禁忌
彼の目の前で渓華の首筋から腹にかけて蒂鏨の爪が襲った。力を振り絞り動きが鈍っているレイネイを蹴り飛ばし、床に崩れ落ちた渓華を素早く抱きあげ、レイネイから離れて床が血に汚されていない場所に彼女を横たえると、引き裂かれた服を開く。
「あ……」
服は下着ごと引き裂かれているため、胸があらわになったが、彼は気にする様子もない。
「傷は大きいが致命傷じゃない。大丈夫」
首から右脇腹にかけての傷。
渓華を安心させるために言ったが、それは致命傷だ。血が心臓の鼓動に合わせて吹き出し、肺もやられたのだろう泡が弾ける音も聞こえる。
渓華は傷の痛みより、恥ずかしさで顔を伏せた。大丈夫と言われたが、この傷が致命傷であることは分かっている。
順崇は着ていた上着を渓華にかけた。
「大量出血の対処は?」
「鐔瓊流にも、こんな時の対処法はあります」
安心させるために精一杯強がって言ったが、急激な血圧低下に伴うショック症状によって、意識は急速に失われつつある。
順崇はうなずいて立ち上がる。
できることならこのまま順崇についていて欲しかった。こんな時の対処法……血液の流出をできる限り抑えるために、心臓の鼓動を可能な限り下げ、一時的な仮死状態に陥りサツを集中し回復を待つ。
心臓は本来自分の意思で動かせる随意筋であり、それをコントロールすることも瑞帋流同様鍛練の一つにある。しかし危険な賭けでもある。
四方津式髪でサツを多量に使ったこともあり、ともすればこのまま二度と目を覚ませないかもしれない。
「順崇さん……」最後の気力を振り絞って呼びかけた。
そこまでレイネイが近づいている。息も絶え絶えだが、腕には先ほど捨てた武器を拾って持っていた。それでも順崇は目の前に迫るレイネイから視線をそらし、渓華に振り返る。
彼には致命的な行為だ。今相手から目を離せばやられるかもしれない。それでも、最期かもしれなかったからこそ話しかける。
「私のせいだから、私のことは気にしないで……」
弱々しく微笑み、それだけを伝えることが精一杯だった。本当に、本当に彼に伝えたかったことはいわないことにした。言えばより彼の集中力を乱してしまう。
それに、順崇が『振り返る』という危険を犯してまで気づかってくれたことが嬉しかった。
順崇は黙って首を振り、再び彼女に背を向ける。彼の言いたいことは分かっている。渓華のせいではなく、これはあくまで自分の責任なのだ、と。
渓華の目から一粒の涙がこぼれ落ちた。順崇のかけてくれた上着からは、回復のサツが流れ込んでくる。まるで順崇に抱かれているようだ。
薄れゆく意識の中で、彼女は恐ろしいサツを感じた。これまで感じたことも、どんな表現を使っても、それを言い表すことができない……本当に恐ろしいサツ。
もう目は開けられず、それがレイネイのものか順崇のものか、あるいはそれ以外のものかは分からない。
彼女の意識は急速に遠のいていった。
……最初の予定とはかなり違ったが、この星でこんな奴らに出会うことができるとは……キサマたちの首はガルアテの隣に置いてやろう。
一匹は始末した。
即死でなくともあの手ごたえだ。そう長くはない。もう一匹を始末した後でまだ生きているようなら、ゆっくりと、とどめを刺すもの悪くない……。
順崇に近づきながら途中で投げ捨てた武器『光麗』を腕に装着しながらレイネイは考えていた。
あのうっとうしい妙な攻撃を操っていた奴がいなくなった今、これがある限り最後の獲物がどうあがこうがすでに敵ではない。最初に感じられた強い波動も、ずいぶん弱くなっている。
かなり楽しめたぞ。仲間を失ったことはしょうがない、同意書通りだ。ワシは星に帰り、救急カプセルに入ればすぐに治る。これほどの能力を持ちながら、とどめを刺さないとは本当に甘い奴らめ。
順崇はレイネイと向き合った。
「キサマたちのような奴に出会えて嬉しかったぞ」レイネイは光麗を構えながら笑う。
「キサマたちの首は、ならべて飾ってやる」
順崇の表情が変わった。そこに鏡があったとすれば、彼自身こんな表情ができるのかと驚いただろう。しかし鏡はなくとも分かっていた。自分の中にかつてない感情がわき上がっていることを。
レイネイにではなく、自分自身に。当然予測し、感じ取れたはずの渓華の動きを止めることができなかった己の甘さに……責任の重さに。
そして、自分が今からやろうとしていることが、どういうことなのかを。
……ゆら、ゆらとふるへ。
順崇は心の奥で唱える。決してこれをすることも、またその機会もない……いや、あってはならないと思っていた。
「ふるへ……ゆら、ゆらとふるへ……ゆら、ゆらとふるへ……ふるへ、たまおの……ゆら、ゆらとふるへ」
レイネイには理解できない言葉を唱えた。
渓華の助力を失い、みちのながちはでサツをかなり使い、渓華にかけた上着には、残っていたサツのほぼすべてを注ぎ込んだ。
さらに相手は正体不明の武器を持っている。もう、これしか残っていない。
戦国時代初期。
圧倒的な大軍で隣国から攻め込まれた小国あった。
何日にも渡って激しい抵抗が続けられたが、もはや敗れるのは時間の問題……歴史に残るような合戦ではなく、まだ武将どうしが力を持つ以前の泥沼のような一方的な戦だった。
食料はとうに尽き、援軍などこない。いたる所に折り重なる死体を埋葬する者さえ、もういない。極限状態に追い込まれた時、その技は生み出された。
瑞帋流最奥の封技。
『ふるへ たまおの』
決して使ってはならない、禁忌の技。




