第十二話 湯を求めて
「全く、殺し屋がどこでそんな芸当覚えたんだって話だよな!」
ジャラジャラと、小銭同士の擦れ合う音が盛大に鳴り響く。
拾った投げ銭が巾着袋を一回り膨らませ、リーンは上機嫌にそれを振り回しながらスキップ混じりに歩いていた。
そんな彼女を、少し後ろから追って歩くシェイドは溜息混じりに言った。
「別に金に困っていた訳じゃないだろう」
リーンの羽衣を売って手に入れたお金がまだほとんどまるまると、賞金首のバッシュをギルドに突き出して手に入れたお金がそのまま残っているのだ。
にも関わらず先程の、卑しく投げ銭を拾い集めるリーンの姿は到底女神の立ち振る舞いだとは思えなかった。
とは言え、そんなリーンの身性にも大分慣れてきたシェイドが、それを見てとやかく言うことももうなくなっている。
「バーカ、金はいくらあっても困らなねーんだよ。ていうか、そんなこと言う割にはお前もノリノリで踊ってたじゃんか」
否定の意味も込めてシェイドは目を瞑る。
凄まじいパフォーマンスを披露した彼だが、やはり後悔していた。
殺し屋を生業としてきた彼にとっては人生初の大舞台だったとも言える。しかしキューピッドとして新たな人生を歩むことになっても、目立つことをマイナスに考えてしまう性は治りそうになかった。
それに、ダンスバトルを挑んできた少年の期待には応えたが、結局得したのはリーンだけだ。それが彼女の思惑通りだったかはさておき。
だがギャラリーを飛び越え逃げ出していれば、それはそれでせっかくの盛り上がっていた雰囲気に水を差していたことだろう。
つまり場が白けるのを避けた、という結果でもあった。
「意外と空気読めるよなお前」
そんなシェイドの思考を読み取ったのか、リーンは言った。
「あんな特技があったならそれこそ王の前で披露してやればよかったんだよ。絶対ウケたぜ?」
王城での一件を思い出しながら、リーンはシェイドを振り返り後ろ歩きを始める。
「ありえないだろう、それは」
シェイドは王の前でブレイクダンスを披露する想像を打ち切った。
「ぷ、くく……、確かに……、想像しただけで笑える光景ではあるけど。だけどまあこれでもう一生金には困らないってもんだな。
殺し屋改め、キューピッド改め、ストリートダンサーだ! これからはそれで食っていけよお前!」
身振り素振りと、巾着袋を振り回してリーンは言った。
「馬鹿を言うな。二度とやるものか」
「は?」
ピタリと、リーンは足を止めてシェイドの顔を見上げる。
街並みを見渡しながら歩いていたシェイドはそんなリーンを追い越し、先を行く。
先行くシェイドの袖をパシッと掴み、リーンは引き止めた。
「……なんだ」
振り返り、尋ねる。
リーンの片手に下がる巾着袋はほとんどパンパンで、それを結ぶ絹の紐が重たそうにピンと伸びている。
「いや、やってもらうからな?」
「これから先、金銭面で窮地に陥るようなことがあれば考える」
ともあれ、当分金銭面での心配は必要ないだろう。
問題は愛なのだ。
リーンは消滅の危機に瀕しているというのに偉く気楽である。シェイドは袖を掴んで離さないリーンに一瞥をくれるが、彼女が何を考えているのか窺い知ることはできなかった。
ふと愛の残量が気になって、彼はLOVEメーターを取り出した。
森の道中で確認した時に500lgだった愛だ。リーンはしばらく平気だと言っていたが、もうかなり限界まで来ているんじゃないだろうか。
そう思ってシェイドがメーターを確認してみたところ、目盛りはおおよそ3000lgを示していた。
「ほー、結構増えてんじゃねーか」
LOVEメーターを持つシェイドの手を引っ張り、リーンもそれを覗き込んでいた。
「なぜ増えてる」
「そりゃあお前が踊ったからだろ」
「待て、なぜそれで愛が増える」
リーンの理解不能な言葉に、シェイドは眉間を押さえて言った。
投げ銭によって金は増えても、愛が増える理由はまるで見当もつかない。
「なんでって、踊ってるお前を見てかっこいいとか凄いとか思った奴がいたんだろ」
「そんなことで愛が集まるのか?」
「昨日酒場でも言ったじゃねーか。愛って言っても色んな種類がある。凄いとか、かっこいいとか、かわいいとか……、そう言う感情もまた愛のカタチになりえる。逆もしかりでさ」
シェイドはリーンが踊りのやるやらないで突っかかってきた理由に納得しながら、「なるほどな」と相槌を打った。
それだけで集まるなら、グリムスワールでのメーターの微増減にも納得が行く。シェイドやリーンを見て、何らかの感情を抱いた者がいた、ということなのだろう。
「まあでも、効率はあんまし良くねーんだ」
リーンは腕を組む。
むしろその方が効率が良いやもしれない、と考えたシェイドはまたそれを問うた。
「どうしてだ?」
シェイドは歩みを再開させながら聞き返す。
リーンも小さな歩幅でそれについていく。シェイドはリーンのペースに合わせた。
「よく考えてみろよ。逆に言うとだな、あれだけの人数を相手にダンスを披露したのに3000lgしか溜まってないんだぜ?
さっきのお前のダンスは私が見ても相当のもんだった。ならもっと溜まってもよかったとは思わねーか?」
確かに、グリムスワールで兄妹と街の令嬢を引き合わせた時はそれだけでしばらくの間、そこそこな量をして愛は増え続けた。
それに比べると割合的に3000lg"しか"とも言えるかもしれない。
「これはな、負の感情の相殺があるからなんだよ」
「そういうことか」
シェイドはその一言で愛のからくりをざっくりと理解したようだがリーンは説明を続ける。
「例えばさっきだとお前の相手をした少年だ。あの少年は、お前に負けてきっと悔しかっただろうな」
最後にくそうと叫んで去っていった少年を、シェイドは思い返す。
「それだけじゃない。嫉妬もしたはずだぜ。他にも邪魔しやがってとか、どうしようもない怒りとか、恥ずかしさとか。
ギャラリーの中にもいただろうな。どうせ私はあんなふうにはなれない、なんて自虐、諦観、やっかみ。
愛に混じって、そういう感情を抱いている奴がたくさんいる」
「……それが愛を打ち消す訳だな」
「そうだ。でもそれらの全てが全て悪い感情って訳でもないんだぜ。あるべくしてある感情。ようは受け取り方次第なんだけどな。
プラスの感情が存在する以上、対を成して必要なもんなんだよ。
はー人間クソめんどくせえとは思うけど」
珍しく身の入った、あるいは身になるリーンの話にシェイドは聞き入った。
この辺りの話をシェイドに聞かせる時は、リーンも少しは女神らしくあろうとしているのかもしれない。
シェイドは頭の中で愛に関する情報を整理する。
つまり、正負関係なくどんな感情からも愛は生まれるが、そうでない純粋な負の感情も存在する。
その負の感情は愛を相殺する対の存在。だけどリーンはこの負の感情を一概に悪として扱っている訳ではない、と。
「ま、これを踏まえた上でお前にはこれからダンサーをやってもらおうかなと」
「拒否する」
「は?」
「あ?」
「大丈夫かお前話聞いてたか?」
「お前こそ今の話は一体なんだったんだ。それに、効率が悪いんじゃなかったのか?」
「なら良くすればいいんだよ。もっと人数集めて、長時間踊れ」
「悪いが俺には向いていない。そんな大道芸染みたこと」
「あのさ、シェイドお前なぁ。さっきのダンスもそうだけどそういうのはどんどん披露していかなきゃもったいねーだろ?
人に凄いって思わせるのは簡単じゃあない。それこそ人の受け取り方次第だからな。でもお前にはそれができるんだ。それに特化した技を持ってるんだ。むしろ向いてるんだぜ?
な? やろう? ダンスで生きていこう?」
馬鹿にしてるのか真剣に諭しているのか分からないリーンを傍目に、シェイドはいつしか街のバザールに出ていることに気づいた。
ガリフスの森林街。この街のバザールは非常にユニークだった。
色とりどりの葉っぱのテントの下には商人が陣取り、主に色んな木の実やら果物を売っている。
自然の木々に実った果実をそのまま売る商人や、幹に梯子を掛けて木々の上に店を開いている商人、森の性質を活かした様々な商売がそこにはあった。
市場と言ってもやはり森の中なので、住宅のあった区画に比べれば多少拓いているものの、自然の木々に合わせて開かれた店々は客のことをまるで考えていない。
客が物色し易いように、ズラッと店が立ち並んでいる訳ではなかった。
「おー、こりゃすごいな」
騒いでいたリーンもその景観に感嘆している。
「せっかくだし見ていくか? シェイド」
「そうするか」
頷きながら、シェイドは視線の隅に耳の長い美しい女性を見つけた。
リーンはそんなシェイドの視線に気付き、言う。
「あれはエルフだな。こういう町だからある程度共存できてんのか」
エルフといえば物語では有名な種族だ。シェイドは孤児で暮らしていた頃に聞かされた民話を思い出しながらその女性を遠目に眺めた。
ふとその女性がこちらを振り向きそうな気がして、シェイドは視線を逸らし歩を進める。
少し進んでバザールを見回してみると、他にも、子供の体躯をしたふけ顔で筋肉質な男や、さらにその男の半分程のサイズで大きな荷物を運ぶ少女など、明らかに同じ人間だとは思えないような容姿をした者がチラホラと見受けられた。
「色んな種族がいるんだな」
シェイドは素直に感心していた。
彼のいた世界では考えられない光景だ。
こちらの世界に来てから、幾らか想像を超えたものを見てきたが、この光景は魔法などよりもシェイドの興味を引いた。
「大昔にはお前のいた世界にも色んな種族がいたんだぜ。全部人間が滅ぼしちまったんだけどな」
「そうなのか」
「全く、罪深いだろ? でもその話は私が生まれる前のことだから然程興味もねーんだわ」
ケラケラと笑い、リーンはバザールの多種多様な種族に視線を移していく。そしてなにやら満足げに頷いた。
「いい町だ」
自然に生きていると、隔たりのない優しい心を育むことができるのだろうか。
シェイドはなんの違和感もなく馴染んでいる彼らを見て思う。
「しっかし食い物ばっかだなあ。……というかお前のダンスですっかり忘れてたけど、私達は大浴場に向かってるんじゃなかったか? それがなんでこんなところまで来てるんだ」
「そういえばそうだったな」
リーンは当初の目的を思い出して立ち止まった。
広場の先にある大浴場。なぜか道外れてここまで来ているが、往々にしてある失敗だと思い、リーンは笑った。
しかしシェイドの方は入浴という目的を忘れていた訳ではなかった。彼は彼で無意識に歩いた結果がこれだ。
「飯食ってからにすっか」
「そうだな」
そうシェイドが相槌を打ったとき、一人の女性がシェイドとリーンを追い越し、そして彼らの前に立ち塞がった。
思わず歩みを止める二人。
その女性は、先程見かけたエルフの女だった。
当たり前だと言わんばかりの端整な顔立ち。透き通るような白い肌に、大きく丸い水晶のような瞳。
シェイドがじっと観察するのをよそに、エルフの女はリーンの前に小さくかがみ、彼女を興味深そうにジロジロと見始めた。
「な、なんだこいつ」
「なぜでしょう。あなたから途轍もない神聖さを感じます」
「あー……」と、リーンは納得したように呟いた。
エルフの女はときおり首を大きく傾げ、目を細めたり少し距離をとってみたりしてリーンに釘付けだった。
頭の上に疑問符が浮いて見えるくらいリーンの神秘性に首をひねっている。
リーンの纏う神聖さ、シェイドには微塵も感じ取ることができないそれは、エルフにとっては耐え難い甘美の誘いである。
「あなたは天使様?」
ようやく彼女の中で結論を出したのか、美しいエルフの女性はそう尋ねた。
「いーや、女神」
リーンが答えると、エルフの女は目を見開いた。
「め、女神さま!?」
「そうだ。今はこんな姿になっちまってるけど」
告げられた事実を飲み込めなかったのか、エルフの女はかがんだまま少しよろける。
シェイドは隣で静観していた。
偉く感動している様子だが、リーンの傍若無人な性格を知ればどう思うのだろうか。
シェイドは二人のやり取りを見ながら無駄な思考を張り巡らせる。
「なるほど……、何やら深いご事情がおありのようですね……。実は先程少しお話が聞こえてしまったのですが、腕の良い湯術士をお探しのようですね?」
「湯術士っていうか、普通に風呂に入りたいんだよ。んで、飯食ったら広場の向こうにあるっていう大浴場に行くんだ」
「それならぜひ私の村においでになってください。このガリフスの町からも近いですし、極上の湯をご用意させていただきますよ」
「マジで!?」
「ええ、女神さまなら大歓迎です」