第三話 グリム王宮
グリム王宮。
その城はなんとなくハンガリーのブダ城を思わせる外観だった。いや、ブダ城よりは一回り小さいだろうか。外壁の周りに掘られた空堀には、城の門と続く橋が降ろされている。
城の門の両脇に立っているのは二人の門番だ。
二人の門番は、橋に踏み込もうとしているリーンとシェイドを睨みつけていた。
「風呂には入らせてくれなさそうだ」
門番二人の雰囲気を見て、シェイドは言った。
「いいからいくぞ」
リーンは躊躇いもなしに橋へと踏み込んだ。シェイドもその後を追う。
「なんだ、何か用か」
門の前につくと、門番の一人がぶっきらぼうにそう言った。
リーンは小さな体で、門番の赤い制服を下から見上げる。そしてシェイドのコートをちょいちょいと引っ張った。
「風呂に入りたいんだが」
リーンの合図を受け取って、シェイドは言った。
「なんだって?」
門番から返ってきた言葉は、もちろん疑問符のつく聞き返しだった。
「風呂に入りたいんだが」
シェイドはその台詞をもう一度口に出す。
風呂という単語を聞き取って、門番は固くしていた表情を少し崩した。
「ああ、風呂ならあそこのかどを曲がったところにシャルール大浴場があるぞ。
旅の者か? シャルール大浴場は広くて街でも人気の浴場だ。この街に来たなら入っていった方が」
「違う、俺達が入りたいのは王宮の大浴場だ」
門番の言葉の途中で、シェイドは口を挟んだ。
「……は?」
「金ならある」
「9万ウィリアまでなら出すぞ!」
門番の反応からして明らかに無理だと察したリーンは、すぐにシェイドの言葉の後にそう付け足した。
シェイドは本当に全額出しそうなリーンの勢いに、内心嘆息する。
「いや、そういう問題じゃないだろう。無理に決まってる。
王宮の大浴場に入ることができるのは、王族とその侍女と城のメイドくらいなんだぞ?」
「なら湯術士を一時的に雇うことはできないのか」
門番に答えられる質問なんだろうかと思いつつも、シェイドは聞いた。
「それは分からないが、おそらく無理だ」
「なんでだよ!」
「なぜってお前……、王宮専属の湯術士を貸してしまうという前例を作るのがまずいんじゃないか」
「もういい! お前じゃ話にならねぇ! 王を出……んぐっ!」
「おい」
その言動はまずいだろうとシェイドはリーンの口を押さえた。
王を軽視する発言が、少なくともタブーである可能性がある。
だが門番では話にならないのをシェイドも理解していた。
リーンに「お前は喋るな」と耳打ちしてから、シェイドはリーンを解放する。リーンは舌打ちだけして、口をへの字に曲げた。
「王に謁見することはできないだろうか」
「一応取り合ってみることはできるが、おそらく無理だろうな。それに時間がかかる。
今すぐ風呂に入りたいなら大人しくシャルール大浴場に行け」
シェイドはそれを聞いて、大人しくシャルール大浴場に入るのが得策に思えてきた。
しかしリーンは違った。
彼女はどうしても王宮の大浴場の湯に浸かりたい。高慢な女神であるリーンは、そこに至上のものがあるならそれを欲す。
彼女は口をへの字にしてシェイドからの意見を待っていた。
同時に、そんなリーンの思考を表情から読み取ったシェイドは、どう彼女を宥めるか考えていた。
そんな時だった。
後ろの街の方から歓声が近づいてきたのだ。
シェイドとリーンは振り向く。すると城に繋がる通りの先に、白い馬に跨がる一つの鎧が見えた。
兜を被っているので性別は判別できない。
しかし、あの鎧に群がっていく民衆に女が多いのを見て、シェイドは男だろうと推測した。
「おい門番、あれはなんだ」
不躾にそう聞いたのはリーンだった。彼女は鎧を指差している。
彼女の指す先を見て、門番は目を見開いた。
「リアム様の御帰りだ! お前ら退け!」
門番に押し退けられて、リーンとシェイドは橋の脇に立たされた。二人の門番は城門を内に開くと、その両脇に立って敬礼をする。
リアムと呼ばれた鎧の男は、やがて民衆を引き連れて空堀を架ける跳ね橋までやってきた。引き連れてきた民衆を橋の前で制止させ、彼はゆっくりと馬を進ませる。
そしてそのまま門をくぐるかと思いきや、リアムは城門の前で馬を止めた。
兜の中からの視線は、シェイドとリーンに向けられている。彼はその顔を覆っている兜に手をかけると、おもむろに兜を脱いだ。
一度宙を舞ったのは透き通るような白髪だった。整ったその顔立ちは、透明感があって女性を惹きつけるのも納得できるものだ。
「そこの者達は?」
リアムは門番に尋ねた。そこの者達というのはもちろんシェイドとリーンのことだ。
「王宮の大浴場に入りたいと言って聞かない者達です」
「なるほど」
門番の答えに、リアムは頷いた。
あまり知られていないが、王に気に入られた客が少なからず風呂に入った前例もある。
だが門番に王宮の大浴場に入りたいと言っても突っぱねられるだけだろう。主君に話を通さないといけない話だ。
そう思って、リアムはシェイドとリーンに声をかけた。
「丁度、帰還報告をするところだ。ついでだから僕が陛下に取り合ってみようか?」
「ほんとか!」
リーンはすぐに食いついたが、シェイドはリアムの瞳を見据えた。
こうも都合良く話が動くと、何かあるのではないかと思ってしまうのが彼の性分だった。
しかしすぐにシェイドはそれが自分の取り越し苦労だと理解する。リアムからは、人を陥れようとする嫌な臭いがしなかったからだ。
そういった感覚は、彼の重要な自衛ツールの一つだ。色んな悪人を見てきた彼は、それだけで人間性の善悪を判断することもある。
リアムは心優しい、ただの騎士だった。
「頼んでもいいか」
シェイドは言った。
「いいよ。でも、僕は陛下の元まで連れて行くことしかできないから」
風呂に入らせてやってくださいとは言えない。王には自分達で話してくれという意味で、リアムは言う。
リーンとシェイドが頷くと、リアムは彼らに付いてくるよう促した。
ーーー
城の内装はきらびやかな装飾でごちゃごちゃしているかと思えば、そういう訳でもなかった。
綺麗な光沢を見せる石床に、シンプルな彫りの壁や天井。
しかし、大きな間を抜けて扉を開いた先には、まさに王城に相応しい豪華絢爛さがあった。
天井にぶら下げられたシャンデリア。窓から差し込む朝日がきらびやかな装飾に反射してまばゆい。
先には階段があった。大きな階段だ。十数人くらいなら横に並んで登れそうな大きさである。
シェイドは城の内部を観察していた。
城といえば城塞、敵に攻め込まれた時の防衛拠点のはずなのだが、そのための機能はあまり見られず、本当にただ王が住まうためだけの城に見えた。
いや、もしかするとシェイドが知らない防衛機能があるのかもしれない。
二人がリアムの後をついて歩いていると、やがて大きな通路に出た。
リーンはまだ歩かないといけないことにうんざりして、リアムに聞こえるように溜息を吐く。
「もうすぐですよ」
リアムは言った。
リアムは城門をくぐった所で馬を兵にあずけ、その鎧をガシャガシャ言わせていた。すれ違う兵は彼に敬礼をし、城のメイド達は帰ってきた彼に深々とお辞儀をする。
大きな扉の前で、彼は立ち止まった。
扉の前には見張りの兵が二人立っている。
「ここだよ」
「やっとかよ。早く王に……」
リーンの言葉を遮って、リアムは「そのまえに」と言った。
「なんだ」とシェイドが聞き返す。
「武器は全て預からせてもらう。それとか危険だしね」
リアムはシェイドの腰にさがったクロスボウを見て言った。
「分かった」
シェイドはクロスボウを扉の側にあった台に置く。
リアムが見張りの兵二人に合図をすると、兵達はシェイドとリーンのボディチェックを始めた。
リーンのボディチェックは彼女が嫌がったこともあってすぐに終わったが、シェイドのボディチェックは難航した。
なぜならば、彼の体からは次々と武器が出てくるからだ。
それを見たリアムは顰蹙する。
ボディチェックが終わると、ナイフが合計18本にクロスボウ、自動拳銃が2丁、弾倉が4つ、トリカブトの葉が詰められた親指大の小瓶が3つ、キャソックの中の腰に巻かれていた0.25mmのピアノ線10m分、クリッパーなどが扉の横の台に並べられた。
「どこのギルド所属だい?」
見たこともない武器、拳銃を手にとってリアムはシェイドにそう尋ねた。
ギルドというものを知らないシェイドは「ギルドには所属していない」と答える。
するとリアムのシェイドに向ける視線が訝しげなものに変わった。それを見たリーンの面倒くさそうな舌打ちが鳴った。
「これらの武器は?」
「狩りで生計を立てている」
適当に思い浮かんだことをシェイドは口に出す。
「ふむ」
怪しげな視線を向けるリアムだったが、もし何か不穏な動きを見せたら謁見の場で斬ってしまえばいいだけであり、シェイドの風貌からも歴戦を感じられないから大丈夫だろうと踏んだ。
それに、台に並べられているあれらを使って何かするつもりだったとしても、彼は子連れだ。あんな子どもを連れてくるメリットが浮かばない。そういった油断を誘う作戦なのかもしれないが。
なにせ先程から傍らの少女の態度は最悪だった。
「はー、早くしろよノロマ」
スラムの出でも王宮の騎士にこんな物言いはしない。
「……まあいい。他に武器を持ってるならここに置いていってくれ」
「分かった」
シェイドは十字架の首飾りと、ベルトのバックルにしこまれていたナイフを外して台の上に置いた。首飾りにも折りたたみのナイフがしこまれているのだ。
リアムは溜息を吐いて、片手に持っていた兜を見張りの兵に預けた。
「陛下に無礼のないように」
そうしてリアムは扉を開いた。