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神殺しと神と創造神、ときどき世界の秘密  作者: 金剛トモアキ
第五章 聖都にて待ち受けるもの
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5 神の代理人

 封印区画を満たす闇は深く、自分の手すらも見ることができない。


 テネースは無意識にアリスを捜したが、闇が広がるばかりで見慣れた銀髪の少女の姿はない。

 失った視覚を補って敏感になった聴覚が、足音が三つ部屋に入ってきたのを捉える。

 マリーカだけでなくネイオスと神も入ってきたらしい事実に、テネースは軽い驚きを覚えた。


「入ってきてやったぞ。これからどうしようってんだ」


 ギュアースが敵意をむき出しにした直後、二つの明かりが灯った。

 突然の光源の出現に目がくらみ、テネースは何度も瞬きを繰り返す。


「さて、イアイラ。釈明の機会を与えよう」


 封印区画から二度ほど聞こえてきた男の声が、低く告げる。


「神に誓って、釈明しなければならないようなことはしていません」


 毅然と答えるイアイラの声を聞きながら、まだ視界がはっきりしないテネースは目を凝らした。


 おそらくは五十前後であろう男が正面に立っている。白い聖職者の衣を身に纏っているが、それは袖口や首回り、裾に金糸による刺繍が施されており、今まで見てきた聖職者の衣装の中でも図抜けて豪華に見える。


 男の両側には左手にたいまつ、右手に槍を持った鎧姿の男が一人ずつ立っている。槍の穂先は、テネースたちを向いていた。


「ほう。我々がここでおまえたちを待っていたのは神の意志に従った故だが、それでもおまえは神の意志の下にあると、そういうわけだな」


 イアイラを見る男の顔には、特に責めるような色はない。それでも、声には誤魔化しを許さない強さがあった。


「神の……意志?」


 男の問いに最初に反応したのは、イアイラではなかった。


 呆然と目を見開いたテネースが、男に向けていた顔を後ろへと向ける。

 たいまつの橙色の明かりの中、アリスと同じ顔をした神は半ばネイオスの背後に隠れるように立っていた。


 最初はテネースの視線をしっかりと受け止めた神だったが、しばらく見つめ合った後どこか気まずそうに目をそらした。


「その通りです、神殺しよ」

「猊下、なぜそれを!?」


 驚きに、イアイラの声が跳ね上がる。


 その叫びは、テネースたちの気持ちを代弁したものだった。

 神殺しの存在や神と神殺しの関係は、異端審問官であるイアイラですら神とアリスに教えられるまで知らなかった。


 なのになぜ、男は――教皇は神殺しのことを知っているのか。しかも、テネースがその神殺しだということまでも。


「我らは神の意志に従っていると言った私の言葉を、聞いていなかったのかね? むろん、神から教えていただいたのだ」


 ギュアースとイアイラが驚きとともに神を振り返る。


『どういうこと。テネースに協力するんじゃなかったの!?』


 アリスが、神の目の前まで飛んでいって怒鳴った。

 テネースと同じように、神もアリスの声を聞くことができる。にもかかわらず、神は何も答えようとしなかった。


 明確な言葉で協力を約束してもらった記憶はないが、試すことを邪魔はしない。そう言ってもらった記憶ならある。


(なのに、どうして?)


 試して駄目だったから、改めて神殺しとしての役目を果たせと、そう言われるならまだわかる。しかし、試すことすらさせてもらえないなど、想像もしていなかった。


 そこに答えでもあるかのように、テネースは神の顔を見続ける。


「ふん、はじめからこうするつもりだったのか? テネースに希望を持たせ、一気に突き落として、まともにものが考えられないにさっさと新しい神になってもらおうとでも考えたか?」


 吐き捨てるように言い、ギュアースは神を射殺さんばかりに睨みつけた。


「神に対してなんと不敬な」

「猊下、無駄です。この男に神を敬うという考えは微塵も存在しません」


 マリーカに剣を突きつけたまま、ネイオスが言う。言葉の端々にギュアースへの憤りが滲んでいる。


「信じる人間を裏切るような神を敬えるはずねえだろうが」


 裏切るという言葉に反応した神が、テネースを見た。


 テネースが初めて神と会った時から変わらぬ無表情。けれど、テネースはそこに迷いがあることに気が付いた。同じ顔をしたアリスを生まれてからずっと見てきたからこそわかる、本当に小さな感情の動き。


「動くなと、そう言ったはずだが」


 冷たいネイオスの声。

 無意識のうちに一歩神に近づいていたことに気付いたテネースは、慌てて止まった。


「神殺しよ、すべてはこの世界と、そこに住む生き物たちのためなのです。神も、改めてそのことをお考えくださった。そういうことです」


 教皇の言葉に、テネースは勢いよく振り返った。


「だからそれは、神の力を全部創造神の欠片に返せば――」

「ひょっとしたら、うまくいくかもしれない。しかし、もしも創造神の欠片が目覚めることなく、神の力だけがこの世から消えてしまったら? 世界は維持できるのでしょうか? 維持できたとして、今まで神の祝福の下生きてきた我らは、生きていくことができるのでしょうか? 神殺しよ、あなたの思いつきは、そのような可能性に目をつぶってでも試す価値のあることですか?」


 反射的に口をついたテネースの反論は、最後まで言葉になることなく遮られた。


 再度反論をしたくても、本当に世界を天秤にかけてまで試すようなことかと質されれば、うまく言葉が見つからない。

 テネースは自分の気持ちを伝えられないもどかしさに、唇を噛み締める。


「さすがネイオスの上司だな。自分たちのために人であることを止めろと、たった十五のガキにそう言うんだな?」

「ギュアース、貴様!」


 神から教皇へと視線の向け先を変えたギュアース。ネイオスが食ってかかるが、教皇が落ち着くよう身振りで命じると口を閉じた。


「一人の子供のわがままで、世界を危険に晒すことが許されるはずがあるまい」

「あんたなんかにテネースの気持ちがわかるの? 何が子供のわがままよ。大切な家族と別れたくないと思うことは、人として当然の思いじゃない!!」


 マリーカが、突きつけられた剣をまったく気にしていないような剣幕で怒鳴る。

 その言葉を聞いた教皇は、慈愛を旨とする教会の頂点に立つ男とは思えない、冷然たる表情を浮かべた。


「確かに家族と共にありたいと願うのは人として当然の思いだ」

「だったら――」

「だが、たとえ人として当たり前のことであろうと、それがその他すべての人々の害になるのならば、認められないこともある」

「害になるかもしれないってだけの話だろうが」

「賭けの対象にするには、あまりにも規模が大き過ぎる」

「だから、一人の犠牲で済むならそうしようってことか。教会の頂点に立つような人間は言うことが違うな」


 テネースのためにマリーカたちが声を張り上げてくれているというのに、テネースは自分の気持ちを言葉にすることもできず立ち尽くしていた。


 突然態度を変えた神にどのような感情を抱けばいいのかよくわからない。


 揺らぐことのない厳しさでテネースの考えを否定する教皇を説得する言葉も思い浮かばない。


 封印区画にたどり着く前にアリスと話して得た決意がまったく役に立たない。


「猊下、確かに不確定要素の多い計画ですが、うまくいけばなんの罪もない人間を人身御供のように神にする必要はなくなるんです」

「イアイラよ、仮に、仮にすべて望む通りになったとして、教会はどうなる。大げさでもなんでもなく、神と教会の存在はこの世界に生きる者の心の拠り所となっている。神を失っても、教会は教会たり得るのか?」


 教皇は声を荒げない。苛立ちを露わにすることもない。よく通る低い声で淡々と言葉を紡いでいく。


「そ、それは力を取り戻した創造神が新たな神として――」

「ネイオスの言う通り、目が曇っているようだな。神の力を返せば創造神が甦るということ自体が不確定である上に、よしんば甦ったとして創造神が我らの神のように世界に祝福を賜るとは限るまい。ついこの間まで、神ですらその存在を忘却していたのだ。世界にどのような思いを抱いている存在なのか、誰も知らない。そもそも、この世界に残っているのは、あくまでも創造神の一部なのだろう? それは意思を持っているのか?」


 教皇の問いかけには、誰も答えられなかった。長い間人とは縁遠かった封印区画にふさわしい沈黙が場を支配する。


 両肩に重くのしかかる沈黙の中、テネースは皆をここまで連れてきた思いが、計画が、すべて子供のわがままなのだろうかと、絶望的な問いを自らに投げかけた。


 教皇は、人が家族と共にあることを望むのはごく自然なことと言った。

 だが、その同じ口で、その思いが認められないこともあると、そう言った。明言はしなかったが、テネースの思いは認められないと言いたかったのだろう。


(なんで、他の人は認めるのに、僕は駄目なんだ)


 ――考えるまでもなく答は明らかだった。


 神殺しだから。次の神となるべき存在だから。


 だから、当たり前の思いを抱くことも許されない。


(好きで神殺しなんかになったんじゃない!)


 テネースの魂の叫びはしかし、声にはならなかった。テネースの内側にだけ響き渡る。


『テネース、わたしには神が翻意した理由はわからない。きっと説得することもできない。でも、わたしは最後までテネースと一緒にいるし、何があっても味方よ。そして、わたしはあなたがどんな決断を下したとしても、それを支持するわ』


 沈黙を守る神の前からテネースの側へ戻ってきたアリスが、優しい声で話しかける。


 心の裡で荒れ狂っていた声を圧し、アリスの言葉がテネースの心に染み込んでいく。

 どんなことがあっても味方だというその言葉が、心強かった。嬉しかった。


(アリスだけじゃない。マリーカも、ギュアースさんも、それにイアイラさんだって僕を助けてくれる。一緒にここまで来てくれた)


 テネースは顔を上げ、再び教皇を見た。


 さっき見た時と変わらない、厳めしい顔。慈愛に満ちた聖職者ではなく、自他共に辛苦の道を歩むことをいとわない求道僧のようにも見える。


 しかしテネースは、目をそらさなかった。それどころか、目に力を込め、視線が泳ぐことすら許さない。


(みんな、僕のことを信じてくれた。僕のために、力を貸してくれた。それなのに、僕が諦めてどうするんだ。どんな結果になっても、最後まで諦めない。それだけが、みんなの恩に報いる方法のはずだ)


 子供のわがままだと斬り捨てられようと、世界を賭け金にするのかと詰め寄られようと、もう迷わない。


(ずっと一緒にいてくれたアリスとさよならすることになっても、アリステラ・ストルートスという人を神と神殺しの関係から解放できる可能性に賭けるんだ!)


 それは、確かにアリスを失いたくないという、そしてアリスを今までの堕ちたる神のように吸収することが嫌だというテネースのわがままだった。しかし、それだけではない。三百年という実感が湧かないほど長い時間を神として孤独に過ごしてきたアリステラを救いたいと、真剣に思っている。


 それすらも、テネースのわがままで、神は神として消滅することを願っているのかもしれない。けれど、アリスを見ているととてもそうは思えない。


 だからテネースは、たとえわがままと善意の押しつけであろうと、引かないと決めたのだ。


「僕は、アリスを……神様を吸収なんてしたくない。三百年、世界のために一人で頑張ってきた結果が、神殺しに吸収されることだなんて、絶対に間違ってる」

「神の尊い自己犠牲が、何千万という人間の、そして無数の生き物たちの未来を作ってくれる。神と神殺しという役目に人生を翻弄されている君や、歴代の神たちには申し訳ないが、我々はそうやって生きてきた。そして、これからも生きていく」

「自分が神様にならないで済むから、そんなこと言えるんでしょ!」

「違う!! もし私が神殺しとなれるのなら、喜んで役目を代わろう。老い朽ちていくだけの私の方が、未来に満ちた彼よりもよほどふさわしいだろう」


 マリーカを一喝した教皇の顔には、今までの厳しさだけでなく同情と悲しみが浮かんでいた。その表情も、声も、身振り手振りも、とても口先だけで言っているとは思えない。


 代われるものなら代わりたい。それは、以前イアイラも口にした言葉だった。


「だったら――」

「だが神が仰るには、一度決まった神殺しは役目を果たし神となるまで神殺しとして生きていかねばならないという。ならば、それがどれほど残酷なことであろうとも、役目を果たしてもらうしかない。この世界は、神を必要としているのだ」

「本当に世界が必要としてるのか? 教会が、の間違いじゃねえのか」

「むろん、教会も神を必要としている。しかし、教会があるのは人々の――そう、信徒だけでなく、異端者と呼ばざるを得ないような人々も含め、この世界に生きる人々のために存在している」

「俺は教会があってよかったなんて思ったことはねえけどな。むしろ、教会のせいでひどい目に遭った人間ばっかり見てきたくらいだ」

「そう感じるのは貴様たち異端者だけだ」

「俺は異端者じゃないんじゃないのか? それとも、異端審問官様の言葉は信用できないのか?」

「貴様っ!」


 ギュアースが小馬鹿にした顔を向けると、ネイオスは顔を真っ赤にして叫んだ。


「激する必要はない」という教皇の言葉にネイオスは口を閉じたが、その瞳には剣呑な光が浮かんでいた。

「世界が我らの望む世界であるためには、神の祝福が必要だ。我らが今こうして生きていられるのは、神のおかげなのだ。だが、神の祝福だけで、今まで我々が築いてきた平和が維持できると思うか?」


 教皇の問に、自信をもって答えられる者はいなかった。満たされればそこで満足をする人間だけでないのは、十五年しか生きていないテネースですら知っている。


「だからこそ、教会が神と人の間に入る必要がある。神の祝福は無条件に与えられているのではないと、人が正道から逸れれば失われてしまうのだと説くことで、人に歩むべき道を示さねばならぬのだ」

『理念は立派だけど――』

「立派な考えだとでも言うべきなんだろうな。でもな、その教えに人生を狂わせられる奴が出てくるんだ。そんな奴を生み出すことのない未来が手に入るかもしれない。それだけでも試す価値は十分にあるだろうが」

「異端者のことならば、異端審問官たちを筆頭に多くの人間の努力で救っている」

「教会に洗脳されるまでに迫害された事実も、その記憶も消えねえんだぞ」


 ギュアースの声が低くなる。


「洗脳とは随分な言葉だな」


 今まで厳めしいばかりだった教皇の顔に、ほんのわずかながら苦笑が浮かぶ。


「だが、そなたの言う通りではある。異端者とされた者が正道に立ち返ったとしても、以前の記憶が消えるわけではない。初めから異端者など出ることのない世界こそが理想なのだろう」

「猊下、そのような男の言葉に惑わされないでください」

「しかし、理想の世界を得られるかもしれないからと、今我々が暮らす世界を放り投げることなどできるはずがない。教会の立場は、変わらない」


 ギュアースを、マリーカを、そしてテネースを見る教皇の顔には、もう苦笑いすらも浮かんでいなかった。切り立った崖のように険しい表情しか見られない。


「だったらどうして今まで話し合ってきたんです。マリーカを人質にしてるんだから、問答無用で僕に神殺しとして行動させることもできたはずですよね」


 議論は無駄だと教皇は言う。けれど、お互いの立場を明らかにするようなやりとりをわざわざしてきた以上、そんなことはないと、話し合える余地があるのだと、テネースはそう思う。


「あなたに無理強いすることを、神が望んでおられないのです。神がネイオスの説得に応じてくださった際の条件が、あなたが自発的に神殺しとしての覚悟を決められるまで見守ること、なのです」


 テネースが、驚きと戸惑いを浮かべ神を振り返る。アリスも、同じような表情でテネースに倣う。


「どうして……」


 問いかけが無意識に口をつくほど、テネースは混乱していた。


 ネイオスが神を説得していたことは、そこまで驚くことではない。今なら、野営の度に二人きりになっていたのはそういうことだったのだとわかる。


 しかし、ネイオスの説得に応じた神が、わざわざ自分を気遣うような条件を出した理由がわからなかった。


『テネースのことを気遣うのなら、どうしてそのテネースを裏切るようなことをしたのよ!』


 アリスが、沈黙を守り続ける自身の本体を詰問する。だが、珍しく険しい表情と声にも、神は応えない。それどころか、テネースとアリスから顔を背けるように身をよじった。


「それが神のご意志ならば、我々に逆らうという選択肢があるはずもない。だから、教会とあなたの意思は歩み寄ることができないのだということを、そして神のご意志はあなたが新しき神となられることだと知っていただくため、お話をさせていただいたのです」

「なんだかんだ言って、結局はテネースを追い詰めるつもりなんだろうが」

「それは穿ち過ぎだ。神殺しが決断を下されるまで、何不自由ない、そして何ものにも脅かされず心ゆくまで思惟できる環境をご用意させていただく。むろん、おまえも、おまえの妹にも危害を加えるようなことはしないと誓おう」

「この状況でそれを信じろってのか?」


 鼻を鳴らしたギュアースだったが、それ以上言葉を口にすることなく考え込むようにうつむいた。


「さて、神殺しよ。このままここで話をしていても、今すぐ考えを改められることもないでしょう。まずは旅の疲れを取っていただいて、それから改めて話し合いませんか?」


 問われたテネースは、神から教皇へと視線を転じた。

 そして、無言で頷く。確かにいつまでもここにはいられない。マリーカの背には今も剣が突きつけられており、ネイオスが何かの拍子に腕を前に突き出さないとも限らないのだ。


「一つだけ、質問をさせてください」


 けれど、どうしても今確認しておかなければならないことがあった。


「私に答えられることでしたら、お答えいたしましょう」

「ここは封印区画のはずですよね。なのにどうして、創造神の欠片はおろか何もないんですか?」


 封印区画は、二人の教会騎士の持つ二本のたいまつで十分照らせる程度の広さだ。ゆらゆらと揺れる頼りない明かりではあったが、部屋の大部分に届いている。


 しかし、封印しなければいけないような物は何一つ見あたらない。それどころか、床と壁と天井の他には、テネースたち人間しか部屋に存在していなかった。


「それを知ってどうされます?」


 教皇が、テネースの心を探るように目を細めた。


「僕たちが抱いた希望が無駄だったのかどうか、それを知りたいんです」


 鋭い視線に居心地の悪さを感じながらも、テネースは視線をそらさなかった。この問いへの答えは、どうしても聞いておく必要がある。


 教皇はすぐには答えようとせず、テネースも重ねて問いかけはしなかった。他の者たちも黙って成り行きを見守っている。


 重苦しい沈黙が続く。

 それほど重要な質問だったのだろうか。テネースは首をひねる。


「……確かに、ここは封印区画です」


 教皇が話し始めたのは、深呼吸を十回以上はできるほどの時間が経ってからだった。


「ただし、封印区画の入口に過ぎないのです。だから、ここには何もありません」


 その説明に、テネースだけでなくギュアースやマリーカ、アリスにイアイラまでもが辺りを見回した。


「私も知っているのはそれだけで、ここからどうやって真の封印区画へと行くのかはわかりません。そもそも、どこにあるのかも」


 そう言って、教皇は重々しく首を振った。


 テネースは落胆を覚えはしたが、ここが封印区画ではないという事実に、安堵もした。たとえそこに至る方法がわからないとはいえ、本当の封印区画があることがわかっただけでも十分な収穫だ。


「他に質問はありますか?」


 問われ、テネースは一瞬考え込んだが、すぐに首を横に振った。


「では、滞在していただくお部屋まで案内をさせましょう」


 教皇は、視線と手振りで教会騎士の一人に指示を出した。その教会騎士はしかつめらしい表情を崩すことなく、テネースの前に立って歩き出した。


「あの、ギュアースさんたちは――」

「別に部屋を用意してあります。ごく普通の部屋ですからご安心ください」


 安心させる気があるのかわからない厳しい表情が気になったが、信じる以外にできることはない。


『大丈夫、わたしは一緒にいるから』


 そう言って、アリスがテネースの右肩に座ろうとした。しかし、まるで吸い寄せられるようにアリスは神の方へと空を駆けた。


「アリス!!」

『な、何をするの!?』


 神の両手にしっかりと包まれたアリスが、険しい視線を上に向ける。


「テネースには、一人で考えてもらう」


 大聖堂に入ってから初めて発せられた神の言葉は、有無を言わせぬ力強さを持ちながら、どこか不安そうな響きもある複雑なものだった。


「ギュアースさんたちと同じように、アリスにも危害を加えないって約束してもらえますか?」


 だからだろうか、テネースは無理矢理にアリスを取り戻そうとは思えなかった。今でも、神のことを信じたいと思っているのかもしれない。

 神は、テネースをまっすぐ見つめて頷いた。


 アリスと無理矢理引き離されたことなど一度もなかった。本当の意味で一人になることに不安はある。だが、アリスの安全に関しては問題ないだろう。神が約束をしたのだし、何よりアリスは神の分身だ。


 あとはテネースが自信の不安に耐えれられるかどうか、だ。不安がないわけではなかったが、テネースも頷き返した。


「アリス、神様と積もる話でもしててよ」

『馬鹿、何言ってるのよ』


 テネースとアリスがぎこちない笑みを交わし合う。


「マリーカ、ギュアースさん、それにイアイラさん、僕のわがままのせいで迷惑をかけてごめんなさい」

「テネースが謝ることじゃないでしょ! まさか諦めるつもりじゃないでしょうね!?」


 マリーカが勢いよく振り返る。ネイオスが驚いたように剣を引いた。


 テネースは直接の言葉ではなく、曇りのない笑みで応えた。


 その笑顔を見たマリーカが、言葉に詰まる。


「おまえがどんな決断を下したとしても、俺は最後まで味方だからな」

「ありがとうございます」


 深い笑みとともに口にされた言葉に、テネースが頭を下げる。


「テネース君、私の方こそごめんなさい」


 イアイラの言葉と表情は、テネースやマリーカだけでなくネイオスすらも目を丸くするほど弱々しかった。


「イアイラさんがいなかったら、僕たちはここまで来ることすらできませんでした。本当に感謝してるんですよ、僕」

「テネース君……」


 テネースは、皆に心からの笑顔を向けてから、鉄扉の側で待っていた教会騎士へと足を向けた。

 と、腹に響くような音とともに、床が揺れた。


「じ、地震!?」


 顔を青ざめさせたマリーカが悲鳴を上げる。


 その間にも、揺れは大きくなる。

 だが、立っていられないほどではなく、余韻を残すこともなしにあっさりと揺れが収まった。


 地震自体はそう珍しい現象ではない。しかり、揺れがぴたっと止まるとなると、珍しい。


 この場にいる誰もが――神だけは例外だった――驚きに目を丸くしていた。


 だが、それ以上揺れが襲ってくることもなく、やがて地震などなかったかのように人間たちは動き出した。

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