第七話 商国
「見えました、あれが商業国家『ハンデル』です」
切り立った崖の上から悪魔たちが見下ろした先には巨大な国があった。
この『ハンデル』という国に王はいない。いくつもの商会が寄せ集まり出来た国であり、国を守る兵士などはいない。
その代わり商会は自らを守るため多くの用心棒を雇っており、それらが町を守る仕事をしているのだ。
町の治安が悪くなるのは商会にとっても都合が悪い。ゆえにこの町は兵士がいなくとも平和を保っていられるのだ。
「用心棒単体ならばそれほど脅威になりませんが……なにせ数が多い。いくら我々の数が増えたとはいえ厳しい戦いになりそうですね」
いまや悪魔たちの数は千人にも達しようとしていた。
人間に反旗を翻す魔族がいるという情報が広がり、今まで隠れていた周辺の魔族が集まり始めたのだ。
しかしこの人数では正面突破は心許ない。
『ハンデル』の人口は3万にも及ぶ。
もちろん全員が戦闘に長けてるわけではなくそのほとんどが商人なのだが、それでも数の差は絶望的だ。
三英雄の力もハッキリとしてない今、馬鹿正直に正面から挑むほど悪魔達は無謀ではなかった。
「……俺に考えがある」
エルフの能力で国内の情報を得ていた悪魔は眼鏡の悪魔ロスにそう切り出すと、自分の考えを話した。
「なるほど……もしそれが上手くいけば我々と奴らの戦力差を覆せるかもしれません」
悪魔の提案を聞いたロスはその作戦を頭の中で仮想実験し始める。
「実験……開始!」
『脳内仮想世界』。
それこそがロスが持つ贈呈物だ。
情報さえそろえば脳内であらゆる仮想実験が可能なその特殊能力は、戦にはもってこいの能力と言えるだろう。
「むむ……確かに魔王様の作戦が上手くいけば国落としの成功率はかなり高くなります。しかし不安点が一つ」
「三英雄、か」
「はい」
三英雄が人前で力を振るう事は少ない。
それゆえ魔族たちは正確な三英雄の力を知らないのだ。
情報が無ければいくら仮想実験しようとも意味は無い。
先ほどの結果も三英雄が予想よりも強ければ容易に覆ってしまう。
「本当に俺たちは勝てるのか……?」
考え込む魔王軍トップの二人を見て他の魔族たちの間に不安が広がる。
ここにいる者はみな迫害を受けて育っている。
恐怖の象徴である人間に今まで立ち向かってこれたのも圧倒的な力を持つ魔王と、
人間を上回る頭脳を持つ眼鏡がいたからだ。
その二人が弱っていては不安になるのも当然だろう。
「何を弱気になっているのですか?」
そんな空気を切り裂くかのように凛とした声がその場に響く。
「三英雄がなんですか。こっちには最強の魔王がいるのですよ」
そう言ってエルフの女は悪魔を見据える。
悪魔はその視線を受けると、口元を緩ませ小さな笑みを浮かべる。
「ふっ、言われるまでもない。三英雄は俺がやる」
その言葉に魔族の間に「おぉ!」と歓喜の声が上がる。
それほどまでに三英雄は魔族の間では恐怖の対象なのであり、軽々しく名前を口に出すことも出来な存在なのだ。
「ありがとう。背中を押されたよ」
騒ぐ部下たちをよそに悪魔は小さく礼を言う。
「当然のことをしたまでです。あなたには戦いを終わらせてもらわなければいけませんからね!」
エルフはそう言うと顔を赤らめプイっと顔を反対に向ける。
「そうか……そんなに協力的なら作戦に協力してもらうか」
「え?」
「作戦の第一段階。『ハンデル』への侵入は俺とあんたでやることにする」
「ええぇーーーっっ!!」
こうしてエルフの悲鳴を響かせながら魔族の夜は更けていったのだった…………
◇
翌日。
太陽が高く上る昼頃、悪魔とエルフは商業国家『ハンデル』内のマーケットを歩いていた。
「まさかこんな簡単に潜入できるなんて……」
「人間達はまさか魔族が国に入り込むなんざ考えてもいない。おかげで出入国者のチェックなんてあってないようなもんだ」
そう、二人はなんと大胆にも正門から堂々と『ハンデル』に侵入したのだ。
侵入の為に行った工作はたいしたものでは無く、長い耳を隠す帽子をかぶり肌の色をメイクで人間に近づけただけだ。
怪しまれぬよう服も貴族が着る様な高品質の物を身に着けたため門番に疑われることは無かった。
これらの物は入国許可証を得るために商人の一団を襲撃した時入手したモノである。
それだけのことで簡単に二人は入国できてしまったのだ。
これは長い歴史の中で魔族を完全に下に見るようになった人間の落ち度だろう。
「それにしてもここまで人がいるとは……気持ち悪くなってくるな」
悪魔のいるマーケットはこの国で最も大きい市場『ハンデル中央マーケット』だ。
物流の要であるこの国には世界各地から様々な食糧や民芸品、魔道具等が集まり、連日それを求める人でごった返している。
「この国の人口は約三万人……分かってはいたけど今までの村とは比べ物になりませんね」
この数字はあくまでこの国に住まう人間の数であり、行商で訪れた人間を含めれば更にふえるだろう。
数は力。
この差を埋める何かを悪魔たちはまだ持ち得ていない。
そう、今はまだ。
「見えてきたぞ」
「これが、神の像……初めて見ました」
二人は思わずその荘厳な出で立ちの像を見上げてしまう。
その像のモチーフこそこの大陸の絶対神、その名も『チャンケル』。
その姿を象った石像だ。
現在の王が魔王を倒した際、王に力を貸し人間を救済したという伝説がこの大陸には残っており、数百年の時が流れている今でも人間たちはこの神を崇めているのだ。
「……なにが神様だ。本当にいるなら魔族を助けて欲しいもんだ」
悪魔は石像に向かい悪態をつく。
しかし、神はその言葉には眉一つ動かさないのだった。
「ねえ、それより早く行きましょ。目立っちゃうわよ」
「そうだな、目的はこんな像じゃない」
エルフは失礼なことを言う悪魔の腕をとると像の裏手に進んでいく。
そこには今までのきらびやかな店とは明らかに違う、異様な光景が広がっていた。
「……チッ! 覚悟はしていたが、胸糞悪いったらないぜ」
「酷い……」
神の像裏手に広がる市場。その名も『奴隷市』。
そこはその名の通り様々な奴隷が売りさばかれる『ハンデル』の暗部。
法律によって人間の奴隷は最低限の生活の保証はされているが、もちろん魔族にその法律は適用されない。
ゆえに奴隷市の商品はそのほとんどが魔族である。
劣悪な環境でまるで囚人の様な扱いを受けている魔族は目が死んでる者も多い。
二人の目に飛び込んできたのはそんな魔族たちの哀れな姿だった。
小型の魔獣は小さなゲージに無理やり詰め込まれており、いずれも栄養失調のせいかやせ細っている。
管理もずさんで糞尿が垂れ流し状態だ。
人型の魔族は鎖を繋がれ値段の書かれた看板を首より下げている。
ちなみに右耳の先端が切れているのは奴隷の証である。最近では番号入りの焼き印を入れるのが流行らしく、万が一逃げても元の奴隷商の手元へ戻ってくるシステムになっている。
「いらっしゃいませ旦那様! 何をお探しでしょうか?」
悪魔が奴隷市に一歩踏み込むとシルクハットを被った小太りの男が話しかけてくる。
言うまでもなく奴隷商の一人だ。身なりのいい悪魔を見て上客だと踏んだのだろう。いやらしい笑みが透けて見える。
「ちょうど今強い魔獣が欲しくてね、いいのはいるかい?」
「でしたらうってつけのがおります!! ささこちらへ」
悪魔の問いかけに奴隷商は満面の笑みで答えると市場の奥へ招き入れる。
二人はそれにならい奥へついて行くが、進むにつれその表情はどんどん険しくなっていく。
「こんなのって……」
エルフがそう嘆くのも仕方がない。
奥に進めば進むほど高価な商品が売られている。
つまり同族がいるのだ。
仲間の痛々しい姿に思わず駆け寄りそうになるエルフだが、それを悪魔が肩を掴み止める。
「今は堪えてくれ。後で必ず助け出す」
「でも……!!」
反論しようとしたエルフだが、悪魔の表情を見て言葉を飲み込む。
その顔は怒り、憎しみ、悲しみ、恨み、あらゆる負の感情で塗り固められていた。
それに呼応し筋肉が膨張しているのか服が裂ける音がうっすら聞こえる。
奴隷商はそんなことはつゆ知らず、ご機嫌な声で目的地へ着いた事を知らせる。
「お待たせしました! これが当商会の目玉商品!!」
奴隷商は芝居がかった風に牢にかかった布をはがし……
「その名もベヒーモス!! これはめったにお目にかかれませんよ!!」
伝説の魔獣、その末路を二人に見せるのだった。