幼馴染とわたし
連載中の作品の続きが思いつかないので、ぬるっと逃走してみる。
随分と昔に、ふと思ったことがある。
ああ、ここはなんて優しい世界だろう、と。
だから私は穏やかに意識に沈んだ。
さて、突然ではあるがわたしには天使のような幼馴染がいる。
男の子だけれど、天使というのは性別を超越した存在なのだ。
可愛いものは可愛い。
幼児の時からかわいらしさが際立っていた彼は、それこそ年を重ねるごとに容姿は洗練されていった。
造形美とはこのことを言うのだろうと思わせるような、完璧な位置に配置された各パーツ。
大きな目は星か宝石を閉じ込めているかのように輝いて、わたしは彼の瞳の中にあるキラキラしたものが不思議で仕方がなかった。
それが欲しいと手を伸ばして、ドン引きされたのは今となっては良い思い出だ。
細くて柔らかな髪質のわりに、色は日本人特有の硬質な黒。
その手触りが好きで、わたしは彼をよく抱き枕代わりにした。
いつも少し困った顔で、それでも大人しくされるがままになっていた彼は随分とお人好しだと思う。
濃い髪色と瞳の色との対比で白い肌のきめ細かさがよくわかる。
もちろんわたしは柔らかな髪に負けず劣らず、すべすべの肌を眺めるのも好きだった。
多分、根本的にわたしはきれいなものが好きだったのだと思う。
それもこれも身近にとびきりキレイな幼馴染がいたせいだからしょうがない。
通った鼻筋は将来の容貌も約束していたけれど、今はまだ頬を上気させて弾けるように笑う顔に誰もが保護欲を掻き立てられるような少年時代。
とはいっても、際立った容姿は良い事ばかりを呼び込んだりはしない。
幼馴染故に、一番近くで見ていたわたしはそれを良く知っている。
正直、女のわたしよりよほどちやほやされる隣の彼を羨ましいと思わなくて済んだくらいには、彼は多難だった。
女の子は小さくても女だ。
なんてよく聞く言葉だけども、それには全力で同意させてもらいたい。
幼稚園の女の子たちの幼馴染に対する勢いと圧は、幼稚園に入園する以前からの付き合いでいつの間にか習慣付いていた、彼との手つなぎを思いっきり振りほどいてしまうくらいのものだった。
解かれた手を戸惑ったように見た幼馴染に罪悪感は募ったけれど、わたしはわが身可愛さにそそくさと彼の傍を離れた。
そして女の子の群れに呑まれる彼。
強く生きろ。
大丈夫、死ぬことはない。
…はず。
と離れた場所から幼馴染の無事を祈った。
「ひどいよ!」
わたしに見捨てられた彼は家に帰ってから隣にある我が家に乗り込んでそう責めた。
容姿のわりに中身は男の子らしく強気な彼が半泣きだったことをよく覚えている。
まあ、そうはいってもこれはまだ微笑ましいで済む話。
笑っていられたのはそこまでだ。
正直、女の闘争は醜い。
そんなものを見せられ続けた幼馴染は若干女の子そのものに怯えるようになっていった。
少しずつ周りが見えるようになっていく彼の成長は、わたしに複雑な思いを抱かせる。
人の目がある場所で、彼との接触を避けるのはわたしの方だったのに、いつの間にか立場は逆転していた。
幼馴染と仲が良いことで、わたしが他の女の子から反感を買っていることを、聡明な彼はすぐに察してしまったらしい。
べたべたとされても困るけど、これはこれで心が傷む。
けれど、全部を放り投げて幼馴染に寄り添えないわたしに言える言葉はない。
自ら距離を置こうとする優しさにわたしは甘えた。
そのかわりと言ってはなんだが、彼は年上好きのお姉さんキラーになった。
大人は子供と違って感情をむき出しにしたりはしない。
わたしから見れば、ペットでもかわいがるような気楽な好意ではあったけど、同年代からの強い感情ばかりをぶつけられてきた幼馴染にとってはそれこそが望むものだったのだろう。
だけど、それもまた長くは続かない。
世の中には、色々な性癖を持つ人がいる、という事だ。
きれいなお姉さんだって、中身がきれいだとは限らない。
いえ、性癖が悪いことだとは言わないけども、犯罪はいけない。
イエスロリータ、ノータッチみたいなものだ。
大人にも、いや大人だからこそ持て余した強い感情はある。
大人だから、隠すのが上手くなっているだけだ。
彼はそこを勘違いした。
同年代には見せない無防備な笑顔で、無邪気に甘える幼馴染は確かにかわいい。
そしてうっかり幼馴染の可愛さに、普段は高く積み上げていた理性という堤防が決壊したのか、ふらりと手を伸ばしてしまう者がいた。
あるいはいい年をしたおっさんに車に連れ込まれそうになったこともある。
普段は淡々とした態度のわたしが切り裂くような悲鳴を上げたことも、喉を壊す勢いで助けを叫んだことも、この時だけだ。
こんな時、幼稚園の女の子の圧にあっさりと離したわたしの手は、一度も離れたことがない。
わたしにとってそれは、幼稚園での自分の立場と幼馴染とのジレンマに悶々と悩むよりずっと簡単な問題だったのだ。
天秤など存在しない勢いで、一択の答え。
彼は危機的状況より、全身全霊で幼馴染にしがみついたわたしに目を丸くしていた。
恐怖を塗りつぶして、その驚きだけが幼馴染の記憶に残るといいな、とわたしは思った。
もちろん意地でも食いついて離さないとばかりのわたしは毎回犯罪者どもに邪魔者扱いされるわけだけども。
「あんたに用はないのよ!」
「離せ、このガキ!」
と、乱暴に引き剥がそうとする大人の暴力に晒されたこともあった。
そりゃあ怖い。
大人ってだけで怖い。
怒鳴られると尚更怖い。
手を上げられれば体が固まる。
それでもわたしは幼馴染の手を握り続けた。
幸いにも、わたしたちの手は最後まで引き離されたことはない。
病院の椅子の上。
くっついたように離れない二人の手に、常識と理性のあるまともな大人たちは痛ましいものみるように、あるいは微笑ましいものをみるように、わたしたちをそのままにしてくれた。
床に届かない足を所在なさげに宙に揺らしながら、ぽつりと彼が呟くように小さな声でわたしに言う。
「…ねえ、あんな時はちゃんとにげていいんだよ」
女性不信どころか人間不信になりかけている彼は、それでも女の性を持つわたしを気遣うのだ。
わたしは優しい幼馴染が好きだった。
こんな時でさえ、わたしを気遣うような彼が好きだったのだ。
だから無言で首を振る。
見なくてもわかる。
ずっとそばにいたからわかる。
きっと、わたしに抱き枕にされているときのような少し困った顔をしているに違いない。
「おんなの子なんだから、傷になったらこまるよ」
大人の力で叩かれて、腫れた頬が痛んだ。
けれど、言いながらも幼馴染の手はわたしの手を握ったまま。
わたしは思い出しただけで震えそうな体を必死に宥めて、溢れそうな涙を見られないように、睨むように前だけを見ていた。
「リツもこまるでしょ」
だから言い方は随分とぶっきらぼうだったと思う。
「え?」
「だって一人は、こわいでしょ」
手を離してはいけない。
それが正解だとわたしは知っていた。
「…うん」
長い間をあけて、幼馴染はやっと答えた。
答えて、彼はほろほろと涙を流した。
こんな時でも夜空のように美しい瞳から零れる雫は宝石のようにきれいだ。
こらえていたものが溢れだしたのだろう、彼は、律は隠していた弱音を吐き出す。
「ぼく、もういやだよ。ふつうがいいよ。ほめられなくていいよ。みんなと同じがいい。ちぃちゃんが痛いのも見たくない。だけど一人もいやだよ。だから『とくべつ』なんていらない」
持つ者を羨む者は多い。
けれど律は持たざる者を羨望する。
「リツはわたしのとくべつだよ。いや?」
「いやじゃない。ちぃちゃんはみんなと違う」
大人たちが慌ただしく行き来する廊下で、わたしたちは手を強く握り直した。
「ちぃちゃんだけ、いればいい」
わたしは思った。
律が律である限り、きっとこれからもこんなことが続くのだろう。
避けようのない災難が、どこか知らないところから、律の意志に関係なく、彼を捕らえようと所かまわずやってくる。
律はどうなるのだろうか。
少しずつ、歪んでいくのだろう。
わたしだけいればいい、なんて言い出すくらいに、すでに歪んでいるのだから。
何か、誰か、律を助けてくれないか。
なにか、わたしに出来ることはないのだろうか。
大好きな彼のために。
わたしが好きな、優しい彼を守るために。
そうしてふと、わたしは思い出した。
出来ることが一つある。
魔法をかければいいのだ。
それはとびきりの名案に思えた。
「ねえ、リツ。わたしが魔法使いだって言ったら信じる?」
律のキョトンとした顔はとても見ものだった。
この世界はとても平和で、命の危険も感じなかったから魔法の必要性も感じなかった。
過ぎたるは猶及ばざるが如しとは、幼馴染が体現してくれている事ではあるが、わたしはまさしくそれを知っていたからこそ、魔法を思い出すこともなく生きてきた。
必要だと思ったから思い出す。
つまりそれは必然だ。
考える。
この世界には魔法伝達物質が極めて少ない。
魔法で生じさせることができる事象が限られているという事だ。
それからこの体。
千紘のキャパシティも極めて小さい。
さて、一体なんの魔法を使って律を救うべきか。
魔法を使うにあたって器はとても重要な要素で、人によってその容量は違う。
それを才能と呼ぶ。
魔法も種類によっても必要とする容量が違う。
そしてそれは一度定めた以上変更は不可能という仕様。
魔法はやり直しの聞かない足し算で出来ている。
例えば、10の容量を持つ者がいたとして、11必要とする魔法は使えない。
2の魔法と8の魔法を使うことは出来るが、それを登録した以上、4の魔法と6の魔法を使いたくとも上書きは不可能、ということだ。
だから魔法使いは自分の魔法を決めるときは殊更慎重になるもの。
便利すぎる魔法という力だから、それくらいの制限はあって然るべきなのだろう。
とはいえ、千紘では本当に大した魔法が使えない。
今のわたしを10と仮定すれば、かつてのわたしは500くらいあるのではないだろうか。
特別でもなんでもなく、それで少ないくらいだった。
つまりいかに千紘にキャパシティがないか、という話。
まあ、それでも魔法が使えるだけ幸いだ。
攻撃魔法も防御魔法も移動魔法も治癒魔法も容量不足。
あれは最低ラインでも50は食う。
回復魔法ならば下位クラスならあるいは、と言った所。
でも、必要としているのはそんなものではない。
出来ることは限られていて、目的は一つで、そのために使えるものがここにある。
わたしは一つの迷いもなく魔法を定め、そして千紘の器はそれだけで9割弱を使い切ってしまった。
魔石やら魔道具やらの、器の容量を増やす手段がこの世界にない以上、わたしの魔法はこれで打ち止めという事だ。
だからそれがわたしに使えるたった一つの魔法。
わたしが選んだ魔法の名。
認識阻害魔法。
幻影魔法すら手が届かなかった。
けれど、きっとそれでいいのだろう。
この世界では、強すぎる魔法は身を滅ぼすだけだ。
魔物もいない、盗賊もいない、旅は危険でもなく、生きるためだけに生きることもない。
世間を騒がせるような派手な魔法はいらない。
必要なのは続く日々を穏やかに守るための手段。
その魔法はとても平和で、とても穏やかで、日常にひっそりと紛れるものだ。
世間に穢れるようになったと言っても、まだまだ純粋だった律はあっさりとわたしを信じた。
幸いなことに魔法を信じだのだ。
強い魔法が使えないわたしにとって、その環境は必要なものだった。
思い込み、あるいは信頼はこの世界にあっては魔石並みの魔法増幅装置。
少しの疑いや反発で立派に抗えてしまうほどにささやかな魔法だったとも言える。
だが、それをもってしても使った魔法の効力は小さい。
わたしの予想以下。
どれくらいかと言うと、10の威力の魔法であるはずのものが、発動するとその半分以下になっていると思ってくれていい。
大体4くらいだろうか。
なぜだろうと考えてすぐに思いつく。
魔法伝達物質だ。
魔法伝達物質とは、その名の通り魔法を伝える物質。
電気で言う、電線のようなもの。
空気中に含まれているそれを伝って魔法は発動するのだが、その分布がこの世界は極端に少ない。
かつての、なんの不便もなくそれが潤沢に溢れていた世界に比べれば、ここは魔法の発動に抵抗を感じるくらいのやりにくさがあった。
平地とエベレストの頂上の空気の違い、と言えば少しは伝わるだろうか。
魔法の威力も低いながら、加えて魔法伝達物質も少ない。
天敵がいないことも含めて、まったくもって魔法が発展する余地のない世界だ。
それでもわたしはこの世界の方が好きだったりする。
魔法と共に、芋ずる式に思い出される圧倒的な記憶量とそれに伴う感情に呑まれない程に、この日常が大好きだった。
それは隣の幼馴染を含む、緩やかに重ねる日々のこと。
そんなわけでこの世界の魔法を阻害する空気はわたしにとっては由々しき問題だった。
仕方がないので質がなければ量を増やすのみ、とわたしは毎日のように律に魔法を降り注いだ。
わたしのささやかな魔法の発動は目には見えない。
攻撃魔法の華やかさや治癒魔法の幻想的な美しさといった副次的視覚効果に対して、認識阻害魔法は光を放ったりしないし、キラキラと瞬いたりも、まして色付いたりもしない。
効果も目に見えるほどの変化ではない。
これでどうして律は魔法を信じたのだろうと今も不思議で仕方がなかった。
けれど結局最後まで律から魔法に抗う感触を得たことはない。
ずっと、律はわたしの魔法を信じ続けていたのだ。
結果を言えば、魔法の弱さはむしろこの場合は吉と出たようで、世間に違和感を抱かせることなく律の容姿はゆっくりと紛れていった。
律は長い時間をかけて、彼の望んだ『普通』になった。
本人の努力と相手方の主観によっては少しはかっこよく見えるかもしれない。
そんな平凡な少年に。
急激な変化は人に戸惑いや違和感や疑心を持たせる。
そしてわたしの魔法はその疑いにあっさりと白旗を掲げるような脆弱なものだったのだ。
だから緩やかな変化ほどこの魔法と相性のいいものはない。
同年代の女の子たちはなかなか手強かったけれど、幸いなことに律への執着は主に容姿。
曇った目を騙すのは決して不可能ではなかった。
少しでも魔法にかかれば、その分執着も薄れ、魔法は加速し、彼女たちの目はあっという間に他の男の子たちに移っていった。
幼い恋心には少し悪いと思っていたけど、それを見て罪悪感は随分と軽くなった。
もとより、わたしはそんなものより律の方がずっと大事だったのだし。
ちなみにいえば、この魔法は確固たる意志にも弱い。
これがわたしが彼女らに対して罪悪感を大いに減らした理由でもある。
ひたりと真摯に、律自身に向き合う目は律の容姿に目が眩んでいる者とは違う。
この程度の魔法では騙せないものがある。
だから律の両親が見る律の姿はきっと律そのもののままだろう。
あるいは魔法にかかっていたとしても、愛情は変わらないという証左。
どちらでも、律には優しい結論だ。
これから魔法がかかった状態の律と出会う者は別として、真実の律の姿を目にしておきながら魔法にかかった少女たちの感情は、所詮はその程度のものだった、と割り切ることが出来たともいう。
律の両親のように、魔法に左右されないものも確かにあるのだから。
そして不便なことに、わたしにとっても律は律のままだった。
かの世界でも認識阻害魔法が広まらなかった理由を今さら実感している。
容量に問題がなかったわたしも当たり前のようにその上位版にあたる幻影魔法を取得して使っていたので、この魔法と向き合うのは実は初めてになる。
自分の魔法の効果が自分の目に見えない、なんて初めてのことだ。
不安で仕方がなかった。
一体全体、本当に効いているのか。
周りの態度から察するしかない。
なるほど、長所が少なく短所ばかりが目立つ魔法だ。
倦厭されるわけである。
そんなわたしが効果の見えない魔法を心折れることなく長年掛け続けられた大きな理由が他に一つあった。
律だ。
いや、好きとか嫌いとか、助けたいとか救いたいとか守りたいとか、そういう意志の話ではない。
単純な話。
本人が。
なんと!
魔法に掛かりやがったのだ。
「すごい! ちぃちゃんは本当の魔法使いだ! 見て! どう!?」
しかも誰よりもはやく、深く、魔法にかかった。
毎日少しずつ変わっていく自分の顔をずずいと嬉しそうにわたしに見せてくる律には呆れるしかなかった。
大体、わたしの目から見た律は一つの変化もないので、どう?と言われても困るだけだ。
そんなわけでわたしには実感できない魔法は当の本人である律の言葉で保証された。
さらりと流しているが、毎日毎日欠かさず掛け続けた魔法が完成するまでにかかった時間、実に五年。
緩やかな変化とはよく言ったもので、これなら成長過程と言われても誰もが納得するだろう。
神童も二十歳過ぎればただの人、と言うわけだ。
律の飛びぬけた容姿も、昔はすごいかわいかったのよ~と口にされる程度に過去の話。
わたしから見た律は昔から変わらずにキラキラしているのでいまいち同意しかねるのが問題といえば問題かもしれない。
とにかく長かった。
本当に長かった。
それはイコール、五年もの間律が欠かさずにわたしの元を訪れ続けたということでもある。
そもそもからしてそれ以前から毎日のように会っていたのだから、わたしには律がいない記憶が見当たらない。
両親の目は最早生ぬるいでは済まされなかった。
「女の子はね、待ってるだけじゃダメよ? たまには飴も与えるのがミソ」
なんてことを幼い少女に教えて来るのか、ばちりとウィンクを飛ばしてくる母は毎日わたしを訪ねてくる律の好意に甘えるな、とおちゃめに茶化す。
そういうものではないと言っても聞いてもらえないのは実証済みだ。
「ね、一緒にお菓子作ろっか? で、明日は千紘の方から律くんのおうちに行きなさいな」
幾つになっても女性は人の恋バナが好きなのだろう。
抵抗を諦めて、母に言われるがまま、母曰く「たまには飴」を実践する日々。
最初はお菓子を持参して訪ねてくるわたしの、若干死んだ目を見て事情を察したのか、少し引きつった顔でわたしを招き入れて「ごめんね」なんて殊勝に言っていた律も、そのうち慣れてお菓子目当てに満面の笑みで玄関を開けてくれるようになった。
「いらっしゃい、ちぃちゃん! はやく上がりなよ、部屋に行こう? 今日はなに作ったの? わ、チーズケーキ!」
「スフレだよ。リツ、好きでしょう?」
「好き好き!」
後ろにいるきみの両親の誤解度が一段階上がってしまったようだよ、律。
訪ねてもたまにはまだ律がいない時もある。
昔はまだしも、今の律には友達がいるのだ。
でも律がいなくても、律の家族と一緒にお茶をするくらいにはわたしもこの家に慣れている。
伊達に長年幼馴染をやっていない。
「ちぃちゃんがお嫁さんなら大歓迎! 楽しみね~早く現実にならないかしら」
律の両親は律の製作者だけあって大変見目麗しい。
「うちの子、親の欲目抜きにしてもとってもかわいいと思うのよ? でもなぜかモテないのよね~。少し活発すぎるからかしら? でも男の子だもの、それくらい元気な方がいいじゃない?」
昔を思い出せば、今の自由な律を見るのはとても嬉しいから素直に頷く。
あと、モテないのはわたしの魔法のせいなので律のせいではないと心の中で謝っておく。
「うん、やっぱりちぃちゃんが一番! どうか律をお願いね」
わたしは曖昧に笑って誤魔化す。
本来なら選びたい放題なはずなのに、幼馴染しか選択肢にないと思われている律が少しわかいそうになった。
わたしたちはいつの間にか小学生になり、低学年のうちは魔法の効きが甘かったこともあってそれなりにモテていた律は、両親の言う通り中学年になる頃には女子に煙たがれるやんちゃ坊主となり果てている。
女の子より友達。
恋愛より友情。
そういう時期だというのもあって、本人は満足そうなのでいいのだが。
健康的に日焼けした典型的な少年。
に、見える律を母はこう評した。
「律くん、良い子だからいいんだけど。昔は女の子の千紘よりかわいかったのよね。あのまま成長したらどんな美男子になるかと思ってたけど、残念だわ~」
しみじみと呟いた母は見事に魔法に掛かってくれているようで何よりです。
一方のわたしの目に映る律は『かわいい』を卒業しつつある。
幼馴染の欲目を抜きにしても、小学校で一番カッコいい男子だった。
そもそも、律が優れているのは容姿だけではない。
基本スペックが高いとはこのことを言うのだろう。
頭も良ければ、身体能力も高い。
性格は魔法の影響でのびのびと成長できているせいか、とても快活で明るく、持ち前のカリスマ性で男子をまとめる力を持った、クラスのムードメーカーのような位置にいる。
律のおかげで彼のいるクラスは団結力が優れて、とても楽しそうだ。
つまり、フツメンになった律は、それでもモテなくはないポジションにいる。
小学生低学年の頃に容姿を隠すだけでは足りないと気付いた律は、今となっては自分なりの防衛策を施していた。
自ら『普通』を演じることにしたらしい。
容姿は魔法で抑えて、自分で抑えるのは成績の方。
以来、彼はずっと図ったかのように中の下の位置にいた。
成績はわたしの方がいい。
けれど一緒に勉強すると、教えられるのはわたしの方。
両親たちはわたしが律に教えていると思っている事だろう。
逆である。
かの世界の、農村出身の元村娘の知識なんてゼロに等しい。
わたしにアドバンテージなんてないのだ。
「別にそこまでしなくてもいいんじゃない?」
その位はありのままでも、と聞いてみる。
「用心に越したことないと思う。だって、おれはちぃがくれた今の生活が気に入ってるんだ」
最近一人称を無理して変えている律がそう主張した。
まだ微笑ましいだけのそれもそのうち馴染むのだろう。
とにもかくにも、律が守りたいと思える現状を作れているなら何よりだと思った。
それならわたしも頑張った甲斐があるというもの。
その代わりと言ってはなんだが、運動能力はあまり抑えるつもりはないらしい。
休み時間にグラウンドで走り回っている姿は確かに楽しそうだった。
全部が全部本当の自分ではない、というのも辛いだろうから、きっとそれがいい。
そう返したら律は変な顔をした。
シャープさが出てきた律の、健康的に繊細な容姿は、わたしだけが見えているのが申し訳ないと思えるくらいに整っている。
そんな彼に特に注目しない世間に対する違和感にも慣れて来た。
でも、いい加減そろそろ頃合いだ。
勉強の手を止めて、律の顔から少し目線逸らして口を開く。
「リツ、もう毎日来なくてもいいよ」
幼馴染離れの時期がきた。
少しの寂しさが、俯き気味なわたしの態度に表れていた。
「なに言ってるの? だって魔法をかけないと…」
「うん、でももうきっと毎日じゃなくても大丈夫」
女の子たちに囲まれて、友達の一人も出来なかった幼稚園時代。
小学生になり、友人たちに囲まれるようになった今の律は容姿のせいではなく、キラキラと輝いている。
でも彼はいつも友人よりわたしを優先する。
遊びを切り上げて、わたしに会いに来る。
わたし、というよりは、わたしの魔法を。
律は自分のために使える時間をもっと作るべきだと思う。
そうできる手段が、今のわたしにはある。
大好きな幼馴染のために、わたしはそれを伝えてあげるべきなのだ。
「魔法は十分にかかったから、少しずつ、期間をのばしていけると思う」
全くのゼロとはいかないけど、ここまで深く浸透していれば、魔力を溜める時間を作って一気にかける方が効率がいい。
今までは魔力を溜めている間に、掛けていた魔法が薄れてしまう事を懸念してこの方法はとらなかったけど、もう十分だろう。
「やっとリツの負担を減らせる」
それが一番うれしい。
それは本当。
だから、今度はちゃんと笑顔を向けた。
「ぼ、くは、負担なんて、思ったこと、ない」
「うん、知ってる」
律はきっとそんなことは思わない。
「わたしが、いやだっただけ」
魔法で律を縛り付けている気がしていた。
わたしの目に見える律がとてもカッコいいから余計に負い目に感じてしまう。
わたしの魔法は、律のための魔法だった。
だから今の状況は本末転倒なのだ。
けれど律は渋い顔を崩さない。
なにを心配してるのだろう。
「大丈夫、期間をのばしたからって魔法が解けたりはしないわ」
そこは元魔法使い、信じて欲しい。
なのに、律はますます渋面を作った。
はて。
久しぶりに幼馴染の心情がわからない。
が、これも成長している証拠と思えば、受け入れられなくもなかった。
いつまでも幼馴染と一緒というのもおかしな話なのだから。
わたしは小さく嘆息して律に今後の魔法計画を話し出す。
安心してほしかった。
まずは一日置きから試して、大丈夫だと確認できてから次のステップへ。
無理をする予定もなければ、魔法を途切れさせるつもりもない。
それから一週間、一月、そんな風に量より質を重視していくつもりだ。
目標は中学生で一月に一回、高校に入る頃には半年までもっていきたい。
大学に行くかはまだわからないけど、道を別っても一年に一度程度ならば会う時間が作れるだろう。
それなら犠牲にする自由も少ない。
「ずっと、そんなこと考えてたの? 最初から?」
「もちろん」
「…いいよ、ちぃの好きにすればいい。おれは言われた通りにするだけだから」
律がわかりやすく不貞腐れた。
どうやらわたしの話の方向性は間違っていたらしい。
少し考えてわたしは口を開く。
「別に何かが変わるわけじゃないよ? リツはわたしの大切な幼馴染だもの」
「……なら、いい」
短い言葉でも、少し赤くなった耳が素直な気持ちを伝えてくる。
やっぱりわたしの幼馴染は今もかわいい。
「そもそも、そろそろ少しくらい距離を置かないと、本気でいつか結婚させられる」
「…は?」
律は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
この小学生の時分に結婚なんて遠い話をされてもピンとこないという気持ちはよくわかる。
けど、最近の両親の圧力はちょっと怖い。
「リツにも選ぶ権利はあるのにねぇ?」
まったくあの両親たちにも困ったものだ。
律に自由をあげたいわたしに対する挑戦だろうか。
それに、これに関しては律だけでなく、わたし側にも問題があった。
恋バナは好きだけど、当事者になる勇気はない。
恋をするのに律ほど条件の整った相手はいないという自覚はある。
でも、そうはならなかった。
わたしは恋愛に臆病だ。
今はまだ誰かを好きになったりはしたくない。
覚悟がない。
特に『幼馴染』なんて属性は困る。
恋に付随するトラウマ並みの記憶がちらちらとわたしを常に覗き込んでくるからだ。
かつてのわたしは幼い恋に溺れ、周りなんて何一つ見ることなく、たった一人を追いかけて村を出た。
傍にいたい一心で平凡な魔法を必死で磨き、泣いて縋って人生の全ての選択が恋に準拠した。
恋だけに生き、それでも叶わなかった恋だった。
恋に破れたわたしが気付いた時には行き遅れの年齢に達していた。
熱に浮かされた後には、冷たい現実が待っている。
惨めで、生きにくい、嘲笑ばかりが向けられる世界で、それからずっと怒りより肩身の狭さに喘ぎ続けた人生。
わたし以外を選んで幸せになった幼馴染を恨んだこともあるけれど、今思えば、幼馴染はあまり悪くない。
彼に思わせぶりな態度がなかったとは言えない。
けれどそれは幼馴染の範疇を超えてはいなかったし、男女としての好意を言葉にされたわけでもない。
勝手に自分が盛り上がっていただけだ。
自業自得。
彼は自分のしたいことをするために、自分の道を選び、進み、歩んだ。
わたしはそれに無理矢理ついて行っただけ。
自分が傍に居なければ、などと思い上がって、支えているつもりで、最後はただの重いだけの荷物になった。
勘違い女と言うに相応しい。
大好きだったはずの彼を思い出すと、困ったような顔ばかりが浮かぶ。
笑ってほしくて頑張るのに、困った顔は増えていった。
彼の笑顔は今も思い出せない。
重くて、痛い女だな、と我ながら思う。
だから今のわたしはこのまま独り身でもいいような気がしている。
ここは生涯独身でも、かつての世界のようなキツイ風当たりはない。
それがありがたい。
もう、ああはなりたくない。
押しつけがましい一方的な愛情を盾に、好意を強要したくはなかった。
見返りを期待した行動ではないのだと、冷静な表情の下で必死にアピールするわたしがいる。
律の笑顔を、忘れたくない。
笑顔を向けてもらえないような幼馴染にはなりたくない。
もう、愚かな選択を、繰り返したくはない。
もう、道を、間違えたくはない。
それが、情けないわたしの本音だった。
律の同意を得たわたしの計画は順調に進んだ。
最初は渋って、必要もないのに「もう慣れた日課なのだ」と毎日顔を見せていた律も、一度友人たちと遅くまで遊ぶことを知った後は無理に会いに来ることもなくなった。
子供の世界は大人が思うより多忙。
今では魔法をかける日と決めた日程をずらしてくれと頼んでくることもある。
多分それはいいことだ。
言って、いいことなのだ。
わたしは律をそういう煩わしさから解放させたいのだから。
「最近、律くん顔を見せなくなったわね」
さみしそうに言う母には悪いが、今のうちに現実を知ることはいいことだろう。
律は容姿が普通でも、十分にカッコいい。
わたしみたいな、家が近いだけが取り柄の幼馴染に縛られる謂れはない。
「リツは、学校でも人気者だから」
小学校も高学年になると、スポーツ万能の明るいムードメーカーなんて強ポジにいる律に目をつける女の子が出てきた。
昔みたいに、律の容姿に群がっているのではなく、その雰囲気や性格に恋心を寄せる子たちだ。
これぞ律とわたしの望んでいた普通の生活。
学校でも向けられる好意に照れくさそうに頬を染める律の姿を見かけることがある。
本当の律の容姿なら今頃、捻くれた女たらしか、世の中を斜めに見る厭世家か、あるいは自分を守るためにすべてに牙を剥ける手負いの獣のようにでもなるしかなかったのではないかと思うから、そんな初々しい反応はわたしを嬉しくさせた。
だけど、わたしと目が合うと、わたしが律の長馴染と知っている彼女たちはまるで勝ち誇ったかのように笑うのだ。
少し彼女たちは勘違いをしている。
律は誰のものでもない。
わたしはただの幼い頃からの知り合いで、決して彼女たちの行く手を邪魔するものではない。
けれど意中の人の傍にいる異性というのは厄介だ。
望むと望まざるとにかかわらず警戒対象になってしまう。
必死の牽制は意味がないのだけれど、彼女たちの気持ちもわかるから、わたしはそっと律の教室を離れた。
どうやらその行動を見られていたらしい。
久々に我が家を訪れた律に聞かれた。
「今日、おれの教室覗いてなかった? 用があったの? 声掛けてくれればよかったのに」
「ん~…あんまり、よくないかなって思って」
「なにが?」
「…さあ、なんだろうね?」
「ちぃはたまに話が通じない!」
深く眉間に皺を寄せて律が唸った。
わたしは唸るほどに律がカッコ良く見える。
眼福、眼福。
「そんなに変なこと言ったかな? わたしが男の子だったらよかったのにって話だよ?」
「話が飛びすぎ」
頭痛を押さえるような仕草にわたしが笑うと、律は幾度か目を瞬いて、わたしにつられたように笑った。
わたしと律との距離は、これくらいで丁度いい。
中学に入ると、魔法は一月に一回程度の重ね掛けで済むくらいになっていた。
受験をしたわけではないわたしも律も、当然のように同じ学校だ。
小学校から一緒だった子もそれなりにいたけど、わたしたちが幼馴染だと知らない人間の方が多くなった。
睨まれることも少なくなった学校生活はわりと快適だ。
学校では、律とわたしにはもう傍から見ても幼馴染と察せられるほどの付き合いはない。
わたしに毎日会いに来る必要がなくなった律が部活に入ったことも大きいだろう。
「昔は、ちぃちゃん、ちぃちゃんって千紘について回ってかわいかったのに、変われば変わるものね」
熱心な活動をしていない美術部所属で早々に家に帰ることの多いわたしに、お菓子とお茶を用意した母が、少し前まで律の指定席だった椅子を見て懐かしむ様にのんびりと言った。
「リツは変わってないよ。昔からカッコよかったし、今もかわいいもの」
「ふふ、千紘は律くんが好きね」
「もちろん。自慢の幼馴染だもの」
母は少しだけ困ったように、でも微笑ましいとわたしの頭を撫でてくれた。
「千紘も、わたしにとっては自慢の娘なのだけどね」
律のように優れた所のないわたしでも、こうして無償の愛が与えられる。
わたしはやっぱりこの世界が大好きだ。
律もいつかこんな気持ちを持ってくれると嬉しい。
だから。
「リツに好きな人ができたら友達になりたいな」
なれるかな、と独りごちる。
母の苦い笑いに、それは難しいのだろうと知った。
だけど、そんな未来は近いように思う。
高スペック幼馴染が、唯一隠さない身体能力を如何なく発揮している。
となれば、活躍しないわけがない。
もちろん才能と言う素養はあっても、努力なしに生かせはしない。
律が才能に溺れることなく、ひたむきに頑張っていることをわたしは知っていた。
それが多くの人に認められて欲しいとも思うから、こんな時ほど強く魔法に感謝することはない。
きっと魔法をかけていなければ、高スペックの律の活躍は当たり前のものとして受け止められてしまっていただろうから。
順調に、わたしが幼馴染であるという理由とは関係なく、学校で律の名前を聞くことが多くなっていった。
嬉しい反面少し困ったことも起きている。
「ね、ちょっと大島くん最近カッコよくなった気がしない?」
「あ、わかる! お調子者なのがたまに瑕だけど、体育の時だけは少しイケメンに見える」
「むしろそのギャップがいいんじゃない!」
「千紘は? 大島くんどうよ」
「あ~そうね、…運動神経いいって得だな、と思ったかな?」
「なにそれー!」
さざめく笑いの中に互いを探る気配がわたしの居心地を悪くさせた。
最近人気者の『大島くん』には興味がないと態度で表したつもりだが、果たして彼女たちの警戒水域から抜け出せているのかは謎だ。
ちなみに、本当に今さらだが、律の苗字は大島である。
小学校まではみんな名前で呼んでいたから聞く機会もなかったが、中学生にもなると気軽に親しくもない異性の名前は呼べないものらしい。
それに倣って一度校内で話す機会があった律を「大島くん」と呼んだら、この世の終わりかのような顔をされたので以来封印している。
あれにはさすがのわたしも焦った。
「あ、見てみて、男子たちがグラウンドに出てる」
「うっわ、このあとまた部活だってのによくやるわ」
「大島がいるー」
「え、マジで!? 見たい! ひゃあ~さすがサッカー部、動きが半端ないわ~」
「ってか、ウケる。本職の癖に大島容赦ないとか。他の男子、サッカー部じゃないでしょう?」
「いいんじゃない? サッカーのこととなったら全力なのが大島くんだし」
「ま、確かに、らしいっちゃらしいかも」
こんな話をしている女子の中で律の名を呼ぶこともできないわたしは、基本彼の話題が出るとノータッチを決め込む。
名を出せないのだから仕方がない。
やがて学年が上がると、所属しているサッカー部の主軸となった律を中心として部員たちはみるみると調子を上げ、ついには地区予選を突破し、県大会出場をつかみ取ったらしい。
学校中がサッカー部の快挙に湧いている。
律にも空前のモテ期が到来した。
その頃、わたしには一つだけ懸念事項があった。
魔法をかけることが減ったからか、最近の律はどうも今の自分が本当の自分だと思い込んでいる節がある。
部活の後の清潔感を気にするところとか、毎朝の前髪のチェックとか、身だしなみに気を遣うのは異性を意識している証拠だ。
そう指摘したら男なんだからモテたいのは当たり前だろう!と返ってきた。
黙っていてもモテるはずの男は、努力しなければモテない現実に認識を寄せてしまうほど、本当の自分を忘れつつあるのかもしれない。
「ハーレムは男の夢だ!」
粛々と考えを巡らせているわたしの前で律が堂々と阿呆なことをのたまったので、わたしは思わず天井を仰いだ。
わたしのかわいい律は随分と俗世に染まってしまったようだ。
「こんなにモテること、今後ないかも!」
わくわくした表情を隠さずに女子にちやほやされる現状をわたしに報告してきた律。
自分の目まで騙してしまった律だから、こうなることは必然だったのかもしれない。
それがいいことなのか、悪いことなのか、この時のわたしには判断がつかなかった。
けれど、目を背けていた現実は否応なく突きつけられる。
駄目だと、忘れてはいけないことなのだと、律にわたしが言えていれば。
そうすれば、少しは違った結末があったのかもしれないと、後悔が過ぎる。
図らずも当事者となったのはわたしと、一人の少女。
彼女は律の初めての恋人だった。
タイトルから想像してた話と全然違った!ってがっがりした方がいたらごめんなさい…。