第5話 可能性
アルマス様は地下牢の扉を静かに閉めて去っていったが、牢内の空気はまだ張り詰めていた。
クリスティアン様の尋問は止まらず、冷たい声が静寂の中響く――。
「カレン……君の正体は何だ?」
クリスティアン様の鋭い問いに、カレン様はにっこりと微笑みながら答えた。
「異世界から来た聖女で、あなたの婚約者よ。だから、ここから出して?」
その答えに、クリスティアン様の目に一瞬、戸惑いが走ったように見えたが、すぐに苦い顔を浮かべて吐き捨てるように言った。
「答える気がないなら、もういい」
大きなため息と共に、軽蔑の眼差しをカレン様に向ける。
「君が生きてここから出ることは、もうないだろう」
そう言い放ち、クリスティアン様は去ろうとしたそのとき、カレン様がふっと笑い声を上げた。
「あははっ! エステルみたいに、私の首も切り落とすのぉ?」
楽しげに親指で首を斬る仕草を見せるカレン様。
その無邪気な挑発に、クリスティアン様の顔には瞬く間に嫌悪と怒りがあふれた。
「ねえ、クリス様。エステルがダメで、私もダメで……次は誰を婚約者にしようか?」
「黙れ!」
「私と結婚して、未練を断ち切れると思ったのにね。可哀想~。エステルの首とでも結婚する?」
「お前はっ……!」
カレン様のその言葉に、クリスティアン様はこれまでで一番激しい怒りの表情を見せた。
しかし感情を必死に抑えたように、拳を握りしめるとすぐに口を噤んだ。
「おやあ? ふーん?」
二人のやり取りを見ていた女神様が私を見ている。
「何か?」
「王子様とはどんな感じなの?」
「どんな感じ、とは?」
「あらら。でも、死んでから始まることも……無きにしも非ず?」
「?」
女神様が可愛らしく首を傾げているので、つい私も首を傾げてしまった。
言っていることについてはよく分からないが、回答を求めている様子ではないので、クリスティアン様の尋問に意識を戻す。
「あ、でも、エステルの首はクソ女神が持って行っちゃったか」
この言葉に反応したのはクリスティアン様ではなく、女神様だった。
「なんだと、このっぐちゃぐちゃザクロの擬人化!」
ぴっ! と可愛らしい怒りの声で鳴く女神様。
ザクロって、あの見た目はよくないけれど美味しい赤い果実――?
まさか、邪神がザクロを人間にしたのがカレン様? と一瞬思ったが、カレン様の現状のお姿をそう例えて言っただけのようだ。
女神様の思考を理解するのは難しい……。
「女神様は、エステルの亡骸をどうされるのだ? 我々には返してくださらないのだろうか……」
クリスティアン様の口から私の名前が出て、思わずドキリとした。
カレン様が現れて処刑されるまで、私が見てきたクリスティアン様はいつも冷たい表情ばかりだったから……。
「エステルの死体? そんなの知らないわよ」
「君は聖女なのだろう?」
「知らないって言っているでしょう? エステルは愛し子だから、大事にするんじゃない? 生まれ変わらせるとか……生き返らせるとか」
「生き返らせる!? そんなことができるのか!?」
「さあ? 知らなーい」
カレン様はクリスティアン様をからかっているようだ。
「……そうか、国葬をするのはまだ早いかもしれない」
だが、クリスティアン様は何かを思ったのか、慌てたように去っていった。
その背中を見送りながら、カレン様が呟く。
「ばっかじゃない。生き返らせるなんて、いくら神でも不可能よ」
「『可能』よ」
女神様がすぐにカレンの言葉を否定し、またふわもこの胸を突き出して誇らしげにしている。
さすがネモフィラ様だ、と尊敬の念を抱いたが、私はそれを選択しないのが申し訳なくなった。
そんなことを思っていると……。
「……私はここで終わらないわよ」
カレン様が、まるで暗闇から響くような声で呟いた。
その不気味さに私はゾッとした。
「ふん。ジュースにでもおなりなさい」
……ザクロのジュース、ということ?
女神様のおかげで、怖いという気持ちが少し薄れた。
さすが女神様だ。
「さあ、こんな辛気臭いところは出て、次はお姑さんを見に行きましょう」
もうここに用はないようで、女神様は私の肩から飛び立った。
「姑というと……アルマス様の母君、ユリアナ様ですか?」
「あなたの無実を訴えてそうじゃない。良トメね」
「りょうとめ?」
「よいお姑さんってこと。今どうしているか、気にならない?」
「気に……なります」
最後に会った時は、すでに私の悪いうわさが広がっていたときだった。
そのときは「やましいことがないのなら、堂々としていなさい」と言われた。
普段通りの厳しい様子で、私も思わず気を引き締めたものだ。
私のような者がアルマス様の婚約者で、きっと不快に思っているのだろうと考えていたが……。
「その前にその服装を何とかしましょう? 亡霊といえど女子たるもの見た目は気にしないと。とりま、ここを出ましょう」
女神様がそう告げると、たちまち景色が一変した。
暗く閉ざされた地下牢から、一気に眩い光に包まれ、思わず目を閉じてしまう。
「わあ……」
目を開けると、視界いっぱいに広がる美しいネモフィラの花畑がそこにあった。
「綺麗でしょう?」
「! はい……」
女神様も愛らしいシマエナガから、美しい女性のお姿に戻っていた。
ネモフィラの花畑に立つ女神様は、本当に美しくて思わず息をのんだ。
「おしゃれをするには気分をあげないとね! まず、その髪型……嫌いだなあ」
「! す、すみません」
女神様のお姿に見惚れてぼんやりしていたところ、突然「嫌いだ」と言われて焦る。
「違う違う。そのルンバに対しての言葉だから、気にしないで」
「……ルン、バ?」
「あなたの後頭部に引っ付いているこの大きなお団子よ」
長い髪を一纏めにしているので、大きなまとめ髪になっているが、これは女神語ではルンバというのだろうか。
「前髪もぴっちり真ん中分けだし、ドレスも味気ないし……。あなたを見ていると、ロッテンマイヤーさんって呼びたくなるの」
「あの、私はエステルです」
「知っとるわい」
「す、すみません」
「謝らないの。……って謝らせているのはわたくしね。わたくしは女神だけれど、そんなことは気にせず友達だと思って話してね」
お気持ちは嬉しいし、女神様の要望には応えたいが……それは無理な話だ。
今まで信仰していた方を友達だなんて、恐れ多すぎる。
「ぜ、善処します」
「政治家かな?」