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5 最後の神殺し

「イアイラとネイオスには、テネースが神の力をあの穴に投げ込むまで守って欲しいの。間違いなく、どっちも神の力に反応してテネースを襲うと思うから」


 未だに激しい争いを続けている創造神の欠片と赤い獣を見つめながら、アリスが言う。


 創造神の欠片の触腕が壁や天井を抉り、獣の失踪が地面を削る。細かな石片が天井から断続的に落ちてきており、このまま戦いが続けばいずれこの地下空洞は崩落するだろう。


「任せておいて。何があっても、テネース君は守ってみせるから」

「どれくらい時間がかかりますか」

「テネースの頑張り次第で時間はいくらでも変わるわ」


 ネイオスに答えたアリスがテネースを見る。イアイラたちもテネースに顔を向けた。


 今もまだ緊張と不安を抱えてはいたが、テネースはしっかりと頷いた。


「死ぬ気でやります」

「大げさね、テネース君。慣れてないことをやるんだから、少しくらい時間がかかったって大丈夫よ。私たちが、絶対に守ってあげるから。ね、ネイオス」

「……神の頼みだからな」


 イアイラが笑顔を向けると、ネイオスはそっぽを向いて小声で答えた。


「ありがとう、二人とも。本当ならテネースには、あの化け物たちからできるだけ離れた所に立ってもらった方がいいんだけど、少しでも早く力をあの穴に投げ入れるべきだと思うから、ぎりぎりまで近づかせるわ」

「任せてください。事が終わるまで、絶対に守ってみせましょう」


 ネイオスが真摯な表情でアリスに頷く。アリスも、真剣な表情で頷きを返した。


「あ、今さらで申し訳ないんだけれど、二体の怪物が神の力を追って穴に飛び込んだ後、あの穴から戻ってきたりはしないのかしら」

「たぶん大丈夫だと思うわ。穴を固定しているのはあの獣の力のはずだから、獣がこの世界からいなくなれば、穴を維持する力がなくなる。そして、獣にしてみれば創造神の欠片とその力が存在しない世界に興味はないはずだから、戻ってくる理由もないと思うわ」

「そう。なら、安心できそうね」

「姉さんが安心したところで、そろそろ始めた方がいいのでは」


 ちらりとイアイラを見たネイオスが顔をアリスに向ける。


「そうね」

「普段偉そうに説教をしておきながら、このような時に役に立てなくて申し訳ない」

「マリーカとギュアースさんを見ていてくれるだけで、ありがたいですよ。二人は大丈夫なんだって、自分のやることに集中できますから」

「テネース君の言う通りです。それに猊下、物事には適材適所というものがあります。教皇が戦いの術を知らないのは当たり前のことです」

「猊下はこの場で安心してことの成り行きを見守っていてください」


 イアイラが鞭を、ネイオスが剣をそれぞれ構える。


「テネース君、私たちが先に行くからついてきてね」

「はい。お願いします」


 緊張に顔をこわばらせたテネースに、イアイラは「任せておきなさい」と微笑んで駆け出した。ネイオスもすぐに続く。


「さあ、テネース。わたしたちも行くわよ」

「え、あ、アリスも行くの!?」

「当然よ。言ったでしょう。ずっと側にいるって」

「確かに言ってたけど、でも……」


 テネースは、反論の言葉を飲み込んだ。アリスの顔には絶対についていくと書いてあったし、時間も惜しい。何より、一緒にいると言われて安心している自分の心に嘘はつけない。


「……うん。一緒に行こう」



 何もない空間に開いた穴は、その存在だけでなく見た目も奇妙だった。


 どの角度から見ても常に黒い穴が口を開けている。だからといって球体には見えない。どう見ても、平面的な穴なのだ。そして、穴から覗くのは、創造神の欠片の放つ白銀の光を浴びてなお暗い黒一色だった。ムラもなく、穴の向こうからの光もない。完全なる闇。


 だが、テネースの意識はすぐにその不思議な穴から、その向こうにそびえ立つ創造神の欠片と赤い獣に向けられた。


 どちらもテネースの接近にいったん動きを止めた。だが、すぐに触腕は動き出し、獣は時に駆け、時に跳ねた。


 少なくとも、力を内包しただけのテネースよりもお互いを滅ぼすことが、怪物たちには大切らしい。


 そう思えることはテネースにとってはほんのわずかながら慰めになった。しかし、獣に抱く恐怖は大きい。これだけ近くにいると、神の力が抱いているであろう根源的な恐怖だけでなく、その巨体と暴力的な姿からの威圧感に足がすくむ。


「大丈夫。あれは、あなたには何もできない。イアイラとネイオスが、守ってくれるから」


 そっと、背中に手が添えられる。振り向けば、アリスの微笑が飛び込んでくる。


「具体的にはどうすればいいの?」


 アリスがいてくれるから恐怖がなくなるかといえば、そんなことはない。だが、心を占める恐怖の割合が減ったのは間違いない。


「やり方は一つじゃないんだけど、そうね……突き出した手のひらから光とか炎とかが飛び出してる光景を思い描いて、強くそれが現実だ、って思い込めばその通りになるわ。そうやって力を全部放出してしまえば、テネースの中から神の力はなくなって、あの創造神の欠片も獣も、力を追いかけてこの穴に飛び込むはずよ」

「やってみる、ね」


 そんなことで本当にうまくいくのかと半信半疑ながら、テネースは足を広げ、両手を穴に向かって突き出した。


 そして、両の手のひらから銀色の光が真っ暗な穴へと伸びていく場面を思い描く。描く。


 眉間にしわが寄り、全身に力が入る。


 光れ、光れ。


 終わりにするんだ。


 強く願うが、光が放たれるどころか手のひらが光りもしない。何も変わらず、創造神の欠片と獣も反応しない。


 イアイラたちが、意識の大部分を怪物たちに向けながらもちらちらと振り返っているのがわかった。


 テネースの焦りが強くなる。


(光れ、光れ、光れ、光れ……)


 どんなに強く念じても、変化の兆しはない。


 焦りと疑問がどんどん大きくなる。光れと念じるよりも、どうしよう、なんでという思いばかりが強くなる。


「テネース、テネース。落ち着いて。大きく深呼吸して」


 言われるがままに、限界まで息を吸い、ゆっくりと吐き出した。


 と、背中に触れていたアリスの手が離れた。


「アリス?」

「ちょっとやり方を変えてみましょう。子供の頃、雪玉を投げて遊んだことがあるのを覚えてる?」


 問われ、テネースの顔が歪む。


 神の祝福があっても、ひと冬に二三度は雪が積もる。冬は仕事もそう多くないから、子供たちが雪遊びをしても大人たちが眉をひそめることもない。だから、雪は子供にとって最高の贈り物だった。


 特に雪玉を武器に陣地の取り合いをする雪合戦は、男の子女の子問わずに人気があった。本当に小さかった頃は、テネースも他の子供に交じって楽しむことができた。


 だが、大人による差別が始まってからは仲間に入れてもらえないことが多かった。


 入れてもらえたと思えば、テネースに投げられる雪玉にだけ石が入っていたり、敵味方問わずテネースを集中攻撃をしたりと、遊びとはとてもいえないものだった。


「あ……ごめんなさい。無神経だったわ」


 顔を見なくても雰囲気で察したのだろう、アリスのしょんぼりした声がテネースの耳朶を打つ。


「気にしないでよ。ちゃんと覚えてるよ。雪合戦のこと」

「うん……あの、ね。経験していないことを想像するよりも、経験と絡めた方がうまくいくんじゃないかと思って。雪の代わりに神の力をこねて球を作って、それを雪玉みたいに穴に投げる感じで」


 テネースは「なるほど」と頷いた。確かに辛い記憶と結びついているが、それでも雪合戦のことはよく覚えている。楽しかった思い出もある。漠然と手のひらから光が出るとか火が噴き出すとか考えるよりも、よほどはっきりと想像できそうだった。


「やってみるよ」


 雪が降るほど冷え込んだ冷たい空気。指先を麻痺させる雪の冷気と柔らかさ。雪玉を作って積み上げる時のわくわく感……


 楽しかった頃のことを思い出し、テネースの両手は雪を拾い上げ雪玉を作る動きを再現していく。


 できあがっては置き、また新しい雪玉を作る。置いてすぐに次の雪玉を作り始める。そして、できあがればまた地面に置く。


 何度も何度も繰り返す。


 どれほど繰り返しただろうか。雪を丸めるための動きをしていたテネースの両の手のひらの間に、ぼんやりとした白い光が集まり始めた。


「あ……」


 安堵の声が、アリスの口から漏れる。


 創造神の欠片と赤い獣が、動きを止めた。


 イアイラとネイオスが息をのみ、身構えた。


 テネースは、空想の雪玉をこね続ける。


 光は大きく、強くなっていく。


 創造神の欠片が、地響きとともにテネースへと動きだし、触腕を幾つも幾つも伸ばした。


 つられるように、あるいは遅れてはならじと獣が跳躍する。


 触腕は、ネイオスの剣とイアイラの鞭が完全に防ぎきった。だが、濃い影を落とし頭上を越えていく獣に、対処する術はない。触腕から遅れて向かってきた創造神の欠片の本体を食い止める方策も、ないだろう。


 だが、イアイラもネイオスも逃げなかった。それぞれの武器を構え、創造神の欠片を待ち構えている二人の姿を、テネースは視界の隅に捉えていた。


 脅威に晒されているイアイラたちを信じつつも心配する一方、自らの作業に集中するテネースはイアイラたちのために心乱すことはなかった。それどころか、自らに向け今まさに落ちてきている獣にすら注意を向けていない。


 一心不乱に、雪玉を――神の力の塊をこね上げていく。


 神の力は、すでにテネースの両手では包み込めないほどの大きさになっている。しかし、テネースはまだ自分の中に神の力が残っているのを感じていた。


 今まで、神の力など感じたことはない。だが、目に見える形で神の力が現出しているからか、身体の中の神の力を、その流れをはっきりと感じ取ることができた。


 そして、テネースの冷静な部分は悟っていた。このままでは、すべての神の力を光の球に変換するよりも、獣に襲いかかられる方が早いと。


 だからといって、途中で止めて逃げるわけにはいかない。テネースは、黙々とこね続けた。


「大丈夫。何があっても守るから」


 アリスの声が、背後から左へと移動する。


「アリス!?」


 テネースの集中が乱れる。きれいな球を形作っていた光が歪んだ。


「何してるの! 集中しなさい!!」


 アリスは獣からテネースを守るように、両手を広げた。


 落下してくる獣の巨体。対するアリスはテネースとほとんど同じ身長だ。とても守れるはずがない。


 けれど、アリスは泰然と手を広げている。気負いも感じられない。


「そんなこと、できるはずないよ!」


 ますます、光の球が歪み、光も弱くなる。


「もし途中で止めたりしたら、もう二度と口を利かないわよ」


 アリスは身動き一つせず、すぐそこまで迫ってきている獣を見ている。


 このまま集中したところで間に合わない。なのになぜアリスはこうも頑ななのか。訊ねたい。けれど、舌は張り付いたように動かなかった。


「おとなしく言うこと聞いとけよ」

「え?」


 突然の第三者の声。テネースだけではなく、アリスまでもが驚いている。


 もっとも、いつまでも驚いてはいられなかった。獣が創造神の欠片の肉片が挟まった牙を見せつけるように口を開き、着地するよりも先に右前足を勢いよく振り下ろした。


 テネースは、集めた神の力を放り投げ、アリスを突き飛ばそうとした。


 だが、アリスの方が先に動いた。獣に背を向け、広げていた手でテネースの動きを封じた。


 神の力の塊である光球はテネースの手のひらの間からこぼれ落ちることはなかった。


 しかし、そのせいで、テネースはアリスを助けることができなくなった。


 獣の前足が迫る。


 絶望の表情で自分たちを押しつぶす足を見ているテネースを、アリスが力強く抱きしめた。


 今まさにテネースたちに振り下ろされようとしていた足が、横から襲ってきた力に弾かれる。


 足は、テネースたちから逸れ、すぐ右の地面を抉った。大地が砕け、無数のつぶてがテネースを打ち据える。


 途切れそうになる意識を、アリスの身体の温かさがつなぎ止める。


 霞む意識の中、テネースは獣の巨体が自分たちを押しつぶすことなく、地面に降り立ったことを知った。悔しそうな咆吼が、獣の口から放たれる。


「事情はわかんねえけど、ぼうっとしてる暇はないんじゃねえか」


 再び聞こえた声が、テネースの意識を覚醒させた。


「ギュアースさん!?」


 テネースと、そしてアリスの目が驚愕に丸くなる。


 大剣を手にしたギュアースが、テネースたちに背を向け獣と対峙していた。身体中の傷からはまだ血が流れ続けている。普段のギュアースではあり得ないことに、大地を踏みしめる足が小刻みに震えてすらいた。とても、戦えるような状態ではない。


「おまえらが何かする間、あいつを足止めしときゃいいんだろ?」


 だが、ギュアースの声は力強く、戦意に満ちている。


「む、無茶ですよ!」

「あのなあ、テネース。やる前から無茶だとか無理だとか言うなよ。あの二人にできてることが俺にできない理由はねえだろ」


 ギュアースが創造神の欠片へと顔を向ける。


 驚くべきことに、イアイラたちが創造神の欠片の動きを止めていた。確かに突進というほどの勢いはなかった。とはいえ、人間二人程度で歩みを止められるような質量の存在ではない。


 しかし今、確かにクリダリア姉弟は創造神の欠片を足止めしていた。遠目にもボロボロなのがわかる。それでも、剣と鞭を縦横に走らせ、創造神の欠片が前に進むのを防いでいる。


「イアイラさん……ネイオスさん」

「別に永遠に戦えってわけじゃないんだろ? なら任せとけよ」


 肩越しに振り返ったギュアースが、口元を笑みの形に歪めた。テネースが何か言うよりも早く、大剣を両手に握りしめ、獣へと突き進んでいく。驚いたことに、普段のギュアースと変わらない――あるいはそれ以上の速度だった。


「ギュアースさん!!」


 テネースの叫びにもギュアースの足は止まらない。鬱陶しそうに振り下ろされる獣の足をかわし、反撃に大剣をたたき込む。怪我をしてるとはとても思えない動きだ。


「テネース、早く続きを!」


 叫ぶアリスの額からは一筋の血が流れていた。血を吸って赤くなった前髪が張り付いている。


「アリス……」

「三人だっていつまでも保たないのよ」

「うん。ごめん。ギュアースさん、イアイラさん、ネイオスさん、お願いします」


 小さく、しかし迷いのない声で呟いたテネースが、穴を見上げる。

「頑張って」


 アリスがテネースから手を離す。


 頷いたテネースは雪玉をこねる動作を再開した。すぐに、形を崩していた力の塊が球形を取り戻す。


 そして、注がれた神の力が球を大きくし、輝かせる。


 神の力の新たな放出を感じたのだろう。創造神の欠片の動きが激しくなる。触腕の数が増え、イアイラたちを無視して前に進もうとしている。


 獣も、両前足と鋭い牙でギュアースを排除しようと激しく暴れ出した。


 だが、人間たちは一歩も引かずに戦い続ける。


 イアイラは一手に触腕を引き受けていた。時に触腕の一撃を受けながらも、神がかり的な鞭さばきで多数の触腕の動きを封じている。


 ネイオスは、触腕を気にする必要なしに創造神の欠片本体を剣で斬り、突き、そしてまた斬っている。完全に足を止めることはできていないが、創造神の欠片の歩みを遅くしていた。


 そしてギュアースは、たった一人で、一本の大剣で、獣の相手をしている。重い足による一撃をかわし、大剣で逸らし、隙を見ては斬り込んでいく。動きも、気力も、おそらく過去のギュアースをしのいでいるだろう。


 テネースは、大人たちの活躍を意識の片隅で理解しながらも、中断する前よりも意識を集中させて神の力を球にしていた。すぐ側にいるアリスのこともほとんど意識に上らない。


 その深い集中は、テネースの手の間の光の球を今までとは比較にならない速さで大きくしていく。


 しかし、それは神の力を求める創造神の欠片と赤い獣の動きを、ますます激しくしていった。


 イアイラを打ち据える触腕の数は増え、ネイオスは数度、創造神の欠片の本体に弾き飛ばされた。


 相変わらず怪我人とは思えない動きをしているギュアースだったが、新しい傷が幾つも口を開けている。


 それでも、三人の大人たちは戦い続ける。自分たちが引かずに戦っていれば、テネースがすべてを終わらせてくれる。そう信じているかのように、がむしゃらに戦っている。


 彼らの戦いを見つめていたアリスが、そっとテネースの腕に手を置いた。


 テネースの意識はそのことを知覚しながらも、一心に光の球をこねることに集中する。


 光の球は加速度的に大きくなっており、それに反比例して自分の中の神の力が少なくなっているのを、テネースははっきり感じていた。


 神の力の塊はすでにテネースが両手で抱えるのも難しいほどに大きくなっているのだが、球自身が宙に浮いているのでテネースは重さを感じることもない。


 あと数回呼吸をすれば神の力をすべて放出することができる。そんなテネースの確信と同時に、ひときわ大きいイアイラの悲鳴が響いた。


「イアイラさん!?」


 恐ろしいほどの集中を見せていたテネースの意識が、外界に向かった。


 触腕に高々と持ち上げられたイアイラが地面に向けて投げ捨てられるのを、テネースは見てしまった。


 光の球は、先ほどとは比較にならないほど醜く歪んだ。


 地面に叩きつけられ、数度弾んだイアイラは立ち上がるどころかぴくりとも動かない。


 イアイラのくびきから逃れた触腕と創造神の欠片本体の攻撃を、それでもネイオスはしばらく耐えていた。


 だが、単純に大きさだけで比べてみても、人間と創造神の欠片には大きな差がある。ぎりぎりのところで成り立っていた均衡がついに崩れた。触腕がネイオスの足を払い、かしいだ身体を創造神の欠片の本体が吹き飛ばした。


 ネイオスはそれでも立ち上がろうとしていたが、やがて力尽き動かなくなった。


「ネイオスさん!」


 テネースが叫び、光の球がますます形を失っていく。


「あと少し。集中して」


 アリスが先ほどと同じように怪物たちとテネースの間に自らを置いた。


「イアイラにネイオス、それに怪我をしてるのに無茶をしてるギュアースのためにも、最後までやり遂げて。ね?」


 でも、と言いかけていたテネースは、アリスの言葉に何も言えなくなる。


 後ろ髪を引かれる思いで、顔を前に向けた。あと少しで神の力で作った球が完成する。黒い穴を睨みつけ、テネースは目を閉じた。


 テネースが集中を再開してすぐ、光の球がきれいな球形を取り戻す。


 目を閉じたが故に、創造神の欠片が全身から触腕を伸ばし迫ってくる光景をまざまざと想像してしまう。だが、テネースは必死に余計なものを振り払い、集中していく。


 獣とギュアースとが戦う音も、次第に小さく遠くなっていく。


 感じられるのは、自分と、身体の中にわずかに残った神の力。そして、両腕で抱えるようにしている光の球の三つだけ。


(もったいない)


 不意に、流れ出ていく神の力が惜しくなった。もう間もなく、テネースの中から神の力がすべてなくなってしまう。


 テネースと、一般人とを厳然と隔てる力が、なくなってしまう。それが、ひどくもったいないことのように思える。


(今ならまだこの力を取り戻せる)


 自然とそんな考えが浮かび、テネースは背筋を震わせた。


 神の力など望んでいない。だからこそ、今ここでこうしている。だというのに、なぜ神の力を惜しいと思っているのか。


(今までの神の力の半分程度しか持てない。でも、それでも人間とは比較にならない力だ)


(違う、違う! こんなの、僕の意志じゃない!!)


 イアイラやネイオス、そしてギュアースの奮闘を、そしてアリスやマリーカの期待をすべて裏切る思いを必死に否定しても、次から次に、神の力を捨てるなと囁く声は消えなかった。


 決して否定の声を圧する程には大きくならないが、それでも集中を妨げる程度にはやかましい。


 光の球は、さっきからわずかたりとも大きくなっていなかった。


 自身の意志の弱さに、テネースは血が出る程強く、唇を噛んだ。


 光の球を完成させ、創造神の欠片と赤い獣を追い払う義務がある。テネースはそう思っている。だが、このままでは間に合わない。獣はまだギュアースが抑えているが、創造神の欠片は完全に自由なのだ。


 自由にならない意志の中、テネースは先ほどまで遠く聞こえていた戦いの音が完全に聞こえなくなっていることにぞっとした。


 集中が最高潮に達して外界のすべてを知覚できなくなっているのなら、問題はなかった。だが、今はとても集中していると言えるような状態ではない。


 なのにまったく物音がしなくなったことが意味するのは、ギュアースもついに力尽きたということだ。


「あ……あ」


 かすれた小さな声が出るだけで、悲鳴すら出てこない。目を開けて確認することも、恐ろしい。


(僕のせいだ、僕が弱いから、迷ってたから)


 本当なら、とっくに光の球をあの穴に放り込んでいておかしくないのだ。それなのに、光の球は――神の力はまだテネースが持っている。


「大丈夫。絶対に守るから。あと少しだけ頑張って」


 アリスの言葉に気負いはない。恐れもない。テネースに対する信頼だけが、ある。


 神の力はすでになく、ギュアースたちのように戦う力も、術も持たない、ごく普通の少女となったアリス。そんなアリスが守ると言ってくれ、さらには信じてくれている。


(なのにどうして、僕は迷ってなんかいるんだ。落ち込んでなんかいるんだ。ついさっき、皆の思いを無駄にはしないって、そう誓ったばかりじゃないか!)


 神の力を惜しむ声は今も聞こえている。だが、そんな声よりも、自分が背負っているものの方がよほど重く、大切なのだと理解できる。


 テネースのわがままから始まったことを支持し、身体を張ってくれた人たちのためにも、必ずやり遂げる。


 それがけじめの付け方だし、なにより皆を守ることにつながるのだ。


(絶対に、諦めない)


 テネースの決意に、光の球が反応した。その大きさを増していく。


 獣の吠える声を、触腕に引き裂かれた空気の悲鳴を、アリスが息をのむ音を聞いた。


(早く、早く、早く!!)


 テネースの両腕が銀色にまばゆく輝く。


「できた!」


 叫び、目を開ける。白銀の森で見た、樹齢数百年の大木の幹よりも大きな白銀色に輝く光の球が、テネースの腕の間に浮いている。


 もう、身体の中に神の力は一切残っていない。そのことを身体と頭が理解した途端、膝が砕けそうな脱力感に襲われた。


(まだ駄目だ。これを、あの穴に投げ入れないと)


 意識がぼんやりとし始めた。頭上へと振り上げる腕の動きも鈍い。


 だが、創造神の欠片と赤い獣は光の球めがけて一直線に突き進んでくる。


 アリスはまだ怪物たちとテネースの間に立っている。このまま怪物たちが突っ込んでくれば、間違いなく巻き込まれる。


 ギュアースたちなら耐えられることでも、アリスが耐えられるはずがない。


 だが、どんなに焦っても身体の動きは鈍い。


(ちゃんと動けよ! 動いてよ!!)


 創造神の欠片の触腕がアリスの頭を越えて伸びてきたのが見えた。


 腰を落とし溜めを作っていた獣が今まさに跳躍しようとしているのも視界に捉えた。


(動け!!)


 風切り音が、聞こえた。


 空を裂き飛んだ矢が、触腕に突き立った。


 誰が放った矢か、確認するまでもない。


 矢が作り出した隙はほんのひと呼吸ほどのものだった。すぐに創造神の欠片の触腕が動きを再開する。


 だが、その一瞬の間隙が、テネースの両腕を頭の上へと伸ばさせていた。


(間に合わない!?)


 テネースが頬を引きつらせたまさにその時、遥か頭上から何かが崩れる音が聞こえてきた。そして、時を置かず白銀の光が矢となって創造神の欠片と、赤い獣を射貫いた。


「堕ちたる神の力!?」


 アリスが、銀色の光の雨を見てうめく。


「今まで、ありがとうございました!」


 二千年にもわたって世界を祝福し続けてくれた力に感謝しつつ、テネースは腕を振り下ろした。


 神殺しの束縛を逃れた光球は、まっすぐに宙を駆ける。


 行く手にあるのは、白銀の光すらも飲み込む漆黒の闇。


 力を使い果たしたテネースは、前のめりに倒れながら光の球が黒い穴へと身を沈めていくのを見た。


 そして、それを追って触腕が伸びていくのも。獣が跳躍寸前でその向かう先を変えたのも、確かに見た。


 だが、意識を保っていられたのはそこまでだった。


 ギュアースたちの安否を確かめることも、アリスに声をかけることもできず、テネースの意識は穴の向こうの闇もかくやという黒い泥の中に沈んでいった。

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