第三話 再起
「な、何が起きたってんだ……」
人間の男はひどく狼狽していた。
しかし、それも無理は無いだろう。
先ほどまで死にかけだった悪魔が急に筋骨隆々の姿に変わっては誰でも驚くだろう。
「……邪魔だな」
驚きの変貌を遂げた悪魔は、まず己の体に巻かれる鎖に手をかけるとソレを握りつぶし始める。
どんなに脆くなっても鉄は鉄。普通の人間には出来ない芸当だ。
鎖を外した悪魔は三ヶ月ぶりに両の足で地面に降り立つ。
とても杭が刺さってるとは思えないほどの堂々とした立ちっぷりに男は腰を抜かし座り込む。
しかし悪魔はそんな事など意に介さず、今度は杭を抜き始める。
メリィ……と生々しい音と共に杭は体から抜け、大量の血と共に床へ落ちる。
エルフの女は血に耐性がないのかその様子を見て青ざめてしまっている。
「流石に痛いな……」
悪魔は最後の杭を抜きながらそう呟くが辛そうな様子は無い。
ダメージを受けてはいるが、以前より体力が上昇しているためあまり痛手にはならないのだ。
そして以前の回復能力は残っているため傷口はすぐにふさがる。
「大丈夫か?」
そして何事もなかったかのように悪魔はエルフに向かい手を差し出す。
まるでそこには二人しかいないかのように。
「は、はい……」
エルフの女はポカンとしながらその手を握り返し立ち上がる。
どうやら彼女も目の前で起きることについていけてないようだ。
「お、おい! てめえ何しやがった!」
そんな空気を引き裂くかのように男が叫ぶ。
いつの間にか男は立ち上がり剣を構えている。
剣先は震えているがその構えはしっかりしている。よく訓練しているのだろう。
「……」
悪魔は男の言葉に答えず己の手を見ながら指を開いたり閉じたりしている。
「悪魔風情が!! 無視してんじゃねえよ!!」
男はその様子に業を煮やし剣を振り上げ悪魔に切りかかる。
うなりを上げて悪魔の首元へ迫る剣先。
当たれば容易に首を両断するであろう会心の一撃。
しかし、その剣は届くことは無かった。
「…………へ?」
しかし首の代わりに飛んだのは、男の右腕。
腕の根本より綺麗に両断されたその腕は、綺麗な弧を描きながら壁に激突し汚い床にべちゃりと落ちる。
「あ、あああああぁっっ!!」
一拍おいて男を襲う激痛の嵐。
その痛みに耐えかねた男は腕があった場所を抑え咆哮する。
「力だけじゃない、速さも桁違いに上がっている……」
悪魔は血がこびりついた己の手を見て驚愕する。
そう、先ほどの剣が振り下ろされる瞬間、悪魔はその手を振るったのだ。
それだけで男の腕は軽く両断されたのだ。
「おい」
悪魔は己の力を確信すると男の間へ進む。
「や、やめてくれ! 俺が悪かった、他の奴らに強要されてただけなんだ!」
何と白々しい。悪魔はそう思った。
命乞いをする男も嬉々として悪魔を痛めつけていた。今更そんな言葉で心が動くとでも思っているのかと悪魔は純粋に疑問に思った。
しかし男の濁った目を見て悪魔は理解する。
「そうか……人間も壊れているんだな」
長年に渡る差別の歴史は、人間の倫理観を壊してしまったのだ。
どうあがいても修復が出来ないほどに。
悪魔はそれを理解するとゆっくりと腕を伸ばし、男の頭を片手で鷲掴みにする。
「……へ?」
「安心してくれ、痛みを感じることはない」
それはせめてもの情け。
誰よりも痛みを知るからこそ、憎い相手にすらそれを味わってほしくないという歪んだ慈悲。
「神様に会ったら伝えてくれ。『クソったれ』ってな」
悪魔は罰当たりなことを言うとその手に力を込める。
ぐしゃり。
まるでスナック菓子でも潰したかのような音を立てて男の頭は握りつぶされる。
男の中に詰まっていた赤い液体が流れ落ち、悪魔の血で染まった床を更に赤で上書きしていく。
「うぷ……!!」
その様子を見ていたエルフは少ない胃の内容物を藁に吐き出す。
エルフは争いを好まない温厚な種族。この凄惨な光景は彼女には耐えがたいものなのだろう。
「すいません……見苦しいところをお見せしました……」
エルフは口を押さえ足を引きずりながら悪魔に近づく。
悪魔はそんなエルフにぎこちない笑顔を向けるとこう言った。
「あなたが、無事でよかった」
「……!!」
この時初めてエルフは悪魔を真正面から見据えた。
そして気づく、この者に残る凄惨な行いの傷跡に。
その傷跡は百の言葉よりも雄弁に語る。小屋で何が起こっていたのかを。
(この人は、そんな目にあっても私を気づかって……)
エルフは温厚で繊細な種族だ。
ゆえに争いごとからは逃げる者が多く、暴力を受けると簡単に心が折れてしまう。
だから彼女には、暴力に耐え抜き勝利した彼がとても眩しく見えたのだ。
「私は……私はリリィ。あなたは?」
「そうか。よろしくな」
二人はそう挨拶するとどちらからするでもなく握手する。
それは凄惨な現場には似つかわしくないほのぼのとした光景だった。
しかしそんな時間は長く続かない。
突然エルフは後ろを振り向くと警戒を始める。
「どうした?」
「いけない、人間が来ます!!」
エルフはまるで壁の向こう側が見えるかのように指を指し警告する。
「私の特殊能力は千里眼。この能力のおかげで今まで捕まらずに逃げてこられました」
千里眼、それは遠く離れた場所でも念視することができる希少な特殊能力だ。
しかし特殊能力の連続使用には体力を多く使ってしまう。エルフは疲労を回復している最中に運悪く人間に見つかってしまったのだ。
「リリィ、この村にどれくらい人がいるかわかるか?」
「え、ええ。だけど知ってどうするの?」
「無論殺す。奴らは生かしてはおけない」
「殺す……」
もしこのエルフが故郷にいた頃にその言葉を聞いていたなら、きっと悪魔を止めていたことだろう。
しかしこのエルフも平和な故郷を出て知ってしまった。
この世界の歪みを、魔族の置かれている状況を。
その問題は話し合いで解決する次元では無くなっていることを、彼女はもう知っていたのだ。
「力を、貸してくれるか」
そう懇願する悪魔の目は憎しみよりも悲しみの色の方が深いように見れた。
ならば賭けてみよう、エルフはそう思った。
この狂った世界にどれだけ抗えるかを見てみたくなったのだ。
「分かりました、力を貸しましょう。その代わりあなたが間違った道に進みそうになった時は、全力で止めさせていただきます」
「いいだろう。この間違った世界で何が正しいのかが分かればだけどな」
悪魔は自嘲気味にそう言うと体を動かし、この後に行われるであろう先頭に備える。
こうして最弱だった悪魔の、愚かで稚拙な挑戦は幕を開けたのだった――――