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4 ちぐはぐな町

「本当に、異常だな」


 寝台に腰掛けたギュアースが、うんざりしたように息を吐いた。


 ギュアースたち三人がいるのは宿の一室で、寝台が四つ置いてある。寝台以外には机と椅子がひと揃いあるだけで、他に家具はないから実際以上に広く感じられる。掃除も行き届いていないのか部屋の隅にたまっている綿埃がランプの明かりに照らされて存在を主張している。


 町の状況はおかしくなっていたが、宿屋は通常通り営業していた。活気はまるでなかったが、宿屋以外の店も営業していた――客のすべてがぼそぼそとしゃべって買い物をしている光景はいたく不気味だった。


 だが、ギュアースが疲れたような顔をしているのは、何もそんな奇妙な光景を見たからではない。

 覇気も愛想もまるでない女将と短い会話をして部屋を借りた後、ギュアースとマリーカの二人は白銀の森について少しでも情報を集めるために、町へと繰り出した――テネースも一緒に行こうとしたのだが、明日のために身体を休めておけとギュアースに強めに言われ、おとなしく宿に残った。


 日が沈む前に戻ってきたギュアースの第一声が、先ほどの言葉だ。

 マリーカも、口にこそ出さなかったものの表情を見れば同じようなことを考えているのは明らかだった。


「そんなにひどかったんですか?」

「ああ。話しかけて反応が返ってくるまでに長い間があるし、反応したかと思えば、どうして生きているのだろう、だの、明日が怖いだの、普通じゃない言葉が返ってくる。それでも反応があるだけましで、ほとんどは無視された」

「うん。反応はした人もあたしのことは見ていないというか、そんな感じだったな」

「まあ、それでもしつこく話しかけてるうちに多少はまともな言葉が返ってはきたんだけどな。つっても、こんだけ白銀の森の近くに住んでるってえのに、聞けたのはどこでも聞けるような話ばっかりだった」


 そのせいで余計に疲れた、そう言って、ギュアースは座っていた寝台に寝転んだ。


「あたしが聞けたのもほとんどそういう話ばっかりだったんだけど、一人だけ今まで聞いたこともない話をしてくれた人がいたよ」

「ほう。さすが我が妹」


 寝転んだままのギュアースに一瞬鋭い視線を向けたマリーカだったが、すぐに仕入れてきたばかりの話を口にし始めた。


「白銀の森は元は普通の緑豊かな森だったんだって。ただ、必要以上に動物を狩って木々を伐った人がいて、その人が森の奥深くに入った所で神様の天罰が下ったの。その人は動物を射ろうとした姿勢のまま銀の像になって、今も森の奥で死ぬこともできずに生き続けてるって。ただ、天罰はあまりにも強力で、その人だけじゃなくて森全体を白銀に変えてしまったから、森はあんな姿になったって言ってたわ」

「それだけか?」

「それだけって、お兄ちゃん、何一つ情報を持って帰って来れなかった人の言う台詞?」

「あー、悪い。そういう意味で言ったんじゃなくてだな、その話だけだと白銀の森が恐れられる理由がわからないだろ。節度が大切だ、なんていう説教にしかなってない」


 半眼になった妹に、ギュアースは真顔で答える。


「その天罰が今も生きてて、森に入った人はみんな銀の像になっちゃうとか?」

「ちょっと近いかな。森に入るだけなら問題はないんだけど、森から何かを持ち出したり、森の中にあるものを傷つけたら、銀製の像になっちゃうんだって」


 マリーカ自身その話を信じていないのか、口を閉じた途端に肩をすくめた。


「真偽はともかく、今まで聞いたことない話だな。どんな奴から聞いたんだ?」

「広場の噴水の所でぼうっとしてたおじいちゃん。最初は他の人と同じようになかなか会話が成立しなかったんだけど、何回か白銀の森の名前を出したら急に流暢にしゃべり出して。ただ、話し終わった後はまた元に戻っちゃったから、細かいことまでは聞けなかった」

「随分と都合のいい話だな」


ギュアースが横になったまま顔をしかめる。


「嘘は言ってないからね」

「わかってるさ。ただ、マリーカだって違和感は感じたろう?」

「それは、まあ……」

「なんせ相手は悪魔だからな。人間一人くらい簡単に操るかもしれない。そのへんどうなんだ?」

「え? ええと――」


 マリーカの持ち帰った話を反芻していたテネースは、突然水を向けられ、裏返った声とともにアリスを見た。


 宿に腰を落ち着けてからずっと、アリスは目を閉じてテネースの周囲を漂っている。アリスはテネースたち人間と違って、食事の必要もないし眠る必要もない。だが、一日に一回は今のように目を閉じ、まるで水に浮いているようにゆらゆらと空を漂う。それが、アリスにとっての休息らしい。


『そうね。悪魔の中にはそういった力を持った存在もいるでしょうね。でも、今回の件は違うと思うわ』


 何もない中空にテネースを中心に円を描きながら、アリスは目を開けた。


 テネースは聞いたことをそのままギュアースに伝える。ギュアースは「うーん」とひと声唸って黙り込んだ。


「アリスが言ったのはそれだけ?」


 宙を漂っているアリスを追いかけるように視線を動かしながら、マリーカが訊ねる。


「うん。他のことは何も」


 テネースとしても今後の方針などを具体的に教えて欲しいのだが、アリスはギュアースの質問に答えた後、再びまぶたを閉ざしてしまった。


「そっか。うーん、あたしも聞いたことは全部話したし、お兄ちゃんとアリスが黙っちゃたらどうしようもないよね。だから、ご飯食べに行こう」


 ちらりと兄を一瞥したマリーカが笑顔でテネースを誘う。


「う、うん。でも――」


 頷き返しながらも、テネースの目はアリスを追っていた。


 テネースの態度に、マリーカが頬を膨らませた。


「もう! ちょっと下にご飯食べに行くだけなんだから、アリスのこと気にしなくてもいいでしょ。お腹、すいてるでしょ?」

「ちょっとだけ」


 答えた直後、テネースの腹の虫はいかに空腹かを大音声で訴えた。


「ほら、行くわよ」


 呆れたように笑いながら、マリーカがテネースの手を掴む。


「うん。ちょっとご飯食べてるね」


 マリーカに引きずられるように歩きながら、テネースはアリスを振り返った。


『白銀の森に関してはマリーカが聞いてきたことに間違いはないと思うわ。だから、わたしたちが気をつけさえすれば、危険はないわ』


 まさに部屋を出ようとしていたテネースの背中を、アリスの声が追いかける。


「そうなの? でも、どうして断言できるの?」


 不思議そうに振り返ったテネースに、アリスはにっこりと微笑んだ。


『女のカンよ』

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