第6話 懺悔(アルマス)
俺は王城の地下牢を出ると、王都にあるロマノヴィ公爵邸へ向かった。
エステルの処刑に最後まで反対していた母に会うためだ。
少し時間はかかるが、頭の中を整理するために歩いて向かうことにした。
街のざわめきや人々の会話は、どれもエステルの話題であふれていた。
「まさかカレン様が天罰を与えられるような人だったなんてねえ」
「エステル様が無実だったとは……」
「私はエステル様を信じていたよ? 聖女を処刑するなんて恐ろしい国だよ!」
「空も異様に黒いし……この国は呪われちまったのかもしれないね」
「王子様が不届き者と婚約して、聖女様の首を斬り落としちまうような国だものねえ」
エステルの処刑を見ながら罵声を浴びせていた者も多かったのに、今では聖女を処刑した国への批判の声があちこちから上がっている。
『お前たちも、かつてはエステルを批判していたじゃないか』
そう思いながらも、それを口にする資格は俺にはない。
一番非難されるべきは、他でもない俺だから。
「! ……雨か」
空の雲行きが怪しいと思っていた矢先、とうとう雨が降り始めた。
外にいた人々も足早に建物の中へと駆け込んでいく――。
ほとんど人影のない道を進むうちに、雨は次第に激しさを増し、雷鳴が轟き始めた。
しばらくすると、バリバリッと激しい音が鳴り響き、遠くで雷が落ちる。
これほど天候が荒れるのは、王都では初めてかもしれない。
少なくとも、エステルがいた頃にはこんなことはなかった。
「女神様がお怒りだ……!」
「王家やお偉いさん達のせいで、この国には天罰が下るんだ!」
雷の音に驚き、窓を開けて見ていた者達が叫ぶ。
それを聞きながら、俺は「もし天罰があるのなら、なぜ俺には与えられないのか」と考えた。
罰を与えることすら、許されないということなのだろうか。
「あの店は……」
ふと、明かりが灯る小さな店に目が留まった。
エステルのために焼き菓子を買った店だ。
まだ幼かったあの頃、エステルと俺、そしてクリスティアン様は、よく三人で一緒に過ごしていた。
また買おうかと迷ったが、びしょ濡れのまま店内に入るわけにもいかない。
それに、渡したい相手はもう――。
『一緒に食べてください。アルマス様も共犯です』
また、エステルの控えめな笑顔が脳裏に浮かんだ。
「エステル……」
エステルが牢に入れられていた間、俺は一度も彼女に会いに行かなかった。
処刑の日、久しぶりに目にしたエステルは、ひどく痩せ細り、かつての面影は見る影もなかった。
俺がクリスティアン様やカレンと何気なく日々を過ごしていたその間、エステルはどれほど過酷な日々を耐えていたのか――想像するだけで胸が痛む。
いや、俺の想像など到底及ばないほどの苦しみに晒されていたのかもしれない。
先ほど目にした地下牢の劣悪な環境を思い返すと、その現実の一端が、なおさら重くのしかかってくる。
「……エステルに『許してくれ』なんて、口が裂けても言えないな」
顔を俯かせ……今だけは雨が降っていることに感謝した。
※
公爵邸に着くと、外出しようとしている父に出くわした。
父は現在、騎士団長を務めている。
俺は副団長を任されており、数年後には父のあとを継いで団長になる予定だ。
「アルマス。ずぶ濡れじゃないか。風邪をひかぬようにな」
「……はい」
「私は今から、陛下にお会いしてくる」
「分かりました」
それ以上何も言わず、すれ違おうとしたが、父が話し掛けてきた。
「この天候もそうだが、女神様がお怒りになっているようだ。魔物の動きも活発になっていると報告があった」
「!」
足を止めて父を見ると、深刻な顔をしていた。
「聖女は安寧をもたらす存在だ。エステルがいなくなったことが要因かもしれない。お前も何かあったらすぐに動けるように、準備をしておきなさい」
「……分かりました」
今度こそすれ違おうとしたが、父はまだ聞きたいことがあるようだ。
「アルマス。何と呼ぶのが正しいのか分からないが……『元聖女』に会って来たのか」
「! ……はい」
「正体は分かったか?」
「いいえ。聖女であることは確かなようですが……」
そう答えると、父の顔が険しくなった。
「聖女であれば、今こうして魔物が活発化したり、天候が荒れているのはなぜだ?」
「……それは俺にも分かりません」
聖女にも『女神に愛される者』と『愛されない者』がいるのかもしれない。
改めて女神関連の書物で調べてみよう。
「国民にも動揺が広がっている。中にはまだ、カレンを信じている者も少なくない」
「民のすべてがあの処刑を――女神様を見たわけではありませんから、仕方がないことでしょう」
エステルの首を抱きしめる女神の姿を目にし、青い炎に包まれてただ一人悶え苦しむカレンのあの凄まじい光景を見れば、庇おうという気持ちなど起こらないと思うが……。
「ああ。カレンは女神ネモフィラによって罰を受けたことは確かだが、癒しの力を使って人を救っていたことも確かなのだ」
そう零す父の眉間の皺はさらに深くなる。
カレンはいつも笑顔で、怪我や病に苦しむ人々を癒していた。
その姿を見て、俺もクリスティアン様も心を打たれたのだ。
「あれは……『我々を信用させるためにやっていたこと』だったのでしょうか」
「そうかもしれない。だが、実際に救われた人からすると、恩人であることには変わりはない。……何にしろ、我々はエステルという『無実の聖女を殺めてしまった』ということに向き合って、できることをやっていくしかないだろう」
「……そう、ですね」
今の俺に何ができるだろう。
エステルはもうどこにもいない。
亡骸も俺の手が届かないところにある。
「国は早急にエステルの慰霊碑を建てるそうだ。多くの者が彼女の死を悼んで、懺悔して……少しでもエステルの心が救われているといいのだが……」
在りし日のエステルを思い出しているのか、父は沈痛な面持ちだ。
俺はそんな父の言葉を聞いて、自嘲気味に笑ってしまった。
「死んだ人間が『慰霊碑を作って貰えた』と喜ぶとは思えません。それは、許して欲しい者側の考えです。……死んだら何もない……何もないんだ」
「アルマス……」
父の考えを小馬鹿にしたのではない。
そういった考えに一瞬でも縋りたくなった自分に呆れたのだ。
「……母上に会ってきます」