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3 神殺し、ひとり

 高さもテネースがいた塔と同じならそろそろ階段も終わろうかという所まで登ってきたが、誰とも出会わなかったし、人の気配のようなものはまったく感じなかった。


(ギュアースさんが大暴れしてくれたおかげで、人がいなくなったのかな)


 塔の外にはしっかり護衛がついていたのに、中には誰もいないことも不思議だった。そしてこの塔とテネースが連れて行かれた塔がなんのために建てられたのかも不思議だった。


 テネースが押し込められた部屋は調度がとても立派だったが、使われた形跡はほとんどなかった。部屋以外の場所も生活臭のようなものは感じられなかった。


 今登っているこの塔にしても、今まで見てきた限りでは似たり寄ったりだ。おそらくアリスたちがいるであろう部屋も、真新しいのだろう。


(大聖堂の見た目をよくするために造っただけなら、何も部屋の内装に凝る必要はないよね)


 覚悟を決め、何を言うかも考えているというのに、それでも緊張してしまう気がして関係のないことをあれこれ考えながら階段を上ってきたテネースだったが、それでも一段上る毎に心臓の鼓動が速くなっていくのはどうしようもなかった。


 微かに手も震えているような気がして、テネースはぎゅっと拳を握った。


「あ……」


 階段の終わりが見え、テネースは音を立てて唾を飲み込んだ。だが、歩みは止めない。


 神を説得して下に降りるのが早ければ早いほど、三人が怪我をする確率が低くなる。

 一段一段を確かめるようにうつむいていたテネースが、ついに階段を上りきって顔を上げた。

 決意に満ちた顔が、驚愕に歪む。


「そんな、どうして……」


 テネースの視線の先では、部屋へと続く扉の前に一人の教会騎士が立っていた。


 白髪を短く刈った教会騎士は腕を組み、テネースを見つめている。髪は白いが、年齢はギュアースと同じくらいだろう。槍は、壁に立てかけてある。


「神殺し様、なぜここに?」


 武器は手にしていないし、体格もギュアースより一回り以上小さい。それでも、教会騎士が放つ威圧感はテネースを尻込みさせるのに十分だった。


「あ、あの、僕は――」

「神殺し様のお部屋は西の塔に用意されているはず。なのになぜ、お一人でここに来られたのですか?」

「神様に会いに来ました。通してください」


 教会騎士の青い目は妙に無表情で声にも抑揚が乏しかった。そのことが不気味だったが、テネースは目をそらすことなく言い切った。絶対に、ここで諦めるわけにはいかない。


「神殺し様が神様にお会いになる許可が出たとは、聞いておりません」

「いない、とは言わないんですね」

「嘘をつくことは禁止されていますので。それに、この扉の向こうに神様がおられるとあなたが知ったところで、これから西の塔に戻ることになる以上、何も問題はありませんから」

「戻りませんよ。僕は神様に用があるんです」


 きっぱりと宣言したテネースだったが、どうやって扉の向こうへ行くか、良案はまったく思いつかなかった。

 会話が成り立っているようで成立していない気がする。説得できるのだろうか。かといって、腕力に訴えようものならひと呼吸をする間もなく取り押さえられる姿しか思い浮かばない。


(扉の向こうに声をかけて出てきてもらう?)


 アリスは出てきてくれるだろうが、目的の人物はおそらく出てこない。

 騙すなり何なりしてこの場から立ち去ってもらうのが一番いいのだろうが、テネースに即座に作り話をする才はない。


「神殺し様、私を含め教会騎士は、本来の職務だけで考えれば幸いなことに忙しくはありません。ですが、子供のわがままに付き合っていられるほど暇でもないのです。さあ、西の塔に戻ってください」


 扉の前から動かなかった教会騎士が、一歩テネースに近づいた。組んでいた腕もほどいている。


 テネースは反射的に一歩下がりそうになり、慌てて足を止めた。後ろが階段で転げ落ちるのが怖かったというのもあるが、近寄られただけで下がるのが嫌だった。

 下がる代わりに、テネースは教会騎士を見る目に力を込めた。


「嫌です、戻りません。僕は、神様に絶対に伝えなければいけないことがあるんです。それを伝えるまでは、なにをされても戻りません」

「神様はすでに決意をされています。今さらあなたが何を伝えるというのですか」

「あなたに言うことじゃありません。神様に直接言います」


 答えながら、テネースは違和感を覚えていた。何に対する違和感なのかは曖昧なのだが、違和感そのものはかなり強い。


「先ほども言いましたが、あなたに神様とお会いする許可は出ておりません。伝えたいことがおありなら、私からお伝えしておきます」


 テネースが諦めようとしないのと同様、教会騎士も譲らない。表情らしい表情を浮かべることもなく、テネースを拒絶する。


 テネースはすぐには答えず、必死に違和感の正体を探ろうと考え続けていた。もしそうしていなければ、無表情故に際立つ威圧感に飲まれていたかもしれない。


(格好は今まで見た人たちと同じだし、言ってることだって従えないけどおかしくはないし……ん?)


 そこまで考えて、テネースは首をひねった。

 じっと教会騎士の青い目を見つめる。


「どうかしましたか?」


 深く澄んだ青の瞳に若干の不信感が混じった。


(イアイラさんは、神様が代替わりしてることとか元は人間だったこととか知らなかったし、もちろん今の神様の姿も知らなかった。教皇は知ってたけど、神様が連絡を取ってたみたいだからおかしくはない。でも、それならどうしてこの人は扉の向こうにいるのが神様だって知ってるんだろう。教皇が教えた? ううん、そんなことしてもいいことなんてなんにもないはず。かといって自力で気が付くことなんてないだろうし、封印区画にいたのは別の人――それに、この人の目の色……)


 教会騎士の目を見上げるテネースの眉間にしわが寄る。


「私の顔に何か変な物でも付いていますか?」


 目だけではなく顔全体に困惑を――といっても微かに、だが――浮かべる教会騎士。だが、テネースは答えずじっとその目を見ている。


「神殺し様?」


 奇妙な沈黙に耐えられなくなったか、教会騎士がテネースに近づき、右腕を伸ばした。


「あの……神様、ですよね?」


 教会騎士の右手が、止まった。


 その手を気にすることなく、テネースは教会騎士の目だけに意識を集中していた。


 随分ふざけたことを訊いている自覚はあるのだが、いったん口にするとその思いつきがもっともらしく思えてくるのが不思議だった。


 神と神殺しの関係などは、たとえ教会内でも可能な限り知られない方がいいことのはずだ。しかし、この教会騎士は詳しすぎる。


 そしてなにより、冬の青空、あるいは深い湖よりも澄んだ青い瞳がテネースにアリスと神を思い出させる。


「神はあなたよりも若干年上に過ぎない、少女の姿をしていました。どこからどうみても私とは似ていませんよ」


 右手を引っ込めた教会騎士は、無表情にテネースを見つめた。その顔に驚きや焦りは窺えない。


「教会騎士がどれくらい偉いのか知りませんけど、神様のことや僕のことに詳しすぎませんか?

 外見は……神様なら自由に変えられてもおかしくないですし」


「それだけですか」

「え?」

「私のことを神だなどと仰った根拠は、それだけですか、とお訊きしているのです」


 素直に神だということを認めてもらえると思っていたテネースは、無表情に、声に抑揚もないまま問いかけてくる教会騎士にすぐには答えられなかった。


「一応私は、一人で神様の護衛を任される程度には教皇猊下からも、そして騎士団内部からも信頼を得ています。護衛対象に関する情報を教えられていたとしてもおかしいことは何もないでしょう?」


 さらに言葉を重ねる教会騎士。だが表情はほとんど変わっていない。


「そ、その表情です」

「表情?」

「それと、しゃべり方。神の力と感情をなくしつつある神様は、表情に乏しいし、声も抑揚がないんです」

「これはただの癖です。たまたま神様と似たのでしょう」

「あとその目」


 もしこれで認めてくれなかったらどうしよう、と内心焦りながらも、テネースは感情を表に出さないよう、表情を引き締めた。


 反対に、教会騎士は一瞬きょとんとした顔をして「目?」と呟いた。


「あなたのその青い目は、アリスと神様の目と同じ色をしてます」

「青い目の――」

「もちろん青い目をした人はたくさんいます。でも、あなたの瞳ほど深く澄んだ青を僕は見たことがありません。そして、今後も見ることはないと思ってます」


 教会騎士の言葉を遮り、テネースは言った。勢いで言ってしまわなければ、最後まで口にできないと自覚していたが故に。


 言えることをすべて言ったテネースは、口を閉じ相手の反応を待つ。


 教会騎士は、目を丸くしまじまじとテネースを見ている。何も言わず、身動き一つしない。


 ひょっとして、本当に違ったのだろうか。そんな不安がテネースを襲う。もしすべてが思い込みだとしたら、ものすごく恥ずかしい。


(間違ってない……とは思うけど、でももし神様とは縁もゆかりもない普通の教会騎士の人だったら、もうこの場にいられないかも)


 沈黙が重く、思考も悪い方へ悪い方へと流れていく。

 テネースから視線を外した教会騎士がうつむいた。その輪郭がゆっくりとぼやけていく。


「え、え?」


 目の錯覚かと目をこするテネース。しかし、教会騎士の姿はますます曖昧になっていき、すでに人の形を保っていない。あちこち色のついた霧のように見える。


「何が、どうなってるの?」


 人が溶けて霧になる。そんな非常識な光景を前に、テネースの思考が止まる。


 だが、目の前の変化はテネースの硬直などお構いなしとばかりに進んでいく。


 様々な色のついた霧は拡散するどころか凝縮するように集まり始めた。なんとなく手足と、そして頭のある人のような形になる――きちんと肌色をしていた。


 ついで、顔と思しき辺りに二つの青い光が灯った。


「あ……」


 まだとても目と呼べるものではないが、その透き通った青さにテネースは今何が起こっているのか、理解できたような気がした。


 テネースが理解するのを待っていたかのように、それからの変化は急だった。手足に頭、そして胴体がしっかりとした人のそれになり、身体全体を覆うように広がっていた銀色の霧が柔らかな髪になった。そして、しみ一つない裸体に顔を赤くしたテネースが顔を背けるよりも早く、白色の霧が白の貫頭衣となってしなやかな身体を覆った。


 テネースの前に立つ女性は、テネースがこの世で一番よく知った顔をしていた。ただ、テネースにとってもっともなじみ深い女性と違って顔に表情は浮かんでおらず、背丈も遥かに大きい。


 先ほどまでいた教会騎士の姿はどこにもなく、質素な格好をした神が立っている。


 予想通り教会騎士が神だったのだが、テネースにそのことを誇る余裕はなかった。目の前で人の姿が崩れ、まったく別の格好で再構成されたことの衝撃はあまりにも大きすぎた。


「あんなに頑固なのも、強気なのも、予想外だった」


 神の声には、ほんのわずかだが誉めるような響きがあった。しかし、テネースは反応しない。


「テネース」


 名を呼ばれても、やはり目を見開いたまま動かない。


 珍しいことに神は小さくため息をつき、右手をそっと伸ばした。テネースの左頬に触れ、ぺちぺちと軽く叩く。


「え、あ、か、神様?」


 ようやく目の焦点があったテネースが、瞬きを繰り返しながら神の顔を凝視した。

 神は無言で手を引くとテネースに背を向けた。


「あ、あの、聞いて欲しいことがあるんです」


 決意を込め、テネースは神の背中に声をかける。だが、神は振り返らない。


「聞きたくないって言われても、絶対に聞いて欲しいんです」


 やはり返事はなく、それどころか神はテネースから遠ざかるように歩き出す。


「あの!」

「わかってる。話は中で聞く」


 ちらりと振り返り、神は今までテネースから守っていた扉を開いた。

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