第九話 道中の災難 ★
王都グリムスワールから伸びる街道を北西に半日程歩くと、ギリアムの森が見える。シェイドとリーンの一行は現在、その森の中を進んでいた。
途中までしっかりしていた森の道は徐々に荒くなっていき、今ではたまにシェイドが先行して草木を掻き分けなくてはならなかった。
馬を引いていればこの森を通ることは出来ないが、コイントスの決定で徒歩での進行になったので、彼らはこの近道を使うことができる。
彼らの目的地は、ギリアムの森を抜けた先にあるトレーズの町だ。そして、彼らの最終的な目的地は掃き溜めの町、セーヌ=アティリアである。
セーヌ=アティリアは山を二、三超えて、さらにその先の国境を超えた所にあるので、いくつか町を経由していかなければならない。
その中継地点の一つ目が、トレーズの町だ。
トレーズの町は、セーヌ=アティリア方面ではグリムスワールから一番近い町だ。
葡萄酒が有名だとリーンはグリムスワールの門番から聞いていた。
……そして、ギリアムの森を通れば徒歩2日くらいで町に着くとも聞いていたのたが、彼らはすでに3日も森の中を彷徨っていた。
多めに持ってきていた食料はつい先程底を尽き、少し険悪な雰囲気で彼らは道なき道を進む。
そうしてしばらく進むと、リーンが立ち止まって言った。
「待て」
少し前を歩いていたシェイドは無表情で振り返る。
「なんだ」
リーンに比べ、シェイドは汗一つかいていなかった。
そして今、彼らに年齢の差はない。
なぜならば、徒歩でセーヌ=アティリアに向かうに当たって、シェイドだけ大人の姿だとズルいということで、リーンは彼の姿を10歳の頃に戻してしまったのだ。
そのせいで新しい服を買ったりと別の出費が出たのだが。
結果的に、シェイドは子どもの姿になっても弱音はおろか、疲れたような表情ひとつ見せなかった。荷物を持っているのも彼だと言うのに。
リーンとシェイドは、森の中の何処ともわからない場所で立ち止まり、互いに視線を合わせている。
小鳥のさえずりと木々のざわめきだけが彼らの沈黙を濁す。
「本当にこの道であってんのか?」
シェイドは溜息をこらえた。
そして目の前の灰色の髪をした少女を無言で見据える。
「なんとか言えよ」
「お前な……」
そもそもこうして彼らが道に迷ってるのも、このやり取りがこの3日間で何度かあったからだった。
最初の……、まだマトモな道を歩いてた頃に差し掛かった分かれ道で揉めたのが全ての原因か。
そうして揉めるたびにコイントスをし、勝った方が選んだ道をゆく度に、いつしか彼らは目的地とは見当違いな方角へと進んでいった。ほとんどリーンに決定権が委ねられたためである。
シェイドは早くもコイントスという思考停止した決定方法を除外するべきではないかと考え始めている。言い出したのは彼だったが。
「おい、あっちじゃないか? 多分このまま進んだら一生トレーズの町に着かねーぜ」
リーンはシェイドの隣まで歩いていき、なんの根拠もなくデタラメな方向を指差す。
彼女が指差した森の奥には不穏な暗闇が続いている、ように見えた。
「そのセリフは何度目だ」
「もう食料もないし、このまま行ったら私達死ぬだろ」
「なら黙って俺についてこい」
「はぁ? お前についていって遭難してるんだろ。分かってんのか?」
「……お前の頭は故障してるのか?」
シェイドが軌道を修正しようとする度に、リーンがこうして道を逸らすのだった。
もうシェイドにもここがどこかなんて分かっていない。彼はとにかく森を抜けることだけを考えていた。
「オーケーオーケー。コイントスで決めようじゃないか。さっきから思ってたんだけどそっちは明らかに真逆の方向だよ。私達が進むべき道はあっちだ。女神の勘がそう告げている」
「いや、こっちで合ってる」
シェイドにも根拠などなかったが、彼はリーンに従うとロクなことがないのをすでに理解している。
「コイントスだ」
リーンはシェイドの胸ぐらを掴んで言った。彼女がシェイドを子どもの姿にしたのは、こうして彼の胸ぐらを掴むためでもあった。そのために多少の愛を使うことを彼女は厭わない。
リーンの言葉に、眉を寄せつつもシェイドはうなずいた。彼はポケットからコインを取り出し、それを指先で空に弾く。
シェイドは落下地点に生えていた雑草を足で軽く薙いで、コインの決定に備えた。
コインは回転しながら空を往復して戻って来る。やがて、地に落ちた。
結果は表。リーンの勝ちだ。
「ふふん。これで私の四連勝だな」
リーンは踵を返し、進んでいた道を逸れる。
自分が提案したジャッジなので、シェイドはコインの決定に従うしかない。彼はコインを拾ってしぶしぶリーンの後についていく。
「にしても私達ってすごいよな。こうまで意見が合わないなんて」
4度目の勝利がリーンの機嫌をよくしていた。彼女は新たな道の先導を切って歩く。
「どちらかが合わせようなんて考えないからな」
「本来ならお前が合わせるべきなんだ。私は女神だぞ」
よく女神になれたな、という言葉はかみ殺した。無駄なカロリーを消費することになる。
「残ってる愛は後どれくらいなんだ」
ふと思って、シェイドはリーンに聞いた。
愛の貯蓄がなくなれば、リーンは消滅してしまう。このまま遭難を続ければ、食料はともかく、愛がなくなって彼女が消滅してしまうかもしれないと彼は考えたのだ。
「大体500lgくらいかな」
「なんでそんなに減ってる」
グリムスワールを出た時は確か2000lgを超えていたはず。シェイドは自分の記憶を確かめながら、リーンに聞いた。
リーンは呆れた様子でそれに返す。
「何言ってんだ。お前をその姿に維持させるのに愛を使うだろ。私は存在すること自体に愛を使うけど、そのまま存在できるシェイドに変化をもたらしたら愛を消費するのは当然だ」
お前が何を言ってるんだ、とシェイドは思った。
愛が愛がと喚いていたのに、目の前の女神はこんな意味の分からないことをする。
シェイドも常識というものには疎いが、女神であるリーンもやはり普通の思考回路をしていないのだろう。
彼はそう思い直すことで勝手に納得する。
「愛が無くなるのを心配してるのか?」
「当たり前だろう」
高い木々が日光を遮っていて、日が沈むごとに森の中は暗くなっていく。まさに鬱蒼たる森というべきか。
ときに草木を揺らしながら吹き抜けていく風に、リーンは身を震わせた。
「んー、なんていうかな。一つの愛を独占するのは良くないんだよ。愛は循環させた上で、常に手元になければならない」
「言ってる意味が分からないな」
「これは愛を管理できる者にしか分からねー感覚っていうか。もっと愛の量が多くなってくれば話も変わってくるんだけど」
どうやらリーンなりの理由があるようで、シェイドは納得する。
彼には理解できない範囲の話だが、彼女にそうやって愛を使役しないといけない理由や意味があるならそれでいい。
「つまり、定期的に愛を使わないといけないってことか」
「まあ、うん。そんな感じだな。けどマジでやばくなったら使わねーし、ちゃんと計算してるから安心しろ」
それからしばらく黙って彼らは進んだ。
先導を切っていたリーンはすぐに疲れて、シェイドの少し後ろをダラダラと歩くようになった。
さらに険しくなった道なき道を、シェイドはナイフで草木を切り分けながら進んでいく。
そうして進んでいくと、シェイドは切り立った絶壁にぶち当たった。
つまり、行き止まりだった。
多少の苛立ちを覚えたシェイドは思わず振り返って、後尾のリーンに言った。
「なんだこれは」
後からシェイドに追いついたリーンはその断崖絶壁を見上げて肩を竦める。
「なにって、行き止まりだよこれは」
「あ?」
「お?」
何か文句あるのか、とそんな視線でリーンはシェイドを睨む
いささかも悪びれないリーンの態度に、シェイドはもはや感心していた。
こうまで傲慢な女神もいたことか。
シェイドは諦めて空を仰ぐ。
「しかしこうなると引き返すしかないなー。いや待てよ? 登るか……?」
リーンがブツブツ言っている最中、ふとシェイドは周りの気配に気づいた。
彼は顎に手を当てていたリーンの手を取り、自分の方に引き寄せる。
「ちょ、なんだよ!」
「下がっていろ」
リーンを自分の後ろにつけ、そのまま崖までジリジリと後退していくシェイド。
そこで彼は前方180度を流すように見渡し、カバンからナイフを取り出した。
察したリーンは崖に背を付けて大人しくシェイドの指示に従った。
「敵か?」
「ああ、囲まれている。8〜9人だ」
「じゃあ頼んだ。勝てるよな?」
「元の姿に戻せ」
「いいけど、服着替える余裕なんてあるか?」
「ないな。このままでいい」
リーンとシェイドを崖に追い詰めるように囲んでいるのは、8人の盗賊だった
盗賊達がシェイドに悟られずここまで接近できたのは、彼が子どもの姿になってるせいで、殺し屋としての技術が落ちているからという理由も大きいが、この盗賊達が手練であるという理由もあった。
盗賊達は崖を背にして動かないシェイド達を見て、ゆっくりと木々の陰から姿を表した。
シェイドとリーンを囲みながら、彼らは距離を詰めてくる。
八方塞がり。彼らに逃げ場はなかった。
「ガキなのに良い勘持ってるじゃねえか」
片手にサーベルを持った男がシェイドの正面から歩いてくる。
雰囲気からして、おそらくこの男が盗賊のリーダー格だろう。
シェイドはジリとナイフを構える。
「危ないからその刃物はこっちに寄越しな。お互い怪我はしたくないだろ?」
リーダー格らしい男はシェイドに言った。
シェイドは一瞬考えて、ナイフをその場に放った。
盗賊の男はすぐさまそのナイフを横に蹴り退け、シェイドとの距離を詰めた。
サーベルをシェイドの喉元に当て、くいっと顔を上げさせる。
そして後ろのリーンにも視線を移した。
「へぇ、こりゃあ相当高く売れるぜ」
次の瞬間、シェイドの体がブレた。
彼はバク転するようにして盗賊の男の顎を蹴り上げ、そのまま身を捻ってもう片方の足で脇腹に蹴りを加える。
そして盗賊の手から舞ったサーベルを瞬時に掴み、盗賊の男を地に組み伏せて首元に刃を添えた。
「ぐぅっ!」
「動くな」
ズサ、と。シェイド達を囲んでいた盗賊はどうしていいか分からないといった様子で身じろぎする。
「動けばこいつを殺す」
首元に当てられたサーベルが、少しだけその皮膚を裂いた。
数滴の血が地に流れる。
シェイドはここからどうするかを考える。
基本的に人質を取らなければならない状況というのは不利に回る。
本当にこの男を殺して、恐怖で撤退させるというのもありだ。
リーンにチラと視線を投げると、彼女はフルフルと首を横に振った。
殺すのはダメだということだ。
確かに、残り500lgの状態で人を殺せばその時点で愛がなくなってしまう可能性かある。
彼は人を殺せばどれくらいの愛が無くなるのかは聞いていなかったが、そこまで頭が回るくらい冷静であった。
そもそも全員殺していいのなら話は簡単なのだ。
「魔弾装填」
シェイド達を囲んでいた盗賊のうちの一人が、ふと何かを呟いた。
見ると、その男は手を銃の形にしてこちらに向けていた。指先にはほんのりと赤い光が宿っている。
「ショット!」
その言葉の直後、シェイドに拳大の火球が高速で飛来した。
彼はそれをとっさにサーベルで受け流す。その隙に逃げ出そうとしたリーダー格を地面に強く押し付け、今の攻撃をした男を睨む。
今のは魔法というやつだろうか。シェイドはリーンからこの世界には魔法が存在しているということを聞いていたので、その推測ができた。
「動けば殺すと言った」
リーダー格の喉元に更に深くサーベルが押しあてられる。
「クソ! お前ら刺激するなボケが!」
リーダー格の男は叫ぶ。
それを聞いて怯んだ盗賊達を見て、シェイドはリーダー格の男に耳打ちをした。
「手下を全員撤退させろ。でないと殺す」
「チッ、クソ! お前ら撤退だ!」