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神殺しと神と創造神、ときどき世界の秘密  作者: 金剛トモアキ
第二章 異端者と白銀の森
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3 異端者と異端審問官

「ん、んん……」


 マリーカは、肩にのしかかったけだるさを振り払うように大きく伸びをした。

 ひどく不快な思いをしたような気もするが、よく思い出せない。


「ここ、どこ?」


 森の中のように見えるのだが、密生する木々も、下生えもすべて緑ではなく銀色をしていた。それも、内側から微かに光っているように見える。


「えーと?」


 朝、やけにぼうっとしている兄を叱咤しながら朝食を食べたことははっきりと覚えている。その後、三人でエウロポスを出発したことも、記憶にある。

 だが、なぜこんな場所にいるのか、それはまったくわからなかった。


「って、まさか白銀の森!? ふ、二人は」


 大慌てで当たりの様子を窺ったマリーカは、微妙に焦点の合っていない目をしたギュアースが側にいることに胸をなで下ろし、すぐに目を剥いた。


「テネース!? テネース!!」


 テネースの姿がどこにもない。焦り、声の限りに名前を呼ぶが、物音ひとつしない。


「テネース、どこにいるの!」

「……騒がしいな、どうしたんだよ」

「お兄ちゃん、テネースが、テネースがいないの!!」


 若干不機嫌そうなギュアースに駆け寄ったマリーカが、兄の手を振り回しながらまくし立てる。


「トイレにでも行ってるんじゃないのか」

「そんなわけないでしょ! 自分が今どこにいるかよく見てよ!!」


 あくび混じりのギュアースに、マリーカが目尻をつり上げる。


「どこっておまえ、って、まさか白銀の森か」

「だと思う。森の外まで来たのは覚えてるんだけど、いつ中に入ったのかはあたしもわからなくて。気が付いたらテネースもいないし。ねえ、お兄ちゃん、どうしよう!?」

「とりあえず落ち着け。マリーカ、アリスも近くにいないのか?」


 ギュアースの質問に、マリーカが目を丸くする。テネースのことで頭がいっぱいになって、アリスのことを完全に失念していた。もしアリスを見つけることができれば、その近くにテネースもいるのは間違いない。


 はっきりとその姿を見ることはできないし言葉を交わすこともできないが、だからこそぼんやりとしたあの姿は目立つ。期待を込めてマリーカは、アリスの姿を求めて周囲をじっくりと見ていく。


 だが、その顔はすぐに曇ってしまった。


「駄目。アリスも近くにいない」


 泣き出す寸前のマリーカの声。

 白銀の森が具体的にどの程度の面積を有しているのか、マリーカは知らない。だが、はぐれた一人の人間を見つけ出すのがきわめて困難なくらいに広大なことは確かだ。


「そうか。しらみつぶしに捜すには、二人じゃ足りねえな」


 呟くギュアースの声にも、焦りが混じる。


「ねえ、お兄ちゃん、テネースは無事だよね」

「アリスも一緒なんだ、大丈夫だろ。それに、あいつには悪魔の力は利かないんだからな。問題があるとすれば水と食い物か」


 ギュアースがさらりと口にした言葉に、マリーカの顔が青くなる。一応保存食は各自持っているが、まだエウロポスでの補充をしていない。節約しても一日か二日分にしかならないだろう。水だけは宿を出る前に水袋に詰めてきたが、そうたくさん入るわけでもない。


「こ、こんな所でのんびりしてる場合じゃないじゃない!?」

「だからって手掛かりもなしに捜して見つけられるほど狭い森でもないだろ」

「それはそうだけど、じっとしてたら絶対に見つけられないわよ!」


 兄の言うことは間違っていないと、頭では理解できる。しかし、だからといってじっとしていられるはずもない。


「あ、おい、マリーカ!」


 突然森の奥へと駆け出したマリーカを引き留めようと、ギュアースが腕を伸ばす。だが、拳一個分届かなかった。


「お兄ちゃんはそこにいて!」

「そんなことできるか、馬鹿」


 大きなため息をついたギュアースがマリーカを追って走り出す。


「テネース、アリス!」


 兄が追ってくる足音を聞きながら、マリーカは声を張る。しかし、返事はない。

 さらに奥へ。そう思った矢先、マリーカの足が止まった。


「アリス?」


 森の奥から飛んできたのは、朧な人型をした淡い光だった。マリーカめがけて一直線に空を駆ける。


「アリス、テネースはどこ!?」


 バクバクと、痛いくらいに脈動を繰り返す心臓に顔をしかめるマリーカの目の前で、アリスが止まった。せわしなく身体を動かし、森の奥を指し示している。


「アリスが見つかったのか?」

「テネースが森の奥にいるの?」


 兄を無視して訊ねるマリーカに、アリスは何度も頷いた。


「案内して!!」


 叫び、マリーカはアリスの反応を待たずに駆け出した。すぐに、ぼんやりとした人型の光がマリーカを追い抜き、飛んでいく。

 アリスに置いていかれないように、マリーカは限界まで走る速度を上げた。


「おい、マリーカ、ちょっと待て!」


 兄の声が背後から聞こえてきたが、マリーカはまっすぐ前だけを見て走り続けた。


     ***


「テネース!?」


 木々が折れちょっとした広場になったそこは、地面がひび割れ砕けた下生えが散乱していて、ここに来るまでに散々目にした静謐に満ちた森の姿とはあまりにもかけ離れていた。


 辺りの光景がそんなだからか、仰向けに倒れるテネースもひどく傷ついているように見えた。

 悲鳴を上げたマリーカは一目散にテネースへと駆け寄る。


「よ、よかった、怪我してない」


 テネースの状態を確認したマリーカは、そのままへたり込むと泣き笑いのままテネースを見つめた。


 穏やかな寝顔のテネースは、腹立たしいほど気持ちよさそうに寝ている。

 ほっとしつつも、今までの自分の焦りぶりとテネースの無事を確認したことによる安堵の強さがおもしろくなくて、マリーカはテネースの頬を引っ張ってやろうと腕を伸ばした。


「テネースは無事みたいだな」


 突然のギュアースの声に、マリーカが飛び上がる。


「お、おお、お兄ちゃん、いきなり声かけないでよ!!」

「俺のことは気にしないで続けていいぞ」

「べ、別に何もしようとしてないわよ、何言ってるの」


 上目遣いに兄を睨みつけるマリーカは、頬が真っ赤になっているのを自覚していた。自分でも情けないくらいに熱くなっている。


「そうだな。寝てる相手にイロイロするなんてのは、俺みたいな男の特権だからな。マリーカがそんなことするわけがないよな」


 ギュアースはそんな妹の反応を楽しむように、ニヤニヤと笑っている。


「当たり前でしょ、あたしがそんなことするわけ――って、お兄ちゃん、まさか寝てるあたしに変なことしてないでしょうね」

「あっはっは。兄妹ってことを差し引いても、おまえみたいな子供に興味はないから安心しろ」

「子供で悪かったわね」


 不機嫌さを隠さずに唇を尖らせるマリーカの目の前で、アリスが何度もテネースとエウロポスのある方を指さす。言葉は交わせなくても、言いたいことははっきりとわかった。


「ご、ごめん、アリス。別にテネースのことを忘れてたわけじゃないから。本当に。動かしても大丈夫よね?」


 マリーカの問いかけに、アリスは頷いた後、さらに急かすように手足を動かした。


「お兄ちゃん、テネースのことお願いしていい? 剣はあたしが持つから」

「構わないけど、逆の方がよくないか?」

「さすがにテネースをおんぶして森の中を歩く自信はないわ」

「それもそうか。じゃあ、森を出たら替わってやるから安心しろ」

「いきなり何言ってるのよ」


 兄を睨みつけ、マリーカは差し出された剣を両手で受け取った。もちろんテネースとは比べものにならないほど軽いのだが、とても剣の重さとは思えない。ギュアースですら両手で振るっているが、マリーカでは持ち運ぶのが精一杯でろくに構えることもできないだろう。


「よくこんな重い剣を振り回せるわよね」

「鍛えてるからな。それにまあ、元々剣を振るう機会も少ないし、見た目に迫力があるとその機会はさらに減る」


 剣の代わりにテネースを背負ったギュアースの動きは、いつも通りきびきびしている。


「もし世界中のみんなが神様に対して疑問を抱くようなことになったら、武器を振るわないといけないことも増えるのかな」

「マリーカ?」

「え? あ、ご、ごめん。なんでもない」


 なぜこんなことを口にしたのか、マリーカ自身よくわからなかった。今までそんなことを考えたことなど一度もなかったというのに。


「もし、今おまえが言ったみたいな時代が来るとしても、それまで穏やかに生きてきた人間がそう簡単に武器を手に取りはしないだろうよ」


 ギュアースが、マリーカの頭をぽんと叩いてから歩き出した。


「うん」


 大剣を抱えたマリーカも、兄の背を追った。



     ***



「テネース君!?」


 白銀の森を出たマリーカたちを、女の悲鳴が出迎えた。

 聞き覚えはあるが、聞きたくはない声だった。マリーカの顔に緊張が走り、ギュアースの顔にはうんざりした表情が浮かぶ。


「なんでおまえらがここにいるんだよ」

「テネース君に怪我をさせたんじゃないでしょうね!?」


 ギュアースに答える黒衣の女の剣幕はかなりのものだ。ギュアースを睨みつけ、その背中のテネースに心配そうな視線を送るといういたく器用なことをしてのける。


「姉さん、それはテネースを確保してから確認すればいい」


 女の左隣りに立っていた男は呆れていることを隠そうともしない。


「心配なのだから仕方ないでしょう」


 答える女はテネースから視線を外さない。


 黒衣の男女二人のやりとりを警戒も露わに見つめながら、マリーカはそっと兄に近づく。


 異端審問官のこの二人とは、テネースを助けて以来二年間、幾度となく顔を合わせてきた。女の方がイアイラ・クリダリア、男がネイオス・クリダリア。冷たい眼差しがよく似た双子だ。ネイオスの方がより熱心にテネースを捕まえようとしている上にギュアース相手に負けない戦いをできる厄介な相手なのだが、マリーカとしてはテネースに異端審問官とは別の執着を示すイアイラが気になって仕方がない。


「……お兄ちゃん」


 マリーカの声がこわばるのも仕方がないだろう。目の前の異端審問官が手練れだということは理解しているし、彼らの目的であるテネースは眠っていて一人では逃げることもできない。


 森に入る前は晴れていたはずの空は厚い雲に覆われ薄暗く、その薄闇よりなお暗い異端審問官の黒いローブは不吉と不幸を振りまくかのように風にはためいている。


 妹の呼びかけに小さく頷いたギュアースは背負っていたテネースを降ろし、大剣と交換する。


「あくまでも抵抗するのね」

「そこらの異端審問官にも引き渡すつもりはないんだ。おまえみたいな変態にテネースを預けられるわけねえだろ」


 呆れたように息を吐くイアイラに答えながら、ギュアースは大剣を構えた。

 決して名剣ではない――そもそも、日常の中のちょっとした喧嘩を除けば暴力を伴った争いなど滅多に起こらない。剣をはじめとする武器は各国の軍隊や異端審問官のために製造はされているが、できがいいとはお世辞にも言えない。しかし、マリーカやテネースの身長と同じくらいの長さのある肉厚の刃は、見る者を圧倒する威圧感を放っている。


「相変わらず下品な武器ね」


 さすがは異端審問官と言うべきかそれともただ単に見慣れているだけなのか、イアイラの顔には驚きも恐れも浮かんでいない。嫌そうに眉をひそめながら、腰に吊していた鞭を右手で握った。


「姉さん、奴の相手は私がする」


 いつの間にか、ネイオスも長剣を抜いていた。右手に抜き身の刃を持ってイアイラの前に出る。


「任せたわ。むさ苦しい男は見てるだけで気分が悪くなるから」

「随分な物言いだな、おい……マリーカ、俺がどっちも引きつけておくから、テネースを連れて逃げろ」

「お兄ちゃん!?」


 弓と矢筒を身体の前に回しているマリーカは、背負ったばかりのテネースを驚きのあまり取り落としそうになり、慌てて背負い直す。


「テネースを背負いながらじゃ弓も引けないだろ。だいたい、あいつらの狙いはテネースだ。少しでも遠ざけた方がいい」

「でも!」

「だいたいおまえ、まさか俺があの二人に負けるとか思ってないか? もっと兄ちゃんを信頼しろよ」

「お兄ちゃん……」


 なんの気負いもなく微笑む兄に、マリーカはかける言葉を見つけられなかった。兄が強いことを疑ったことはない。しかし、二対一という数の差を覆せるほどの実力差があるかというと、厳しいのではないか。


「ほら、早く行け」


 迷うマリーカの背中を押すように、ギュアースは大剣から左手を離すと頭を一撫でした。


 今まで成り行きを見守るようにじっとしていたアリスも、マリーカを促すように身体全体を大きく動かしている。


「待ってるから、すぐ来てよ!」


 ぎゅっと唇を噛み締めて、マリーカは兄と、二人の異端審問官に背を向けた。


 目指す先は白銀の森。後々合流するのが面倒になるかもしれないが、姿を隠せるのはそこしかなかった。

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