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神殺しと神と創造神、ときどき世界の秘密  作者: 金剛トモアキ
第三章 聖峰アビュドス
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2 聖峰を望む丘

 白銀の森でイアイラと約束を交わしてから十日。テネースたちは白銀の森を抜けた後一日だけノウァエという町で休息を取り、それ以上余計な寄り道はせず北を目指していた。


 白銀の森を抜けてから身体を休めた町までの三日間は、大部分が平原で、時々低い丘はあったものの、とても歩きやすかった。

 食糧の問題にしても、白銀の森を抜ける前にテネースとマリーカの手持ちはすべてなくなってしまったが、イアイラの持っていた一枚食べるだけで満腹になる石のように堅い焼き菓子のおかげで心配する必要がなかった。

 町では保存食の補充もできたし、エウロポスに置いてきてしまった品々もある程度揃え直すことができた――マリーカは最後までイアイラにお金を借りることに抵抗を示したが。


 休息を取った町を後にしてからは、辺りの風景も徐々に変わり始めた。丘陵地帯と呼べるほどに丘の数が増えたし、山に近い高さの丘も現れ始めた。急流が作る深い谷を迂回もしたし、ある程度の大きさの緑の森を目にもした。

 徒歩の旅には若干辛くなったが、風景の変化は気持ちがだれるのを防いでくれたし、目を楽しませてもくれる。


「これを登り切れば、たぶん見えるわね」


 丘というよりも小山という表現の方が似合いそうな小高い丘の中腹で、イアイラがぽつりと呟いた。


 中点を過ぎたとはいえ太陽は夏を感じさせるほど強く輝いている。北に向かっていても、夏の気配は日々強くなっていた。にもかかわらず、イアイラは漆黒のローブを脱ごうとしない。テネースは純粋に心配から、マリーカは「見てるだけで暑苦しいのよ」とこぼしながら脱いだ方がいいと言ってみたが、効果はなかった。


「見えるって何が?」


 マリーカがテネース越しにイアイラを見る――テネースの右をマリーカが、左をイアイラが歩いていた。アリスは、例によってテネースの右肩に座っている。


「私たちの当面の目的地よ」

「まだ後四日は歩くって言ってなかった? それなのにもう見えるの? アビュドスってそんなに大きいの?」


 矢継ぎ早のマリーカの質問に、イアイラが苦笑を浮かべる。

 口を挟む間もなくマリーカが全部訊ねてしまったので黙っていたが、テネースもマリーカと同じ疑問を抱いていた。二人とも、聖峰アビュドスを見たことがないのだ。


「まあ、確かにあの辺で一番高い山なのは確かだけど、それだけでもないのよ。でも、事前に説明してしまうとおもしろくないでしょうから、黙っておくわ。気になって仕方ないなら、残りをさっさと登ればすぐに答えを知ることができるわよ」


 目を細めてマリーカを見たイアイラは、テネースには笑顔を見せた。


「テネース君も気になってるとは思うけど、答えを知りたかったら自分の目で見てね」

「は、はあ……」


 大げさだな、と思いつつもテネースは頷く。


 その直後、右手を勢いよく引っ張られた。


「テネース、急ぐわよ」


 左手でテネースの右手首を掴んだマリーカは、返事も待たずに足早にずんずん進んでいく。そこそこ急な上り坂も苦にならないらしい。


「ちょ、ちょっと待って。そんなに急ぐ必要ないでしょ」


 だが、テネースはマリーカよりも体力に劣っている。強い日差しの下ここまで丘を登ってきたことで疲れていたし、何より頂上までの残りをこの速度で歩いていけるとはとても思えなかった。


「あんな言い方されて、早く見たいって思わないの!?」


 歩く速度をまったく落とさないまま、マリーカが叫ぶ。


「そりゃ、気になるけど今日の行程がこの丘のてっぺんでおしまい、ってわけじゃないんだから、もう少しゆっくり歩いてもいいと思うんだ」

「まさかもう疲れたって言うんじゃないでしょうね」

「う……」


 振り返ることなく口にされたマリーカの質問に、テネースは言葉に詰まった。体力が尽きたわけではないが疲れているのは間違いない。ただ、素直にそれを認めたくなくて、何も言えなくなってしまう。


(今までなら、普通に疲れたって言えたのに。どうしたんだろう)


「返事がないってことは大丈夫だってことよね。さあ、行くわよ」


 テネースの手首を握る手に力を込め、マリーカが坂道を登っていく。

 諦めたテネースは、引きずられながらも必死に足を動かした。



 丘を登り切った途端、火照った身体に気持ちのいい風が吹き抜けた。

 この辺りで一番高い丘の頂に立つと、視界を遮る物は何もない。


「……わあ」


 感嘆の声はテネースとマリーカどちらのものだったのか。二人とも、目をまん丸に見開いて同じ方向、同じ物を見ていた。


 北――聖峰アビュドスを目的地に定めて以来テネースたちが向かってきた方角に、山が見えた。まだまだ距離があるため霞がかってはいるが、聖峰と呼ばれるにふさわしい、頂へとなだらかな稜線を描く雄大にして優雅な姿は二人の視線を捕らえてはなさい。


「幻……じゃないわよね」

「……たぶん」


 紡がれる言葉は、強い驚きのせいで弱々しい。


『聖峰アビュドス……』


 テネースの肩から降りたアリスが、じっとアビュドスを見つめながら呟いた。


「アリスはアビュドスを見たことあるの?」


 特異なアビュドスの姿よりも、どこか様子がおかしいアリスの方がテネースの意識を引きつけた。白銀の森の悪魔を倒して以降、思い詰めたような表情で北の方角を見ているアリスを、テネースは何度も目にしている。


『……いいえ。こうやって見るのは初めてよ』


 テネースを振り返ったアリスの顔には、どんな時でもテネースの心を落ち着けてくれた笑顔が浮かんでいた。


「どう、初めて目にした聖峰の姿は」


 二人よりも幾分遅れて丘を登り終えたイアイラが、テネースとマリーカの背中に問いかける。


「神様が住んでるって言われてるのも納得だわ」

「うん。あれ、現実なんですよね」


 マリーカはアビュドスを見たまま、テネースはイアイラを振り返って、黒衣の異端審問官に答えた。


「もちろん。私たち人間にとってもっとも大切な山よ」


 聖峰アビュドス。神の住まう地。教会が定めた唯一の聖地。

 優美な稜線よりも、遠方からでも眺められる雄大さよりも、巨大な山が宙に浮いているという一事が、聖なる地であり、人を見守る神の住まう地なのだと見る者を納得させる。


 聖峰アビュドスは、空に浮かんでいた。アビュドスの周辺に視界を遮るものはなく、テネースたちがいる丘からはアビュドスが実によく見える。そのアビュドスの裾野は、大地とつながっていない。

 地上からどれくらいの高さかまではわからないが、テネースたちが若干上を向かないと頂上が見えない程度には空の上だ。


「ちなみにあれ、日没までには地面に降りるのよ」

「「え!?」」


 今度のイアイラの言葉には、マリーカも振り返った。


「聖峰アビュドスはね、日出と共に空へと昇り、日が沈むのにあわせて大地へと戻ってくるのよ。毎日毎日その繰り返し」

「すごいとは思うけど、それって何か意味があるの?」

「日の光の下懸命に生きる人々をあまねく見守るため空へと昇り、星空の下眠る人々を悪夢から守るため大地を逍遥しているのよ。神様が」


 アビュドスを見ながら流れるように言葉を紡いでいたイアイラだったが、愕然とするマリーカに気付き眉をひそめた。


「何か言いたそうね」

「……本物の聖職者みたい」

「本物の聖職者なのよ」

『夜、アビュドスが大地に降りてくるのは、人々の希望、願望を集めるため。昼、アビュドスが空に在るのは、大地とそこに生きる人々に祝福を与えるため』

「アリス?」

『テネース、話したいことがあるの。二人だけで』

「う、うん。僕は大丈夫だけど」


 あまりにも張り詰めたアリスの雰囲気に、テネースの言葉が尻すぼみに小さくなっていく。


「アリス、なんて言ってるの?」

「あ、ええと、僕と二人で話したいことがあるって」

「ふうん。何を話すのか気にはなるけど、いいんじゃない」

「そうね。ちょっと小休止にしましょうか。テネース君、アリステラの言うことだからってなんでも信じちゃ駄目よ」

「あ、ありがとう、二人とも」


 マリーカとイアイラの二人に笑顔を返したテネースは、アリスに導かれるまま登ってきた道を引き返していく。


「そんなに秘密にしないといけない話なの?」


 銀色の長い髪を見つめながらテネースが問いかけるが、アリスからの返事はない。テネースは重ねて問うことはせず、黙ってついていくことにした。


 テネースの声が頂上の二人まで届かない程度まで丘を下った所で、アリスはテネースを振り返った。その顔は、テネースでも気付くくらいの緊張と迷いでこわばっている。


『白銀の森で、あの悪魔について後で話すって言ったの、覚えてる?』

「うん。覚えてるよ」

『わたしとおんなじ顔をしてて驚いたでしょ』

「まあ、少しは」

『少しだけ? わたしはすごく驚いたわ』

「え!? 驚いたって、あの悪魔について知ってるんじゃないの?」


 テネースが驚きに満ちた目を向けると、アリスは『うーん』と首を傾けた。


『知っていると言えば知っているんだけど、直接目にしたのは初めてだったの。悪魔のこと、わたしのこと、そしてあなたのこと。本当はアビュドスに着いてからじゃないと話しちゃいけないんだけど、今話しておくわね』


 そう言ったアリスの顔には、緊張は残っていたが迷いはもうなかった。


 テネースは、悪魔について詳しいことを聞いたことは一度もない。ギュアースたちに助けられてすぐ、アリスはテネースに悪魔を倒す旅をする必要があるとは言ったが、その時の説明は悪魔という人に害を及ぼす存在がいる。それを見ることができるのも倒すことができるのもテネースだけ。という説明にもなっていないようなものだった。にもかかわらずテネースがアリスの言葉に従ったのは、アリスに言われたからというのはもちろんだが、悪魔を倒すのを手伝って欲しいと頼むアリスがどこか自信なさげで、悩んでいるように見えたからだ。


(そういえば、あの時のアリスと今のアリスってちょっと似てるかも)


 そんなことを思いながらテネースは口を開く。


「もし今アリスがそれを話したら、何かアリスに悪いことが起こるの?」


 テネースの質問に一瞬目を丸くしたアリスは、すぐに嬉しそうに微笑んだ。


『たぶん大丈夫よ。きっと小言を言われることもないと思うわ』

「小言? 誰に?」

『話を聞いてくれればわかるわ。もちろん、テネースが聞きたくないと言うなら無理には話さないけど、たぶんアビュドスに着く前に知っておいてもらった方がいいと思う』


 白銀の森の悪魔がどうしてアリスとそっくりだったのか。気にならないと言えば嘘になる。悪魔のことだけでなくアリスと、そしてテネースについての話もあるとなれば、知りたいという欲求はもっと強くなる。


 しかし、聞きたくないという思いも存在していた。それも、決して小さくない大きさで。

 根拠など何もないが、アリスの話を聞いてしまったら今のままではいられないような、そんな気がするのだ。

 聞くとも聞かないとも答えられず、テネースはアリスの美しい顔を黙って見つめた。


 アリスはただ静かにテネースの答えを待っている。穏やかながらどこか強さを感じさせる表情は、『自分で決めなさい』と無言で告げているかのようだった。


(アリスは、僕のために今聞いて欲しいって、そう言った。なら、悩む必要なんてないんじゃないの? どうして、話して、って言えないんだろう)


 アリスの話を聞きたくないという思いは、大きくも小さくもなっていない。厳然と存在し続けている。

 聞く、聞かない。どちらを選ぶにせよ、それはテネースが自分の意志で決めなければならない。誰の助けも得られない。


 時々丘を駆け下り草を鳴らす風の音と、空高く舞う鳥の高い鳴き声の他は音のない時間が続く。テネースは、自分の呼吸する音すら大きく感じ、息を止めた。


(僕は、アリスを信じてる)


 テネースにとっては呼吸をするくらい当たり前の思い。それが突然、強く浮かび上がってきた。


 根拠のない、なんとなくな不安なんかよりも遙かに強く、アリスを信じている。


 それは、テネースのごく自然な思いだ。


「聞きたい。話してくれる?」


 長い長い沈黙の後にテネースが言うと、アリスは安心したように微笑んだ。

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