二話 魔人、記憶を見る
少女―――カタリナは聖女として生まれた。
この世界には、神に選ばれた四人の聖女がいる。カタリナもその一人だった。
聖女にはそれぞれ、特殊な力が宿っており、それこそ神の恩恵とまで呼ばれている。
そんな力を持った彼女は、昔から何でもできる少女だった。特に、戦闘においては、ずば抜けており、それこそ大人顔負けどころか、そこらにいる冒険者や騎士など彼女には歯が立たない程。
そんな彼女にも、幼馴染の少年がいた。
『何してるの、セシル。早く行かないと、日が暮れちゃうじゃない。アンタがノロマのせいで、私まで怒られたらどうするの!!』
夕暮れ時。十歳前後の少女が、そんな言葉を口にしていた。
その視線の先にいるのは、茶髪の少年。十歳にしては背丈はそこそこ高いが、身体全体が、どこか細いように感じられた。
そんな少年―――セシルは、両手に荷物を抱えながら、カタリナに対して、言い放つ。
『ま、待ってくれよ。こっちは君が買った荷物を持ちながら歩いてるんだ。そんなに早く走れないよ』
『あーっ。またそんな弱音吐いて! そんなんだから、いつまで経ってもへなちょこセシルのままなのよ!! こうして私が鍛えてあげてるんだから、感謝しなさい!!』
それは、あまりにも横暴かつ、傲慢な言い分だろう。
自分が買い物した洋服やらお菓子やらを全て他人に押し付け、さらにはそれで足が遅いと言い放つ。我儘にも程がある。
『そんなの、俺は頼んでないよ……』
『何? セシルのくせに、私に反論する気? 何にもできない、弱虫のくせに!』
実際、セシルはカタリナとは真反対に、あまり多くのことができない。力に関しても、足の速さに関しても、それ以外の何もかもが、彼女に劣っている。いいや、彼女だけにではない。他の同い年の者と比較しても、平均より下、といった具合だろう。
それが、カタリナにとっては面白くなかった。
『アンタがそんなんじゃあ、私が困るの!!』
『……何でカタリナが困るんだよ』
『だってそれは―――っ!!』
刹那、少女の頬が赤く染まった。
無論、それは夕日に当たったせいではない。
『い、いいから口答えしない!! さっさとしないよ、本当に置いてっちゃうわよ!! ノロマ!!』
そう言いながら、早足で、けれども走ることはしないまま、カタリナは進んでいく。後ろからちゃんとついてきているか確認しながら、けれども決して顔を見せないように。
当然だ。カタリナからしてみれば、彼に自分が顔を真っ赤にしているところなど、見られたくないのだから。
(強くなって、私と一緒にいて欲しいからって……そんなの、言えるわけないじゃない、私のバカ……!!)
聖女とは、いずれ多くの戦場に赴く存在だ。それが、戦うことにしても、負傷者を癒すにしても、そのお供は強い存在でなければならない。
今はまだいい。だが、幼馴染とは言っても、ずっと一緒にいられるわけではない。特に、自分のような聖女と一緒にいられるのは、ごく僅かな人間だけだ。故に、セシルとずっと一緒にいるためには、彼に強くなってもらうしかない。
だから、カタリナは、日頃からセシルに強くあたっている。
荷物を持たせるのも、本当に筋力を鍛えてもらうためであり、罵倒を浴びせるもの、悪口の一つや二つでめげないよう精神力を鍛えてもらうため。
……まぁ、罵倒云々に関して言えば、彼女の気の強い性格のせいも多大にはあるのだが。
それでも、彼女は本当に、心から彼に強くなって欲しいと願っているのだ。
とはいえ、だ。
結局のところ、それもまた、自分勝手な我儘であることには変わりない。
そもそも、だ。考えて欲しい。カタリナがセシルと一緒にいたい、というのは彼女の願いだ。彼がそうしたい、と言ったことなど一度もない。彼女が勝手にそうして欲しいと願い、想って、そしてそのためにセシルにキツくあたっていた。
誰がどうみても、どう考えても、それはカタリナの一方的な我儘でしなかい。
恋する乙女は盲目? 馬鹿馬鹿しい。これは、そんな程度の言葉で、済まされる話ではない。
故に、彼女は気付くべきだったのだ。
少年の心が、この時点で既に、ボロボロであったということを。
*
『はぁ? 何それ。本気で言ってるの?』
時は経ち、カタリナとセシルは十七となった。そして、二人とも冒険者となって、コンビを組んでいた。
中でも、カタリナは冒険者の中でも超が付く程の有名人となっている。なにせ、世界で四人しかいない聖女、その内の一人が冒険者をやっているとなれば、有名になるのも当然だろう。しかも、彼女は容姿端麗であり、実力も計り知れない。わずか十七という年齢で、彼女はトップクラスの冒険者となっていたのだ。
一方のセシルはというと、カタリナ程ではないにしろ、冒険者の中では実力がある程度には成長していた。努力に努力を重ねてきた結果だ。冒険者になり立ての頃は、『一人じゃ何もできない奴』、『聖女様の付き人』、『女に頼りきっているヒモ』などと、ひどい言われようだったが、それも今ではほとんど払拭している。
だが、いいやだからこそ、だろうか。
『ああ。俺は本気だ。もう君とは袂を分かつと決めたんだ』
強い意思をもった言葉で、セシルは言い放つ。
『ちょっと待ちなさいっ!! どういうことよそれっ!!』
一方でカタリナはその言葉に、動揺していた。
その言葉自体もそうだが、あのセシルが自分に対し、はっきりと強い意思で反抗してくること自体、あり得なかったから。
『どうもこうもない。言っただろう? 俺はもう君にはついていけない。このまま行けば、きっと俺は君の奴隷のままで一生を過ごす。君のご機嫌をとって、君の言う通りにして、君の我儘に付き合って……もうそんなのはゴメンなんだ』
『奴隷って……別に、私そんなつもりじゃ……』
『そんなつもりじゃなかった? 人にあれこれ命令して、少しでも気に食わなかったら癇癪を起こして、一々人をコケにしてきて。失敗もしてないのに、上から目線でそんなの出来て当然だって、むしろ自分ならもっと上手くできたのにどうしてアンタはできないのって言って。こっちの自尊心を傷つけるだけ傷つけて、ボロボロにしておいて、そんなつもりじゃなかったって、君は言うのか?』
『セ、セシル……?』
『この前だってそうさ。他の冒険者と話してたら途中で割り込んできて、俺がいかに出来損ないか公言して、だから俺とは組まない方がいいって言って。こっちがどんなに成果を上げても、聖女である君の一言で評判はまたガタ落ちだ。そしてまた言われるんだろうな。やっぱり、お前は聖女様頼りなんだなって』
『そ、そんなことな……』
『ないって? 言うのか? 君が? それこそ有り得ない。君は絶対に言わないはずだ。だって俺は弱いんだろう? 使い物にならないんだろう? ゴミで、クズで、ノロマで、何の役にも立たないんだろう? ほら、いつもみたいに言いなよ。お前はどうしようもないロクでなしだって。自分がいなきゃ何もできないんだって』
セシルの怒涛の言葉。それを前にして、カタリナは完全に身体を強ばらせていた。
目の前にいるのは、本当にセシルなのか……? そんな錯覚すら思わせるモノが、今の彼にはあったし、こんなセシルをカタリナは見たことがなかった。セシルが自分にこれだけ感情をぶつけてくることは今までなかった。そんなことは有り得ないとさえ、彼女は心の中で思っていたのかもしれない。
だが、だからこそだ。
彼女は今、目の前の青年に対し、確かな恐怖を抱いていた。
そして、同時に理解する。
これは、本当に、取り返しのつかない状況に陥っていると。
『せ、セシル。ごめん。私が悪かったわ。少し言い過ぎてたのは謝るから……』
『そこで、少し言いすぎたって言葉が出る時点で、君は何も分かっていないんだ。そして、勘違いしている。これは、話し合いじゃない。君と絶縁するっていうのは、決定事項なんだ』
そう、既に遅い。遅すぎる。
彼の言葉は言ってしまえば、事後報告のようなもの。そこに、話し合いの余地など微塵も感じさせない。
『さっき、受付の人に頼んで、冒険者組合を退会することを受諾してもらった。これで、もう俺は君と組むことはできない』
『ちょ、セシル本気……!?』
『ああ。これで俺は冒険者じゃなくなった。だから、君とコンビを組むこともできない』
冒険者は誰でもなれる職業だ。そして、誰とでも組んで仕事をすることができる。しかし、それはあくまで冒険者同士での話。特定の条件でない限り、それ以外の者とコンビやパーティーを組むことはまずできない。
そして、セシルは、カタリナと絶縁するために、冒険者をやめたと言ったのだ。
『俺は、俺の人生を歩みたい。俺は、君のペットでも、道具でもないんだ。だから、君とはここでお別れだ』
言いながらセシルはその場をさろうとする。そんな彼に対し、カタリナは声をかけようとする。
だが。
『さよなら、カタリナ。元気でな』
決別の言葉。それを聞いたカタリナはショックでその場から動けずにいた。
待って、と叫ぶこともできなかった。
置いていかないで、と口にすることもできなかった。
彼女ができたこと。それは、セシルがいなくなった後に、涙を流すことくらいだけだった。
その後、セシルはカタリナの前から完全にいなくなった。
四方八方、手を尽くして探しに探したが、彼の居場所はつかめないまま。ギルドの者達に頼んでも、聖女の権力を使っても、セシルはどこにもいなかった。
探して、探して、探して。
それでも、彼女の幼馴染は見つからない。
そんな彼女に皆が言った。もう無理だ。もう不可能だ。もう諦めよう。その方が、彼にとっても貴女にとっても正しい道なのだ、と。
分かっている。分かっている。分かっているのだ、そんなことは。
けれど、そうだとしても、カタリナはセシルを諦めきれなかった。
罵倒されてもいい。殴られてもいい。
だから、もう一度。もう一度だけ、彼に会いたい。そう、心の底から願っていた。
そして。
そんな彼女が、最後の最後に頼ったモノは、魔人という存在だった。
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