第四話 23
「い、いったい中で何が起こってるんだ!?」
悪魔が捕らわれていた小屋の外は武装した人に囲まれていた。
そうなるのも無理はない。
なぜなら小屋から人間達が体験した事のない程のおぞましい魔力が溢れ出て来ているからだ。
(仲間が助けに来たのか……? しかしあの悪魔にそれ程の価値があるとは思えないが……)
何かが中にいる。
皆それは分かっていたが、誰も先陣を切って突入するものはいなかった。
それほどまでに感じられる魔力は大きかったのだ。
「おい、見ろ!」
一人の男が小屋の扉を指差すと小屋の扉がゆっくりと開く。
それと同時に外へ流れ出る負の魔力。
そしてその魔力を身に纏いながら現れるのは一人の悪魔。
引き締まった肉体に歴戦を感じさせる幾多の傷跡を残し、闇の様に暗く冷たい目を持つその悪魔は悠然と人間達の前に立ち止まる。
「お、お前は何者だ!」
そう叫ぶ人間の声はひどく震えている。
それほどまでにこの場に溢れる魔力は異質であり、むしろ声を出せただけこの人間は他の者より大した者だ。
「俺を忘れてしまったのか? あんなに長い間楽しんでくれたじゃないか」
悪魔は自嘲気味に体の傷をさすりながらそう人間達に語りかける。
「楽しむ…………まさか!?」
その言葉で徐々に気づく者が現れ始める。
それも当然だ。
なぜならその傷は他でもない自分達がつけた傷なのだから。
「まさか……特殊能力に目覚めたのか!?」
「し、しかし元があの悪魔なら特殊能力に目覚めてもたかが知れている!」
「確かに……囲んでる今ならどうとでもなる!!」
初めは正体不明の人物に怯えていた人間達だったが、その正体がわかると手に平を返したように元気を取り戻す。
「きっとこの魔力もハッタリだ! とっとと仕留めるぞ!」
「「おう!」」
その言葉を皮切りに人間達は武器を掲げ悪魔に迫る。
それが最悪の選択肢だとも知らずに。
「俺の、いや俺たちの受けた痛みを知れ! 凄惨なる針山!!」
悪魔が魔法を唱えると悪魔を中心にして細く、長い針の山が真っすぐ伸びる。
そして悪魔の病んだ心のごとく黒いその針は迫りくる人間の全身に突き刺さり、貫く。
革鎧も、鎖帷子も、皮も、肉も、骨さえもその針の侵入を防ぐことは出来ない
人間たちは己が何をされたのかさえ理解できずに命を散らしたのだ。
「まずは7人……」
「な、何だよこれ……!!」
あっという間に築かれた無残な死体の山に人間たちは恐怖する。
体中穴ぼこだらけになった死体からはシャワーのように血があふれ出しており辺りに鉄の匂いが充満する。
「お、おええぇっっ!」
中にはこの状況に耐えきれず嘔吐する者まで現れる。
しかしそれを咎める物はいない。
なぜならここにいる者全員が胃から込み上げる物を必死に抑えているからだ。
それほどまでに、目の前の光景は常軌を逸していた。
「体に穴が開いたぐらいで大袈裟な。俺なんてもっと酷い目にあったというのに」
「に、人間と悪魔を比べるんじゃない!」
「そ、そうだ! 同族をやられて平気でいられるものか!」
「……そうか、そうだよな」
人間の言葉に悪魔は目を閉じ考える素振りを見せる。
話が通じることで助かるかもしれないと思ったのか人間の顔に少し希望の色が浮かぶ。
しかし、そう上手くはいかない。
「……なら、なぜ」
「え?」
「なんで俺の仲間を殺した!!」
「!!」
「なんで同胞の死を悲しめるのに俺の家族を、友を、仲間たちを笑って殺せる!! 痛みを知っているのに平然と他者を痛めつけられる!!」
悪魔の慟哭が辺りに響く。
それは悪魔の心からの叫び。拷問を受けながらずっと考えていた疑問。
なぜ、なぜ自分達は苦しまなければならない?
嘘でもいい。理由が欲しかったのだ。
自分が苦しむに値する理由が。
「そ、それは……」
人間たちはその言葉に返答できない。
何故なら理由などないからだ。
『魔族は迫害するもの』
これはこの大陸にすむ人間全員の共通認識だ。
理由などないただの常識。
ゆえに彼らは今に至っても悪魔の怒りの理由を完全には理解できなかった。
『死んで当然の奴を殺しただけなのになぜ怒る?』
これくらいにしか感じてないのだ。
ゆえに沈黙。
悪魔の欲しい理由は待てど暮らせど帰ってこなかった。
「……分かったよ。人間達はもう矯正しようがないほど歪んでしまったことは」
悪魔は力強く一歩進むと、力強く宣言する。
「だったら俺が全部壊してやる。歪んだ人を、町を、国を、この世界を」
そう語る悪魔の瞳からは一筋の涙が流れる。
それは今は無き仲間への弔いか、死にゆく者への手向けか。
悪魔自身ですら己のその心情を理解しきれてないだろう。
「負力魔球!!」
かざした左手に現れるは4mほどの巨大な漆黒の球体。
悪魔はそれを振りかぶうと、人間の密集している場所へためらいなく投げつける。
「防御態勢!!」
避けられぬことを悟った人間は盾を持った戦士4人を前に出し、後ろに下がった3人の人間が盾持ちに魔法をかける。
「守護者の闘気!!」
魔法をかけられた者に青い光が宿る。
この魔法はかけられた者の防御力を飛躍的に上昇させる魔法。
4人もいれば飛竜の息吹すら一回は防げるだろう。
しかし。
「な、何だコレは!?」
黒い球体は盾と接触すると瞬く間に盾を魔法ごと取り込む。
彼らの決死の防御は何の意味も持たず、球体は勢いそのままに7人を飲み込み、消える。
「なんなんだこの魔法は……!?」
この魔法の属性は『負』。
通常では発言しない希少な属性だ。
そしてその真価は『吸収』にある。
悪魔の心の如く空虚なその魔法はあらゆる物を飲み込み消失させる。
そして吸収したエネルギーはその術者に還元されるのだ。
つまり。
「あいつ……さっきより魔力が上がってるぞ!」
術者は敵を倒せば倒すほど、殺せば殺すほど力を増す。
もはや悪魔の力は村人にどうこう出来るレベルではなくなっていた。
「もう魔法を使う必要すらなさそうだな……」
悪魔は地面を強く蹴ると一瞬で距離を詰める。
あまりの脚力に踏みしめた地面が砕け散る。
『吸収』によって強化されるのは魔力だけではない。筋力も既に人知を超えるほどになっているのだ。
「15人目」
踏み込んだ勢いそのままに腕を振るうと人間の頭部は胴体より離れ近くの小屋に激突し、砕ける。
胴体は何が起きたのか理解できないのかふらふらと数歩歩いたが、やがて糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「ひぃ……!!」
その凄惨な光景に人間たちは戦意を失い散り散りに逃げ出す。
しかし、悪魔に逃がす機など毛頭ない。
「使わせてもらうぞ」
悪魔は今しがた倒した男が持っていた槍を握ると力任せに投げつける。
銃弾の如きで速さで射出されたその槍は一直線に人間の胴を貫き、そのまま前方にいる人間も絶命させていく。
「16、17、18」
悪魔は無機質にカウントしながら逃げる人間を追いかける。
時に顔を握りつぶし
「19」
時に胴を蹴り砕き
「20」
時にその手で頭部から縦に切り裂いた
「21」
「うおおっ!!」
中には木に隠れ不意打ちをしてくる勇気のある者もいたが、その剣はレベルの上がった悪魔の肌に傷をつけることすらできない。
「22」
手刀一閃。
哀れ勇気ある若者は地に伏せる。
「や、止めてくれ!!」
そして最後に残ったのは偶然にも悪魔を捕まえた男だった。
その人間は逃げられない事を悟ったのか、武器を地面に置き膝をつくと悪魔に向かい慈悲を請うように手を組み命乞いを始める。
「俺には帰りを待っている家族がいるんだ! 俺がいなくなったら生活できなくなっちまう! な? 子供には罪がないから見逃してくれいか?」
「安心しろ……お前の家族もしっかり殺してやる」
「え…………?」
悪魔の言葉を聞いた男の顔が青ざめる。
聞いたことの意味を理解したくないとでもいうように口をパクパクさせ、虚ろな目を悪魔に向ける。
「なぜ……なぜ!? 俺が憎いなら俺だけを殺せばいい!! なぜ家族まで!!」
人間は己の所業を棚に上げ悪魔を責める。
愚劣さもここまでくれば滑稽だ。普通に考えれば復讐対象が己の家族に向くのも当然である。
しかし、悪魔の考えは更にそれを超えていた。
「憎い……か。そんな感情は通り過ぎたよ」
「え?」
「確かにお前らに捕まってしばらくは憎んださ。憎み恨み呪っていた。だけど俺の心が衰弱していくうちに違う感情が芽生え始めた」
悪魔は昔を思い返すように淡々とそう語ると、ゆっくりと目を開き己の胸の内を語りだす。
「それは哀れみ。まっとうな心を失ってしまった人間への哀れみだった。だから俺はこの力を手に入れた時人間を救おうと思ったんだ」
「救う……!? なんで俺の家族を殺すことが救うことになるんだ!!」
「人は力をつけすぎた。だから減らす。己が弱い立場になって初めて弱者の気持ちを知ることが出来るからな、だから人間が魔族と|同じ数になるまで殺しつくす《・・・・・・・・・・・・・》。それが俺の使命だ」
「く、狂ってやがる……!」
人間がそう思うのも無理はない。
現在この大陸の人口は人間が魔族の約100倍はいると言われている。
つまり人間の99%を殺すとこの悪魔は言っているのだ。
「世界の歪みを治せるのは同じくらい歪んでしまった俺だけだ」
悪魔は跪く男の元へ一歩近づくと腕を振り上げる。
「じ、慈悲を……」
「23」
こうして1つ。
悪魔によって村が滅んだ。