第一話 幸無き少女
御劔初めての強姦表現が含まれます。R18ではないですよ。
「なんで生まれて来たのよ!」「あんたなんか生まれなきゃよかったのよ!」「あんたさえいなきゃ私は!」「なんで私だけこんな目に! あんたのせいよ!」
こう言われ続けて、育ってきた。
「あの人の娘さんだって」「まあ可哀相に」「あんな所に生まれて可哀相に」「毎日暴力を振るわれてるみたいよ。可哀相に」「可哀相に」「可哀相」「可哀相」「可哀相」
そう哀れみの言葉の中で、歩んでいた。
「あいつ、暗くて気持ち悪い」「知ってるか? あいつ、なにされても黙ってるんだってさ」「マジで? じゃ、イジメちゃう?」「“イジメ”はよくないですよー? ……ぷっ! はははは!」「はははは! じゃ、決まりぃ!」
そうして私は、イジメに合いながら学校に通った。
こんな私を、助けてくれる人なんかいなかった。みんな、見てみぬふり。助けを求めることも、小学校で辞めた。大人はみな口先だけで「もう大丈夫」だの「助けになる」だの言うだけで、実際はなんにもなっていない。
ただ、耐えて生きてきた。なるべく避けて生きてきた。小学五年生のころには、とうとう母親に見捨てられ、家にいても食事を与えてはもらえず、よく近所のコンビニの残飯を譲ってもらった。惨めな目で見られるのは嫌だったが、生きるためには仕方ないと割り切った。
中学に上がりたかったが、母親はとうとう学費すら払ってくれなかった。捨てられていた辞書などを拾ってきて、自分で学んだ。二ページ毎くらいに一度、塩辛い水滴の跡を付けてしまう。
十四歳。なぜ母親が私を家に置いているのかわかった。私に保険がかけられていた。いつか、殺されるかもしれない。そうビクビクしながら、落書きの多いボロボロの教科書に目をやり、辞書を引き、人差し指ほどもない鉛筆を、チラシの裏に滑らせる。
十六歳。アルバイトをしようと思い、応募するが、“あの家の娘”だと言うことでどこも採ってはくれない。やはり、コンビニの残飯をもらう。顔馴染みになった店員さんは色々優しくしてくれたが、視線は私の体を舐め回す。気は許さなかった。
ある暗い夜。残飯をもらい公園で食べていると、五人の高校生に囲まれた。
「こいつ、あの家の子だ」「マジか。なら、やっちまっても問題ねえな」「へっへ、じゃ、今月はこいつだな」
腕を掴まれた。抵抗したけど、無駄だった。そのまま、引きずるように人気の無い所へ、そして……。
気が付いたら、高校生はいなくなっていた。三月はまだ寒い。身体中が痛い、ベタつく、くさい。涙が止まらない。とにかく身体を洗いたくて、人目につかない林の中の川に、体を引きずるように向かった。
地獄のような毎日に、唯一、私の心を慰めることがあった。それは、十三歳の時のこと。公園で過ごしている時だった。
いつものベンチに座って、残飯を食べていたときのこと。狐が五メートルほど先に表れた。私は何気なくその狐を見ていた。もう日が沈みきり、明かりと言えば公園にある、足元をぼんやり明るくする程度の街灯しかない。そんな中でみた狐は、少々痩せすぎている気がした。
なんとなく、パンに挟まっていたソーセージを投げてよこした。狐は警戒し、ゆっくりとそれに近寄り、匂いを嗅いでから口にくわえ、走り去った。私はなんだか、それが幸せだった。こんな私でも役に立てた、という実感が湧いた。
それから、週に一、二度程、狐に会うようになった。なかなか心は開いてもらえなかったが、それでもよかった。
暴行を受けた日。体を洗い、ボロボロにされた衣服の代わりに、やけにきれいな捨てられた毛布を体に巻き付け、公園のベンチに座った。すると、狐がいつものように表れた。
「ごめんなさい。私、今、あなたにあげられるものはないの」
残飯がないことが、悔やまれた。高校生に引きずられた時、一緒に取られてしまった。残ったものには、あれを掛けられていて、とても食べられなかった。
怖かった。食べ物をもらえないと思って、狐が私のところに来てくれなくなるんじゃないかと。必要とされなくなるのが怖かった。
視界がゆっくり歪んでいき、頬に、熱いものが伝った。これは、暴行を受けた悲しみじゃない。これは、必要とされなくなる恐怖だ。存在理由が保険金のためだけになってしまう恐怖だ。
狐に必死で、見捨てないでほしいと目で訴えた。その願いが通じたのか知らないが、夜が明けて私が家に帰るまで、狐は私の前に居てくれた。
「ありがとう……」
帰り際、私は狐に笑顔で感謝した。狐はじぃ、とこちらを見た後、いつもの方角へ走り去っていった。
帰宅した私は、母親がいないので、寝ることにした。母親がいる間は、怖くて眠ることなんてできなかった。今日一日は、男の家に行っているはずなので、ゆっくり眠れる。
私は家の敷地内の、日の当たらない、人目につかないところに積み上げた段ボールハウスの中に入り込み、そこに敷いた固い布団の上に、今日拾った柔らかい毛布に包まれて、泥のように眠った。眠れたのは、本気に久しぶりだった。
しばらくして、いつものように残飯をもって公園に向かうと、騒がしい声が聞こえた。私は怖くなって、その日は、静かになるまで離れた位置にある公衆トイレに隠れた。
何時間も騒いでいた声が無くなり、人の声がしなくなった頃、私はトイレから出て公園に入った。
何か、異様な匂いがした。嗅いだことのあるこの匂いは、血の匂いだ。背中に冷たいものを感じた。すぐに騒がしかった所へ向かうと、なにかが公園の真ん中に置いてあった。
薄暗くて何か解らない。自分にそう言い聞かせたが、真っ暗なトイレにずっと籠もっていたので、薄ら明るい街灯の明かりでも、何なのかは十分鮮明に見えた。
私の中に最初に走った亀裂は、衝撃。次の亀裂は悲しみ。次の亀裂は絶望。そこからヒビが広がって、数十秒後、粉々に砕け散った。粉砕した心は体を支え切れず、膝が地面に落ちた。そして、目を地面に向けた。
狐だ。あれは狐だった。無惨にも、引き裂かれ、臓物をすべて引きずりだされ細切れにされ、四肢を切断され首を断たれた、狐だった。あの子が、なにをしたと言うのだろうか。なぜ、こんな酷い姿にならなければいけなかったのだろうか。
「おっと、戻ってきてみたら、前のあいつがいるじゃん」「あ、本当だ。あいつ、締まりいいからさ、またマワそうぜ!」「いいなそれ! こいつならやり放題だしな」
あいつらだった。前に私を……。
「どうして……どうしてこんな酷い事を!」
私は感情に身を任せ、高校生に掴み掛かった。驚いた様子が、次第に怒りに変わるのが解った。次の瞬間、強い衝撃と共に、地面に飛ばされていた。
「うぜえよ! ……教えてやんよ。こいつ、なんか知らねえけどいきなり飛び付いてきやがったんだ。だから、ムカついたからぶっ殺したんだよ!」
サッカーボールのように、あいつは狐の頭を蹴り上げた。頭はゴロゴロと転がり、数メートル離れた所で止まった。
「酷い……」
そう呟いた途端、前と同じように引きずられた。しかし、私はもう、抵抗する気が無かった。ただ、狐のことが悔しかった。悲しかった。……怖かった。
布切れとなった衣服は、もう使えないと思い、身体に付けられたものを拭き取るのに使った。また、あの川に向かった。
川に浸かると、途端に涙が溢れた。汚されたのはどうでもよかった。ただ、悲しかった。狐を殺されたことが悲しかった。そして、怖かった。
これでまた、必要とされることのない、生ゴミのような自分に戻ってしまった。それが怖かった。怖くて怖くて、涙が止まらない。いつか、悲しみさえも掻き消して、恐怖が私を支配した。
服は、ゴミ捨て場から合いそうなのを適当に着た。家には帰らなかった。帰りたくなかった。その日一日、公園のベンチに座り尽くした。私を哀れみ、疎む声が風に乗ってやってくる。近付いてきた子供は、母親や近所のおばさんの怒鳴り声で、私のそばまで来ることはなかった。それもそのはずで、私の目線の先には、不完全に隠された血の跡がまだ残っている。死体は、市役所が業者に依頼して片付けたんだろう。
その血の跡を、日が地平線に落ちるまで、眺め続けていた。今の私は、なにも考えたくなかった。もはや、すべてがどうでもよくなってきた。
日が沈み、街灯が照らし始めた頃、私は帰宅した。母一人子一人で住むには少々大きい一軒家。今日も母親はいない。私は居間に置かれたテーブルに向かい、拾ったチラシの裏に、辞書を引きながら字を書いた。
この時、生まれて初めて「遺書」という字を書いた。内容には、ただ母親に向けて「生んでくれてありがとう」とだけ書いて、丁寧に折り畳んで置いておいた。そして、すっかり暗くなった町の中、公園に向かっていった。
どうやって死ぬかまでは考えていなかった。道路に飛び出せば、撥ねた人に迷惑がかかる。線路に飛び込めば、電車の人に迷惑がかかる。飛び降りるなら、その建物の所有者に迷惑がかかる。
結局、私は生きてても死んでいても、他人に迷惑しかかけられない。そう思うと、余計に生きていてはならない気がした。狐だって、私が餌を与えなければ公園に来ることはなく、あの高校生達に殺されることもなかっただろう。
色々悩んだ末、ナイフか何かで首の動脈を切ることにした。手首だと、躊躇ってしまいうまくいかないらしい。なら、首ならどうかと思ったから、首になった。
そう決めても、私の足は公園に向かう。最後に、狐のために祈りたかった。自分のせいで死んでしまったようなものなので、せめて、狐の魂が救われるよう、祈りたかった。昔拾ったマンガの受け売りだ。
公園に着いてみると、異様に静かだった。確かに、林に隣接したこの公園は、町の騒音を林が吸収して静かな所となっている。しかし、今のこの静かさは、異様な雰囲気を醸し出している。
公園に踏み込むと、いつもはあの高校生達がたむろっているベンチ付近に、一つ人影がある。
そうか、今日はあいつらがいないから静かなのか。自分の中でそう納得しようとしたが、どうもこの雰囲気はそれだけでは済まなさそうだった。少し怖かったが、その人影に近付いてみた。どうせ捨てる命なので、怖かろうが私には関係ない。
ベンチの陰になっていた人影の足元が、見えるようになった。すると、驚くべきものが転がっていた。街灯の明かりに照らされるそれは、見覚えのあるような帽子やジャケットを着けていた。あの高校生達だ。しかし、様子が変だ。身動き一つしない。まるで死んでいるかのように。
そこに立つ人影に視線を戻すと、目が合った。途端に、全身が強ばり、呼吸が止まり、人影から目を離せなくなってしまった。蛇に睨まれた蛙、ということわざを思い出してしまった。
怖い。正直にそう思った。腰を下ろしそうになったが、体が言うことを聞かず、膝を震わせながら立ち尽くしていた。不意に、その人影がこちらに向き直り、歩み寄ってきた。一歩近付く度に私の緊張が高まっていく。
人影の輪郭がはっきりとしてきた。彼は端整で中性的な顔立ちをした少年だった。ただ、その黄金色に輝く瞳は、私を射殺すかのように冷たく視線を送る。銀色の髪が、目の前で揺れている。気が付くと、彼はもう、目の前まで来ていた。
意識が朦朧とし始め、思い出した。今私は呼吸をしていなかった。苦しいが、思うように呼吸できない。体のすべてを、目の前の少年に支配されているようだった。私はこのまま死ぬのだろうかと、頭の片隅で意識した。
しかし、不意に少年の瞳から冷たさが消えたように感じた後、体が急に動き始めた。膝が崩れ、地面に落ちる。必死に酸素を取り込むために肩で息をする。酸欠で目の前が霞んでいた。その間もやはり、生きていたいとは思えなかった。酸素を取り込むのも、体が勝手に行っているだけだ。
呼吸が整うと、私は顔を上げた。はるか頭上にある少年の顔と再び向き合う。
「君は、どんな死に方がいい?」
偶然であるだろうけど、私の迷いを少年は言った。私はこの時に、彼が普通じゃない、もしくは人間ではないことを直感した。何故か、人じゃないと思えた。少年は、後ろに転がる高校生達のほうに、少しだけ顔を向けた。
「あいつらは結構うるさく吠えてたから、静かにしてあげたんだよ。喉が無くなれば吠えられないからね」
そう言い放つ少年の顔は、まるで汚い生き物を見下すかのようだった。その顔が再び私を捉える。その瞬間、景色が一変した。
背景は白。目の前に立つのは少年。残酷な笑みを顔に張り付けている。そして、拳を腰で構えたかと思った次の瞬間には、私のお腹に腕が突き刺さった。私の背中からはお腹の中身が、口からは見たことないくらいの量の血が吹き出した。
死んだ。これでやっと……。しかし、次の瞬間にはまた少年が目の前に。こんどは見たことのない黒色の炎を少年が放ち、私の体が一瞬で燃え上がる。タバコを押しつけられたときよりも熱く、それが全身を覆った。
また死んだと思った次には、また少年が目の前に立っている。こんどは頭をゆっくり締め付けられ、潰れた。次は心臓を引き出され、次は容赦なく叩き潰され……。
そんな死のイメージがずっと続いた。その間、私は常に自分を遠くに感じていた。また死んだ、また死んだ、と、自分のことを冷たく考えていた。
ふと気が付くと、私は少年を見上げていた。どうやら終わったようだ。
「さあ、どんな死に方がいい? とは言っても、もう選ぶ余裕なんかないかい? 人間は弱いから……?」
少年は不思議そうに私を見下ろしてくる。多分私が、予想していた行動を取らなかったからだろう。あんなものを見れば、気が狂ったりするのだろうが、今の私は、ただ静かに少年の顔を見ているだけだ。
しばし沈黙が流れる。私が、その沈黙に耐えかねて口を開こうとしたその時、少年は突如振り返った。
「見つけた……玉藻絶狐丸!」
声がして、私もそちらに目を向けると、みたことのない妙な服を着こんだ男女が何人かいた。そして、誰も彼もが武器を所持しており、殺気立っている。
「蓮花一族の……仇っ!」
叫んだ大男が槍のようなものを構えながら、こちらに走ってくる。危ない、と少年に叫ぼうとした瞬間、少年は私の目の前から消えた。次の瞬間には、大男が死体になって地面に叩きつけられていた。
「うるさい奴らだな……」
そう呟くと、少年は腕を前に突き出し、手の平を空に向けた。すると、その手の平に黒い炎が現れ、次第に大きく、丸くなっていった。バスケットボールくらいの大きさになったとき、少年はそれを空に放り投げた。
「雑魚は、消えなよ。炎槍雨」
少年が手の平を握り締めて拳を作ると、その上空で風船が割れるような音がした。次には風を切る音。
近くに、何かが落ちた。びっくりしてそっちをみると、私の一メートルほどのところに黒い何かが地面に刺さっていた。刺さっている所からは、煙が立ち上がっている。
その黒いものに気をとられていると、短い悲鳴のようなものが聞こえてきた。再びあの男女のほうに目を向けると、あの人達がいるあたりに集中的にそれが降り注いでいた。私の近くにも何本か落ちてくる。私は、それに当たればいいと思いながら、一部始終を見守った。
黒いものが降ったのは少しの間だけだった。それがやむと、立っていたのは少年を含めたったの四人だけだった。ほかの人達はみな、どこかに消えている。もしかしたら、焼き尽くされたのかもしれない。あの黒いものは、少年の出した黒い炎だと思うから。
「これが、あの天狐の力なの?」
立っていた女性がそう口にすると、少年の雰囲気が変わったように見えた。何か、怒っているかのように見えた。
「これだから人間は、くだらない生き物なんだ」
少年はそれだけ呟くと、また消えた。いや、物凄い早さで三人に向かって行った。三人のうち二人は、同じくらいの早さで動いた。それが見えた途端、二人はそれぞれ二つずつに分かれて吹き飛んでいた。
「くっ!」
女性が手にした刀を振り下ろした。が、少年は片手でそれを止めて見せた。
「馬鹿な!?」
そう驚いた女性の首を片手で掴み、持ち上げた。
「くだらないんだよ、おまえら……僕の前から消えなよ。アッハハハハハ!」
刀を片手で押さえ、もう片方の手で女性を軽々と持ち上げながら、少年は笑っていた。
笑いを短く途切ると、少年は小さく「羅刹日【凶】(らせつじつ きょう)」と言った。すると、女性の首を掴む手から突然爆発が起き、一瞬で女性を黒が包み込んだ。絶叫が聞こえるその黒い塊を、少年は地面に放り出した。そして、私の方へと再び歩み寄ってくる。
「さて、邪魔者はいなくなったね。これから、君をどう殺そうか?」
少年はそう言い終わると、足を止めた。そして、遠くを眺めるように別の方向を見て目を細めた。
「……ケーサツ、か。これ以上うるさくすると、後々面倒になるかな。仕方がない」
少年は一人呟くと、踵を返した。そのまま、立ち去ろうとしているのだろう。
「ま、待って!」
思わず、呼び止めてしまった。すると、少年は振り返ってくれた。
「命拾いしたね。精々、また僕に会わないように気を付けるんだよ。死にたくなきゃね」
そう言い残すと、少年は高々と飛び上がって消えた。私が再び口にした「待って!」は、林の中に吸収されていった。
しばらく呆然としていると、パトカーのサイレンが聞こえてきた。我に返った私は、その場から逃げるように帰宅を急いだ。
警察というのは、好きじゃなかった。なにかあれば私みたいなつまみものにやたらと疑いを寄せてくる。コンビニから残飯をもらえば、万引きかときいてくる。捨ててあるものを拾えばやれひったくりだの、盗んだだの、と。
私は、家の敷地内の段ボールに潜り込んだ。母親が家に返ってくるのは明後日になるので、遺書は置いておいても平気だろう。それに、私の命も明日で終わりだ。
明日は、少年を探してみようと思う。見つかれば、あの不思議な力で殺してくれると思う。見つからなくても、私は自分の手で死ぬ。私の寿命は、明日なのだ。
だから、今日はゆっくり眠ることにした。明日のことを考えると、怖くなると思ったが、そうでもなかった。たぶんこれが、死を覚悟する、ということなのかもしれない。
文章がへぼいのは御劔の技量不足。内容がつまらなかったら、御劔の構成力不足です。酷評待ってます。