二十三話 聖女、焦る
それは今から二ヶ月前のこと。
リーゼは森の巡回中に、セシルに会ったという。最初、この森の魔獣を討伐しにきた冒険者かと思ったのだが、そうではないと気がつくのに然程時間はかからなかったらしい。
しかし、では何故セシルは森へとやってきたのか。魔獣討伐ではないとするのなら、ブラッドウルフが徘徊する森になど立ち入ることはないはず。
無論、セシルが何も知らずに、ただ森の中をつっきろうとしていた……などというオチではない。
『ちょっと探し物をしてたんだ。大事な探し物を』
それが、セシルの目的だったらしい。
魔獣が棲む森で探し物、というのは何ともおかしな話である。しかし、咄嗟についた嘘と断言するのは少し難しくもあった。
何故なら。
『一応、探し物は見つかったけど、どうやらここにあったのは、紛い物らしい。しかも、半ば壊れてもいた。もしかすれば、と思っていたんだけど、無駄足だったみたいだ。これは、本格的に「常闇の城」に行かないといけないらしい』
などという言葉を口にしたという。
その態度はどこから見ても自然体であり、明らかに嘘をつている様子は見受けられなかった。そして、リーゼに「ならば早く森から出て行ってください」と言われると、セシルは何の抵抗もなく、そのまま森から立ち去ったという。
*
「もう一度聞くけど、その話、本当なのよね?」
旅の道中、カタリナはもう何度目か分からないその質問を口にしていた。
既にカタリナ達は、村を出立していた。いつまでもあの村にいるわけにもいかない、というのもあるが、出立した理由はそこではなかった。
カタリナの言葉に対し、リーゼは表情を変えないまま答えを返す。
「はい。嘘ではありません。本当です」
「っつか、何度目だよ。もう耳にタコだぞ」
先程のような言葉を、ここに来るまで何度も耳していたバリー。何度も何度も確認するその様は、あまりに執拗であり、正直少し引く程だった。
無論、それだけカタリナにとっては重要な事柄であることは、理解している。何せ、助けたゴーレムが、探している幼馴染と会っていたこと、そして何よりどこへ向かったのかを聞けたのだ。本当なのか、間違いないのか、確認したがるのも自然なことだと言えるだろう。
しかし、だ。今のカタリナから感じるのは、それだけではないように思える。
「どうしたよ。オマエ、さっきの話聞いてから、ちょっと様子がおかしいぞ。いくら幼馴染の情報が分かったからって、その焦りようはないだろ。何か、別の問題でもあるのか?」
昨日、リーゼからセシルと会ったと言われてからというもの、どこかそわそわしているのは、間違いない。けれど、それは探し人の情報を入手したから浮かれている、というのとは少し違う。焦ってはいるものの、それは早く会いたいとか、そんな前向きなものではないように思える。
どちからというと、取り返しがつかないことになる。そんな様子を伺わせていた。
「……『常闇の城』っていうのが、それだけ危ない場所なのよ。あそこには、強力な魔女がいるの」
「おいおい、また魔女かよ」
ここに来て、また魔女。
以前聞いたカタリナの話では、魔女の数はかなり減っているということだった。しかし、魔女関連が二度も続くと、その話に疑問ができてしまう。
というより、だ。
「魔女がいるって分かってんなら、何でそいつ退治されてないだ?」
曰く、この世界ではかつて、魔女狩りが各地で横行していたという。そして、現存している魔女は身を潜めて、己を隠しながら生きている。
そんな状況下で、堂々と魔女がいるという場所があるのは、妙な話だ。
「言ったでしょ。危ない場所だって。もうずっと前から『常闇の城』には魔女が住んでるって話はあったの。どうやら百年前の戦いで生き残った奴らしくてね。それで、何人もの冒険者やらいくつもの騎士団やら魔女退治に向かったけど、帰ってきた奴は誰もいないって話よ。しかも、他の聖女の先代も殺してるっていうし」
それを聞いて、バリーは納得した。
魔女がいると分かっていながらも、魔女狩りが当然に行われた時代を生き残ってきた。それだけでも実力は確かだというのに、聖女すら殺しているという。
そんな場所に幼馴染が向かっていると聞かされれば、急くのも無理はない。
「なる程……でもよ。それなら尚更、何でオマエの幼馴染はそんな場所に向かったんだ?」
「知らないわよっ! そんなの、私が聞きたいくらいよ!! あの馬鹿、何であんな場所に……あそこが危険だってのは、アイツだって知ってるくせに……」
行ったら誰も帰って来れない城。そんな場所に行くのが無謀であるというのは、誰でも理解できることだ。それでも向かったとなれば、それだけの理由があるということだ。
「探し物ってのが、原因なんだろうが……リーゼ。何か心当たりないか?」
セシルは「ここにあったのは紛い物」という言葉を口にしていた。つまり、紛い物ではあるが、あの森にあったもの、ということになる。それが何なのか分かれば、ヒントになるとは思うのだが、しかしリーゼは首を横に振る。
「わかりません。気になってわたしも探してみましたが、特にこれといって何も出てきませんでしたし。半ば壊れている、という言葉から壊れかけのものだとは思ったんですが、そんなものはそもそもありませんでした」
それもそうだろう、とバリーは思う。確かに彼女はあの森に百年以上住んでいた。森には詳しいはずだ。けれど、それがつまり、森の中で探し物をしていた男が、何を探していたのか検討をつけられる、というのはまた別の話だ。
情報が少なすぎる。何を探しているのか、何のために探しているのか。皆目わからない。
とはいえ、だ。
「取り敢えず、落ち着け。焦る気持ちもわかったし、急ぎたくなるのも無理はない。気楽に行こう、なんてことも言わない。だが、心は乱しすぎるな。そうやって慌てて行動したところで何の解決にもならないぞ。加えていうのなら、そういう状態のまま行動した奴は、大抵何かやらかす。そうなれば、オマエの幼馴染のところに着くのも時間がもっとかかる。そうなりたくないだろ」
有無を言わさず、バリーは言葉を並べる。でも、だけど、なんて言葉を口にさせたら、もっと焦るのは目に見えていた。別にバリーはカタリナと口論したいわけではないのだ。ただ彼女に冷静になって欲しい。それだけなのだから。
「……分かった」
「何、心配するなって。オマエの幼馴染だって、それなりに強いんだ。それこそ、危ない場所に行くって分かってんだ。そうそうやられたりしねぇだろ」
「そう……かな」
「絶対、とは言わないがな。まぁ、場所は分かってんだ。なら、オレらがやれるのは、そこに行くことだけだ。焦るなとは行ったが、遅く行くとは言ってない。最短の距離をできるだけ早く行くようにする。今、できるのはそんくらいだろ」
それは気休めではない。カタリナ達にできることは、本当にそれだけなのだ。わからないことだらけの状態でいくら推察したところで意味などない。ならば、やるべきことは追いかけることのみ。それこそ、今までと何も変わらないのだ。
「……そうね。そうよね。今、焦ったところで何もできないんだから」
そんな言葉を口にしながら、カタリナの雰囲気から淀みのようなものが消えた。
どうやら少しは落ち着きを取り戻したようだった。
「悪いわね、バリー。毎回毎回」
「別に。オマエがロクデナシのへたれってのは理解してる。もう慣れっこだ」
「そして毎回余計な一言が多いわね」
それさえなければ、心から感謝の言葉を送れるというのに、この男は素直にそうさせてくれない。やはり、どこかおかしい、というか弄れているのだとカタリナは再認識した。
「リーゼもごめんなさいね。何度も問い詰めるようなこと言って」
「いえ。わたしも気にしてませんので、大丈夫です」
無表情で淡々と言葉を返すリーゼ。
そんな彼女を見ながら……正確には、彼女の頭上を見ながら、カタリナは続けて問う。
「それで……さっきからずっと気になってたんだけど、どうして貴方の頭の上に、『それ』がいるの?」
カタリナの視線の先には、リーゼの頭よりも大きいマックが丸まって座った状態でそこにいたのだった。
それ、と指摘されたのが気に入らなったのか、マックはカタリナに向かって「ヌァー」と奇妙な鳴き声を漏らす。
「マックさんのことですか? どうやらわたしの頭の上で気に入ったらしくて」
「いや、気に入ったらしくて、じゃないわよっ!! 何でそんなデブ猫頭の上に乗せてんのっ!? っつーか、え、それどうやってんの!? 重くない!?」
「重い……? いえ、そんなことはないと思いますけど……」
嘘を言ってるつもりは全くない。だからこそ、余計にカタリナは信じられないと言わんばかりの表情を浮かべていた。
そんな彼女を見て、バリーはゲラゲラと笑いを零していた。
「がはははっ。何があったのか知らないが、相当マックに気に入られたみたいだな。そいつ、人の頭の上に乗るとか、ほとんどないっつーのに。よっぽどその頭の上が居心地がいいらしい」
「そうなのですか……? だとしたら光栄です」
「いや、猫に頭の上に乗られて光栄って……っていうか、バリー。こいつもう必要ないんじゃない? セシルの居場所は分かったわけだし。あの状態だとリーゼだって困るだろうし」
「? わたしは別に構いませんよ。むしろ、わたしもマックさんに乗ってもらっていると、何故か安心しますし」
「ヌァー」
一人と一匹の言葉と鳴き声を聞き、カタリナは脱力しながら、ため息を吐いた。
「はぁ……もういいわよ。好きにして」
「はい……あっ、すみません。わたし、大事なことを言い忘れていました」
「? 大事なこと?」
一体何のことだろうか、とカタリナは無論、バリーも心の中で疑問を浮かべる。
けれど、リーゼが口にしたのは他愛もないモノだった。
「カタリナさん。バリーさん。それからマックさん。これからどうぞ、よろしくお願いします」
それは、当たり前の挨拶であり、どこにでもある言葉。
特別なものではなく、故に普通の人間からしてみれば、どうというものでもないだろう。
しかし、だ。
だからこそ、大切な挨拶であり、言葉ともいえる。
故に。
「ええ。こちらこそ」
「よろしく頼むぜ。嬢ちゃん」
「ヌァー」
聖女と魔人、それから使い魔もその言葉に応じたのだった。




