第四話 殺し屋とナイフ ★
王の間、鏡面仕上げの赤い大理石が美しく、赤いウールの絨毯が数段高い玉座の元まで続く。壁には見たこともない紋様の旗が等間隔にさげられ、その下には鋼の鎧を着込んだ兵が立ち並んでいる。
玉座の天井からは深紅のカーテンがやんわりと両脇に分けられ降りている。
玉座に堂々と座すのはやはり王。
名をアレックス二世。そしてその玉座の隣に佇まうのは、近衛騎士団長のブロードウェイだ。彼は鎧を着込んでおらず、軽装で、腰に剣を差している。
リアムは絨毯に片膝をついて頭を下げながら、早くも後悔していた。
リアムが王の間に入ってからしばらくの沈黙が流れている。
なぜならば、彼の後ろにいるリーンが仁王立ちで王を睨んでいるからだ。
シェイドはすでに諦めているのか、片膝をついてリーンのその様子を無視していた。
「陛下の御前であるぞ!」
リーンに向かって怒号を飛ばしたのはブロードウェイだった。とうとう放たれたブロードウェイの怒号に驚いたのはリアムだ。
リアムはブロードウェイがいつ怒号を上げるかヒヤヒヤしていたのだ。
リーンが片膝をつくまで続くはずだった静寂は、彼の怒号によって打ち切られた。
その怒号の矛先であるリーンは、視線をブロードウェイにゆっくりと移して口を開く。
「あ?」
本来なら可愛らしい少女の顔は、酷く歪んでいた。主に目つきが彼女を台無しにしている。
女神である彼女は、人間に頭を下げるなんてことはできなかった。ここは空気を読んで頭を下げるべきだという話ではなく、これは彼女自身の”質”の問題なのだ。
「良い度胸だ……」
ブロードウェイは腰の剣に手をかける。
「よい」
そう言ってブロードウェイを片手で制止したのはアレックス二世だった。
ブロードウェイは表情の怒りをすぐに消し、一歩下がった。
「リアム、面をあげよ。後ろの者も」
髭に覆われた口を動かして王はそう言った。
「はっ」
返事をし、リアムは顔を上げる。シェイドも顔を上げた。リーンは仁王立ちである。
「よくぞ帰ったリアム。先方での活躍は聞いておるぞ」
「ありがたきお言葉」
「それで、そこの者達はなんだ」
王はそこで肩肘を肘掛けにつく。
リアムは彼らを風呂に入らせてやるべく、多少の融通は利かせるつもりだったが、リーンの態度を見て考え直していた。
というより、王に頭を下げない奴を王宮の大浴場に入らせてやってくださいなど言おうものなら、自分の忠誠を疑われるのではないか。
彼はシェイドとリーンに事情を放ることにした。
ここで彼らがまずいことを言って斬られても仕方ない。自己責任だ。王宮の大浴場に入るつもりだったのなら、それくらいの覚悟はなくてはならない。
「この者達は、王宮の大浴場に入りたいと申しております。どうしてもという様子でしたので、陛下の御前に連れてまいりました」
「ほう。ならば話を聞こう。其処の方」
言われて、真っ先に口を開いたのはリーンだった。
「ここの風呂が一番良い風呂だと聞いた。だからここの風呂に入りたい」
リーンの入らせてもらう気があるのかという頼み方に、王は短く笑った。
アレックス二世、彼が無類の子ども好きでなければブロードウェイの剣がすでに彼女を真っ二つにしている。
「大浴場を貸したとして、余に何か見返りはあるのか? 世は交渉で成り立っている。主の果敢さに免じて、見返り次第では貸さぬこともない」
「見返りか。金ならある」
「金などいらぬ」
王はリーンをからかっている。
良くない雲行きにシェイドは目を瞑った。
「金じゃ無理なのかよ。金以外に持つものと言えば、体だけだな」
「そうだな」
「よし、ならここにいるシェイドが城のどんな騎士をも凌ぐ剣技を披露しよう」
シェイドは再び目を瞑った。リーンが自分に振ってくることは分かっていたのだ。
一方、王は口角が下りなかった。なんだこの愉快な子どもは、と内心で笑いをこらえている。
「城のどんな騎士をも凌ぐ、ということは、ここにいる騎士団長ブロードウェイをも超える剣技を披露してくれるというのか?」
「そりゃもちろん」
ブロードウェイの眉が少し動く。
黙って話を聞いていたリアムは、ブロードウェイが軽視されていることに少し怒りを覚えた。
少なくとも、彼はブロードウェイ以上の騎士を知らない。
「主の名を聞こう」
「リーンだ」
「リーンよ。そのシェイドという者とはどういった関係か」
「……兄だな」
リーンは渋って答えた。ここでは無難な回答を求められていたため、彼女は王道を進んだ。
「そうか」
「で、結局見返りはそれでいいのか?」
早く風呂に入りたいリーンは返事を急ぐ。
しかし、王は「いや」と続けた。
リーンは出そうになった舌打ちを口の中に留める。
「ブロードウェイを凌ぐ剣技を披露できる。つまりそれはブロードウェイより強いということだ」
「そりゃな」
「折角なら、闘わせてみるというのはどうだ」
響いた王の声に、等間隔で並列していた騎士達からどよめきが上がった。
騎士団長ブロードウェイの一睨みでどよめきは消える。
「お、いいじゃねーかそれ」
リーンは言った。
兄が一番強いと思い込む妹は少なくない。王はリーンもそれだと思って笑った。
王宮一番の騎士であるブロードウェイに勝つことは出来ないだろうが、健闘できたら大浴場を貸してやらんでもない。アレックス二世はそういう考えを持っている。
一方、シェイドはとうとう堪えきれずに溜息を吐いた。
そもそも彼は、剣などの長モノはほとんど扱ったことがないのだ。同じ剣を使った戦闘をすることになれば、みっともない剣技を披露することになる。
「シェイドがもし勝てば、風呂には存分に入らせてやろう」
シェイドが負けた時どうなるか、王は話さなかった。
彼にとってこれは余興なのだ。シェイドが負けたからと言って、何をするわけでもない。余興になればそれでよかった。
「ここでやるのか?」
リーンはあたりを見渡して聞く。
「そうだ。
ブロードウェイ、仕度をせい」
「はっ」
言われてブロードウェイは玉座のある段を降り、王から少し離れた所に立った。
代わりに膝をつけていたリアムが王の側に構える。
周りの騎士達は、ブロードウェイの合図で、これから始まる余興の準備を始めた。
「おいシェイド、お前も立て」
いつまでも片膝をついているシェイドにリーンは言った。
「……随分と勝手なことをしてくれたな。
俺があれに勝てるとは限らない」
シェイドは立ち上がりながら言う。
「え、勝てよ?」
「見ろ。俺の剣が用意されている。
剣技とか勝手に言っていたが、俺はアレを扱うことができない」
シェイドの視線の先には、色んな長さの剣が入った壺がある。闘いの為に騎士達が持ってきたものだ。
「嘘だろ?」
「本当だ。アレを使うくらいなら素手の方がマシだ。
だが素手で戦うわけにもいかない」
「じゃあどうするんだよ」
「ナイフか銃が使えるなら、話は別だ」
「なるほど。
……いや、待て?
銃はちょっと違うだろ」
「なぜ?」
「銃はだめだろ。流石に反則だろ」
「そうか? ああ、この世界には銃はないのか。
でも相手は魔法とやらを使ってくるんだろう? 同じ条件だと思うが」
「そうだな……。
……いや、それでも銃はなしじゃねぇか?」
「銃はなしか。確かに、弾は節約した方がいいかもしれないな。
ならナイフを使いたい」
「分かった。聞いてみる」
シェイドと向かい合って話していたリーンは、再び王の方を向いた。
「シェイドの剣技は凄いけど、ナイフのテクニックはもっと凄いぞ! ナイフを使って闘ってもいいか!」
「ああ、構わんぞ」
王の快い返事を受けて、リーンはシェイドに向き直る。
「おし。これで文句ないよな?
絶対勝てよ? 負けたらテメェ丸坊主だからな」
分かったとシェイドが頷くと、彼が先ほど武器を置いた台が扉の向こうから運ばれてきた。
シェイドは並べられたナイフの中から、一番柄の広いナイフに手を伸ばすと、それをホルダーから抜き取って片手に持つ。
そして、ブロードウェイから五歩程離れた場所に立った。
それを見てブロードウェイは言い慣れた口上を口に出す。
「模擬戦のルールは、グリム式で行う。
相手を戦闘不能にするか、降参させれば勝ちだ。相手の命を奪う行為はルール違反とする。
使って良い魔法は身体効果のみとする」
「分かった」
「始めの合図はリアムに掛けてもらう」
「分かった」
「用意はいいか?」
「ああ」
「……リアム、頼む」
シェイドが頷いたのを見て、ブロードウェイは言った。「負けんなよ!」と少し離れたところからリーンの元気のいい声がシェイドにかけられた。
ブロードウェイは低く構え、シェイドはナイフの刃を見つめる。
ブロードウェイはリーンをチラと見た。
彼は少なからず、腕を組んでガンを飛ばしてくる彼女に腹を立てている。
彼の主君は優しい。リーンが子どもだったからということもあったが、あのような無礼な輩を許してしまう節がある。
主君が許すなら、多少はブロードウェイも飲み込むが、リーンは行き過ぎていた。
自分は王の近衛騎士団長である。ああいう輩を許しておけば、王を軽視する連中が増えてくる。
子どもといえど、ブロードウェイには先程からのリーンの言動が許せなかった。
そして今、その怒りはシェイドに向けられつつある。
彼女の兄らしきこの男は、妹の無礼な態度を嗜めることもなかった。妹にあのような言葉遣いを許している時点でどうしようもない兄だ。
さらに自分の実力を間違いなく勘違いしている。
この男、殺してしまってもいいのではないだろうか。
浮かんだその案は、ブロードウェイの中で即時採用となった。
リーンへの制裁という意味も込めて、殺してしまうべきだと考えたのだ。
模擬戦はルール違反で負けという形になるが、多少の罰は甘んじて受けよう。
彼は決意して、リアムの合図を待った。
しばらくの沈黙が王の間を支配した後、リアムがそれを断ち切った。
「始めッ!」
その声を上回る、ドンと大きな踏み込みの音が王の間に鳴り響いた。
ブロードウェイが一瞬で距離を詰め、シェイドの懐へ踏み込んだ音だ。
「……!」
シェイドは目を見開く。
誰が見ても必殺の間合いだった。
ブロードウェイの剣が鞘から抜き放たれる。
瞬きの後には、シェイドの首元で剣が止まり、彼が降参する絵が皆の頭に浮かんだ。
が、ギャラリーの予想とは違った事が二つ起きた。
一つは、ブロードウェイの剣が振り抜かれたこと。
そしてもう一つは、シェイドがその剣をひらりと躱したことだ。
「なっ……!」
ブロードウェイは思わず声を出す。
王を含む見物人も思わず声を上げていた。
今の一閃は、ブロードウェイにとって間違いなく誠心誠意全身全霊のものだった。少なくとも、彼はシェイドを殺すつもりであった。
しかし、その一閃はシェイドの首筋を掠めすらしなかったのだ。
ブロードウェイは悟る。
偶然ではない、完全に見切られた。
剣の刀身長、踏み込みの位置を抜刀から見極め、無駄のない紙一重の回避動作。
その一閃の後に生まれた僅かな隙に、シェイドにはナイフで心臓を一突きする暇があったことを、ブロードウェイは自覚する。
シェイドは一段飛んで、ブロードウェイから距離をとった。
シェイドはブロードウェイの一閃に驚きを隠せずにいた。
シェイドが一瞬の判断を間違えることはなかったが、今の一閃は素直に感心できる質だった。
彼が一閃の後隙に攻撃を加えなかったのは、次の一閃を警戒したからにすぎない。後隙はフェイクだと踏んだのだ。
しかしそれはブロードウェイに対するシェイドの過大評価である。
後隙の一閃が来ないのを見て、シェイドはすぐにその過大評価を下方修正する。
そして、戦闘が始まった以上シェイドに油断はない。
殺しは禁止の模擬戦と聞いていたが、先ほどの一太刀を見るに、そうではないらしい。
シェイドは瞳の光を落とし、ナイフを握り直した。
ブロードウェイの余裕は既に消えていた。一閃の後に生まれた隙は彼の驕りによるものだったが、確実に一度死んでいた。
リーンの言葉は虚言ではなかったのだ。
目の前の男からは、先程は微塵も感じなかった殺気が溢れている。それにブロードウェイの呼吸は乱される。
じりじりと近づいてくるシェイドを見据えつつ、彼は低く構えた。
瞬撃。
ガキンと金属同士がぶつかり合う音が響く。
見れば、ブロードウェイの剣がかろうじてシェイドのナイフを受け止めていた。
ガキンと再び金属同士の衝突音。
ナイフと剣の接吻は瞬き一つの間もない。
離れては衝突を繰り返す。
シェイドは本来の戦い方を放棄していた。
受けに回って、相手の攻撃の隙に必殺の一撃を加えるのが彼の本来のスタンスだ。
彼が今そうしていないのは、彼なりに王の余興を盛り上げようとしているからである。
刃渡り10cmのナイフと刀身80cm近くある剣の打ち合い。
そして押し勝っているのはシェイドが振るうナイフ。
その事実が、ギャラリーの顎を落とした。
「くっ……」
シェイドは剣を引く隙を与えない。
四方から打ち付けられるナイフに反撃の隙はなく、ブロードウェイは後退しながら剣でナイフを受けるしかなかった。
そして、ドンとブロードウェイが壁に追い込まれたかと思えば、ブロードウェイの持つ剣はシェイドによって蹴り上げられる。
宙に舞った剣は少し離れた所に落ち、それと同時にブロードウェイの首元には酷く刃こぼれしたナイフが突きつけられた。
「……降参しろ」
シェイドの一言で、勝負は決する。
「ま、参った……」