土台
「天凪さんですね!」
仁狼とあの背の高い生徒が校門をくぐってのんびり歩いていたところに、一人の女子が正面に立ちふさがった。
「へ? そうだけど、なんだ?」
「私と、勝負して下さい!」
渓華は仁狼に向かって構える。
「なんでおまえと勝負しないといけねぇんだ?」
「天凪さんはこれまで無敵だとうかがいました。ぜひ勝負して下さい!」
「いやだ。やらねぇ」
彼はあっさり断わった。
「なぜです? 私が女だからですか?」
「おう。俺は女とケンカなんかしねぇし、男とケンカするのもキライなんだ。だいたいせっかくの放課後をつまらねぇケンカなんかで潰したくねぇ。
それに勝負なんて、誰が強い弱いなんてどうでもいいじゃねぇか」
彼女はその答えに愕然となった。この一か月、全身全霊を傾け他の何ものをも犠牲にしてまで目標にした相手から『どうでもいい』と言われたのは、心の底からショックだった。
でも、このままではあきらめられない。あの颯は本物だ。死にもの狂いで鍛えた成果は試したい。
「ひと月前にもいたね」
天凪の隣に立つ細目の大男がのんびりした口調で話しかけてきた。
驚いた。あの時も気配は消していて通りすぎるどの生徒にも気づかれず、この二人も気づいた様子はなかったはず……。
この大男のこともいくらか聞いた。どれだけ手出しされても、ただジッとガマンするだけのウドの大木。身体が大きいので急所がおおざっぱになる上に、ニブイので痛みの伝わりが遅い……とまで言われていて名前さえ知らない。
「おう、そう言えばいたな。ヒマなやつだ」
天凪の言葉に渓華の気が遠くなった。
「ヒ、ヒマとはなんですか! 私がどれほど、どれほど……」
悔しさのあまり頭に血が上り、言葉にならない彼女はただ唇をかみしめたまま、天凪の目を強く睨む。
そんな彼女の目をジッと逸らさずに見つめ返していた仁狼がおもむろに口を開く。
「しょうがねぇ、順崇。おまえの道場貸してくれ」
彼の名前を、渓華はその時初めて知った。
「……どうぞ」
「なあ、構えたところ見ると、おまえもなんか武道やってるんだろ? ケンカなんかしねぇで、ちゃんと試合やらねぇか? それなら受けてやるぜ」
親指を立てながら、ニヤッと笑う彼の姿に彼女は戸惑いを感じた。たった今しないと言った彼が正式な試合としてなら受けると言うのだ。それは本来渓華の望むことであり、もちろん異論はない。
「それなら、ぜひお願いします」
だが、それを口実に逃げられないよう、緊張は解かない。
「じゃあ、行こうぜ」
とても格闘をやっている者とは思えない足取りで天凪は歩きだす。
そのあとについて順崇と呼ばれた者は……。
渓華の眉が跳ねた。彼は強い。空手でも柔道でもないが、この足さばきはとても素人のできるものではない。歩き方が違う。
ウワサを信じてこちらの人物はウドの大木だとばかり考えていた。天凪にばかり気を取られていたとはいえ、なぜ先月気付かなかったのだろう。
以前はウワサを信じなかったことに後悔したが、今度はウワサを信じたことを後悔した。もし、天凪がウワサ通り無敵を誇っていたのなら、そこには必ず秘密があるはず。
いくら天性の才能があっても、なんの努力もせずに不敗を続けることなどできるはずがない。
それが高校生レベルのケンカであっても……いや、高校生レベルであるからこそ、実力などあっさりひっくり返る。真の格闘家は、裏打ちされた才能を自ら休むことなく磨き続けるからこそ、その強さはより堅固なものになる。土台ができていない者は、しょせん高レベルでの闘いを続けることは不可能なのだ。
……もし彼が、本当に無敗を続けてきたというのなら……。
渓華は改めて思った。
仁狼には、土台となるものが存在する。それは間違いなく順崇と呼ばれた人物に関係していると。