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わたしと幼馴染と最後の日々




わたしと高柳晴久は他人になった。

ただの学校の先輩と後輩に。



――なった、はずだった。


そう、はず(・・)


なぜか。

本当に予想外なことに。

どうしてと、わたしが一番聞きたいけど。


今のわたしは、周りに高柳晴久のグループ(ハーレム)メンバーとして認識されている。

前世をなぞっているようで頭が痛い。


いや、『頭が痛い』程度で済んでいることが奇跡に近いのはわかっているけども!


互いの心持ちがかつてと全然違うことだけが救いだが、華やかなメンバーのせいでわたしの日常生活はとても騒がしくなった。


考えてみれば、少しは平穏な時間もあった。

高柳晴久と、本当にただの先輩後輩に戻っていたとても短い期間。


その頃の学校を賑わわせていたのはあの高柳晴久がついに恋をしたという噂。

学校中がわきたったといっても過言ではなかった。

なにせ浮いた話の一つもなかった彼の、三年目にして初の、突然の珍事だ。


ご存じの通り、その相手は入江陽菜乃。

陽菜乃的にはよく知った空気だろう。

このお祭りのような騒ぎは。


嵐には残念なことで、わたしにとっては予想通りだったことに、彼女は心の底から迷惑そうだった。

律の時の騒ぎにとても似ていたから。

それはいまや彼女にとって苦い経験で、思い出したくもない過去のはずだ。


高柳晴久の方は、見た目のスマートさを裏切って、フられてもつれなくされても熱くアタックし続ける姿が男性陣に好意的に受け止められていた。


わたしは陽菜乃に対する女子の嫉妬を心配していたけど、普段の態度から女子の好感度が高かった彼女は思ったより味方も多かった。

かの高柳晴久のイケメンっぷりにすらなびかず、今までの男性陣に対するのと同じように手酷い態度で接したことが逆に称賛を浴びたくらいだ。


今は一時の熱も冷めて、周囲にはもう付き合ってあげてもいいんじゃないかという雰囲気が漂っている。


多分高柳晴久の計算通りなのだろう。

そしてそれが、それなりに勘のいい陽菜乃が彼を気に入らない所の一つだと思う。

そんな感じで惚れた腫れた、振った振られたと陽菜乃にとっては煩わしい日々が続いていた。


でも、わたしはあくまで当事者ではない。

なかったはず(・・)なのだ。


それをひっくり返し、穏やかな時間に幕を引いたのは当の高柳晴久だった。


ことの起こりは他人になったはずの高柳晴久が我がクラスに飛び込んできたことから始まる。


ぎょっとした。


が、それだけだ。


自分から声をかけることなんてもちろんしない。

他人になったはずの彼に不用意に近づくことは、それを受け入れてくれた彼にとっても失礼にあたると思ったから。

礼儀を忘れてはならない。


感謝と、尊敬の念。

それが当時、わたしが彼に感じていた最も強い感情。


だからわたしは他のクラスメイト達と同様に一体何事かと有名人を見る目で遠くから他人事のように彼を観察していた。


――しかし!

あの男はあろう事か、わたしを名指しした。

わたしを見て、わたしを呼んだのだ。


白雪(・・)! 助けてくれ!」


周りはざわめき、わたしは氷のように固まる。

一体誰の事かときょろきょろとするクラスメイトたちと、固い拒絶の意志を持って高柳晴久から顔を背けたわたし。


だが、彼はまったくもってその意志を汲んではくれなかった。


「召喚が! 魔法陣が! 勇者で!」

「ちょ、まって、」

「強制魔法が…! ターゲット指定されてて! 多分、俺で!! どうしたら!?」

ストップ()!!!」


傍から聞けば中二病認定待ったなしの単語を叫ぶ高柳晴久。

黙れ、と渾身の言霊を込めて名を呼んだ。


効果は、残念ながらなかった。

即座に強い否定の言葉で返される。


「黙らない! だって、きみが助けてくれなければ終わりだ!」


そのままずかずかと教室に踏み込んできた嵐はわたしの二の腕を掴んで懇願した。

助けて、と。


もはや彼の目的の人物が『誰か』なんて明白。


「は、離して! 一体なんのことです!? 落ち着いてください!」


わたしは逃げようともがく。

周りにこの人とはまったくの他人ですと叫びたい気持ちで一杯だった。


ここで不用意に巻き込まれたらもっと大変な目に合う気がしたのだ。

わたしの勘はよく当たる。


「いいや、絶対に離さないぞ! きみが頷くまでは!」

「普通にこわい! イケメンだからってなんでも許されると思わないでください! 今のはただのストーカーの台詞ですよ!?」

「ストーカーだって? この俺が!? さすがにその言い様は酷すぎやしないか!?」

「赤の他人に迫る自分を客観的に見てみてくださいよ!」

「赤の他人じゃないから、その言い分は通らない!」

「じゃあなんだってんですか!」


は!

この質問はいけない。


「そんなの決まってるじゃないか! 俺たちはおさなな、」

「わああ! ストップ! いいです、言わなくていいです!」


状況はカオス。


前世の関わりと単語をバンバン出してくる嵐。

それなりに節度のある人間だと思っていたが、そうではなかったのか……。

それともそれをかなぐり捨てる様な事態が起きたのか。


そう考えて、わたしは心底関わり合いになりたくなくなった。

心を読んだかのように、嵐がわたしを睨み付ける。


それ、幼馴染に向ける顔じゃないと思う。


「一人逃げるなんて許さないからな、白雪」


鬼気迫る顔をずいと近づけられて、そのイケメンっぷりを堪能するより、一蓮托生だと脅す彼に震えあがった。


形振り構っていられない事態に遭遇したらしい。


わたしは結局嵐の手を振りほどけず、衆目環視の中、引き摺られるように教室を後にして、彼のお悩み相談に乗る羽目になったのだ。


連れていかれたのは彼のホーム、生徒会室。

座り心地のいい椅子に座らされて聞かされた話によると。


「足元に異世界転移陣があらわれた!」


とのことだ。

魔法関係どころか異世界関係だったなんて。


「じゃあ、さよなら」


これはわたしの台詞。

今一度、この事態からの脱出を図ったわけだけど、もちろん嵐が許してくれるわけがない。


「きみだけが頼りなんだ」


召喚なんて、見るのも聞くのも、話すのもぜっっっったいに、御免だ。


「無理ですよ! わたしに出来ることなんて高が知れてます」


わたしは地球を愛している。

異世界に行きたいなど欠片も思っていない。


まあ、……たぶん、嵐も。


だからそういうのは、希望者を募るべきだと真剣に思っていた。


「そんなこと言わずに! 昔のよしみで助けてくれ! それか何とかする方法を一緒に考えてくれ!」

「『よしみ』なんてありませんが!?」


他人です、他人!

悪しからずと、そそくさ席を立たとうとするわたしの肩を上からぎりぎりと押し付ける嵐。

悪あがきと言われようとも、『逃げる』という試みをしないわけにはいかなかったわたしの立場もわかって欲しい。


このままただの先輩後輩でいようと今一度提案したわたしへの嵐の答えは。


「他人のふりなんて許さんぞ!」


起こった予想外の出来事に、他人として過ごすというわたしたちの暗黙のルールをばっさりと破り捨てることにしたらしい。


あの時の感傷と感動と、彼の優しさに泣いたわたしの涙を返して欲しい。


すでに白旗を上げかけていたわたしにダメ押しのような言葉が降ってくる。


「いやだ! 異世界なんていやだ! 俺はここで生きていくんだ! 勇者なんてクソくらえ! 俺は一生地球(ここ)から出ない!」

「……」


その叫びはとても切実で、しかもわたしの心情と寸分の狂いのない一致をみせていた。

どうやら前世の幼馴染は今世の同士らしい。


わたしは仕方なく逃げることを諦めた。

全面降伏だ。

両手を上げて、それを示す。


ぱっと喜色を浮かべた嵐の、その目の奥に安堵の感情を見つけて、わたしは力なく笑いかけた。


もしもわたしが彼の立場だったら、わたしもやっぱり彼に縋ったのだろうと思ったから恨むこともできない。


わたしの協力を得たと察した嵐はそっと情報を付け加えた。


とても重要な情報を。


「召喚陣に見覚えがあるんだ」

「……ふうん、――それはそれは」


わたしは嵐がソレから逃れるための協力を惜しまない事を決めた。

にっこりと笑って、嵐の手を取る。


「もっとはやく言ってくれればよかったのに」


どうやらかつての故郷からの招待状らしい。

嵐はぽりぽりと頬を掻いた。


「怖がらせるかもと、思って」

「全然よ? どっちかって言うとぎゃふんと言わせたい気持ち」

「なら、いいんだ、けど……」


確かに嵐は今世も優秀だ。

召喚対象として選ばれてもおかしくない。


――あの国はまだ健在なのだろうか。


「けど?」

「随分と目が据わってるなぁ、と」

「そりゃまあ、……恨み辛みもありますから?」

「わるかった!」


わたしは驚いてがばりと頭を下げた嵐のつむじを見つめた。


「ずっと謝りたかったんだ」


なにを語ろうとしたのだろうか。

わたしはわかっていながら、それを止める。


「あなたは悪くない。なにも、謝る必要なんてないわ」


本心だった。

本当に、彼を恨んではいない。


わたしの死んだあとのことなど興味はなく、知る必要のないことだから、知らなくていい。


わたしの死は、わたしのせいで不幸になった人々への贖罪でもあった。

つまりわたしが死んだのはわたしのせいであり、そもそもわたしを殺したのは国だ。


その業を今世に持ち込むつもりはない。

わたしの後悔も、怒りも、悲しみも、恨みも。

あれで終わり。


国側の人間だったというだけで彼を責めるのは筋違いというものだろう。

だから彼の謝罪など不要なのだ。


けれど、嵐は頭を上げない。


……本当に、頑固な人。

仕方のない人。


ふと、思った。

わたしが死んだあと、この人はどうしたのだろうと。

どう生きたのだろう、と。


――きっと、幸せにはならなかった。

そういう人だ。

そういう、人だった。


そんなことに今更思い至る。

痛みが胸を刺すけど、顔には意地でも出さない。


必要のない謝意。

でも、彼が望むのはきっとそんな言葉ではないから。


「謝ってくれてありがとう。もう十分。だから、顔を上げて」


謝罪を受け取る。

それが救いになることも、きっとある。


「さ、昔の(辛気臭い)話はこれでおしまい。今は召喚の話よ」


ことさら明るい声を心掛けて、ぱんと手を打って前世を断ち切る。

わたしたちは記憶に囚われ過ぎだ。


はっと嵐が自分の置かれている状況を思い出したらしい。


「そうだった! どうしたらいいんだ! また使い回しにされるなんてまっぴらだぞ!?」


同感だ。

形振り構わずの嵐に倣って、わたしも手段を選ばない事にする。


「わたしだけでは解決できないかもしれないし、協力者(助っ人)を呼びましょう」

「え?」


鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした嵐に、してやったりと笑う。


これでも元魔法使いで、身近には地球の特異点たる逢坂夕陽がいるのである。

それ(・・)関係の知り合いもいないわけではない。

というか、いる。


「彼らならいいアイデアを出してくれるでしょう」

「……信用、できるのか?」

「地球出身の異世界放浪者です。あなたと同じ強制召喚の被害者よ。召喚に毎回辟易してるから、きっと力になってくれるわ」


高校に入ったらクラスメイトが賢者だったとか、なんの冗談かと思ったけど、逢坂夕陽(生きた特異点)がいるのだからそんなこともあるだろうと今は納得している。


そうして異世界関係者を集めた会合でクラスメイト(賢者)の放った疑問の一言。


「召喚陣を見たのに召喚されなかったとは、これいかに?」


それはこの場にいる全員の疑問でもあった。


「逃げたからな」

「…召喚陣から? どうやって? 魔法とか? 召喚陣は魔法を弾くだろう?」

「別に、普通に、こう…跳んだり避けたり? そもそも俺、昔から魔法使えないし。なあ、白雪?」


嵐が嵐だと思った瞬間だ。


いつも強制的に召喚させられている杉浦氏(クラスメイト)美弥子氏(その彼女)の心の底から嫌そうな顔をぜひ誰かに見て頂きたかった。


嵐には同意を求められたが、一つその発言を訂正させてもらえるならば、彼は魔法を使えないのではなく放つことが出来ないだけで、身体能力の向上など放出系ではない魔法に関しては右に出る者がいない程だった、ということだろうか。

わたしとは正反対。

そういう意味でかつてのわたしたちは表裏一体のようだった。


「起きてるときはまだいい、いやよくないけど。寝てる時に来られるとさすがに逃げることもできない」


普通の人間は対象が指定されている魔法陣から逃げるなんてこと自体が無理だけれども?

これだから脳筋は。


と、思ったのはわたしだけではないだろう。

嵐以外のメンバーはわたしを含めていわゆる頭脳系魔法使いだ。

それがいかに難しいことかをよく知っている。


起きている時だってこうも四六時中来られると、いつかは捕まりそうだと嵐が頭を抱えていた。

しかも現れる間隔は徐々に狭まり、そのうち日常生活もままならなくなりそうだと疲れた顔で言う。


「とにかく召喚陣を見てみない事には何とも……。相澤は召喚陣を見れば、構造を読み解けそう?」

「知っているものなら多分できるわ」

「読み解くのに必要な時間は?」

「一瞬」


当然、と即答したわたしにひゅうと賢者杉浦氏が口笛を吹いて、くすくすと美弥子氏(聖女様)が上品に笑った。


「相変わらず我が幼馴染殿は優秀だ」


嵐は肩を竦め、わたしは思わず出てしまった昔の自信家癖に赤面した。


そんな召喚陣事件も地球出身の賢者と聖女、異世界記憶持ちのわたしと嵐、ついでに地球の特異点夕陽と共に無事(?)解決に至ったわけだが、弊害として表れたのが先述した周囲の認識。


高柳晴久のハーレムメンバーだと思われるのは本当に勘弁してほしい。


わたしと彼の間にあるのは奇妙な絆であって恋愛感情ではない。

――はず。


嵐の傍には優秀な人が集まる。

生徒会メンバーや杉浦含めた異世界関係勢、陽菜乃や夕陽を含めた美女たち。

その華々しい面々の一員として見られる時は少し肩身が狭くなる。


だが、まあ、彼らの傍が居心地いいことは確かだ。


律には口が裂けても言えないけれども。


わたしにとっては穏やかで騒がしい日々は人生の中でも最も輝かしい記憶となった。

律の学校と合同体育祭なんてものもやったし、彼の学校生活を垣間見もした。


反対に律は嵐と出会った瞬間に天敵と認識したようで、たまに顔を合わせると喧嘩ばかりしている。

同族嫌悪、というヤツだろう。


――それにしても、毎回律が吠えている、


「千紘の幼馴染は俺だ! そうだろ、千紘!」


という叫びは一体どんな対抗意識なのだろう。

わざわざ言わなくても大抵の親しい人は知っていると思うのだけど。


「俺も幼馴染だけど? な、白雪」


煽らないでください、先輩。


「それって争うようなポジションだっけ? 別に幼馴染は一人じゃなきゃいけないって決まってるわけでもないんだし」


なぜ律はそんなことに拘っているのだろう。

困惑に首を傾げると、嵐含めたみんなに温く見つめられるので最近は言わないことにしている。


「いい加減、くっ付いたら?」


とは、最近やっと嵐に対する態度を軟化させつつある陽菜乃の台詞だ。

陽菜乃が折れるのも時間の問題だろう。

嵐の押し過ぎず、引き過ぎずの加減は大した才能だ。


「何回も言ってると思うけど、律は幼馴染よ?」

「だから? それって好きにならない理由にはならないわよ?」

「う~ん、説明が難しいなぁ」

「私に遠慮とかしてるなら、マジでやめてよ?」

「そうじゃないって」


つんと尖らせた口で詰問してくる陽菜乃にわたしは少し考えた。


「……普通さ、好きな人が別の人と付き合ったら嫉妬しない?」

「するわね」

「わたし、しなかったの」


いつの事か、誰の事か、陽菜乃は察してくれた。


「それって、何の感情もなかったってこと?」

「なくはない。幸せになって欲しいと思った」

「……期待に応えられなくてごめん」


陽菜乃が申し訳なさそうに下を向く。


「わあ! 責めたかったわけじゃないんだって!」

「わかってる。でもごめん」


わたしは慌てて陽菜乃の肩を押して顔を上げさせた。

あれは二人の問題で、わたしは本来部外者だったはずなのだ。

その関係が歪んだものになってしまったのはわたしのせいで、謝るならわたしであるべきだ。


「わたしは、陽菜乃が幸せになってくれたら嬉しいよ?」

「ありがとう」


噛みしめるように礼を言った陽菜乃の義理堅さは本来とても褒められることなのだろうけど。

陽菜乃といい嵐といい、みんな必要のない罪悪感を抱き過ぎだ。

二人は実は似た者同士なのかもしれない。


「でもそれはこっちの台詞よ? 私が幸せになるためには、あなたが幸せにならなくちゃ!」


ばちりと長い睫毛に彩られた目がウィンクを飛ばす。

わたしはふふと思わず笑ってしまった。


空気の変え方が相変わらず上手い。

素敵な人だといつも思う。


「で、私としては、その幸せの鍵は大島が握ってると睨んでるんだけど?」


とはいえ、その質問には肩を竦めて答えとした。


「私と大島が付き合った時、幸せになって欲しかったってのは大島に対する感情よね。なら自分は? 千紘が千紘に感じたことは? なにもないの?」

「う~ん、置いていかれた気がして少し寂しくもあった、かな」


それでも、幸せになってくれるならそれでよかった。


「……ねえ、千紘? それで良くない? それを恋って、どうして言っちゃいけないの?」

「だって、恋って燃えるようなものでしょう? 盲目になるほどにその人しか見えなくて、その人の隣を誰にも譲れない。そういうものでしょう?」


少なくとも、わたしが知っているのはそういうものだ。


あれは確かに恋だった。

身を焦がすような恋だった。

呆れるほどに一人しか目に入らなかった。

今となっては、愚かで、醜く、憐れに思う。


けれど、

だから、

――わたしにとって、それこそがまさに恋だった。


恋心を葬るまでに人生と世界を跨いだ。

だからもう恋はしないと思うほど、深く暗く、醜く、だからこそ実る恋は尊い。


あれが恋なら、律に向ける感情は絶対に恋ではない。


ため息を吐いて、陽菜乃はお手上げだと空を仰いだ。




無駄に絡んでくる律とそれを揶揄う嵐とのやり取りは日常化していて、これはもう喧嘩友達か悪友と言うのだろう。


最近、朝練がない日は分かれ道まで律と一緒に登校していた。

ほんの少しの間だというのに、律は毎回律儀にわたしを迎えに来る。

そして件の嵐と出会う。


「いいな! 必要以上に千紘に近づくなよ!」

「はいはい、虫よけになれってことだろ? わかってるから早よ自分の学校に行け。ここから先のお姫様のエスコートは俺が引き受けてやるから、しっし!」

「お前が虫になるなって言ってんだよ! 千紘、男はみんな狼だからな、気を付けろよ!!」

「いいからリツ、ちゃんと前をみて走って!」


びしっと嵐を指差して、遅刻間際だったのか走って去っていく律の方がわたしは心配だ。

隣では嵐が爆笑していた。

嵐にはこんな距離の友人は今までいなかったのだろう、嬉しそうなのがよくわかる。


ちなみに律も本気で嫌っているわけではない。

たぶん良きライバルなのだろう。


放っておいたら永遠と笑っていそうな嵐を促し、二人で学校までの道のりを歩き出した。


「――なあ、わかってると思うけど、あいつはお前が好きだぞ」


なにを思ったのか、ずばりと言われた。


「簡単なんだぞ? お前があいつの手を取ればいい。それでめでたしめでたし。ハッピーエンドだ。難しいことじゃないだろ?」


嵐はバカだ。


「なにを言ってるの? わたしたちはただの幼馴染よ」

「困ったものだな、お前の頑固さは」


こういう無駄にわたしの理解者なところが厄介なのだ。


「どうしてそこまで頑ななんだ」


わたしは口を尖らせた。

頑固になってるつもりはない。

ただ、律には幸せになって欲しいだけ。


「な、白雪。今のお前の魔法はなんのためにある?」


突然、嵐がそんなことを聞いてきた。

そんなの決まってる。


「律のためよ」


即答だ。

彼の、幸せのため。

認識阻害魔法はそのために得た魔法だ。


もしもの話、もっと魔法に容量があったなら違ったのかもしれないけど、一つしか選べないのなら、そこに他が入る余地はない。

一番は、決まっている。


「魔法って、お前の全てだっただろう? それをたった一人のために使う意味は?」


恋だとでも言いたいのだろう。

でも、


「今は、魔法が全てじゃないもの」


あの世界とは違う。

わたしの職業は魔法使いではなく、わたしは魔女でもなく、わたしの唯一の特技は魔法でもない。


「じゃあ、魔法じゃなくてもいい」

「え?」

「料理が得意だろう?」


それは何故かと、嵐が問う。

わたしは心の中だけで答えた。


だって、喜ぶから。


「この学校に入ったわけは?」


当然、英語のカリキュラムがしっかりしてるからだ。


「じゃ、なんで英語を学ぼうと?」


――もし、

もし、このままスポーツの道を歩むなら、世界できっと役に立つと、思った。


「そこまで尽くせるなら、もうよくないか? そろそろ、観念しろよ」


でも、一番大切なことが嵐はわかってない。

ふふと笑う。


「たぶん、律はわたしと一緒になっても幸せにはなれないんじゃないかな」


わたしにとって、好きとか嫌いとか、ホントはわりと関係がない。

前世をそれに振り回され続けていたわたしには、重要なファクターじゃない。


「んなわけあるか。男なんて単純なんだぞ? 好きなヤツと一緒にいられればそれだけでハッピーってな思考回路してんだから」


嵐が、同じ話なんだと言い返す。


「幸せにできる自信がないなら、手を取るべきじゃないと思わない?」


人に不幸を与え続けてきたわたしの信念だ。


「だ~か~ら~!」


苛立つような声を上げてから、それを紛らわすように息を吐いて、嵐が別の視点で反論を試みてきた。


「そもそも幸せにする必要なんてないだろ。幸せにしてもらえばいい」

「わたしは、自分で幸せになるからいいの。でも、わたしの手を取った相手は? わたしと居る以上の幸せがあるかも。もっと、その人を幸せにしてくれるものがどこかにあるかもしれない」


それは、とても怖いことだ。

――たぶん、わたしが一番、恐れていることだ。


あ~あ、といつかの陽菜乃と同じように嵐は空を仰いでから、わたしに苦笑いを向けた。

呆れたというよりは、仕方がないと思ってる顔。


「……やっぱあいつ、一発殴っとくべきだったな」


お前にこんな顔させるんだから。

囁くような声がわたしの耳をくすぐった。


頭を乱暴にかき混ぜられて、わたしは曖昧に笑い返した。




やがて三年生だった嵐は卒業し、わたしたちは二年に進学した。

それでも嵐の残した遺産のせいで相変わらずわたしの周りは騒がしく華やかだ。


陽菜乃はやっと嵐の手を取った。


「はん、あいつも千紘にばっかり構ってないで、少しは恋人に尽くしてろってんだ」


律なりの、嵐に対するエールは捻くれてて面白い。

もしくは陽菜乃に対する気遣いかもしれない。


「これであいつに振り回されることもなくなるだろうし、千紘も少しは自由な時間ができるだろ」

「リツ、嵐はただの友達だし、わたしはいつも自由よ?」

「……あ~あ、今ならわかるなあ。クソ」

「なにが?」

「ほら、昔千紘に言われたことがあっただろう? 近くにいる異性は気に喰わないものだって」

「ん~? そんなこと、言ったっけ?」


言ったっけ?

首を傾げながらちらりと律を見る。

仄かに灯る種火のような瞳がわたしを見つめていた。


もう、随分と長くこの目を見ているような気がする。

いつからだろう。


「ふうん、覚えてないんだ?」

「おぼえてない」


律とわたしは変わらない。

ずっと。

このままだ。


わたしは、そっと目を伏せた。



きっと予感していたのだろう。

こんな当たり前に共にいる日々が、長くは続かない事を。



一人の帰宅途中のことだ。

通い慣れた道で慣れた気配に足を止める。


魔法の、

――揺らぎ。


いつの間にか黒ずくめの男が二人、路地に立っていた。

騒がしいはずの日常から切り離されたように静かに。

異様な出で立ちだというのに、誰も気にも留めない。


フードを深く被った顔は見えない。

声はしわがれているのだろうかと馬鹿みたいなことを考えた。


「相澤千紘で間違いはないな?」


驚いたのは知らない人に名前を言い当てられたことではなく、思ったよりも張りのある声だったからだ。


「……どなたでしょう」


わたしの予感はよく当たる。

前世の職業の為せる業だろうか。


「魔法協会の者、と言えば通じるかな?」


息を飲む。


「我らが君に会いに来る理由に心当りがあるようだね」

「ならば話が早い」


――いつかこんな日がくると思っていた。


あの世界にルールがあったように、この世界にだってルールはある。

この世界に生まれ、生きるわたしは、それに従うべきだ。

従って、生きていくつもりだった。


「きみに魔法規定違反の疑いがかかっている。第一条、(一般人への)第三項。(魔法使用禁止)これを侵すことは、――重罪だ」

本部(イギリス)までご同行願えるかな?」


寂しいな、と思った。

こんな風にこの場所を去ることになるのか。


「罪が確定するまで君の魔法は封じさせてもらう。最も、判決次第では二度と使えないかもしれないがね」


鼻で笑う男からは魔法と外国の匂いがした。

それぞれが翻訳魔法と阻害魔法、いや幻影魔法を使っている。

わたしより容量は多いらしい。


経験値では負けてない、でも、抗うつもりは最初からなかった。


背筋を伸ばしてゆっくりと笑む。

視線を逸らさずまっすぐに、フードから覗く青い瞳を見つめた。


「謹んで、お受けします」


強い視線を目蓋で隠し。

深く、頭を下げた。


引き離される日常が、愛しくて、寂しいけど――。

わたしの魔法が罪になるのなら、わたしが償うべきなのだ。


「……驚いたな」

「抵抗すると思っていましたか?」

「――いや、失礼した。事の重大性に気付いていない、魔法に浮かれた小娘の度を過ぎた悪戯かと思っていたものでね」

「どうやら立派な魔法使いのようだ。丁重にお出迎え致しますよ、レディ」


少し砕けて柔らかさを帯びた声が茶目っ気たっぷりにわたしを呼んだ。

わたしは慣例に則って制服のスカートをつまみ、片足を引いて、もう片方の膝を軽く曲げた。


「お手をどうぞ」


すいと差し出された手を躊躇いなく取る。

取ってから、ふと聞いた。


「一つ、聞かせてもらってもいいでしょうか?」

「どうぞ。答えられる範囲内で、ですが」

「リ、いえ、……被害者には、どのような対処が一般的ですか?」

「――掛けられた魔法の解除。それから、記憶の改竄、もしくは消去ですね」

「そう、……よかった」


それなら、よかった。


安堵で力の抜けた笑みを向けて男たちを促す。


「行きましょう」


踵を返した男に導かれ、町の喧騒がわたしたちを避けるように過ぎていく。


律と嵐と、三人で通ったいつかの道で、ふと嵐の言葉を思い出した。

なぜ、律の手を取らないのかと問う声。


それに答える。


幸せになって欲しかった。

律を、幸せにするためにわたしがいる。

幸せにするために、わたしはわたしになったというのに。


自分がそれを阻む者になってどうするのだろう。

わたしと共には、律は幸せにはなれない。

わかっている。

わかっていた。


だから、その手は取らない。


道に終わりがある様に、歩みにも終わりがある。

だから町の終わりに。

一度だけ、わたしは歩き慣れた道を振り返った。


「レディ?」


止まってしまった足はなかなか動かない。


未練が、そうさせた。

歩幅を合わせてくれる意外に紳士な男たちは、黙って別れの時間をくれた。


空は茜色。

風は穏やかで、夏の匂いが微かに混じっている。


――あなたから、引き離されることが、とても寂しい。


顔を見れなくなることが。

声を聞けなくなることが。

あなたに触れられなくなることが。


身を切る程に、寂しい。


……ああ、わたしは恋をしていたのだな。

ずっと。

長いこと。


燃える様なものじゃない。

それでもこれはきっと恋だった。


わたしは、認めることにした。

最後だから。

もういいかな、と。


ほのかに灯る種火のように、熱を帯びてきたあの瞳。

一方通行だったはずの、

最後まで一方通行であるべきはずの、

鏡の中のわたしの瞳。


彼の、同じ熱を返す瞳は、

消えて、

忘れられ、

魔法は解かれ、

いつかわたしではない、別の誰かを見るのだろう。


律の心を守れたこと、とても誇りに思うけど。

わたしの役目はもう終わり。


律は、これで本当の律になれる。


――寂しいな、と思った。


でも。

それよりも強く、

なによりも強く、



幸せになって、と心から願った。






千紘編完。


「僕と彼女の空巡り」「彼と彼女の空巡り」より杉浦氏と美弥子氏が友情出演。

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