怪物
コンサート当日。収容人数5000人の会場は満員の熱気に包まれていた。人気、実力急上昇のアシャッルからすれば当然と言える。
主催者側も急遽立ち見席のチケットを用意したが、それでも内部に入れないファンは、なんとか雰囲気だけは味わおうと会場を取り囲み、本来のチケットを持っている者ですら入口に近づくことを困難にしていた。
ステージが最高の盛り上がりを見せる中、立ち上がるわけでもなく、声援を送るわけでもなく、淡々とステージを見る二人がいた。
退屈しているわけではない。彼らは充分満足している。
そしていよいよクライマックスに差しかかった頃、曲の中に、かすかな不興和音が混じり始めたことに最初に気づいたのも、この二人だった。
小さな……高周波領域で何かを切り裂いているような音。
「順崇さん、この音」渓華がそっと尋ねる。
「楽器や計器の音ではない」やはり彼も気づいていた。
しかし、周囲の観客は誰もその音を気にしている様子はない。全身を包み込むような大音響の中で、いったい誰が気づくことができるだろうか。
すでに二人はコンサートそのものより、音の発生原を突き止めることに意識を集中している。格闘家としての勘。なんらかの危険が迫っていることを、本能的に感じていた。
先に気づいたのは順崇だった。
「シャクラの真上、照明の左」
手短に順崇が告げる。アシャッルのベース、シャクラと呼ばれているメンバーの頭上。
「あれは?」
手? ……腕?
何もないはずの空間から、腕のようなものが生えている。少しずつ、ゆっくりと手から腕、腕から肩と、全身が現れようとしていた。
あきらかに人間のものではない。
危険! 二人は同時に直感した。なんなのか分からないが、アレは危険だ。真下にいるシャクラが危ない。しかし、この超満員の会場では動くことさえままならない。
それでも二人は他の観客を押し退け、ステージに向かって移動しようとした、その時。
ドスン!
と大きな音をたてて、何かがステージに降り立つ。
シャクラの眼前。アシャッルの他のメンバーも大勢の観客も、一瞬ア然となって落ちてきたものを見た。
人間には似ている。ただし腕が四本あり、膝が後ろにも前にも曲がる構造になっていた。
アトラクションかと思った観客の声援が、いっとき高まったが、曲も止りぼう然としているアシャッルの表情に、観客も静まる。
警備員もその光景に身体が硬直して動けなかった。
ざわめき前の突然の静寂。
シャクラの頭に腕の一本が伸ばされ、握り潰される音をマイクは正確に会場に響き渡らせた。
シャクラの身体が、最前列に詰めかけた者に向かって放り投げられ、ファンの何人かが血まみれの彼の下敷きになる。
絞りだす悲鳴が上がり、それがパニックの引き金になった。思考は停止し、恐怖だけが人々の頭を支配する。
パニックはパニックを呼び、少しでも正常な思考ができる者まで巻き込む。最前列にいた何人かは、その場に座り込み力を失っている。
逃げ出そうとしたものは、たがいにジャマし合い、身動きが取れない。
5000人の大移動。限られた出口にそれだけの数が殺到しようとしていた。
順崇は渓華をかばいながら、ともかくその場に踏ん張っていた。今動く方が逆に危険であることは渓華も分かっている。
出口付近から、新たな悲鳴が上がる。
一つではない。あちこちからいくつもの悲鳴が上がった。
ステージに降り立った怪物が、出口を……逃げ場所にも立ちふさがっていた。
この会場には二階を含めて少なくとも12か所の扉はあったが、怪物がいない扉を開いた者は、自分にいったい何が起こったのか理解できないまま、絶命することになった。
怪物のいない扉の外には小さな装置が置いてあった。
半径10メートル以内に接近する、識別信号を発信するもの以外の生命体に無差別で攻撃する装置。
『番犬』と呼ばれる装置で、家庭用侵入者防止のための威嚇用から軍事用まで様々なタイプはあるが、今回選ばれたのは軍事用のレーザー発射タイプ『絢爛』と名付けられた物だ。
糸よりも細いレーザーが壁を背に左右175度、上下85度の角度で121個の発射口から同時に最大20発を照射することができ、光が織りなす繊維のように見えることから名がつけられている。対人凡用型で、広く普及しているものだ。
まっ先に扉に駆けつけた者は、番犬の存在を運の悪い後方の何人かを巻き込んで……身をもって教えてくれた。
しかし、せっかくの恩人も顔が分からなくてはお礼の言いようがない。瞬時にバラバラになったのだ。もう、どれがどこの部分であったのかは、熟練した外科医、あるいはパズルマニアであれば分かるかもしれない。
血が一滴も出ないところが、『エンギウ』のお気に入りだった。
二階席からも悲鳴が上がった。
怪物は上にもいる。
二階は後方の出口をすべてふさがれ、怪物が観客にジワジワと迫っている。
逃げ場を失った二階席の客は、一階に突き出した手摺りにまで追い詰められ、一番前にいる女性客の一人は内臓が押し潰されそうなほど人と手摺りに押さえつけられている。
その一階も、四方から怪物が迫りつつある。
アシャッルの残りのメンバーもステージを追われ、他の観客と同様に、必死に怪物から逃れようとしている。
おかしい。
順崇は思った。
なぜ、すぐに攻撃してこない?




