5 大聖堂へ
「ん……」
全身に広がるけだるさを感じながら目を覚ましたテネースが最初に見たのは、深く澄んだ湖のような青だった。
「……きれいだなあ」
無意識に呟いた途端、青い瞳の周り顔が真っ赤に染まった。
『な、な、なっ!?』
顔を真っ赤にしたままのけぞり、ろくに言葉も話せないでいるアリスを見て、テネースの意識がはっきりし始める。
「あ、その、きれいだって言ったのは目のことだから!」
アリスに引きずられるようにテネースの鼓動まで速くなっていく。
別におかしなことを言ったわけじゃないと思っているだけに、自分の反応の理由がわからなかった。
軽い足音と共に人が隣りに立つ気配がしたので、テネースは顔を横に向けた。
神が、無表情にテネースを見下ろしている。
「あ」
神から再び協力するという約束をもらえたこと、気持ちが通じたことが嬉しくて、そして張り詰めていた緊張が切れたことで気を失ったことを思い出し、テネースは顔を反対側に向けた。
「寝台……神様が寝かせてくれたんですか?」
ようやく寝台に寝ていることに気が付いたテネースが、背けたばかりの顔を神に向け直す。
神は小さく頷いただけで何も言わなかった。
無事に説得を終え、今まで経験したことのない柔らかな寝台に横たわっていると、このままぐっすり眠ってしまってもいいような気がしてくる。窓の向こうが薄暗いから余計にそう思う。
「って、寝たら駄目だよ!」
大慌てで跳ね起きたテネースは、そのままの勢いで寝台から飛び降り、窓に駆け寄った。
ガラスのせいで歪んだ世界は、夜というほど暗くはなかった。窓にへばりつくように上を見れば、黒と紫の混ざった空が見える。
『そんなに長く気を失ってたわけじゃないから、大丈夫よ』
咳払いをしてから告げたアリスは、定位置となっているテネースの右肩に腰掛けた。
だが、アリスの言葉は慰めにはならなかった。
「マリーカたちが戦ってるんだ。早く行かないと!」
気を緩めすぎた自分を叱咤しながら、テネースはきびすを返し扉へと走る。
「先に降りてます!」
まだ寝台の脇に立っていた神に声だけをかけ、部屋を飛び出す。
『マリーカたちのこと、信じてるんでしょ? もっと落ち着きなさい』
たしなめるアリスの声は聞こえたが、螺旋階段を駆け下りることに集中しているテネースには、返事をする余裕はなかった。
「マリーカ! イアイラさん!!」
乱れる息を整えることもせず、テネースは外へ通じる扉を押し開けた。
だが、マリーカたちの姿は見あたらないし、戦いの物音も聞こえない。
塔の上から見た時よりも周囲の暗さは増しているが、それでも闇に紛れて人の姿が見えないほどではない。実際、神官服姿の男三人は息を乱して座り込んでいるし、教会騎士たちは倒れている。
『テネース――』
「あっち」
アリスの言葉の続きを、左隣に突然現れた神が口にする。
「か、神様!?」
アリスが不機嫌そうに口を尖らせたのを横目に、テネースが見開いた目を左に向ける。
神は返事をせず、形のいい指でまっすぐ前を示した。
最初にネイオスが襲ってきた辺りに、マリーカとイアイラの姿があった。テネースたちに背を向けている。
その向こうでは大剣を縦横無尽に振るうギュアースと、機敏にかわしては鋭い一撃を放っているネイオスが未だに戦いを続けていた。
「た、大変だ、止めないと!」
まだ息は上がっていたが、テネースは必死に駆けた。
長時間戦い続けているとは思えないほどギュアースもネイオスも動き回っているから怪我はしていないだろうが、いつそれぞれの武器が相手に当たるかわかったものではない。
「止めて、もう戦う理由はなくなったんだ!」
半分ほど走ったところで、声の限りに叫ぶ。少しでも早く、無駄な戦いを止めて欲しかった。
「テネース!?」
マリーカが驚き、かつ安堵の表情を浮かべ振り返る。ギュアースたちも睨み合いは続けていたが足と手は止まっている。
残りの距離も走りきり、テネースは額を流れ落ちる汗を腕でぬぐいながら、マリーカたちを見回した。ギュアースとネイオスは無傷だったし、マリーカとイアイラも怪我をしている様子はない。
「よかった、誰も怪我してない」
大きく息を吐いたテネースは、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
螺旋階段を駆け下り、塔からここまで走ったせいで力の入れようがないほど膝が笑っていた。
「だ、大丈夫!?」
駆け寄ったマリーカが、心配そうにテネースの顔を覗き込む。
「説得、うまくいったのね?」
テネースの右肩を見たイアイラが、小さくため息をついた。
「あり得ない。神は我々教会の考えを支持してくださったのだ!」
抜き身の剣を持ったままのネイオスが一歩踏み出す。
ネイオスからテネースを守るように、ギュアースが二人の間に身体を割り込ませる。ネイオスは足を止めはしたが、ギュアースを見ようともせずテネースを睨んでいる。
「申し訳ないけれど、もう一度テネースに賭けてみる」
テネースの左隣に並んだ神が、相変わらずの無表情でネイオスを見る。
ネイオスはまず愕然とし、ついで親に見捨てられた子供のような表情を浮かべた。
「なぜです。我々は間違っていない。テネースがしようとしていることは、あまりにも不確かすぎる!」
「確かに、世界そのものを賭の対象にする危険はある。けれど、救われることのない人々を救いたいというテネースの思いを無駄にしたくない。だから、わたしは神として、そして三百年を生きた人間として、人生の最後に賭をしたい。言っていることが二転三転して申し訳ないけれど、わたしはテネースに協力する」
「我々を、ずっとあなたを崇拝してきた我々を見捨て、その異端者を信じるというのですか! 次代の神とはいえ、ろくにものを知らない子供の戯れ言に、世界を賭けるのですか!!」
「いったん考えを変えた神がもう一回テネースを信じることにしたって言うんだから、それだけ説得力のある話をされたんでしょ。なのに、自分の信じる神様のことを疑って、神様の判断にケチを付けるの!? 神様が何を言うかなんてどうでもよくて、本当はただテネースに反対したいだけなんじゃないの」
立ち上がったマリーカがネイオスを睨みつける。
「違う! 何も知らない信徒たちが未曾有の危険に晒される可能性を看過できないだけだ」
「確かに危険な賭だとは思うわ。でも、試す価値はあるでしょう。異端者を生み出すこともなくなるし、神殺しに選ばれた人間が神を殺す必要もなくなるのよ」
「異端審問官なのに、どうしてそんなことが言えるんだ。だいたい、神殺しの悲劇にしたところで今まで続けられてきたことだ」
「おまえが反対を続ける気持ちもわからんでもねえけどな、聞き分けのないガキみたいな顔してるって気付いてるか?」
剣をしまいながらのギュアースの言葉に、ネイオスは驚いたように空いている左手を頬に当てた。
「だいたい、おまえがどんなに反対しようが、俺の相手をしてる間にテネースたちが封印区画に行くだけの話だ」
ギュアースを、ぞっとするような憤りに満ちた目で睨みつけたネイオスだったが、斬りかかるようなことはしなかった。
『神を説得した後にまたこんな会話をすることになるなんてね』
うんざりしたように呟くアリス。
テネースは小さく「仕方ないよ。ちゃんと説得しないと」と呟いて立ち上がった。足はまだ小刻みに震えていたが、気合いで耐える。
「ネイオスさん、異端者と教会に認定される前の人間がどのような扱いを受けているか、ある程度知っていますよね」
テネースの問いに、ネイオスは認めたくはないけれど頷かざるを得ないといった表情で首肯する。
「僕はそういう人たちを救いたい。本人にはなんの落ち度もないのに、大多数の人たちの幸せのために犠牲になり続けるなんて、悲しすぎます。だから、できることは全部やりたいんです」
「……そういった者たちを救うために、我ら異端審問官がいる。異端審問官は異端者を正しい信仰の道に戻し、神の祝福に浴す人間へと変えることができる。一時は辛い思いをしたとしても、やがて苦しみから解放され、社会に受け入れられる」
「いずれ救いの手が差し伸べられるから、それまで耐えろと、そう言うんですね? 異端者として告発され、やがて聖都へと連れて行かれるまで、どれほど辛かろうと黙って耐え続けろ、と」
テネースは、暴力は数えるほどしか振るわれなかった。だが、中には直接的な暴力を振るわれ続けている人だっていることだろう。
それになにより、精神的な暴力は身体を傷つけられるよりもよほど辛い。アリスがいたテネースですら何度となく絶望したのだ。一人耐え続けている人たちがどれほど苦しんでいるか、テネースにも想像できない。
「それに、異端者として告発されずに迫害を受け続ける人もいるはずですし、異端者とされた人間すべてをすぐに保護できるわけじゃないですよね」
これから言おうとしていることを口にする資格が自分にあるか悩んだテネースは、いったん口を閉じたものの、すぐに言葉を継いだ。
「僕みたいに、異端審問官から逃げる人だっているでしょう。異端者を救おうとしているのにふざけるな、と思っているでしょうけど、僕たちにしてみれば迫害をしていた人たちと同じくらい、怖い存在なんです。異端審問官は」
「異端者を救えるのは異端審問官だけだ」
「かもしれません。ただ、僕たち異端者は長い間、家族という身近な存在からも迫害され続けてきた人間です。そんな人間が、聖都に連れて行かれ、戻ってくる頃には普通の人たちと同じようになっている。僕は、異端者として教会に告発されてからあなたたちが来るまでの間、今までとは比較にならない拷問じみたことをされて、存在の根本的なところから変えられるんだと、そう言われ続けました」
「馬鹿な。我々は拷問などしていない!」
普段は思い出さないようにしている過去を振り返り顔を歪めるテネースに、ネイオスが激高して叫ぶ。
テネースは、小さく頷いた。
「イアイラさんと、そしてあなたと旅をした今の僕なら、その言葉に嘘がないことはわかります。でも、そうじゃない人の方が多いんです。本当は救いの手なのに、そうは思えない。かといって、今さら異端審問官について正しい姿を示すことも難しいんじゃないですか?」
はっきりと言葉を口にし、堂々と問いかけるテネースを、アリスと神を除いた全員が、驚いたように見つめる。
「少数の人間よりも大多数の人間のために、という考えは理解できます。でも、たとえ子供のわがままだと言われようと、僕はそういう人たちのことを見捨てることなんてできない。すべてがうまくいったとしても、神様の祝福はなくなります。世界にどんな変化が起きるかもわかりません。その変化は僕のせいだと、そう告発してもらって構わない。だから、これからしようとしてることを認めてください」
ネイオスの目を見つめたまま言い終えたテネースは、深々と頭を下げた。はっきりと葛藤を浮かべたネイオスはテネースを見つめ、イアイラを見て、再びテネースに顔を向けた。
「……わかった」
長いため息の後の、短い一言。
いたく素っ気ない言葉だったが、テネースを飛び上がらんばかりに喜ばせるには十分だった。
「あ、ありがとうございます!」
「だが、私もついていくぞ。そして、続けるべきではないと判断したら、たとえ何があろうとその場で止める」
「はい」
「ふん、おまえ一人じゃどうしようもないくせに」
「そういえば、まだ先ほどの決着がついていなかったな」
ギュアースが鼻を鳴らせば、ネイオスは目を細める。
「お兄ちゃん、せっかくまとまったんだからそういうこと言わないの!」
「ネイオス、そんなことしてる暇はないわよ」
マリーカとイアイラはよく似た、うんざりした表情を浮かべた。
『本当に、成長してるのね』
テネースの右肩に座っているアリスが、感慨深そうに呟く。
「そんなことないよ。ただ伝えたいことをそのまま言っただけだから。ネイオスさんや神様がちゃんと聞いてくれただけだよ」
『……もう少し自信を持ってくれれば、わたしも安心なんだけど』
「え? 何?」
『なんでもないわ』
聞き返すテネースに、アリスは首を振った。
「テネース」
呼ばれて振り返ると、神が無表情の中にも真剣さをたたえてテネースを見ていた。
黙って続きの言葉を待つが、神は口を開こうとしない。
「ええと、どうしました?」
テネースの問いかけに、神は口を開きかけ――閉じた。そのまま視線を大聖堂へと移し、ようやく言葉を紡ぐ。
「ネイオスも納得してくれたし、そろそろ」
「そうですね。行きましょう」
神の視線を追って大聖堂を見たテネースが、ゆっくりと頷いた。
「みんな、そろそろ行こう」
テネースが声をかけると、かなり真剣な表情で兄に説教をしていたマリーカが、見事としか言いようがないほど一瞬で笑顔になり、駆け寄ってきた。
「別人みたいだったから、びっくりしちゃった」
「そんなことないと思うんだけど」
「マリーカの言う通りだと思うわ。今までの――というよりも塔に登る前のテネース君だったら、もっとおどおどして、きっとネイオスに気持ちを届かせることはできなかったわ。塔で、何かあったのかしら?」
ゆっくりと近づいてきたイアイラが目を細めテネースの顔を覗き込む。
「な、何もないですよ。もし僕に変化があったとしたら、神様を説得できたことが自信になったんだと思います」
早口に言って、テネースはイアイラとマリーカに背を向け歩き出した。
「待ってよ、テネース」
マリーカはすぐにテネースの後を追い、イアイラは傍らの神をちらりと見てから二人を追いかけた。
***
かなりの大立ち回りをしたはずなのに、大きな騒ぎにはなっていない。
その理由は、大聖堂に足を踏み入れてすぐに明らかになった。夜の礼拝まではまだ時間があるにもかかわらず、一般信者たちの姿はどこにもない。それどころか、聖職者もただ一人を除いて見あたらなかった。
「諦めるつもりはありませんか」
教皇が、確認するようにテネースと神を見る。
「はい」
テネースは声に出して返事をし、神は無言で顎をわずかに引いた。
教皇は目を閉じ、深々と息を吐いた。
「まさかまだ反対するつもりじゃないでしょうね」
「猊下、認めたくはありませんが、今のテネースが言うことには一理あるように思えます」
マリーカが鼻息を荒くし、ネイオスが教皇に頭を下げる。
イアイラは自分の意見を言うことも忘れて弟を見つめていた。
「一度は我々の考えに賛同していただいた神を説得し、ネイオスまで翻意させた。今さら私が反対したところで、意味はなかろう」
マリーカとネイオスに答えた教皇は、じっとテネースを見つめてから言葉を続けた。
「その代わり神殺しよ、私も一緒に行かせてもらいます」
「げ、猊下、何が起こるかわからないのです。おやめください!」
「すべてが望む通りに進んだとしても、世界には大きな変革が訪れる。世界の中心とも言える組織の長として、変化の場に居合わせるのは当然だろう」
目を剥いたネイオスの懇願にも教皇は揺るがない。
「同行を許可していただけますか?」
「きょ、許可する何も禁止する理由も権利もないです。でも、ネイオスさんも言ってましたけど、何が起こるかわからないですよ」
「覚悟の上です。長い間封印区画として我々教会の中枢に存在し続けたものをこの目で見たいという好奇心もありますので」
「一緒に行くのは構わねえけど、あんた確か俺たちがさっき入った場所は本当の封印区画の入口に過ぎないとか言ってたよな。あと、そこから本当の封印区画へどうやっていくのかわからない、とも」
ギュアースの言葉に、テネースは今の今までその事実を完全に失念していたことに気付き、顔色をなくした。せっかくみんなが説得に応じてくれたというのに、創造神の欠片があるであろう封印区画に行くことができないのでは、手落ちが過ぎる。
教皇は、まず頷きでギュアースに答えた。
「代々教皇に伝えられてきた事柄から、真の封印区画の存在は予想していた。そして、先ほど初めて封印区画に入ったことで、その予想が正しかったのだと確信はした。だが、そこへ至る方法に関しては、わからぬ」
「先に進むための方法が見つからなかったらどうしよう」
そもそもが行き当たりばったりで、計画性とは無縁ではあるものの、目的地にたどり着く前にすべてが水泡に帰すというのは情けなさ過ぎる。
『もう、そんな顔しないの。教皇も言ってたでしょ、あの場所に入ったのは初めてだって。ようするに、今までろくに調べられてないんだから、隠し扉とかがある可能性は高いでしょう』
「……うん、ごめん」
『それに、いざとなったらギュアースに壁か床を壊してもらえばいいのよ』
晴れることのないテネースの顔を見て、アリスが言葉を付け足す。
「ギュアースさんをなんだと思ってるんだよ」
力ないものだったが、ようやくテネースの顔に笑顔が浮かんだ。
「俺がどうかしたか?」
「あ、いえ、なんでもありません。ここで考えてても仕方ないですし、とりあえず封印区画の入口まで行って、中を調べてみましょう」
アリスが言ったことをそのまま伝えられるはずもなく――おそらく怒らないだろうが――、テネースは先に進むことを提案した。
「確かに、ここであーだこーだ言ってても始まらねえな」
ギュアースを含め全員が頷いた。
一行は、黙々と廊下を歩いていた。
七人もの人間がほとんど口をきかず、思案顔で歩いているとある種の威圧感のようなものを発するのだが、一般信徒はもとより聖職者ともすれ違っていないので、怯えさせる心配だけはする必要がなかった。
「地震?」
もうすぐ内陣に入るというところで、マリーカがぽつりと呟いた。
「気のせいじゃないか?」
「ほんの少しですけど、揺れてるような気がします」
ギュアースは即座に妹の言葉を否定したが、テネースは足に感じる微動と、微かに音を立てる窓からマリーカを支持した。
「さっきも揺れたし、珍しいわね。私が覚えてる限り、聖都周辺で地震なんて、数年に一度あるかどうかなんだけれど」
「神が長時間アビュドスを離れている弊害か?」
「ネイオス、憶測にもなってないようなこと言わないの」
つい漏れたという感じのネイオスの言葉に、イアイラが眉をひそめる。
ネイオスは姉をちらりと見て肩をすくめると、口を閉じた。
「確かに珍しいことではあるが、自然のことだ。そういうこともあろう」
淡々と言うと、教皇は止まっていた足を動かし先へと歩き始めた。
一言も発することなく、神も後を追う。
残されたテネースたちはなんとなく顔を見合わせてから、歩き出した。
だが、地震は収まらなかった。
最初は断続的に揺れが止まり、また揺れ出すということを繰り返していた。皆奇妙に思いつつも歩き続ける。内陣に入り、封印区画へと近づくにつれ間隔は狭まり、ついには揺れが収まることはなくなった。
教皇の指示で人払いが済んでいるので大聖堂は静かなものだったが、外では大騒ぎになっていてもおかしくない。
まるで心臓の鼓動のように揺れが強くなり、弱くなる。明らかな異常に、テネースたちの歩みも遅くなっていた。
「絶対におかしいよね」
マリーカの呟きは、全員の気持ちを代弁していた。
原因などわかるはずもないが、通常の地震とはまるで別物だということははっきりしている。
「……みんなは引き返してください」
テネースが足を止める。一行の真ん中を歩いていたテネースが立ち止まったため、後ろを歩いていた神とイアイラ、ネイオスも歩みを止めた。前を歩いていた者たちも数歩進んでから止まる。
先頭を歩いていたギュアースは、無言で引き返すとテネースの前に立った。
「ギュアースさん?」
鈍い音が響き、テネースの脳天を衝撃が突き抜けた。遅れて痛みがやってくる。
「て、テネース君!」
視界が揺れ、後ろに倒れそうになったテネースをイアイラが抱きとめる。
「お兄ちゃん、いきなりなにしてるのっ!?」
テネースの隣りで目を丸くしていたマリーカが、兄に詰め寄った。
「ふん、この期に及んでまだこんなこと言う奴には、これで十分だ」
拳の調子を確かめるように右手を閉じたり開いたりしながら、ギュアースはテネースを睨みつけた。
イアイラに支えられながらも自分の足で立ったテネースは、引くことのない鈍い痛みに涙目になりながらギュアースを見返した。なぜギュアースがここまで怒っているのか、いまいち理解できない。
「なんで殴られたのかわかんねえ、って顔だな」
「は、はい、わかりません」
感情の起伏の激しいギュアースではあるが、理不尽な暴力を振るう人間ではない。そんなギュアースに殴られたのだから、自分に落ち度があったのだろうが、何が悪かったのかわからない。頭の奥深くまで届く痛みのせいで、特に回転の速いわけでもない頭がますます働いていないのも原因だろう。
「あのなあ、今さら危ないかもしれないから避難しろなんて言われて、はいわかりましたって答えるような奴、この場にはいねえんだよ。俺やマリーカはもちろん、なんの因果かイアイラやネイオスだってそうだし、そこの教皇だって首を縦に振らねえぞ」
「あ……」
はっきり言われたことで、ようやくテネースは何が悪かったのか理解できた。散々助けてもらってきたのに、おかしな地震が続いているからといって避難してくださいは、あまりにも自分勝手だ。
「ごめんなさい」
「変な所で気を遣うんだよな、おまえは。思いっきり殴って悪かったな」
そう言って、ギュアースは乱暴な手つきでテネースの頭を撫でた。痛かったが、テネースはされるがまま耐えた。
「口で言えばいいでしょ、野蛮人!」
マリーカが、テネースを腕を引っ張ってギュアースから解放する。
「今まで散々俺やおまえが言ってきたのに通じてないんだから、仕方ないだろう」
野蛮人と言われたのがおもしろくないのか、ギュアースが渋面になる。
『二年程度じゃ仕方がないと思うけど、もっと人を信じて頼れるようにならないとね』
アリスの言葉に、テネースが神妙に頷く。
「わたしとテネースの中の神の力に、創造神の欠片が反応してるのかもしれない」
「だとすれば、この大聖堂に創造神の欠片がある可能性が高くなりますな」
神が誰にともなく言えば、教皇が封印区画のある方を見る。
「さあ、テネース君、行きましょう。全員で、ね」
イアイラが微笑み、テネースの背をそっと押した。
「はい!!」




