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神殺しと神と創造神、ときどき世界の秘密  作者: 金剛トモアキ
第二章 異端者と白銀の森
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4 二組のきょうだい

「もういいかしら?」

「腐っても聖職者だな。わざわざ待っててくれたのか?」

「最後に妹さんに対していい格好をさせてあげたのに、随分な言いようね」

「いい格好も何も、おまえたちがここで足止め――いや、無力化されるのは規定事項だからな」


 これみよがしのイアイラのため息に、ギュアースは不敵な笑みで応えた。


「姉さん」


 ネイオスはギュアースに視線を据えたまま、背後のイアイラに一言だけ言葉をかけた。


「わかってるわよ。この好機を逃すはずがないでしょう」


 右手に鞭の柄を、左手に巻き取った鞭を持ったイアイラは、マリーカが駆け込んだ白銀の森を見つめ、うっそりと微笑んだ。元々きつめのイアイラの美貌に、獲物を前に舌なめずりをする獅子のすごみが加わる。


「行かせないって言ってるだろうが!!」


 大剣を左に構えたギュアースが、一気にイアイラとの距離を詰める。


 イアイラの黒ローブと赤髪をはためかせるほどの風を巻き起こした一振りは、決して牽制をするためのものではなかった。一撃で決着を付ける。ギュアースの決意のこもった鋭い斬撃。


 しかし、イアイラはよけるそぶりすら見せず、涼しい顔で鬼気迫るギュアースの顔を見つめている。


 普通の人間には振るうことすら難しい大剣の一撃は、その巨大な姿からは信じられないほどの速度で振り抜かれ――ようとしたところで、甲高い音を立て軌道をそらされた。


 土砂を巻き上げ、大地を穿つ。


「ち。余計なことしやがって」

「さっき言っただろう。おまえの相手は私がすると」


 絶妙な角度で自らの剣を差し出してギュアースの剛剣を受け流したネイオスは、すでにその長剣を構え直し、油断なく巨漢の敵対者に備えている。


「俺も言ったよな。おまえらの相手は俺だ、って!」


 ギュアースは、大地を砕いた大剣を構え直す手間をかけず、そのまま振り上げた。

 態勢の整った一撃とはとても言えないが、常人では反応がおぼつかないほどの勢いがあった。


 だが、大剣はネイオスどころかその長剣にすら届かなかった。


「姉さん、そんなことをしてる暇があったら異端者を追いかけてくれ」


 ネイオスが冷たい視線を向けた先では、イアイラが不機嫌そうに口を尖らせていた。左手に丸めて持っていた鞭は、今はギュアースへと伸びている。

 ギュアースの左腕にまとわりついた鞭が、斬撃を途中で止めた正体だった。


「今日だけで随分失礼なことを言われたんだから、少しくらい手を出してもいいでしょ」


 弟に言い返しながらも、イアイラは鞭から抜け出されないよう時に力を込め、時に力を抜いている。


 たとえギュアースでも、イアイラの鞭にいったん捕らわれるとそう簡単には抜け出せない。緩急を自在に操るイアイラの鞭さばきは、それほどまでにやっかいなものだった。


「姉さんがテネースを捕まえて戻ってくる頃には、この男も無力化されている。その後、好きなだけなじればいい」

「おまえ本当に聖職者かよ」


 眉ひとつ動かさず言い切ったネイオスに、ギュアースが渋面になる。


「仕方ないわね。言ったからには実現させなさいよ」


 はっきりと見て取れるほど嫌そうに、イアイラが鞭をほどいて引き寄せた。そして、二人の男から視線を外し白銀の森へと駆けていく。


「行かせるか!」


 自由を回復したギュアースは、一切のためらいを見せることなく、イアイラを追った。


「なめるな」


 常と変わらぬ静かな声。しかし、まっすぐ振るわれた長剣には、怒気が込められていた。


 舌打ちとともに足を止めたギュアースは、大剣を大地に突き立て長剣をはじき返した。


「おまえと遊んでる暇はないんだけどな」


 小さくなっていくイアイラの背中からネイオスへと向き直ったギュアースが、改めて剣を構える。


「安心しろ。遊ぶ間もなくおまえは負ける」


 大剣と長剣。それぞれの獲物を手にした二人の視線がぶつかる。


「すまねえな、マリーカ。すぐ行くから、うまく逃げてくれよ」


 ギュアースの謝罪の言葉をきっかけに、ネイオスが地面を蹴った。



     ***



 白銀の森を駆けるマリーカの息は、とうに上がっていた。

 足を上げるのも辛いほど疲労もたまっている。

 それでも、足を動かし続ける。


 銀でできた下生えは、普通なら走る邪魔になるはずなのに、一度もマリーカの足に当たっていない。場合によってはマリーカの顔を直撃するような高さに張り出した枝も同様だ。


 しかし、マリーカはそのことを不思議に思う余裕もないほど懸命に足を動かし、前を飛ぶアリスを追いかけていた。


 もし足を止めたら、テネースを失ってしまう。


 恐怖が、そして、テネースを守るのだという強い意志が、限界を迎えつつあるマリーカの身体を突き動かしていた。


 兄のことは信じている。しかし、あの異端審問官たちの強さはマリーカも知っているし、何よりも一対二という数の差は大きい。

 だから、少しでも離れようと走り続ける必要がある。


(とはいえ……さすがに、ちょっと、無理かも)


 テネースが同年代の男よりも軽いとはいえ、マリーカよりは重い。自分よりも体重の重い人間を背負っていつまでも走っていられるはずがない。もうしばらくは気力で保たせられるだろうが、意思の力にも限界はある。


(もう少し、走ったら、様子を、見よう)


 弱気になった罰だろうか、そんなことを考えた直後、大地を蹴ったマリーカの右足が若干左に逸れた。


 まずい。そう思った時には、マリーカの右足は左足に引っかかり、盛大にバランスを崩していた。必死に立ち直ろうとするものの、テネースの重みに身体は余計に傾く。


 派手な音を立てて、うつ伏せに倒れた。


「あうっ!!」


 前に回していた矢筒が、胸骨を強打する。全身を駆け抜けた激痛にのたうち回ろうにも、テネースの身体に押しつぶされた状態ではそれすらもできない。


 歯を食いしばり痛みが引くのをひたすらに待つ。

 何かが折れるような音はしなかったから、骨も弓も無事だろうが、それにしても泣きたいほど痛い。


「いつまでも、こうしてるわけにもいかないよね」


 まだ胸は痛かったし、今までと同じように走る自信はなかった。それでも、マリーカはテネースの下から這い出すと、気を失っている少年を再び背負おうとした。


「もう逃げる必要はないわよ。テネース君は私が保護するから」


 だが、突然の声にマリーカの動きが止まる。


 心の中で謝ったマリーカはテネースから手を離し、弓を手に振り返った。矢筒を背中に戻すことも忘れない。


 見事に顔から倒れ込んだテネースが、短いうめきを漏らした。


「ちょっと、テネース君が怪我をしたらどうするのよ!」


 マリーカを睨みつけるイアイラだったが、腰の鞭を取ろうとする様子はない。


「お兄ちゃんはどうしたの!」


 矢筒から矢を引き抜いたマリーカは、流れるような動作で弓弦を引き絞り、イアイラへと狙いを定めた。


「今頃ネイオスに捕まってるんじゃないかしら」


 弓で狙われているにもかかわらず、イアイラの目はマリーカの後ろ、うつ伏せに倒れるテネースに据えられている。


「うそ!!」

「嘘じゃなくて予想よ。だいたい、私がここにいる時点であの男があなたとの約束を守れなかったのは事実でしょうに」


 テネースからマリーカへと視線を移したイアイラは、ほんのわずかに憐れみを感じさせる口調で言うと、一歩踏み出した。


「動かないで!」


 大きな瞳に宿った怒りの炎と鋼の鏃に、イアイラが立ち止まる。


「どうせ撃てないんだから、しまったら? いつまでも弓弦を引いてると疲れるでしょ」

「撃てるわよっ!」

「今まで一度も私にも、ネイオスにも射かけたことすらないのに?」

「あ、あれはお兄ちゃんがいたからあたしは牽制するだけでよかっだけよ。今テネースを守れるのはあたしだけなんだから、必要なら撃つわよ」

 目を細め言葉と表情で挑発するイアイラに、マリーカは顔を真っ赤にする。


「そう? なら、試してみる?」


 冷たい美貌に挑戦的な笑みを浮かべ、イアイラが再び歩き出す。


「止まりなさい!!」


 マリーカの絶叫にもイアイラの表情は変わらない。


「止めたかったら、自慢の矢で無理矢理止めてみたら?」

「バカにして」


 悔しそうに唇を噛んだマリーカは、引き絞っていた弓弦を放す。


 だが、その直前鏃はイアイラの胸から足下へと逸らされていた。勢いよく空を駆けた矢は、その半ばまで地面に埋まった。

 イアイラは矢をよけて足を下ろすと、先ほどまでの挑戦的なものとはまるで違う、優しさに満ちた微笑みを浮かべてマリーカを見た。


「神の祝福に守られた私たちは、闘争本能とは無縁の人生を送ることがほとんどだし、当然他人を傷つけることにも慣れていない。それは、たとえあの男とずっと旅をしていてるあなたでも変わらないわ」

「い、威嚇射撃をしただけよ。次は当てるわ」


 確かに、最後の最後にためらい――というよりも恐怖が弓を下に向けた。自分の放った矢が人を傷つけることを想像すると、弓を引くことすらためらわれる。今までは、イアイラたちと対決する時もギュアースが前に立って攻撃をし、引き受けてくれていた。マリーカは、牽制の射撃をするだけで済んでいたのだ。


 だが、今この場にギュアースはいない。テネースを守れるのは、マリーカだけであり、マリーカが諦めた時が、テネースが異端審問官の手に落ちる時だ。


 たとえギュアースが自分から進んで教会に行くと言っても耐えられそうにないのに、無理矢理連れて行かれるなど我慢できるはずがない。


 マリーカは、一瞬硬直した右手で、無理矢理矢筒から矢を抜き取った。


「怪我をしたくなかったら、回れ右をして森を出て行って」


 矢をつがえ、再びイアイラの胸に鏃を向ける。


「せっかく穏便に済ませようと思ったのに、無駄だったみたいね。でもまあ、いいわ。異端審問官としての立場を抜きに、あなたとは決着をつけないといけないと思っていたのよ」


 イアイラは、再び向けられた鏃をちらりと見ると、鞭の柄を右手に握った。ほんのわずかに動かしただけで、鞭が優雅に宙を舞い、空を裂く音が音楽を奏でる。


「あなたの意識があるうちにあなたの口から名前を聞いておきたいんだけれど」


 イアイラの右手が止まる。鞭も、今まで自在に動いていたのが嘘のように地面に横たわった。


「……マリーカよ。マリーカ・クヴェルタ」


 マリーカは名乗りながら、巧みな鞭さばきに舌を巻いていた。ごく小さな動きで最大の効果を上げる。ギュアースが軽々と相手をしているように見えていたから勘違いしていたが、イアイラは間違いなく強い。


 とはいえ、実力差があるから諦めるなどという選択肢は存在していない。


(だいたい、森の中なら自在に鞭なんて振るえないはず)


 戦いをどう進めていくべきか頭に描きつつ、マリーカは矢を放つ機会を冷静に窺っていた。

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