5 世界の秘密
この世界の創造神には、同等の力を持つ敵がいた。創造神はその敵との戦いに飽きており、遭遇そのものを避けていた。
敵を避け旅を続けていた創造神は、自身も敵も足を踏み入れたことのない辺境へやって来たことを知った。
そこには何もない空間が広がっていた。
無用な戦いを避けるために敵から逃れることを第一にしてきた創造神は、久しぶりに世界を作りたいという欲求に突き動かされ、猛烈な勢いで世界を創り始めた。
何もない空間に、自身の一部でこね上げた大地を据え、その大地を照らす太陽と、安寧に包む月とを作った。
それでも、虚ろであった空間は埋まらない。
創造神は自らと後々創る予定の生き物たちを楽しませるために、虚ろな空間を星で満たした。
その後、創造神は自らの作った大地を緑と水で覆い、無数の生命にその大地を譲り渡した。
様々な生命の中には、人間も含まれていた。
知恵を持ち道具を使うことのできる人間は、創造神のお気に入りだった。そして、この時創られた人間は、創造神がそれまでの経験をすべてつぎ込んだ、最高傑作だった。
創造神は自らの作り上げたものに満足し、しばらくの間この大地に腰を据えようと考えた。
けれど、世界と、そして生命の創造は多大な力を必要とした。もちろん創造神にとって大きな負担になるほどではない。しかし、遠く離れた場所にいた敵が創造神の居場所を嗅ぎつけられる程度には力の放出を必要とした。
敵は、創造神の不意を打った。
その一撃は創造神を滅ぼすにはとうてい至らなかったが、その身体の一部を削り取った。切り離された創造神の欠片は、今や生命が満ち溢れている大地へと落ちていった。
創造神は、反撃することなく、全速で新しい世界から遠ざかっていった。
敵は、世界に目もくれず創造神を追った。
こうして、世界創世が完成する前に、世界は創り主を失った。
しかし、護り手は残った。
創造神の欠片には、創造神の力が宿っていた。
落下した創造神の欠片の近くに住んでいた部族の一人が、創造神の欠片に導かれるまま、世界を護っていくために創造神の力を受け入れた。
神の誕生である。
創造神の欠片は、まるで役目を果たしたかのように絶対に砕くことのできない石の像となった。
***
神が語り終えても、口を開く者は誰一人いなかった。
皆、今の話を自分なりに理解しようと、受け入れようと必死になっている。
嫌になるほど読んだ、一般的に知られている世界創造の伝説とはまるで違っていた。共通している点があるとすれば世界を創った存在は、この世界とは縁もゆかりもない旅人のような境遇だったということくらいだ。
創造神――そんな言葉をテネースは初めて聞いた――と同等の力を持つ敵すらも存在する。荒唐無稽とも思える話ではあったが、テネースは頭から否定する気にはなれなかった。
手掛かりになるかもしれない情報だからというのももちろんあるが、それだけではなく、今まで聞いて読んできた世界創造の伝説よりも感覚的に納得できるのだ。
神に寿命があることや、その代替わりの方法が寿命を迎えた神を神殺しが吸収すること、そして神殺しになる際に確認の一つもされないという、理不尽を繰り返す世界は、とても教会が広める全知全能の神が祝福を与えている世界とは思えない。
むしろ未完成のまま放置されたが故と考えた方が、納得できる。
「わたしは、こんな話は知らない」
石板をテネースに向けて突き出しながら、神が言った。
「ほ、本当のことだと思いますか?」
慌てて石板を受け取ったテネースが、思い切って訊ねる。神が世界の常識とはまるで違う世界創造にまつわる話をどう思っているか、聞いてみたいと思った。
「わからない」
短くも率直な答えに、テネースの肩ががっくりと落ちる。
「ただ、否定する根拠もない」
すぐ続けられた神の言葉にテネースの背筋が伸びるが、口を開いたのはイアイラだった。
「その石板に記されている話に似た話すらまったく教会に伝わっていないという事実は、否定する根拠にならないかしら」
「よくもまあ、今まで信仰してきた神様に真っ向から反論できるわね」
マリーカが半眼で見つめると、イアイラは苦笑を浮かべた。
「こういう考えはできないか、という可能性を口にしただけよ。それに、ここに来てからの出来事は私の今までの信仰心を揺らがせるほど衝撃的なのよ。正直に言って、目の前にいる少女の姿をした神様よりも、教会の方が信じられる気すらするわ」
あまりにもぶっちゃけすぎなイアイラの告白にも、神は表情を変えなかった。
マリーカはマリーカで、あけすけな返答に目を丸くしている。
「もちろん、今イアイラが言ったように、後の世に伝える価値のない作り話だった可能性もある。ただ――」
「同じくらい、神に完全な存在でいて欲しい教会が、自分たちに都合のいい世界創世の伝説を作り上げてきた可能性も否定できないわね」
神の言葉を途中で奪い取ったアリスが、今まで背を向けていたテネースを振り返った。何かを期待するように、じっとその瞳を覗き込む。
アリスの視線を受け止めたテネースだったが、すぐには答えられなかった。
神が次の行動に出る前に、テネースから動いて欲しい。アリスの穏やかなまざしに込められた思いを、テネースは正しく理解していた。だが、まったく新しい世界創世にまつわる話は衝撃的すぎて、すぐには自分の取るべき行動、選択へと結びつかなかった。
だから、アリスを見返したテネースは必死に考え続ける。マリーカが見つけ、神が読んでくれた石板に教えられた新たな知識から、何が導き出せるのか。それは、神と神殺しの関係を終わらせることができるものなのか、あるいは、そこまで直接的でないとしても、神を説得することができるものか。
創造神が世界を創ったというところまでは、創造神という聞き慣れない存在とその敵のことを別にすれば今までテネースが親しんできた伝説とそう大きな違いはない。そして、創造神と敵に関しても、テネースには関係がなさそうだと判断できる。
重要なのは、話の後半。創造神の力を一人の人間が受け継いだこと。そして、その人間が神と呼ばれるようになったことだ。
人とはまったく異質な力の継承。それは様々な差異を含みながらも、大本では神と神殺しの関係と同じなのではないだろうか。
アリスは、神の寿命を精神がその長い生に耐えられなくなるからだと言っていた。そのことに嘘があるとは思わない。だが、それだけではなく、肉体が創造神から受け継いだ力に耐えられなくなるという面もあるのではないか。だからこそ、堕ちたる神という形で神の力が抜け落ちていくのではないか。
「僕は、その石板に書かれていることは事実に近いんじゃないかと思う」
気が付けば、口が勝手に言葉を紡いでいた。
その場の全員の視線が、改めてテネースに集まる。
自分に集中する視線をひしひしと感じながら、テネースは続けるべき言葉を探す。
神と神殺しは創造神と神の関係に比することができる。しかし、だからなんだというのか。
(あ……そういえば、石板に書かれた伝説では、創造神の一部は石のようになって残っているって。もしその創造神の一部に創造神の力を返したらどうなるんだろう)
テネースは神を見て、アリスを見た。
まだ地上の堕ちたる神すべてを吸収したわけではないが、元々創造神から引き継いだと思わしき力はある程度まとまってここにある。これらを元の持ち主に返せば、状況は変わるのではないか。
「神様が今も持っている力と、僕が今までに吸収してきた力。それを創造神の欠片に戻したら、何もなければこの世界の神になるはずだった創造神が復活したりしない……かな」
話しているうちにだんだん確信がなくなっていってしまい、声がどんどん小さくなっていく。それでも、一応最後まで言い切ることができた。
「聖職者として支持していいものか悩ましいけど、その発想自体はおもしろいと思うわ」
イアイラが複雑そうな顔をしつつも頷けば、マリーカは力強く頷いた。
「それがうまくいけば、テネースが神殺しなんてする必要はなくなるね!」
「創造神の欠片がどこにあるか、創造神に力を返すことができるのか、そもそも欠片でしかない創造神に力を返したとして意味があるのか、っていう問題が残ってるけど、でもわたしもその方向でいいと思うわ」
テネースに笑いかけたアリスが、再度神へと向き直る。テネースたちも自然と神へと注目する。
神が、テネースからアリスへと視線を移した。だが、無言のままだ。
「あなたも含めたくさん協力してもらいながらだけど、テネースはテネースなりにきちんと答えを出したわ。あとはあなたがどう判断するか、よ」
神は、アリスからテネースへと視線を戻し、小さく頷いた。
「あなたが考えたことを試すのを止めるつもりはない。ただ、わたしも創造神のことはついさっきまで聞いたこともなかったから、その欠片がどこにあるのかはわからない」
「神様の力で調べたりできないの?」
「一度でも見たことがあれば調べられるかもしれないけど、まったく知らないものを探すのは無理」
「神様の力の元々の持ち主のことなんだから、知らないってことはないんじゃない?」
食い下がるマリーカだったが、神はもう反応しようとしなかった。
不満そうに口を尖らせたマリーカが何か言うよりも早く、イアイラが口を挟む。
「まったく見当違いのものの可能性はあるけど、心当たりがなくもないわ」
「本当ですか、イアイラさん!?」
「ええ。聖都カンタノスにある大聖堂には、封印区画という教皇様でも中に入ることができない一画があるの。もし教会が世界創世にまつわる伝説を都合よく作り替えたというのなら、本当のことを知っていたはずだし、創造神の欠片を手に入れていたとしてもおかしくないと思うわ」
「教会の総本山の奥深くに封印した結果、そこに何が封じられているのかもわからなくなり、封印区画だけが残った、ってところかしら」
「創造神の欠片はあって欲しいけど、封印区画を作った理由が、教会の恣意的なものではないことを祈りたいところだわ」
確認するように呟くアリスに、イアイラは大げさに肩をすくめた。
「今思いつく問題は、どうやって創造神の力を持ち主に返すのかと、返して本当に意味があるのか、ね。返して何が起こるかは実際にやってみないとわかるはずもないから置いておくとして、どうやって力を返すのかは確認しておくべきよね」
顎に手を当て「んー」と唸りだしたアリスに、テネースが顔を向ける。
「堕ちたる神を吸収する時は、触れるだけじゃなくていつも強く念じてるから、それとは逆に力を返すんだ、って強く思えばうまくいかないかな」
「あ……なるほど」
きょとんとした後、アリスが何度も頷く。
「完全に見落としてたけど、大きな問題があるわ」
そう言って、イアイラは神をまっすぐ見た。
「創造神の欠片に神様が受け継いできた力を返すなら、神様にも聖都へついてきていただく必要があるわ。神様はここを離れても大丈夫なのですか?」
「あ……」
テネースとマリーカだけではなく、アリスまでもが言葉を失う。神がテネースの意見を認めた段階でついてきてもらえると思い込んでいたが、意思の確認をしたわけではない。アビュドスを離れて大丈夫なのかもわからない。
「神の力を継いでから一度も離れたことがないからわからない。ただ、わたしもテネースたちについていく。そうしなければ、テネースの考えを実行に移すこともできないから。世界への祝福は、大丈夫だと祈るしかない」
神が祈る対象って誰だろう、と疑問に思ったテネースだったが、口に出すことは自重した。
「今は夜のはずだし、出発は明日かしら?」
「そうね。今まで使う機会がなかったけれど、ちゃんと寝室は用意してあるからぐっすり休んで英気を養ってから出発ね」
「神様の力で聖都まで一気に旅をできたりは――」
「無理。地上から誰かを引き上げたり、ここから地上へ降ろしたりできるのは、アビュドスの麓だけ」
テネースとてそれほど期待して訊ねたわけではないが、きっぱりと首を振られると残念とも思う。
「あ……」
「どうしたの、マリーカ」
「うん。聖都に向かうのはいいんだけど、どうやってそのことお兄ちゃんに伝えようかと思って」
マリーカの顔が曇っている。その表情に、テネースは息をのんだ。自分のことに手一杯で、ギュアースのことまで考える余裕がとてもなかったことが情けなく、恥ずかしかった。兄への心配を押し隠してテネースのために行動してくれたマリーカへの感謝は言葉にできないほど大きかったが、マリーカの顔を見ていると何も言えなくなってしまう。
「ギュアースならもうアビュドスの麓にやって来てるわ。だから安心して」
「ほんと!?」
アリスの言葉に、マリーカの表情が一瞬で明るくなる。
「本当よ。だから、明日には合流できるわ。あなたの弟さんも一緒よ」
マリーカに頷きかけた後、アリスはイアイラに顔を向けた。
「そう」
短く答えたイアイラは、何やら思案するように眉根を寄せた。
「イアイラさん?」
「え? ああ、ごめんなさい。ネイオスは私なんかよりもよっぽど信仰心も篤いし、教会への忠誠という意味でもずば抜けてるから。果たして合流していいものか心配になって」
反射的に「大丈夫ですよ」と答えそうになったテネースだったが、慌てて言葉を飲み込んだ。確かに、ネイオスはイアイラとは比べようがないくらい熱心にテネースのことを異端者として捕らえようとしていた。
テネースが聖都に行くことに反対することは絶対にないだろうが、その目的を知ったら邪魔をしてもおかしくない。
「ごめんね、テネース君。大丈夫、ネイオスのことは私がちゃんと説得するから、そんな心配そうな顔しないで」
「あ、い、いえ、僕の方こそすみません」
笑顔で頭を撫でられたテネースは、しどろもどろになってうつむいた。
「どうしてテネースが謝るのよ」
「それはだって、イアイラさんに謝ってもらうのも変だと思うし、その……」
どうして、というならどうしてマリーカがふくれっ面になっているのか、その方がテネースには不思議だった。
「む。もういい。アリス、寝室に案内してくれる?」
ぷいっとそっぽを向いたマリーカは、顔を背け、テネースを追い越してアリスに並んだ。
「わかったわ」
苦笑で答えたアリスは、ちらりとテネースを振り返ると叱るように目を細めた。
なんでそんな目で見られないといけないのかわからないテネースは、目を白黒させる。
アリスは大げさにため息をつくと、マリーカの前に立って壁に向かう。
それについていくマリーカの背中を見ていたテネースは、唐突に我に返った。
「マリーカ!」
「何?」
不機嫌そうながら、それでもマリーカは足を止めて振り返った。
「ありがとう」
「は? な、何、急に」
テネース自身が突然だと思うのだから、マリーカの反応も当たり前だろう。だが、テネースは笑顔を浮かべながらも説明をしようとはしなかった。
「うん。お礼を言いたかっただけ。マリーカはお礼を言われるようなことはしてないって言うけどさ、一緒にいてくれるだけで、心からありがとうって言いたいんだ」
「わ、わけわかんない」
春先に草原を染め上げるロドンの花のように真っ赤になったマリーカが、慌ててテネースに背中を向ける。
「あ、アリス、あたしもうくたくたなの。早く寝室に連れてって!」
「はいはい」
楽しそうに返事をしたアリスが、先ほどのようにちらりとテネースを振り返った。
その顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。




