#6
あらすじ☆クライと旅に出たルイーゼ。森の前でゴブリンが出現し、実力テスト(ゴブリンと対決)をするはめになってしまった! どうするルイーゼ!
テスト。まてよ、テスト……?
これで全然だめだったら、もしかして
「失望しましたよルイーゼ。ぼくは他の弟子を探しに行きます」
なんていう、おいしい展開になるかもしれない、というか。なるだろう、普通。
負ければいいんだ!
希望の瞳でルイーゼが顔を上げると、「ぐるるるる」と腹をすかせたかのような喉の鳴らし方をしたゴブリンがねとねとしたよだれを大量にたらしてじりじりと距離を詰めてきていた。
NON!!
負けたらヤバイと彼女は本能で察した。っていうか逃げたい。ルイーゼは全身を滝に打たれたように震わせる。喉が詰まり、もう弁解もできない。全身で降参したかったが、ここまで来て、引き下がれなかった。なにより、カッコ悪いのは大嫌いだった。この状況を招いたのは自分自身だと言えるのだから。
どうせ私は、ここまでハッタリだけでまかり通ってきたズルい人間よ。
勉強は最低限、欠席遅刻当たり前、単位は落とさなければオッケー、試験の時はカンニング可能な後ろのほうの席を早く確保する等々……ふだんはそのような不真面目な態度を保っているルイーゼだが、一度こりだすと止まらない性格でもある。マイナーな魔法をひたすら勉強するというクセがあり、そんな時は一日中でも図書館にこもって古書を読み漁っていることもある。
――やれるだけ、やってみよう。
ルイーゼは約一年前の記憶を掘り起こし、攻撃魔法である黒魔法の呪文をぶつぶつと唱え始めた。
「……ミラージュ、ミラーコ、ミラーレ、ミラー……?(思い出せない)」
「がるるるるる」
腰を引かせるルイーゼ。
「ミラーミラーミラー、出でよミラー!! のわ~出ないっ……」
当たり前である。神聖文字という太古の言葉である呪文は、きちんと発音しないと効力がない。
その時だった。
美しいまでの藍色の炎の矢が、ゴブリンの手の中から発射され、こちらに伸びていた。それに気付いたのは、彼女の目の前でカキンと矢が外側に弾かれる音がしたからだった。
ルイーゼは、ひっと悲鳴をあげる。弾かれた矢は地面に突き刺さってくすぶるように少量の雑草を燃やし始めた。
「さっきから、早口言葉の練習でもしているんですか?」
さっきから木陰に突っ立ってのんきに地図を広げている人物が、とっさに防御結界を張ってくれたらしい。
「さて。炎を早く消しなさい。火事になりますよ」
彼は輝きのない目で地図に目を落としながら言ってきた。
「ひいー、どうしよう、火がっ! 水、みずみずみずみず、ええと、ええと―ー」
彼女は頭脳をフル回転させ、手を炎にかざすと、つたない発音で呪文を唱えた。
「――冷却!」
ぱりん、と氷が細かく割れる音が響き、ノアの手のひらは一瞬で凍りついた。ルイーゼは硬直した。手のひらの回りが氷で固められただけで、一人冷凍庫でもしているように自分が寒いだけだった。
「ぐああああ痛てー!」
ノアは自らの右手の平が赤ばんでいるのを見て慌てて氷を振り払った。氷は崩れて火に落ちていったが、一瞬で炎にのみこまれて溶けていった。
やけどをした左手を右手ですりすり撫でながら、ルイーゼは広がる火から逃げ腰になった。小さな火だったものがいつの間に直径二メートルほどの炎に広がっていた。
熱気が顔の表面に降りかかり、ルイーゼの顔を真っ赤にさせた。ルイーゼは師匠にすがるように叫ぶ。
「先生!」
「だから言ったでしょう。早く消せって」
言いながら、彼はなにもしない。
「これじゃ山火事になっちゃいますよ。早く消さないと!」
「きみを狙った矢ですよ? きみが対処なさい。天才魔法使いであるぼくの弟子がこれくらいのことで大騒ぎしていたら、恥ずかしくて世間に顔向けできませんよ」
おまえが選んだくせにー!
と言いたいのをルイーゼはぐっとこらえた。
「もういいですよわかりましたよ!」
これ以上なにを言っても無駄だと判断し、師匠のことは無視して、燃え盛る炎に向き直る。
「えと、えと、えと、そう。水、水、水」
原っぱに燃え広がる炎にルイーゼは両手をかざし、必死に呪文を唱える。
「水兵!」
ノアが叫ぶと同時に、彼女の手の中に現れたものは氷の結晶で作られた剣だった。成功だ、限りなく精密な剣ができあがった。火事場の馬鹿力というやつだろう。恍惚とした気分でルイーゼは宝石のように輝く氷の剣を構えるが、目の前に切るべき敵はいなかった。
「っていうか、剣出しても意味ないじゃない。ああもう冷たいしっ!」
ルイーゼはせっかくの成功品を手から放り出そうとしたが、狙いを定めて、炎の赤をばかみたいに放心して眺めているゴブリンに向かってまっすぐに投げた。それはゴブリンの胸に命中し、さっくりと突き刺さった。
「がるーっ」
身もだえし、ゴブリンはすぐにその場にわなわなと崩れていった。ゴブリンの胸の中で、氷の剣は溶けて消えた。
奇蹟のような確率でゴブリンは退治した!が、問題は火事のほうだった。
「こほ。こほっ」
煙で涙がにじみ出てくる。ルイーゼは助けを求めたかったが、悔しいので「助けてください」の一言を喉の奥に飲み込んだ。熱さで肌がぴりぴりと痛む。けむたくてむせる。
そのときだった――
四十個のバケツをひっくりかえしたみたいな水が、頭上から降ってきた。コントのオチでも、こんな大量の水は用意できないだろうな、とルイーゼは冷静な部分でそう思った。少なくとも自分だったら用意しない。
目にも耳にも口にもにごった水が入り込み、ノアは水圧に押されてそのまま地面に座り込んだ。
そっと顔を横に向けると、杖を少しこちら側に傾けているクライがいた。地図から少し視線を上げ、言った。
「仕方ないですねぇ。できる限り手助けはしたくなかったのですが」
説明がましい彼の言葉の半分も聞こえないまま、ルイーゼは背中に押しかかる疲労とともに視界が闇に染まっていった。彼女は水びたしの草原の上に顎から突っ伏した。
「あ。ルイーゼ? なんですそれは、ぼくへのあてつけのつもりですか? あれ、ルイーゼ? おーい?」
この後におよんで、まったく焦ることのないクライのとぼけたような声が、だんだんと遠ざかっていく。
くそう、死んで困らせてやる。
マスタークライ、美少女を誘拐まがいで弟子に取り、その上、放置プレイで虐待死。
あっはっは、あんたの名声もこれで終わりね!! あっはっは………。
***
ゆらゆらと一定の間隔でゆれる心地のよい揺りかごを思い出しながら、ルイーゼは目を覚ました。
そこは森の中だった。森に入った記憶がない内に、もう行く道の向こうには出口が近づきつつあった。
ルイーゼは、はたと気づいた。自分がよりかかっているのは、クライの背中だった。気絶している間におぶられて運ばれてしまったらしい。
「先生っ」
「ん? あー、起きましたか」
「下ろしてください、歩きます!」
「まあまあ」
『まあまあ』じゃねー! このセクハラ師匠! 叫ぼうとしたとき、
「とりあえず試験は合格ってことになりました。おめでとう」
「え」
「めでたく、きみはぼくの弟子です。まあ、実戦のない試験なんて試験とはいえないですからね」
ゴブリンを倒したときの感覚を、ルイーゼは思い出していた。なんだか急に、泣き出したくなった。本当は、あんなに怖いことはなかったのだ。
「先生、実は、私、ぜんぜん魔法なんか得意じゃないんです、私なんて……」
「知っていますよ。きみは学校での試験は、わざと手を抜きましたね」
「わかってて弟子にしたんですか!?」
避難の言葉をルイーゼは師匠の耳元でわめいた。クライは無責任に「はっはっは」と笑ってから、こう言った。
「他の子は全力でぼくの気を引こうとしてたみたいですけど、きみだけはなんだかやる気がなさそうだったので。実力を隠している余裕さのようなものがピンと来たんです」
「いや、そんなんでピンと来られても、私ほんとうに魔法なんて全然――」
「ロリータ少女の魔法はきみですね?」
「へっ」
「ベランダの上にいる人が見えましたよ」
ルイーゼは絶句した。
「いやあ、実に面白い魔法でした。あの娘もなかなかかわいかったんですが、外見で選ぶわけにもまいりますまい。まあつまりきみは不正をしたわけですが、学校にばらされたくなかったら、おとなしくぼくと旅をなさい」
「………脅しですか」
「脅しですね」
はあ。今日は疲れた、もう叫ぶ気もしない。
ルイーゼはクライの背中に揺られながら、もう一度うとうとし始めていた。森の出口から、明るい光が差し込んできていた。