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未来への希望

 今まで感じたことのない、圧倒的な脱力感がいつまで経っても消えない。それに、身体の中にぽっかり穴が開いたような喪失感、あるいは何かを求めて止まないやり場のない渇望が、はっきりと感じられる。


 その一方、いい加減寝ているのにも飽きたと、意識の一部が叫んでもいた。


 まだ眠っていたい。心身ともに体調を整えたいと願い、しかし目を覚ますべきだと吠える自分もいる。


 いい加減自分自身にうんざりし始めていたテネースは、急激な浮遊感に襲われ悲鳴を上げた。



「て、テネース!?」


 テネースが最初に知覚したのは、驚きに顔を引きつらせ腰を浮かせたアリスだった。正確には、その滑らかな白銀色の髪であり、大きく見開かれた青い瞳だった。


 どうして、アリスが普通の人間と同じ大きさなのだろう。などという疑問が頭に浮かぶ。口に出して訊ねなかったのは、単に口の中が乾ききっていて舌が巧く動かなかったからにすぎない。


「テネース、本当にテネースよね?」


 驚きから一転、安堵と不安を同時に浮かべ、アリスは涙目になった。そして、そっとテネースの頬に触れた。


 心持ちひんやりとしているアリスの手の感触に、テネースは急激に覚醒していく。封印区画での出来事が、驚くほど鮮明に思い出された。


「僕……ちゃんとやれたんだよね」


 宙に開いた黒い穴。そこに溶け込むように消えていった白銀の光球を覚えている。そして、その穴に差し込まれた触腕と、飛び込んでいった獣を見たような気もする。


「……ええ。テネースのおかげで、創造神の欠片も、赤い獣も、もうこの世界にはいないわ。あの穴も、獣がいなくなってすぐに塞がったから、彼らが戻ってくることももうないはずよ」


 涙に震える声で、アリスがことの顛末をごく簡単に説明する。その言葉は嗚咽へと溶けていき、テネースの頬に触れていた手は頭へと回された。


 テネースは思いの外強い力で上半身を抱き上げられ、気が付いた時にはアリスに抱きしめられていた。


 両の腕はしっかりとテネースの頭をかき抱いており、テネースの顔は見た目以上に豊かな胸に押しつけられている。


 はじめは驚き暴れたテネースだったが、どんなに望んでも触れることのできなかったアリスに触れているのだと気付くと、動きが止まった。


 なにより、柔らかな感触と微かに甘い懐かしいようなにおいは、テネースに遙か昔、普通の赤子と同じように母に抱かれ安心に包まれていた頃のことを思い出させた。


 最初、部屋に響く泣き声はアリスのものだけだった。だが、いつの間にかもう一つ、決して悲しみの故ではない嗚咽が混じっていた。


 テネースは、自分の涙の理由がわからなかった。


 アリスが無事だったから? アリスと再会できたから? アリスに触れることができたから?

 ずっと昔のことを思い出したから?


 どれも正しいような、それでいて正しくないような気がする。


 ただ一つはっきりしているのは、この涙は決して恥ずかしいものではないということだ。


 だから、テネースはこらえることなく涙を流し、声を上げた。



 やがて、アリスの腕がテネースの頭から離れた。


 一抹の寂しさを覚えながら、テネースは襟首を掴まれたように寝台に倒れ込んだ。


 真っ赤に充血したアリスの瞳がまん丸になるのを見て、テネースは笑った。


 二人の目からは、もう新たな涙は流れていない。


「ご、ごめんなさい、突然」


 自分の行動が今さら恥ずかしくなったのか、アリスがうつむきながら謝罪の言葉を口にする。


 テネースは無言で首を振った。思い切り泣いたからか、すっきりしてはいたが全身がだるかった。


「アリス、ギュアースさんとイアイラさん、それにネイオスさんは無事? マリーカと教皇様もどうなったの?」


 感情を発露した後には疑問が残った。少なくとも、この場に今名を呼んだ人たちの姿はない。


 ひょっとしたらどこかにいるのかと視線を泳がせていたテネースは、ここが軟禁されかかった塔の部屋だと気が付いた。華美ではないが見ただけで安物ではないとわかる家具たちを忘れるはずがない。


「みんな――」


 アリスが口を開くのとほぼ同時に、扉の開く音がした。


「だから、別におまえがついてくる必要はないんだぞ」

「お兄ちゃんに一人旅なんてできるはずないじゃない」


 聞こえてきたのは、ひどく懐かしく感じる男女の声だった。


 テネースは顔を横に向け、声の主たちを見る。


 意外そうな顔をしているギュアースは、もう包帯すら巻いていない。


 おそらくはテネースの着替えであろうきれいにたたまれた服を抱えているマリーカは、先ほどのアリスとは比較にならないほどの驚きの表情を浮かべ、固まっている。


「て……」


 喉から微かな声を漏らしただけで、続きの言葉もない。


 ギュアースがため息をつき、大きな手で妹の背を押した。


 よろめいたマリーカは、しかし背後を振り返らなかった。


「テネース!」


 服を取り落とし、床を駆ける。


 あっという間に寝台にたどり着き、飛びかからんばかりの勢いで横になっているテネースを抱きしめた。


「テネース、テネース、テネース!!」


 きつく抱きしめ、ただただ名前を呼ぶ。


 テネースはマリーカの腕に込められた力に痛みを覚えたが、この痛みがどれほど心配をかけたかの証だということくらいは理解できたので、そっと目を閉じた。


「ごめん、マリーカ。でも、ちょっと意識を失ってただけなのに、大げさだよ」


 その言葉に、マリーカの身体がぴくりと震えた。


「マリーカ?」


 訝しげに呟くテネースを、マリーカが解放する。


「ちょっと? 何言ってるのよ、一月も目を覚まさなかったのよ!?」


 怒ったように眉をつり上げているが、その目にはテネースを心配する色がはっきりと浮かんでいた。


「一月って、マリーカこそ何言ってるのさ。人間がそんなに寝ていられるはずがないじゃないか」


 苦笑し、同意を求めるようにアリスを見る。だが、アリスは首を横に振った。


 テネースは、まさか、とギュアースに顔を向けた。


「本当だ。実際には三十二日目の目覚めだな」


 ギュアースは肩をすくめ、具体的な数字を上げた。


 呆然とした顔でテネースは、再びアリスを見る。今度は、アリスは頷いた。


 それならば、マリーカの態度は決して大げさではないだろう。一月も目を覚まさなかったのだから、もう二度と目を覚まさないかもしれないと、そう考えてもおかしくはない。


「ごめん、心配かけて」

「ほ、ほんとよ。もしテネースが目覚めなかったらどうしようって、不安だったんだから」


 普段のマリーカなら、こんなにも直接的な言葉を口にしなかったかもしれない。マリーカはぽろぽろと涙をこぼし、まっすぐテネースを見ていた。


 涙を止めてあげたい。そう思うのだが、こんな時どうすればいいのか、テネースにはわからない。


 涙をぬぐえばいいのだろうか。それとも、何か安心させるような言葉をかければいいのだろうか。あるいは――抱きしめ返せばいいのだろうか。


 どうしてもわからなかった。


「こんな状況で悪いけどよ。いったんお別れだ」


 助け船あるいはこの状況を断ち切る剣は唐突だった。


「ギュアース……さん?」

「一月経ったが、今のところ世界に目に見えるような変化はないらしい。けどまあ、あくまでも教会の目を通した情報だからな。自分の目で確認したいんだ。嫌かもしれねえけど、俺がいない間マリーカの面倒見てやってくれ」

「だ、だからあたしも一緒に行くって言ったでしょ!」


 両手で涙をぬぐいながら、マリーカが声を荒げる。


「本心で言ってるのか?」


 鼻を鳴らしたギュアースが、ちらりとテネースを見た。


 視線の意味がわからず、寝台に横になったままテネースが首をひねる。


 マリーカは「本心よ」などと答えているが、妙に声に力がない。


「変化は……ないんですか?」


 ぽつりと、テネースが呟く。


「アビュドスを出る時、ありったけの祝福をしてきたから。でも、そのアビュドスはもう空には昇らないし、いずれ確かな変化が訪れるわ」

「教会は、変化が目に見えない間に異端者と、異端者として認定はしていないが迫害されてる連中を聖都に集めるそうだ。異端審問官だけでなく、多くの聖職者も走り回ってる。祝福が失われたと知れ渡る前に、保護しておこうってことらしい。もちろん、おまえも保護の対象だ」

「まだ、多くの人は世界に何が起こったか、知らないんですね。僕がいずれ来る変化を無理矢理もたらしたっていうことも」

「ああ。だからまあ、社会がどう変わるか、ここで身体を休めて見てるといい。教会の連中が気付かないような変化は、俺が見てきてやる」


 ギュアースの言葉に、テネースはすぐに返事ができなかった。


 神の祝福を失い、社会は劇的に変わる。そして、テネースはその責を問われ、迫害され、場合によっては殺されることすら覚悟していた。


 だが、緩慢な変化は目に見えず、ごくごく少数の人間だけがテネースのことを知っている。しかし、教会はそんなテネースすら保護の対象だと言っているらしい。


 何がどうなっているのか、どうすればいいのか、わからない。


 ただ、ここでこうして寝ているのは嫌だと、それだけははっきりしている。


「あの、ギュアースさん。僕も、僕も一緒に行きます」

「あ?」


 声に出したのはギュアースだけだった。だが、アリスもマリーカも、何を言っているんだという表情でテネースを見ている。


「あのな、いつどんな変化が起こる変わらないんだぞ? 脅威なんてあの二人くらいだった今までの旅とは違うんだ。理解してるか?」

「してるつもりです。でも、たとえ危険に襲われる可能性があるとしても、僕にはこの世界にどんな変化が訪れるのか、この目で確かめる責任があると思うんです。邪魔にならないように努力しますから、僕も連れて行ってください」


 言葉に嘘はない。変に気負うつもりはないが、独断で世界に変革を強制した責任は決して軽いものではないと思っている。


「私は反対ね」


 戸口から、静かな声が聞こえてきた。


「イアイラさん?」


 見れば、右腕を布でつったイアイラが立っている。異端審問官の黒衣ではなく、聖職者の白い法衣を着ている。右腕の他には、目立った外傷はなかった。


「ギュアースが言ったようにいつどんな変化が起こるかわからないし、危険だわ。だいたいテネース君、一月も眠っていたんだから無茶はしない方がいいわよ」


 吊り下げられた右腕に目を留め身を起こそうとしたテネースを制するように、イアイラの声が響く。


「心配してくれて、ありがとうございます。でも、僕は自分のわがままの結果をこの目で確かめたいんです」


 イアイラは、最初からテネースを翻意させられるなどと思っていなかったのかもしれない。はっきりとした拒否の返事に満足そうな笑みを返した。


「テネース君なら、そう言うでしょうね。だから、私もついていくわ」

「何言ってんだ、おまえは。俺にマリーカにアリステラ。それだけで十分だ。だいたい、おまえは大聖堂の修理の責任者だろうが」

「屋根はもうほとんど元通りよ。それに、理由ならあるわよ。まず私がテネース君のことを心配だということ。テネース君はアビュドスに向かう時、異端審問を受けることを承諾したのだから、教会の保護下にあるということ。教会の保護下にある人物を危険があると予想される場所に、教会からの護衛もなしに行かせられるはずもないこと。まだあるけど、どう? 十分じゃない?」


 イアイラの上げた理由に渋面になっていたギュアースが、いいことを思いついたとばかりに表情を明るくする。


「ネイオスに黙って行くのは姉としてどうなんだ。それに、おまえは異端審問官だろう。修理の責任者じゃなくなっても、忙しいはずだよな」

「足の骨がくっついてないのにあちこち飛び回るくらい熱心な弟だから、私が教会のために動いていることをちゃんと理解してくれるわよ。それと、この格好を見ればわかると思うけど私はもう異端審問官じゃないわ。暇、というほどではないけれど、テネース君の護衛に専念できる程度には融通が利くわ」

「まさかそのために異端審問官を辞めたんじゃねえだろうな」

「違うわよ。元々向いてないと思っていたから、この怪我を機に職を辞しただけ。勝手なことをした私が処罰も何もなしに異端審問官を続けるのも問題だったしね」


 イアイラの返事にギュアースは舌打ちを返し、テネースを見た。


「てことらしいから、どうするかおまえが決めてくれ」

「え、え?」


 まったく違うことを考えていたテネースは、突然話を振られて目を白黒させる。


 ネイオスは足を折ったらしい。イアイラも右腕を折っている。ギュアースはもう目に見える場所の怪我は治っているようだが、服の下はどうかわからない。三人とも、あの時死んでいてもおかしくなかったのだ。


 運がよかったから、あるいは、三人が強い人間だったからこうして無事でいてくれるだけなのではないか。


 テネースは上半身を起こし、居住まいを正した。


「お礼も謝罪もいらないぞ」


 だが、きれいに機先を制された。


「そうよ。そんなことのために身体を張ったわけじゃないんだから」

「で、でも」

「大人が子供を守るのは当たり前なんだよ。もし感謝してくれるってんなら、大人になったらおまえが子供を助けてやれ。どんなお礼の言葉を言われるより、その方が嬉しい」

「まともなことも言えたのね」

「うるせえ! 人がせっかくいいこと言ったのに、茶化すんじゃねえよ」


 顔を真っ赤にしたギュアースが怒鳴る。


 まずマリーカが、次にイアイラが。ついにはアリスとテネースまでが吹き出した。しばらくの間、部屋に明るいs笑いが満ちた。


「……で、テネース。俺は明日出発するつもりだが、どうする?」


 しばらく経って、ため息をついたギュアースが訊ねる。


「僕も一緒に行きます」


 表情を改めたテネースが即答する。


「で、この口うるさい上に変態の気がある聖職者はどうする?」

「言うに事欠いてなんてこと言うのよ」

「あ、ええと、確かに異端審問を受けるという約束をしたのに、また僕のわがままで受けられそうにないんで、その代わりになるのなら是非一緒に――」

「ええ、代わりになるわ。いえ、むしろ異端審問よりも立派な旅よ。間違いなく」


 ずい、と身を乗り出してきたイアイラを避けるようにのけぞったテネースの目と、苦笑していたアリスの目があった。


「あ……」

「テネースが迷惑じゃなかったら、わたしも一緒に行きたいわ」

「迷惑なんて、そんな!」


 全力で否定すると、アリスはにっこりと微笑み小さく息を吐いた。


「あ、あたしは――最初から行くって言ってたんだから、もちろん一緒に行くわよ」


 置いていかれてはたまらないとでも考えたのか、マリーカが慌てて声を上げる。


「ありがとう、マリーカ」


 笑みを浮かべながら、テネースは不意に涙が出そうになって必死にこらえた。


 たった十五年の人生。その短い人生の大部分は辛く苦しいものだった。けれど、だからこそこんなにも素晴らしい仲間と出会うことができた。


 まだこれからの方が長いのだから、どんな人生になるのかはわからない。


 しかし、今ここにこうしていられるのだから、とても素晴らしい人生だったと、死ぬ時にそう胸を張れると確信できた。


 そして、生まれてきてよかったと。本気でそう思える。


 テネースは、今までの人生で最高の笑顔を、最高の仲間たちに向けた。

一ヶ月にわたって連載をしてきた『神殺しと神と創造神、ときどき世界の平和』はこれにて完結です。


お付き合いいただいた方、どうもありがとうございました。

とりあえず後書きを読んでみようと思われた方、ぜひ本文をお読みください。

大変喜びます。


現在次回作を準備中ですが、世界はまったく別のものになりますがまた異世界ファンタジーを書く予定です。

よろしければ連載を開始したらお読みください(本作よりも軽い作風になる予定です。たぶん)。


最後に。

完結にあたりタイトルを少しだけ変更しました。

変更前「神殺しと神と創造神、ときどき世界の平和」

変更後「神殺しと神と創造神、ときどき世界の秘密」


自己満足にすらなっているか怪しい変更ですが、こっちの方が内容により即してるかなあ、と思いまして。

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