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ここは、異世界

 消毒の匂いだろうか? 病院と同じ香りがする。

 それに混じって、教室でも嗅いだような、甘い花の香りがした。


 うっすらと目を開けると、白く染み一つ無い天井が見える。ここは、保健室のようだ。

(まぶた)を擦り、はて、俺はどうしてこんなところに? と思考を巡らせていると、左方向から、「あっ」という可愛らしい声が聞こえた。

 声のする方に首を回すと、また気を失いそうになった。


 息をのむほど美しい黒髪。

 そこには、黒瀬瑠璃、に激似な、教室で俺の意識を刈り取った美少女がいた。

 彼女は安堵の表情を浮かべ、


「よかった。痛みはない? さっきは思わずぶっちゃって……」

 ごめんなさい、と彼女は続けた。


 彼女に話しかけられた瞬間、バチリ、と体に電流が流れたような気がした。

 がばっ、と体を起こし、可能な限り丁寧な姿勢で口を開く。


「……あ、ああ。大丈夫。こっちこそごめん。緊張して (つまづ)いちゃったんだ。それより、そっちこそケガはなかった? ……えー、っと」

 そこまで言ったところで、俺は彼女の名前をいまだに知らないことを思い出す。

 彼女はそれを察したのか、


「黒瀬瑠璃。こちらもケガはしてないから心配は――」

「く、黒瀬瑠璃!?」

「ひゃっ!」

 思わず彼女が喋っている途中だというのに聞き返してしまった。

 俺の突然の反応に驚いたのか、思いの外かわいらしい反応が返ってくる。

 彼女は一度咳払いをすると、瑠璃色の瞳に困惑の色を浮かべつつも肯定の意を返す。


「え、ええ……。どうしたの高井君?」

 この時の混乱は、二年三組教室に突入したとき以上だったと記憶している。

 視界の端で、白のカーテンがゆらゆらと揺れていた。


「い、いや、なんでもない。ちょっとだけ知り合いの名前に似てるなって思って」

「ふーん。転校してくる前の学校の友達?」

「まあ、そんなとこかな。ところで、どうして黒瀬さんはこんなところに?」

「どうしてって?」

「いや、だって、事故とはいえ押し倒された男の心配なんてしないだろ? あ! あくまで事故、だからね?」

 見蕩れていた、なんて恥ずかしくて言えない。

 黒瀬瑠璃は一瞬不思議そうな顔をした後、クスッと小さな笑みを浮かべた。

 再び、どこか懐かしいような、心安らぐ花の匂いがした。


「どんな事情にせよ、私がぶったせいで君が気絶してしまったのは事実だから。やっぱり罪悪感があって……」

「そっか。でも、ホントにごめん! 次からは気をつけるようにするよ」

 彼女の頬に、さっと朱が浮かんだ。


「次からは? た、高井君、あなた次も私を押し倒すつもりなの?」

「い、いや、そんなつもりで言ったわけじゃなくて……。ところで、黒瀬さん、今何時だか分かる?」

「ずいぶん強引な話題転換ね……。今は、えーと、 お昼くらい(・・・・・)かしら。春休み明けだから、今日はもう帰宅時間ね」

「もう帰宅か……。あ、そういえば、俺と一緒に転校してきた他の二人知らない?」

「さあ……。もう教室にはいないと思うけど」

「う~ん、どこに行ったんだろう。探しにいこうかな?」

「ええ、そうするといいわ。転校してきたばかりで一人では心細いでしょうし。っと、ところで……」

 彼女がそこまで言ったところで、廊下からコツコツコツ、とこちらに向かって来るような足音が聞こえてきた。


「お、誰かこっちに来るな。雄大達かな?」

 黒瀬瑠璃にも足音が聞こえたらしい。彼女はなぜかあわてて立ち上がると、逃げるように立ち去ろうとしていた。俺もあわてて呼び止める。


「待って黒瀬さん、ところで、の後、なんて言おうとしたの?」

「こ、今度でいいわ。高井君、また明日」


 返事もそこそこに、彼女は去ってしまった。


 コツコツと足音が迫る中、俺は彼女との会話を思い出していた。


「そういえば、彼女が笑ったところ見るの、初めてかもしれない」


 ゲームでも。現実でも。

 俺の鼻は、いまだに花の香りを覚えていた。




 足音の主は案の定勇気と雄大だった。とてもデジャブを感じる。

 

「よう涼、無事だったか」

「なんとかな。そんなおまえ達は友人が気を失っているというのにどこに何をしに行ってたんだ?」

 俺が雄大を睨み付けると、彼は事も無げにこう告げた。


「いやあ、町を探検をしてこようと思ってな。なあ、勇気!」

「う、うん。でも、ぼ、ぼくは涼君が起きるまで待ってようよって、言ったんだよ?」

「いいのいいの。この世界から元の世界に戻るには情報収集が必要なんだから、そんな無駄な時間は省いた方がいいんだよ」

 雄大の奴、言いたい放題だな。後で覚えてろよ?

 ん? ちょっと待った。


「雄大、おまえの言い方だと、この世界がまるで異世界かなにかのように聞こえるんだが、どういうことだ?」

「どういうこともなにも、その通りだろ? あ、さては、俺たちを試してやがるな? 言ってやれ、勇気!」

「う、うん。まず、僕たちが旧校舎にいたとき、涼君は夜中の十一時だって言ってのに、この世界は今お昼で、太陽が出ていることがひとつ。つ、次に、旧校舎は古くなって壊れやすくなっているはずなのに、何もかもが新品同様で、使い込んだ様子がまったくないことがひとつ。他にもあるけど……、明らかにおかしいんだ。ぼ、ぼく、小説とかで読んだことがある、これ、異世界トリップってやつだ!」

「――と、いうわけだ、涼。どうだ? 俺たちも必死になりゃ、おまえほどではねえけど、これくらいのことは考えられるんだぜ?」

 な、なるほどな……。ふーん、異世界トリップ、ね。


「ま、まあ当然だな。俺も、し、知ってたし?」

 黒瀬瑠璃に鼻の下を伸ばしてまったく気づけませんでした、とは口が裂けても言えなかった。



「――それで、町を探検してきてなにか分かったことは?」

「とくにない!」

「うん、雄大、おまえには期待していない。勇気、どうだ?」

「え、えーと、そうだなあ。説明が難しいんだけど、僕たち、この町を 知っている(・・・・・)みたいなんだ」

「知っている?」

「う、うん。これ以上は説明が難しいよ。と、とにかく、知っているんだ」

「なるほど、勇気ありがとう。貴重な情報だった。雄大、おまえも 知っていた(・・・・・)のか?」

「なんだよ。俺だってそれくらい分かってたぜ?」

「分かってたら説明しろや!」

「うるせえ! 一人だけお昼寝してあの黒瀬? って女の子に付きっきりで看てもらってたくせに!」

「マジで!? ちくしょー、あと三十分早く起きていれば……!」

 心からの後悔だった。


「ま、まあ黒瀬瑠璃の件は置いといて、俺も探検してこようと思う」

 雄大が今話せこの変態強姦未遂犯め、などと大変不快になるようなことを口走っているが、早く元の世界に帰るためにもそんなモノに取り合うような無駄な時間は省略。

 改めて勇気に尋ねる。


「連絡方法はどうする? 保健室で落ち合うか?」

「高井君も携帯持ってるよね? 一通り見て回ったら、れ、連絡してよ」

 確かに、家を出るときにポケットに入れたな。


「この世界でも携帯通じるのか?」

「う、うん。不思議だよねっ」

 勇気の声はどこか弾んでいるような気がした。


「おっけ、じゃあ、ちょっくら行ってくるわ。また後でな、勇気、雄大」

 

 そう言って俺は保健室を後にした。

 白いカーテンはまだ揺れているような気がした。




 校門を越えたところで、振り返る。

 

「全然違う……」

 目の前の学校はいままで俺たちがいた学校とはまったく違った。

 校舎はひとつしかなかったが、俺たちのいた校舎よりもずっと大きかった。新校舎と旧校舎の二つを合わせたモノよりもわずかに小さいくらいだろうか。


 そして、町並み。

 俺たちの住んでいる地域は田舎の中の田舎、キング・オブ・田舎の座を欲しいがままにしていたので、町を歩くたびにカルチャーショックを受けた。

 田舎者が上京するとこうなるんだろうなあ……。


 至る所にコンビニがある。自動販売機がある。ファストフード店がある。娯楽施設がある。

 考えられなかった。俺たちの町にないものすべてがそこにあった。


 ここまで見て回った段階で、俺たちが異世界に渡ってしまったことは、ほぼ確実な事実であるかのように考えられた。

 一体、どうすれば元の世界に帰ることができるのだろう。唯一の手がかりとなりそうなのは二年三組教室だが……。


 帰る手段が分からないのは不安だが、もう一つ恐ろしい発見があった。


 俺は、なぜかこの町を 知っている(・・・・・)のだ。

 なるほど確かに勇気の言うとおりだった。これは説明しづらい。

 知識というよりも感覚だろうか。まるで何度も訪れたことがあるかのように、どこにどういった物があるのかが分かるのだ。


 実際に、ここまでに道を迷うというようなことは一切無かった。


 丁寧に整備された歩道を歩く。

 向かう先は、 我が家(・・・)だ。




 俺の家(・・・)は、閑静な住宅街にあった。学校からは徒歩二十分といったところだろうか。

 〈長谷川〉のプレートが掛けられた玄関を開け「ただいま」と言うと、見知らぬ声が「おかえり」と返した。

 元の世界の俺の家ではあり得ないような、暖かく、食欲を誘うような匂いがする。


「おかえりなさい、新しい学校に馴染めそう?」

「少し遅いけどお昼ご飯食べる?」

「茜遅いわねえ。どこで道草食ってるのかしら? 涼、どこかで見かけなかった?」

 俺の母親役なのであろうか、小太りの、寛容さを内に秘めているように感じさせるこの女性は、俺が返事をせずとも、マシンガンのようにしゃべり続ける。

 この見知らぬ女性は俺のことを自分の息子だと思っているようだった。


 不気味だった。


 不意に、赤ずきんの童話を思い出した。

「どうしたの、涼。そんなところにボケッと突っ立って」

「いや、なんでもない」

 俺はこの女性を知らない。おそらく一度も会ったことがない。

 そもそも、俺の両親は共働きなので、母親がこんなに早く帰っているなんてことはあり得ないし、こんなに気遣われたこともいままで一度もなかった。


 そして、どうしてだろう。この家からは、「人間」を感じない。

 すべてが「死んで」いるような……、作り物めいたモノに感じる。


 俺にとって、この空間は、どこまでも不気味で、歪なモノに思えた。


「ごめん! 今日は友達の家に泊まってくるよ!」

 いつまでもこんなところにいたくなかった。

 雄大や勇気、黒瀬瑠璃に無性に会いたかった。




「携帯で連絡、だったな……」

 ポケットをまさぐる、が、果たして携帯電話は見つからなかった。

 日差しが体を照りつける。


「どこかで落としたか?」

 こちらの世界に来るまでは持ってたはずだ。問題はどこに落としたのか、だ。


「――って、決まってるよな」

 黒瀬瑠璃を誤って押し倒してしまったときに違いない。あの騒動に交じって今も教室のどこかに転がっているのだろう。


「学校に行くしかないよな?」

 もともとスタート地点の二年三組は調べるつもりでいたのだ。ならば、携帯を取り戻すついでに調べてしまうのもいいだろう。二人と合流するのはそれからでも遅くない。

 またしてもデジャブを感じるが、俺は目的地を学校に定め、歩き始めた。




 幸い校門はまだ開いていたので、楽々と校内に入ることができた。


 不思議なことに、生徒はおろか、教師すら見当たらない。

 昼間の無人校舎というのも、なかなか不気味なモノだった。

 ぼんやりとした視界の先は、ともすれば消えてしまいそうだ。


 階段を昇り、二年生教室がある二階に向かう。

 階段から向かって三つ目の教室の入り口で立ち止まる。


「今度は、変なところに飛ばされたりしないだろうな……?」

 しかも、今度はたった一人だ。

 取っ手に手をかけ、大きく息を吸い込む。

 そして、おそるおそる扉をスライドさせるも、さらに異世界にトリップするようなことはなかった。

 胸をなで下ろす。


「さて、携帯はっと……」

 探すも、なかなか見つからない。

 さらに十分ほど探したところで、俺は奇妙な光景を目にした。



 チョークが、 浮いている(・・・・・)



「なっ……!」

 何が起こっているのか。異世界トリップといい、黒瀬瑠璃といい、俺は一生分の不思議体験を一度に味わっているのだろうか。



 チョークはフワフワと浮いたまま黒板の方に進みカッ、カッ、と音をたてながら文字を紡いでいく。

 そこにはこう書いてあった。



『はじめまして、高井涼さん。〈世界を彩る君と共に〉の世界へようこそ!』





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