないでおこうと思う。普通なら即刻別れるレベルの暴挙だが、彼女は決して見捨てたりしなかった。そういう事が何度かあると(何度もあったんかい)、だんだん僕は彼女の優しさに身を委ねるようになり、目に見えて図に乗り始めた。僕の中のクズの側面が急激に成長していくのを感じた。


 ジウと初めて手を繋いだ日のことを覚えている。渋谷松濤にあるスーパー銭湯の前に差し掛かった時、僕は勇気を振り絞り手を差し出した。ジウはその手が宙で彷徨う前に捕まえてくれた。松濤の銭湯前の通りは二人にとって記念すべき場所になった。そしてそれから半年ほど経過したある日、彼女の家でテレビを観ていたら銭湯の爆発事故のニュースが流れてきた。場所は渋谷区松濤、あのスーパー銭湯だった。思い出の場所が爆発霧散するという事実はかなり衝撃的だった。僕たちはそのニュースを見ながらそっと手を繋いだ…かどうかは覚えていない。ぶっちゃけ初めてのキスや告白した場所のことなんて思い出せないが、この強烈なエピソードのおかげで初めて手を繋いだ場所だけは未だに忘れることができない。


 前述の通り僕は一人目の女・アイとの性交渉に失敗しているので、ジウと付き合った時ももちろん童貞のままだった。そして意外や意外、ジウも初めてとのこと。願わくば初めては初めての人同士でしたいもの。僕はコンドームビローン事件により純血を守り抜いたおかげで、奇しくも初めて同士の初体験を迎えることが叶ったのだ。これは三重に嬉しかった。僕に初めてを捧げてくれることも、童貞の彼氏というダサい肩書きが霞む気がすることも、良い意味でちゃんと遊んだり経験豊富に見えた彼女が実は初めてなんだというギャップ萌え的な安心感も僕を優しい気持ちにさせた。なんとなく話の流れで初夜は彼女の家で開催することが決定した。前日は真面目に性について勉強した。僕も恥をかきたくないし彼女に恥をかかせたくないしでそれはもう熱心にネットサーフィンした。薬局でコンドームを買う時、ふとアイとの漫喫での苦い思い出がフラッシュバックしたが、あの時の情けない男はもう死んだのだと言い聞かせて己を鼓舞した。茶色の紙袋を受け取った僕の佇まいは、もう経験者のそれに近いものがあったのではないだろうか。まだ童貞のくせに。そしてなんだかんだでお互いあれこれと悩みつつも初体験を迎えたわけだが、伏兵はいつだって見えないところに潜んでいるものなのだ。二人の距離は限りなくゼロに近付き、今まさに宇宙が始まろうというタイミングで呪文みたいな喋り声が聞こえてきた。当時の彼女はマンション住まいで、彼女の部屋のすぐ隣には怪しい外人が住んでいた。VISAもパスポートも持ってなさそうな風体の国籍不明のその男は、なぜかその日から夕方になるとこちらの壁に向けて何語か分からない言語で何かを唱えるという迷惑千万なルーチンを始めた。祈りだか呪いだか分からないその儀式はおよそ20分程度を要した。ひょっとしてこいつこちらの動向を知っているのでは?と勘繰ってしまうくらいドンピシャのタイミングで儀式は始まり、結局彼女との愛のひとときは奇怪なBGMとともに幕を閉じた。パブロフの犬の原理で、それ以降謎の呪文が聞こえると自然にムラムラするようになってしまったというのは今思いついた作り話だ。僕は彼女を抱き締めて愛を誓いつつ、イスラム教圏のターバン巻いた人々の五体投地を思い浮かべて眠りについた。


 ジウには両親がいたが、父は病床に伏しているらしく長らく入院生活を送っていて、実質母子家庭だった。母はファッション系の会社の社長で、時折部屋に画商や宝石商が膨大な資料を引っ提げて訪れていた。シャネルやプラダがジウの母に深々と頭を下げるのを見て、ただの娘の彼氏というだけの僕も偉くなったような気になったものだった。実際に目の前で億に近い取り引きが交わされたこともあり、金持ちってマジハンパねえなと貧しい語彙力で驚いた。そんな風にジウ家を出入りする者の中に、オカさん(仮称)という画商がいた。オカさんははっきり言ってイケメンではなかった。二つの意味で脂の乗った大仁田厚を彷彿とさせる中年男性といった風貌で、ビール腹だし髪はちょっと不潔だし見た目こそ悪いおじさんだったが、無関係の僕にも優しく接してくれる度量があり、仕事の面でジウ母から絶大な信頼を獲得していた。しかしいくら中身が優しかろうが、思春期の女子高生にとってみればただの小汚いおっさんでしかないようで、ジウからは露骨に避けられていた。そしてそのオカさんに対する評価が劇的に変わる瞬間が訪れることになる。学校帰りにデートを済ませ、あとはお家で!のテンションで帰宅した彼女と僕は、無人の家に入りリビングでひと休みするところだった。ふと気になって母の寝室に近付くと、あろうことか母の激しめの喘ぎ声が聞こえてきた。もちろん聞きたくなかった。それに不在のはずの時間帯になぜいるん?という疑問も浮かんだが、本題はそこではなかった。誰と?が最優先事項だった。僕たちは隠密且つ迅速に家から撤退した。離脱の際に玄関に見慣れた男物の革靴を発見した。母の情事の相手は画商のオカさんだった。


 家から二駅分くらいは歩いた気がする。その間、お互いに一切喋らなかった。言うまでもないがジウ母は離婚していないからオカさんとの蜜月は不倫だ。ようやく口を開いた彼女の最初の一言は、あいつ殺してやりたい、だった。僕もそれには概ね賛成だった。彼女の心中は察するに余りある。実の母が闘病中の父を裏切って小太りのおっさんと不倫。しかもそれを目撃(実際には目撃ではなく盗み聞き)するという悪夢。まさに地獄絵図である。僕としてもあの時の正解の行動は『逃げる』ではなく『飛び込んでいってオカさんを殴る』だったかもしれないと思ったが、よくよく考えたらそれはやり過ぎだしそもそも僕は本件とは無関係の立場なので最悪訴えられてもおかしくなかったと思い至り、自分の度胸の無さを初めて讃える運びとなった。それはさておき、彼女はショックと悔しさでなかなか立ち直れそうになかった。代官山の駅前で彼女は大粒の涙を流した。最終的にオカさんは色々あって姿を消したが、ジウ家にはたっぷりと禍根を残していった。今でも大仁田厚を見るとオカさんのギトギトの笑顔が連想される。


 やがて高校生活も佳境に入ると、彼女も僕も大学への進学という大きな分岐に立つことになる。彼女はプラン通り早々に推薦のチケットを手に入れ、危なげもなく受験を終えた。そして彼女は春から福岡に行くことが決まった。遠恋である。堪らず僕も後を追う形で福岡の大学を受験するも余裕の足切り、しかし現役生としてなんとか神奈川の大学に食らいついた。大学生と浪人生のカップルという微妙な関係になることは回避できたものの、福岡と神奈川というなかなかの遠距離恋愛は覆せなかった。周りからは遠恋なんて不可能だから早めに別れて新しい恋を探せと勧められたが、僕は男としてそんなことは絶対できぬと突っぱね、だが徐々に寂しくなってくると新生活の中で新たな恋の種を探し出す始末だった。こうしてジウとは少しずつ疎遠になっていった。


 ここからは畜生にも劣る悪魔的エピソードである。出会いがあれば別れもあるとはよく言ったもので、永遠とも思われたジウとの恋にも終わりは訪れた。遠恋が続き、お互いの生活が新しいものへと変わると、心のすれ違いは目に見えて多くなっていった。遠恋の場合、喧嘩の後のフォローが極端に遅くなるという傾向があり、さらにその時生まれた寂しさなどの負の感情の行き場は近くの誰かになりがちだった。彼女が向こうの大学で男友達と親しくしているような話が出るたびに嫉妬して烈火の如く怒り問い詰めたが、そんな時は僕もこっちで女友達と遊んでみたりお喋りしたりと好き放題やっていたのだから呆れるばかりだ。どの口が怒ってるんだと。嫉妬や怒りは自身の行動の後ろめたさから来ていたに違いない。つくづく器に小さき男よ。そんなこんなで心が離れていくと、自然な流れで別れ話になる機会が増えた。そんな冷え切った関係の最中に、まさかの海外旅行が企画された。


 タイに行こう、と言い出したのはジウ母だった。そして瞬く間に母、姉カップル(彼氏はイギリス人)、妹、ジウ&僕の6人でのタイ旅行が決定した。当時の僕は小遣い稼ぎでジウ妹の家庭教師のバイトを請け負っていて、タイ旅行はその御礼だとのことで全額奢りという太っ腹だった。社長ハンパねえな。余談だがジウ妹は、大学卒業後に芸能界入りを果たすことになる。あの小栗旬主演のドラマにもチョイ役で登場していた。つまり可愛いのだ。で、別れ話をした直後ではあったがそこはもうタイへの欲が圧勝したことで、一旦は別れ話保留の決断が下り、ギクシャクしたまま海を越えることとなった。愚の骨頂とはこの時の僕のために作られた言葉だと思う。気まずい空気のせいで満足に楽しめないと思いきや、タイの陽気はネガティブオーラを簡単に吹き飛ばした。散々はっちゃけて、というかはっちゃけ過ぎて高熱にうなされ、懸命に看病してくれたジウのことが突然愛おしくなった僕は、タイのホテルで彼女の体を抱き締め耳元で「愛してるよ」と囁いた。あまりのキモさに嘘だと思いたい自分がいるが、これはマジだ。そして嬉しさのあまり泣き出す彼女と熱い抱擁を交わしてその夜は大いに盛り上がった。ちなみに部屋割りは完全に男女で分けられていたので、隣のベッドでイギリス人が寝ている状況なのはプチ情報である。そんなこんなで二人の関係は完全に修復したかに見えたがしかし、日本に近づくにつれ現実が甦り出し、最終的に成田空港からの電車の中で別れを告げるに至った。だったらあの抱擁はなんだったんだよと問いたい。僕の人生におけるクズエピソード、堂々の第2位である。そしてジウは僕から振った最初で最後の女となった。あんなに献身的で優しい彼女をコケにした僕は確実に地獄へ堕ちるだろう。


 後日談。彼女の姉御的存在の親友からmixiのメッセージで「初めまして、死ね」的なブチ切れられ方をした。当たり前だし僕がこの人の立場でも同じことをしたと思う。僕はビビってmixiを退会した。そしてジウ本人はというと、それから数年後のある日、予備校の同期で集まろうみたいな機会がありそこで久しぶりに再会。彼氏はいるの?との質問に、クラブでナンパされて付き合うことになって今度結婚して彼と一緒にアメリカに留学するのと答えていた。色々と衝撃的だったが、一番印象的だったのは、ナンパしてきた彼がイチゴ農家だという点だ。ここまでパリピでワールドワイドなイチゴ農家がこれまでいただろうか。とにかくそんな風にしてジウとは終わった。心の底から幸せになっていただきたい。


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