第十三話 エルフの集落
エルフの女はエシュロと名乗った。
絹の糸のような長く美しい金髪を提げ、彼女はリーンの前を、体を横に開きながら歩いている。
「この町のお風呂はあんまりよろしくなくてですね。森で汚れた人が入るから湯槽の底にたくさん泥が溜まってるんです」
「マジかー。それは嫌だったな」
当然のように、リーンは話に飛び付いたのだった。
そう、リーンも一応は女神である。それ故に彼女は身の穢れを許さない。不浄が気になり始めると、リーンの最優先事項は愛集めから入浴にシフトされるのだ。
愛に余裕があれば、清めの力を使って体の清潔を保つのだが勿論そんな余裕はなかった。
それはこの先も障害になりそうだなと、シェイドはひっそりと問題視している。だが彼も風呂が嫌いという訳ではないので多少その問題に肯定的でもあった。
そして今、そんなことより彼にとって問題なのが、エシュロだった。
彼女はシェイドに一切の関心を示していない。それどころかいないものとして扱っているのだ。
当然シェイドもそのことに気付いていた。
現に邂逅から数刻、エシュロは一度もシェイドに視線を向けることなく、ひたすらリーンに話しかけ、シェイド抜きの会話を楽しんでいる。
リーンの聖なる力を感じ取ったのだとしたら、自分からは何が感じ取られているのだろうか。決して良いものではないだろう。
シェイドは数々の殺しを経て、神聖さとはかけ離れた気を宿していることに気付いていた。
実際それこそがエシュロがシェイドをいないものとして扱う原因で、彼女はシェイドのような人間が女神の側にいることに腹を立てているのであった。
「あ、村に向かう前に広場に寄ってもいいですか?」
「広場に? なんかあんのか?」
「この町には弟と買い出しに来てたのですが、途中ではぐれちゃって……。でも多分そこにいるんです」
シェイドは距離を空けて二人の後を追っている。
彼自身自分が呼ばれていないのは分かっていたので、どのタイミングで二人と別れるか思索中であった。
しかしいくら驕傲なリーンも、エシュロの豪快な無視っぷりには少しいたたまれなくなっていた。
そして彼女もエシュロがシェイドを嫌う理由を察していたので言い出せずにいた。
丁度、シェイドが音もなく立ち去ろうとした時、リーンはとうとう彼の紹介する。
「あー、ところで後ろのは付き人のシェイドなんだけど、こいつも連れて行っていいんだよな?」
「……リーン様、なぜこのような者を?」
エシュロの声色が変わった。
リーンは信仰心の強い者には大分甘く接する節があるが、これには不快を覚える。
「んなもん私の勝手だろ」
「そうですが、相応しくないように思えます」
「あ? 駄目なのか?」
「い、いえ、構いません。彼も案内しましょう……」
リーンの気迫に焦るも、嫌々といった様子でエシュロは言った。
二人の元まで追いついたシェイドがそれに口を挟む。
「俺はいい。一人で行ってこい」
女神様になんて口の利き方だ。エシュロはシェイドを睨みつけた。
「なんだノリ悪いな。来いよ。極上の風呂に入れるんだぜ?」
「歓迎されてもいないのに行くのも忍びないだろう」
「いや、一人にしたらお前どこ行くか分からんからついてこい」
グイッとリーンはシェイドの袖を掴んだ。
「ほら、広場に行くんだろ?」
シェイドを無理矢理連れて、リーン達は広場に向かうのだった。
広場には再び人だかりが出来ていた。
リーンが屈んで足の隙間から人混みの向こうを覗くと、そこでは軽やかなステップが繰り広げられている。
「まーたやってんのか。あ、さっきのあいつじゃん。もっかいやっつけてこいよシェイド」
ギャラリーの中心で激しいダンスを繰り広げるのは、先程シェイドが打ち負かした少年だった。
性懲りもなく……、というよりは踊るのが純粋に好きなのだろう。シェイドがダンスバトルを終結させてから間もないが、少年はもう一度広場にギャラリーを集めたようだ。今度は一人で汗を散らしている。
「お前が行け」
「あ?」
「ちょっと待っててくださいね」
言って、唐突に人混みの輪に入っていくエシュロ。
まさか踊るのかと少し期待したリーンだったが、エシュロは輪の中心で踊る少年の耳を引っ張ってリーン達の元へ帰ってきた。
「いででで、いてぇよ姉ちゃん!」
「弟ってそいつだったのかよ!」
「弟のエンギです。あら、ご存知なのですか?」
「いや、さっきシェイドがだな」
「あっ、アンタは!」
シェイドを見て声を上げるエンギ。
エシュロに両耳をビーンと引っ張られ、彼に掛かっていた魔法が解ける。
エルフの長耳が顕になり、エンギは慌てて耳を押さえてしゃがみこんだ。
それを見ていたギャラリーが口々に言う。
「なんだエルフだったのか」「そりゃあ人間じゃ勝てねぇよな」「あのとんでもない踊りも納得だぜ」
やがて人だかりは消え、リーン達は広場に取り残された。
「なんだお前、ズルしてたんじゃん」
リーンの心無い言葉が未だ耳を押さえてうずくまるエンギに突き刺さった。
「なんだよ、いいじゃんか! そうしないと誰も俺と踊ってくれないんだよっ!」
「こら、エンギ! リーン様になんて口を利くの!」
エンギはエルフとしてはまだ若い。そのため、まだリーンの神聖さも、シェイドに蓄積している穢れた気も感じられなかった。
しかし姉のエシュロにきつく窘められ、すぐにリーンに頭を下げる。
その際にシェイドの存在を思い出し、彼は言った。
「大体その人もおかしい! あんなの人の動きじゃないだろ!」
「残念ながらシェイドは歴とした人間なんだよな」
「くそう……!」
「さて、弟とも合流できたことですし村に向かいましょうか」
ーーー
エルフの村は、森のさらに深いところに位置していた。
エシュロの言った通りガリフスの町からは然程遠くなく、彼女の案内で一時間ほどの距離だった。それでもリーンは歩かされることに文句を吐いていたが。
木々に囲まれた村は、規模としては集落。美しい木造建築が数十軒疎らに並んでいる。
特筆すべきは村の至るとこから出ている湯気だ。山の傾斜に沿って点々と立ち上る湯気の数だけ、この村には温泉が湧いている。
「おお!」
「ここが私達の村、ユフエです」
リーンが到着してから、彼女の神聖さを感じ取った村人達が「なんだなんだ」と集まってきていた。
「皆さん、こちらは女神のリーン様です!」
一頻りの村人がリーン達を囲んだ後、エシュロが大仰に声を張り上げた。
しかし今のリーンの姿は女神というには説得力がなく、村人達は戸惑う。
そんな彼らを見てリーンは大人の姿を顕し、偉そうに胸を張った。
そんな時、背後の森から都合よく木漏れ日が差し、リーンを神々しく照らす。
「女神様だ……」
「後光が差しておる……」
「さあ私達を持てなせ」
そしてリーンの一言である。
あれよあれよという間にリーンの歓迎ムードが広がり、リーンは村人達に囲まれ、どこかへ連れ去られて行ってしまった。
ポツンと取り残されたのはシェイドとエンギだ。
「なんなんだ」
「さあ……」
リーンがいない以上シェイドがここに留まる理由はなかった。
町に戻るか。
そう思って静かに村を去ろうとした時、エンギか彼を引き止めた。
「待って!」
「なんだ」
「あのさ、俺にダンスを教えてくれないか? アンタみたいに踊れるようになりたいんだ」
シェイドは嘆息する。
シェイドのダンスは殺し屋の時代に機会があり、覚えたものだ。踊りが心から好きな少年に教えられる程のものではない。
少し考えて、シェイドは首を横に振る。
エンギはがっくりと首を落とした。
「じゃあさ、せっかくだから俺と遊んでよ!」
またもシェイドには難しい頼み事が繰り出される。
エンギはエンギでそれなりの事情があった。
長寿のエルフは子どもを産むスパンがとてつもなく長い。この小さな集落にエンギと同世代の子どもがいるはずもなく、少年は遊び相手に困っていた。
町に出てダンスバトルなどをやっている理由でもある。
「あの女神さまはしばらく解放してもらえないと思うぜ」
リーンがもてなせと言ったのだから当然である。
シェイドはその間町で観光の続きでもして時間を潰そうと考えていたのだが、遊んでやるくらいならと思い、頷いた。
「マジで! やったあ!」
エンギは目を輝かせ喜んだ。
そうして日が暮れるまでシェイドはエンギと遊んだ。
エルフの遊びと言っても普通の子どもの遊びと変わらない。
木に登ったり、コマを回したり、高いところから飛び降りてみたり、シェイドが幼い頃してきたものと変わらない。
西日が差す頃には弓を引いて遊んでいた。
「案外衰えてないものだな」
「すげーっ! 百発百中じゃん!」
円を重ねて的を描いた大木に、無数の矢が刺さっている。そのほとんどが的の中心を射抜いており、エンギが放った矢は付近に転がっていた。
「なんでもできるんだなシェイドって!」
「そういうわけではない」
エンギはすっかりシェイドに懐いたようだ。
ふと、そんな二人に近づく足音があった。
シェイドはチラリとそちらを見やる。
するとそこには成人した男のエルフがいた。背中に弓を担ぎ、片手に仕留めた大きな兎を無造作に掴んでいる。
いかにも戦士という風貌。鋭い目つきに、引き締まった体。無駄な筋肉は一切ついていない。
「エンギ、そいつと関わるべきではない」
開口一番そう言い、男は仕留めた獲物を地面に放り、弓を構えた。
その矢先はシェイドに向いている。
「ヒョウガの兄貴! 何するんだよ!」
ビュンと、射られた弓はシェイドの髪を揺らし、耳元を通り過ぎた。
そして大木に描かれた的の中心に突き刺さる。
ヒョウガと呼ばれたエルフの男は弓を再び背中に担ぎ、放った獲物を拾う。
その時目に映ったのはシェイドの持つ弓だった。
(こいつ、童子用の弓で……)
既に的の中心に刺さっている無数の矢は見間違いなどではなかった。
「エンギ、行くぞ」
「シェイド、ごめんな」
心から申し訳ないという顔をしてエンギは言った。まだ子どものエンギが大人のエルフに逆らえるはずなく、彼はシェイドを離れヒョウガと共に去っていった。
シェイドは近くの切り株に腰を預けた。
西日も山の向こうに消えつつあり、辺りは徐々に暗くなっている。
そんな彼に甲高い声を叩きつけたのはリーンだった。
「ここにいたのかお前! 探したぞ!」
子どもの姿に戻っているリーンは、シルクのローブを羽織ってシェイドを見下ろしている。
髪が濡れているところを見ると、風呂にも入った後のようだ。
大いにもてなされたようで、表情だけでその機嫌の良さは窺える。酒も入っており、彼女の頬は紅潮している。
「なんでついてこなかったんだよお前」
「無茶を言うな」
シェイドは歓迎されていないのだ。それでいてもてなされようなど厚かましいにも程がある。
「まあいい。今から飯だぞ、お前もこいよ」
「俺はいい」
「いーいーから、こーいよ!」
切り株に座るシェイドを無理に立ち上がらせ、リーンはぐいぐいと村の方へ進んでいく。
シェイドが連れて来られたのは、エルフの村の長老の屋敷だった。
居間には村中のエルフが集まっており、そこにはエシュロにエンギと、先程のヒョウガもいる。
何よりリーンの目を輝かせたのは、広い居間一面に用意されている豪勢な食事だった。村の民はそれを囲むように星座している。
「おお〜!」
感嘆するリーンを他所に、シェイドには奇異かつ敵意混じりの目に晒されていた。
なぜかのような者が女神の付き人なのか。無言の詮索が始まる。
「ほら食うぞシェイド」
言って、勝手に食事を始めたリーン。
今のは彼女なりにシェイドに気遣った言葉だったのだが、彼はそれに気が付かない。
そして、この緊迫した空気の中食事ができるほど彼は無神経ではなかった。
しばらく立ち尽くし、豪快に食事を進めるリーンを見ていると、村の長老がリーンの前に座した。
「長老か! 美味いなここの飯は!」
「楽しんで頂けているようで幸いです、リーン様」
長い白髪と、座ると床まで着く長い髭。
村一番の年長者にしては生気に溢れているなと、シェイドは思った。
「そのままお聞きください」
「おう」
「リーン様はなぜあのような付き人をお選びになったのでしょう?」
「はー、またその話かよ」
「よろしければ村一番の戦士を旅のお供に連れて行かれませんか? 不浄の者をリーン様のお側に置いておくのは我々としても忍びない」
「あのなぁ、こいつには私を下界に突き落とした責任をとってもらわないといけないんだ。お前らがいちいち口出してくるなボケ!」
リーンはシェイドの膝をバンバンと叩いて言った。
他のエルフならここで退いていたところだが、長老ともなると女神相手にも強く意見する。それほど、神に縁の深いエルフという種族にとって、シェイドの存在は許せないものだった。
「申し訳ございません。ただ、私どももリーン様のお力になりたいのです」
長老はチラリとヒョウガに目配せする。
するとヒョウガは長老の隣までやってきて膝をついた。
「村一番の戦士、ヒョウガです。弓の名手で、この者程の使い手は故郷のガルドリアにもそうはいないでしょう」
「ほう?」
リーンは食器を置き、口元を拭う。そして木製ジョッキの中の酒を飲み干すと、彼女は良い余興を思いついた。
「じゃあうちのシェイドと戦わせてみるか?」
「なぜそうなる」
シェイドはとうとう口を挟む。
それにリーンは無言で銅貨を弾くことで答えた。
床に落ち、上を向いた面は表。
シェイドはリーンに従わざるを得なくなる。一歩引き、彼は黙り込んだ。
「良いでしょう」
長老はニカリと笑う。
「もしシェイドに勝ったらそいつも連れてってやるよ」
風呂は余計な争いを発生させるらしい。
シェイドは城での一件を思い出しながら嘆息した。




