五話 魔人、指摘する
それが、自分の記憶ではないというのは、すぐに理解できた。
『聖女様!! どうかこの村をお助けください!!』
『聖女様!! どうかあの憎き魔獣を倒してください!!』
『聖女様!! どうか我らと共に戦ってください!!』
誰も彼もが、聖女、聖女、聖女と叫んび、助けを、救いを、導きを求めていた。
聖女とは、神に選ばれた者。故に、神の代行者。だからこそ、自分達を助けて欲しいと皆が言う。
そこに、聖女個人の考えなどない。彼女は、聖女としての役割を果たすために、いつも笑顔を浮かべていた。
『流石聖女様!! あの盗賊たちを一人で倒すとは!!』
『流石聖女様!! 魔獣の群れを一網打尽にするとは!!』
『流石聖女様!! 味方の犠牲を一人も出さずに勝利するとは!!』
賞賛の声がそこら中から聞こえてくる。彼らは心の底から喜んでいるのだろう。
流石聖女様。それは褒め言葉であり、決して貶しているわけではない。
しかし、やはりそこには彼女個人への賞賛はなかった。どれもこれもが、少女にではなく、聖女への言葉。
誰も彼女を見ようとしない。
誰も少女を認識しようとしない。
そして彼女も、少女もそれが当然だと思っていた。
皆が求めているのは、自分ではなく、聖女。故に、自分という個人を見ないのは当たり前。
けれど、だからこそ、彼女は求めた。
自分という存在を曝け出してもいい存在を。
ありのままの自分を、受け入れてくれる存在を。
そして、それはいつも彼女の近くにいた。『彼』がいてくれるからこそ、彼女は彼女のままで在り続けられた。
それ即ち、彼女の支えに他ならない。
けれど、だ。彼女は支えてもらうばかりで、『彼』を支えようとはしなかった。
だからこそ。
彼女は、自分の大切な人を、失ったのだった。
それは自業自得。当たり前の結果。どんなに立場で苦しんでいても、他人を思いやれなかった彼女が悪い。そのはずだ。
故に、だ。
絶対に、同情することなど、有り得ないのだ。
*
「―――ねぇ、聞いてるの?」
言われて、バリーはぼんやりとした思考をはっきりとさせる。
「ああ悪い。ちょっとぼうっとしてた」
「さっきからずっとそれなんだけど」
「悪いな。それで、何の話だった?」
「だから、後どれくらいでセシルに追いつくか、具体的なことはわからないのかって話。この街にはいないんでしょ?」
言われて思い出す。そういえば、そんな話をしていた。
場所は宿屋の食堂。時刻は昼過ぎである。
二人は既に、とある街へとやってきて、一晩泊まっていた。しかし、この街にはセシルはいない、というのはマックの様子から見て、分かっている。
だからこそ、カタリナはいつ出会えるのか、それを知りたがっているのだろう。
「悪いが、そこまでは把握しきれないな。マックは確実にオマエの幼馴染を追ってるが、それが後どれくらいの場所にいるのか、なんてのは流石に知りようがない」
「そっか……まぁでも、セシルに近づいてるんなら、それだけでも今までとは大違いだし、いいんだけど」
「何だ、怒らないのか? 『そんなことも分からないの? 使えないわね!』と言われるとばかり……」
「……言わないわよ、そんなこと」
意気消沈、といった具合に顔を伏せるカタリナ。
少し茶化す程度のつもりで言ったのだが、流石に今のはまずかった、とバリーは反省と共に謝罪の言葉を口にする。
「すまん。今のは意地が悪かった」
「別に……いいわよ。アンタは私の記憶を見て、私がどういう人間か、分かってるんだから。そういう反応するのも当たり前だと思うし」
「まぁ、そこは否定しないな」
「……私が言うのもあれだけど、アンタも結構デリカシーないわよね」
「当然だ。オレは魔人だぞ? 普通の人間の感性をしてるわけねぇだろ」
それは確かに、と心の中でカタリナは同意する。
「でもまぁ、やっぱりアンタのことをとやかく言える立場じゃないしね。私、最悪の女だし」
「今更自己嫌悪か」
「今更じゃないわよ。ずっとしてるわよ……セシルがいなくなってからずっと」
人間という生き物は、失ってから初めて多くのことに気付くものだ。今回の場合、カタリナはセシルに絶縁されたことにより、己のことを見つめ直すことができた。結果、自分が最悪なことをしてきたのだと理解したのだ。それは、ある種の成長と言えるのかもしれない。
「オマエは、幼馴染との距離が近すぎたんだよ。んでもって罵倒混じりの言葉が当たり前になった。だから、自分が相手を傷つけていることすら自覚できなかったってわけだ。度が過ぎたツンデレっていうのは、どの世界でもアウトだからな。いや、この場合、デレがないから完全なツンツンなのか?」
「訳わからないこと言ってんじゃないわよ」
指摘されながらも、バリーはニシシッと笑う。
「取り敢えず、アレだ。いつまでもうじうじしてんなよ。オマエは中身はアレで性格はどうしようもない奴だが、容姿とスタイルだけは最高なんだから。そんな暗い顔ばっかしてたら、唯一の美点が台無しになるぞ」
「アンタって、ほんっと一言多いわよね。慰めたいの? それとも貶したいの?」
「さぁな。ご想像にお任せする」
バリー自身、彼女をどうしたいのか、正直なところ分かっていない。慰めたいわけでは決してない。だが、ぐちぐちと欠点を言って貶したいわけでもない。どっちつかずの状態。だからこその、返答でもあった。
「……けどまぁ。正直なところ、アンタには感謝してるわよ」
「なんだよ、突然。褒めても何もでやしないぞ」
「そんなつもりで言ってないわよ。ただ思ったことを言ったまでよ」
「と言われてもなぁ……別にオレはオマエのために行動してるわけじゃねぇぞ? ただ契約だからオマエの幼馴染を探してる。それだけなんだが」
「いや、それもそうなんだけどさ……こうして、正面切って私の悪いところを指摘してくれる人って、誰もいなかったから」
彼女は聖女だ。力も地位もある。そんな人間に、あれこれ指摘できる人間は、そう多くはない。そして、指摘されるにしても、それは聖女としてであり、彼女個人へのモノではなかった。
唯一、カタリナ自身に言葉をかけていたのはセシルだけだ。しかし、当時の彼女は、彼の言葉をまともに聞く気など毛頭ない。故に、どれだけ指摘されても、別にいいや、という感じになってしまっていた。
「もしも、もっと前にアンタみたいな奴と会って、自分の悪いところを早く自覚してたら、セシルとこんなことにならなくて済んだのかな……」
幼馴染ではなく、一定の距離を置いた存在。そんな者からの指摘。それがあれば、今のような状況は無かったかもしれない。
しかし、それは結局のところ、憶測でしかないのだ。たらればの話をここでしたところで、無意味なのは彼女も承知の上だろう。そもそも、以前の彼女がバリーのような男の言葉に耳を貸すとは到底思えない。それこそ、一蹴して終わりだっただろう。
けれど、それでも、と思ってしまうのは、彼女がある意味変わったから、とも言える。今更遅い、という意見もあるだろう。それは否定しないし、できない。けれど、それでも現状から一歩前へ進もうと、彼女は努力している。
そして。
「カタリナ様っ!!」
そんな少女の名前を呼ぶ声が、食堂に響き渡ったのだった。