2 決意の反撃
長い階段の終わりが見えてきた。
外界と塔を繋ぐ扉は開け放たれており、赤い夕日が差し込んでいる。
ここまで降ってくる間、テネースは誰ともすれ違わなかったし、人の気配を感じなかった。
だが今、外からは人が争う怒号と騒音が聞こえてくる。
まだ、ギュアースは捕まっていないらしい。
(暴れ回ってるってことは、ギュアースさん監禁はされてなかったってことだよね)
それならマリーカたちがひどい目に遭ってることもないだろうと安堵しつつ、テネースは残り数段の階段を下り、開いたままの扉からこっそりと外を覗いた。
宙を舞った、というよりは空を矢のように駆けた人が、扉のすぐ横の壁に激突し、そのまま地面に倒れた。
風圧、激突音、悲鳴、そのすべてが一時に襲ってきて、テネースは反応らしい反応をできなかった。ただただ目を丸くし、立ち尽くす。
「ふう、ようやく静かになったか」
よく聞き知った声が、うんざりしたようにぼやいた。
ぎ、ぎ、ぎ、と音がしそうな動きでテネースが声の主を見る。
ギュアースが、柄が曲がった槍を投げ捨て肩を回しているのが見えた。ギュアースの周りには教会騎士や、屈強な体格の聖職者たちが十数人倒れている。だが、血を流している者は一人もいないようだった。ギュアースの他に立っている人影もない。
「ギュアースさん!」
たった一人であれだけの人数に勝ってしまうギュアースの強さに改めて驚きながら、テネースは塔から外に駆け出した。
「お、そっちから出てきたか。感心感心」
無事を確かめることもせず、ギュアースがにやりと笑う。
「はい。諦めるわけにはいきませんから。あの、マリーカたちは?」
「俺が男用の寄宿舎に放り込まれたんだから、女用の寄宿舎に軟禁されてるんだろ。そっちに行く前に、おまえの覚悟を聞いておこうと思ってな」
笑みを引っ込め、真剣な表情をテネースに向けるギュアース。
「僕は――」
「ああ、いい、いい。一人で下りてきたし、その顔を見りゃ言われなくてもわかる。心配すんな、絶対に神の所まで連れて行ってやる」
「ギュアースさん……ありがとうございます」
「とは言っても、あいつがどこにいるか知らないんだけどな。神殺しとしてわかったりしないのか?」
「そんな力があればいいんですけど、わかんないです」
「そうか、じゃあ地道に捜すか。イアイラならなにか知ってるかもしれねえし、マリーカと合流する必要もあるし、まずは女用の寄宿舎に行くか」
特に気にした風もなく頷いたギュアースは、近くに落ちていた槍を拾うと、周囲を警戒するそぶりも見せずに歩き出した。
「ありがとうございます、ギュアースさん」
「そうそう、ごめんなさいよりもありがとう、の方が言ってもらって嬉しいもんだ」
言外にマリーカにも謝るよりお礼を言ってやってくれと言われているような気がして、テネースは大きく頷いた。
「もっとも、別にお礼を言われるようなことをしたとは思ってねえんだけどな」
「え、いや、そんな」
ギュアースの歩幅に合わせて早歩きになりながら、テネースは後ろを振り返った。まだ起き上がっている者はおらず、うめき声が聞こえてくる。
(これを大したことじゃないって思ってるの?)
本気を出したら家の一軒くらい壊しちゃったりして、などと思いながら、テネースは開いてしまった距離を詰めるため、軽く走った。
「お兄ちゃん! テネース!!」
大聖堂の前で、女子寄宿舎の方から駆けてきたマリーカと合流できた。
「テネース君、なにか変なことされてない?」
マリーカの横にはイアイラもおり、ギュアースの大剣を抱えている。
「はい、大丈夫です。イアイラさんとマリーカも無事でよかった」
「ありがと。テネースがここにいるってことは、諦めてないんだよね」
「うん。せっかくみんなにここまで連れてきてもらったんだから、最後まで諦めないよ」
テネースがまっすぐ見つめて答えると、マリーカは目も覚めるような笑顔で頷き返した。
「しかし、よく自力で出てこれたな」
槍を捨て大剣を受け取ったギュアースが感心したように二人を見る。
「こんなことになった原因はうちの弟だから。それに、人を一人犠牲にしてみんなで幸せになろうという考えは私は好きじゃないの」
「全部うまくいったとしても、もう教会に残れないんじゃないかってくらい全力で暴れてたわ」
イアイラの暴れっぷりを思い出したのか、マリーカが呆れたように肩をすくめた。
「でも、そのおかげでこうしてここにいられるわけで、そのう、感謝はしてるけど」
「テネース君のためと、あとは私自身のけじめのためにしたことなんだからあなたに感謝してもらう必要はないわ」
「あたしのことでお礼を言ったわけじゃないから。テネースのために行動してくれてありがとうって、そう言ってるの」
「それならますます、あなたにお礼を言われる筋合いじゃないわね」
目を細め、マリーカとイアイラが睨み合う。
「別にテネースは逃げやしないんだから、そんなことは後でやれ。だいたい、この後アリスたちの居場所を探さないと行けねえんだから、遊んでる暇はないだろうが」
「遊んでないわよ!」
「神様とアリスなら、テネース君が連れて行かれた塔とは反対側の、あの塔にいるはずよ」
イアイラが指さした先には、テネースが逃げ出してきたそれと同じ姿をした塔があった。
「よく知ってるな」
「一応まだ異端審問官なのよ」
ギュアースが疑いの眼差しを向けると、イアイラは鞭の柄を握りながら目をそらした。
「まあ、いいけどな。鞭なら死なねえだろうし。さて、それじゃあお姫さまの所に行くとするか」
大剣を手に持ったまま歩き出したギュアースの足が、すぐに止まった。
「ギュアースさん?」
テネースが見上げると、ギュアースはうんざりしたように振り返った。
「行かせると思うか?」
「おまえ一人で何ができるんだ?」
ネイオスは、すでに剣を抜いていた。険しい目つきで一同を睨みつけ――特にイアイラには長い時間視線を向けていた――、最後にギュアースを見た。
「なにができるか、その身で知れ!」
まるで飛ぶような速さで間合いを詰めるネイオス。
ギュアースが大剣を立てる。
金属と金属がぶつかり、高い悲鳴を上げる。
「今までと変わらないな?」
ギュアースの余裕の笑みを無視したネイオスは、剣を振った勢いを生かし身体を半回転させ、そのままギュアースの左脇を抜けようとした。
「ちっ」
ギュアースが体勢を整える間もないまま低い蹴りを放つ。
勢いこそなかったものの、ネイオスは後ろからの一撃をかわすことができず足を刈られ前のめりに倒れた。
「テネース、先に行ってろ」
追い打ちをかけず、大剣を構えたギュアースがネイオスに注意を向けたまま叫ぶ。
流れるような動きで起き上がったネイオスも剣を構える。一瞬忌々しげにテネースを見たが、すぐにギュアースにだけ集中した。
「で、でもギュアースさん!」
「テネース、行くわよ」
ためらうテネースの手を取ったマリーカが駆け出す。
「ちょ、ちょっとマリーカ!?」
「お兄ちゃんが負けるわけないでしょ。あたしたちはあたしたちにできることをするべきなの」
「そうね。ネイオスがあの化け物に勝てるとは思えないわね」
テネースたちの後ろを守るように走るイアイラがしみじみと頷く。
「身内の癖に容赦ないわね」
今までと変わらない二人のやりとりに、テネースの身体から力みが取れていく。
マリーカに引きずられるように走っていたテネースが、自らの意思で駆け、マリーカに並んだ。
満足げに微笑んだマリーカが、握ったままだったテネースの手をよりしっかりと掴んだ。
背後から激しい剣戟の音が聞こえてきたが、誰も足を緩めようとしなかった。
***
「結構いるわね」
前方に、目的の塔が見えている。
塔の前には、教会騎士が五人、ごつい男性聖職者が三人ほどいた。
テネースたちが気が付いているように、テネースたちも気付かれており、教会騎士は槍を構えている。
「あたしとイアイラが道を作るから、テネースはそのまま中に入っちゃって」
マリーカはテネースの手を離すと、弓を構え矢筒から矢を引き抜いた。
「で、でも!」
思わず足を止めたテネースが叫ぶ。
「言いにくいけどね、テネース君。教会騎士の方じゃなくて聖職者の方を相手にしたとして、何かできると思う?」
立ち止まったテネースの背中をそっと押しながら、イアイラが言う。
「……思いません」
もしテネースが武器持っていて、あの聖職者たちが素手だったとしても、勝てるかどうかわからない。そう思ってしまう自分が悔しかった。
「適材適所よ。神様を説得できるのはテネース君だけ。私たちはテネース君がそこまで行くための道を作るだけ」
「あたしたちの努力が無駄になるかどうか、最後の鍵を握ってるのはテネースなんだから、落ち込むところじゃないでしょ。やる気出してもらわないと」
「うん……二人とも、お願いします」
再び足を止めたテネースは頭を下げ、すぐに走り始めた。
「任せておいて」
テネースを追い越したイアイラが、鞭を右手に構えた。
「もう少し、あたしが何も言わないでも格好いいところ見せてくれてもいいのに」
ぼやきながらもどこか満足そうなマリーカが足を止め、つがえた矢を放った。
テネースとイアイラの脇をあっという間に通り抜けていった矢は、空を切り裂き進み、密集している教会騎士たちの間をすり抜け塔の外壁に当たった。
並みの射手ではとても狙いなど付けられないような距離があるにもかかわらず、マリーカは絶妙な位置に矢を撃ち込んだ。
マリーカの腕前に聖職者だけでなく教会騎士までもが浮き足立つのが、テネースにもはっきりわかった。
「予想以上の腕前だったのね」
矢の飛んだ先を見たイアイラがぽつりと漏らした。
テネースの知る二年間、マリーカはその弓で食糧の確保をほぼ一手に引き受けてきた。イアイラたちと対峙した時にはギュアースの支援をしつつ、一度も矢を当てたことがなかった。いまいち実感しにくかったが、それはマリーカの腕前の確かさを示していたのだろう。
「テネース君、立ち止まらずに駆け抜けてね」
前を向いたままイアイラが言う。
あと数回呼吸をすれば、もう教会騎士たちの所までたどり着く。
「わかりました」
テネースは信頼を込め、短く答えた。
イアイラが走りながら鞭を右へ左へと振る。鮮やかな鞭さばきに空気が鳴る。
教会騎士たちは槍を構えイアイラに備えようとしたが、絶妙な狙いで飛来する矢に翻弄され望むように動けずにいた。
「教会騎士が集団行動を乱したら駄目じゃない」
軽やかに走っていたイアイラが、ついに教会騎士を鞭の間合いに捉えた。
軽く手を動かしただけで、鞭が蛇のように正面の教会騎士の右足に絡みつく。
教会騎士が鞭をほどこうと手を伸ばすより早く、イアイラが伸びきった鞭を左手で掴んで思い切り引く。おもしろい程簡単に、教会騎士がひっくり返った。頭をかばうために槍まで手放している。
「テネース君、頑張ってね」
残り四人の教会騎士を牽制するために鞭を引き戻したイアイラの声に、駆けるテネースの足が速くなる。
四本の槍の穂先が西日を反射して光っているのが恐ろしくはあったが、イアイラとマリーカの二人に対する信頼が恐怖を上回っている。
実際、変幻自在に宙を踊る一本の鞭は、教会騎士を幻惑し、釘付けにしていた。
テネースは倒れた教会騎士の脇を駆け抜け、塔にぐっと近づいた。
だが、テネースと塔の間にはまだ屈強な男たちが三人いる。さすがにイアイラの鞭も届かない。
(マリーカ、信じてるからね!)
三人の聖職者たちの背後、塔の扉を見据えてテネースは走り続ける。
腰を落とし膝を曲げ、飛びかかる機会を窺っている男たちを視界に捉えてはいるが、テネースは意志の力で無視をした。
二歩テネースが進んだところで、男たちの腰がいっそう深く沈んだ。
(く、来る!?)
マリーカを信じてはいるが、一瞬足が止まりかける。それでも、テネースは歯を食いしばって身体を前に倒した。
直後、風切り音が短時間に三回聞こえた。
今まさに飛びかかろうとしていた聖職者たちの足下に矢が一本ずつ飛来する。石畳に突き立つことこそなかったが、聖職者たちは大きく体勢を崩した。
その隙に、テネースは扉へとたどり着いた。
ずっと走ってきたせいで息は乱れ膝も笑っていたが、扉を引き開けると塔の中に飛び込んだ。
大慌てで扉を閉める。それだけで、外の喧噪が聞こえなくなる。
扉に背中を預け、呼吸を整えていく。
塔の中は、テネースが連れて行かれたそれと同じように、一定の間隔で火のついたたいまつが壁に掛けられているため、ある程度明るい。
造りも同じらしく、扉のすぐ近くに上りの螺旋階段があった。階段の向こうには扉が見えているが、誰かが出てくる気配はないし物音も聞こえない。
塔の中の様子を探っているうちに、膝の震えは収まり、呼吸もほぼ通常通りになった。汗はまだ引かず気持ち悪いし、身体全体にだるさはあったが、テネースは扉から背を引きはがした。
「マリーカ、ギュアースさん、イアイラさん、ありがとう。頑張ってきます」
確認できる範囲に窓はないし、扉を開けるわけにもいかない。テネースは背後に向き直り、決意を込めて呟いた。
口をまっすぐ引き結び、テネースは螺旋階段を振り返った。




